第2話 遭遇

文字数 3,949文字

 北口から東急デパートに向かう斜めの通りを進み、ハーモニカ横丁の手前のビルを地下に降りると、流行りの英国風パブがある。ノンチャージなので、独りでサクッと飲みたいときによく使う店だ。
 カウンターでウォッカトニックを注文する。キャッシュオンなので、その場で支払いをして席を探す。居酒屋と違って席は指定されないので、どこにでも移動可能だ。混んでるときは立ち飲みもOKだ。
 あまり混みあってなかったので、小さなラウンドテーブルに着く。席は全てハイチェアで、椅子が足りなくて立ち飲みしても、座ってるメンバーと自然に会話ができる。

 私はグラスを手に取って、舐めるように一口飲む。グラスの中身は大半が氷だから、グイッと飲みだすとすぐに無くなってしまう。貧乏くさいが、氷が溶けだすまではこの飲み方を続ける。
 私は女子にしては珍しく一人酒が好きだ。孤独感が肴になって程よく酔える。誰に気を使うことなく飲めるのも魅力だ。こんな楽しみを男だけに独占させる手はない。
 それにしても今日は孤独感をより強く感じる。未来への不安が悲劇的な演出と成り、ヒロイン気分を味合うことができる。もちろん、この先には自分を楽しい未来に導いてくれる、素敵なお金持ちが現れる妄想も忘れはしない。

 ほろ酔いモードで気分が良く成って来たところで、隣の席に団体が来た。男女混合で七名と大所帯だ。男は皆スーツなので学生ではない。近くの会社の社員が帰りがけに一杯というやつか。コロナが出現してから学生以外で、こういう団体も珍しくなった。
 席に着くと一斉にマスクを外して、お疲れ様の乾杯を始めた。
 男のメンバーの顔を見て、ゲゲッと思った。

 男の一人はクィーンの常連客で、しかもマリエさんのお客さんだ。私自身、ヘルプで二度ほど着いたことがある。名前は確か柴田誠一(しばたせいいち)、武蔵野市の上場企業新田食品の営業だ。誠実一番の誠一ですと、訳の分からない自己紹介を覚えている。マリエさんのことが大好きで、席に着いたときもマリエさんの話ししかしなかった。こっちのことはまったく眼中にないようで、二度目に着いたときも初対面のように挨拶した。

 もう一人、見知った男がいた。グループの中で一番若そうなノッポの男だ。柴田に連れられて、一度だけ店に来たことがある。キャバクラは初めてのようで、最初に着いた私が頼むとすぐに場内指名してくれた。ラインもそのとき交換した。名前は確か東山春陽(とうやまはるあき)だった記憶がある。

 不覚にも驚いた顔のままでいると、柴田と目があった。まずいと思ったが、柴田は何も気づかずに目を逸らした。まあ、今日は昼職用のメークだし、髪だって巻いてないから、気づかなくても不思議ではない。マリエさん以外には興味ないから、クィーンでもう一度会っても、忘れている可能性が高い男だ。

 ホッとして、グラスの酒を一口飲むと、今度は隣から強い視線を感じて、再びそちらを向く。東山が絵に描いたような阿保面でこっちを見ていた。
――しまった、こいつは覚えてたか。
 無理もない、初めて話したキャバ嬢だ。しかもその日は私としか話してない。印象に残っても不思議ではない。

「あら、ハル君のお知合い」
 東山の阿保面に気づいて、女性メンバーの一人が声をかける。やっと東山も普段の顔に戻った。
「あっ、ちょっとだけ知ってます」
 東山は誤魔化すことなく正直に答える。
「何だなんだー」
 それまで浮かない顔をしていた柴田が、急に楽しそうに東山に詰め寄る。
 柴田はもう一度私の顔を見て、「あっ」と声をあげた。
 どうやらこいつも分かったようだ。最悪だ。もう一時間ぐらい飲んでいこうと思ったが、そろそろ帰り時が来たようだ。

「ミサさんも一緒に飲みましょうよ」
 柴田が源氏名で誘って来る。さらに最悪だ。
「ミサさんじゃなくてミキさんですよ」
 東山が訂正した。なんで本名知っているのかと思った瞬間に、理由が分かった。ラインのハンドルネームが本名だった。

 柴田が立ち上がってこっちに来る。
 近づいたところで、耳元に囁く。
「後で客としてクィーンに一緒に行きましょう」
「私、今日は出勤じゃないの」
「大丈夫、店長に連絡しとくから」
――そうだった。こいつはミウラと二人で飲みに行くぐらい仲良しだった。
 どうせここで断っても、こいつは行くだろう。今日出勤調整を言い渡されて、その日のうちに私が客として現れたら、店長はどんな顔をするのか、考えると面白そうなので承諾の印として頷いた。
「東山もつき合わせますね」
 それはちょっと気の毒な気がした。

 柴田に勧められるがまま、七人席に加わる。柴田が他のメンバーを、名前だけ紹介してくれた。みんな同じ会社で、この辺では大きな会社となる新田食品の社員だった。
 私のことは柴田の知り合いで、東山とも顔見知りだと紹介した。
「今日はハルの失恋を癒す会なんだ。とは言っても女性メンバーが、みんなハルよりお姉さんだからミサ、いやミキさんいて良かった」
 柴田は座りもせず、私と東山の間に立って話している。
 私の実年齢は二六才だが、東山に合わせて二四才と言ってある。少しだけ後ろめたい気がした。

「ちょっと、柴田さんその言い方酷くない。上って言っても一つか二つでしょう。十分対象範囲だよね。ハル君!」
 小泉美奈(こいずみみな)と紹介された女が、柴田に抗議した。抗議する口調に甘い雰囲気がある。この女性(ひと)は柴田のことが好きなのかもしれない。
 そう思って美奈をよく見ると、小柄でちょっとグラマラス、特にお胸は立派だった。マリエさんはスーパースレンダーで、特に胸はほとんど膨らみがない。
――残念ながらあなたは柴田のタイプじゃないわ
 なんか、この観察は楽しいと思った。

「いや実年齢ではなくて、精神的にマウント取られる圧迫感が、ハルにはきついかな、と思ってさ」
 柴田も負けてない。
 当の東山はと言うと、少し困った顔をしてる。否定しないと言うことは、柴田の言葉は意外と、当たっているのかもしれない。

「それよりもハル君の失恋の話を教えてよ」
 さっき東山の阿保面に気づいた、青田詩織(あおたしおり)が話を催促した。しっとりとした声で、落ち着いた色気がある。顔はすっきりした感じで、所謂(いわゆる)和風美人といったところか。

「こいつ、大学時代から四年も付き合ってる彼女がいたんですよ。それが、つい先日別れようって、手紙が来ちゃって。涙ぐみながら寮の前で手紙を燃やしているから、びっくりしましたよ」
 (きた)という名の体育会っぽい男が、得意そうに話し始めた。話しながら詩織の顔をちょいちょい窺っている。気があるのかもしれない。

「それで理由は何だったの?」
 一番落ち着いてる風の詩織が、意外なことに少し食いついて来ている。
「コロナで自粛が出たでしょう。ハルはまじめだから、彼女とも会わずに、バーチャルデートで我慢してたらしいんですよ。そしたら、彼女と同じ会社の男とできちゃったらしくて。酷い話ですよね」
 眼鏡がインテリっぽい生島という男が、少し憤慨(ふんがい)しながら、理由を話してくれた。いい人かもしれない。それにしても手紙とは今時古風な……

「酷いね。ハル君、縁がなかったと思った方がいいよ。恋ならハル君がその気に成ればすぐにできるから」
 詩織がやや熱い眼差しを東山に向けている。
――もしかして東山のことが好きなの! こんな美人がラッキーだぞ。気づけよ、東山!
 なんだか弟をことを応援する姉の気分に成ってきた。

「やっぱり、距離と愛情は反比例するのよね。いけないと思っても、近くに強引な男がいれば女の心は揺らぐのよ」
 一番年上っぽい、持田愛理(もちだあいり)が格言的な発言をして、周囲が黙り込む。何だか、聞いてはいけない事情をお持ちなのかと、変に勘ぐってしまう。

「まあ、そうだ。好きなら、もう一度くらい会ってみればいいじゃないか。メールじゃなくてわざわざ手紙にして送るってことは、何か察して欲しい意図があったのかもしれないぞ。ねぇミキさん」
 私は柴田の急なフリに対応できずに、「そうねぇ」と言いかけたら、すごい勢いで詩織が横入りしてきた。
「私は絶対会わない方がいいと思う。手紙を書くということは、それだけ手間をかけても別れようという意志表明みたいなもんじゃない。ねぇミキさんもそう思うでしょう」
 私は勢いに押されて、「ええ確かに」と曖昧な返事をしてしまう。

「大丈夫です。彼女のことは、手紙を燃やした時点で忘れることに決めましたから」
――健気だ、東山、君はなんて男らしいんだ。
「ハル、無理やり気持ちに嘘つく必要なんてないんだぞ」
 柴田が心配そうに忠告する。私には何が正解かは分からないが、一つの恋愛にこんなに熱く語る様子に、疑似恋愛ばかり見てきたせいか、久々に心が熱くなっていた。

 時計が十時を回ったところで、お開きとなって店を出る。
 柴田と東山の二人は、三鷹にある新田食品の独身寮に住んでいるので、駅に向かう五人とは逆に歩き出す。私は駅でバスに乗って帰る予定だったが、柴田に引き留められたので、とりあえず三鷹組に交じる。
 私が一緒にいるので、詩織が心配そうな表情で、こちらを振り返る。そういう切ない思いを感じるのは久しぶりだが、こっちも感情移入して悲しくなった。

 五人の姿が見えなくなると、柴田が(おもむろ)に切り出す。
「さあ、クィーンに行こう」
 東山が「ええー」っと情けない声を発する。
「まあ、失恋したときくらい、思いっきり遊べ! ミサちゃんも今日は遊び方の先生として付き合ってくれるから」
 そういう意図かと、柴田の意図を(ようや)く理解した。
「分かりました」
 東山が素直に従う。最近の若い人にしては珍しく、先輩に従順だ。店に来るおじさま方の話では、いくら誘っても来ないと言うのが定説だったが。
 何はともあれ、私たちはクィーンに向かって歩き出した。
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