最終話
文字数 3,018文字
「連絡乞う」
小峰昏倒事件からひと月ほど経った頃、菜緒からメッセージが入った。その気になれば違うクラスと言えど同じ高校なのだから、通学時間帯が被らない事も無い。互いに何となく時間をずらしていただけだった。
菜緒は小峰と付き合う事も無く、小峰自身も最近大人しくしている。ほとぼりが冷めたらまた女漁りを再開する事だろう。
そして、メッセージを受け取ってから三日後、おれは今、冷蔵庫の前に立っている。 菜緒の家の冷蔵庫の前だ。
小峰の一件でおれがキューブを見たと知ったらしく、幸運にあやかろうとバフ要員として呼び出されたのだ。冷蔵庫は自動製氷機が稼働していてストックも十分にあったが、菜緒は冷凍室の製氷皿から氷を取ってくれと言う。 自分で取ればいいのに――ここにもキューブを拝みたい人がいたのだった。落ち着かないのかジュースが切れていたからと食品のストック場所へ、キッチンの隣にある納戸に入っていった。
冷凍室を開き、製氷皿を手に取ると、氷の一つに青く揺らめく光が灯った。
菜緒が戻り、おれのリアクションから突き飛ばす勢いで製氷皿の前に立つ。「……嘘みたい」「自分で作ったのか?」「うん、そう、小峰君関連のあれこれがちょっと嫌だったから、気分直しのつもりでキューブ作りにトライしてみたんだ。まさか、出来ちゃうなんて」
菜緒は、この先に待つ事柄より実物を目にした感慨の方が大きいようだ。急いでスマートフォンで写真を撮ってみたが、やはりがっかりしたようだった。
「これじゃ、アップ出来ないや」「いいんじゃねーの別に、人の心を覗こうとしているんだし、おれ帰ろっか?」
気を利かしてみたが、菜緒に一緒にいて欲しいと言われその場に残った。もしかしたら小峰の心を覗いてショックを受けてしまうだろうが、まぁ、何とかなるだろう。 おれとしては、〈小峰君関連のあれこれの〉の何が嫌だったのか、そっちの方に気が向いていた――だから、気が付くのが遅れた。
菜緒の反応を見て、諸々一撃で吹っ飛んだ。
頭から湯気が出そうな程赤面している――そんな光景を見たことがあるだろうか、しかもこちらを見て恥じらっている。
全てが終わった事を悟った。 ――お願いです。誰でもいいから、おれをこの世から消し去って下さい。マジお願いします。 菜緒は口の中で氷を転がしながら、上目遣いで見ている。とても耐えられない。
「ヤッパ、オレ、カエルワ」
歯切れの悪い言い方に、うんうんと首だけ振って玄関までついてきた。玄関の施錠をするためについてきたわけだが、一言も発しない。「じゃーな」 菜緒の顔を見る事無く、それだけ言うのが精一杯だった。
キューブは偶然出来る物じゃない。 SNSでは肝心な事柄が抜けていた。
能力者が製作を望み、製氷皿に触れた場合のみ、キューブは生成される。
その場合、氷作成者の心、または作成者が意図した相手の心の中となる。能力者が自身の為に作成できる事は無論であるが、中身が己か他者かは作ってみるまで分からない。 さすがに大っぴらにすると身の危険を感じる能力だから、世に出回るとは考えていなかったが、どこかの能力者が肝心なことは伏せてつい書いてしまったのだろう。
おれが自分の能力に気が付いたのは、中学生の時ジュースで氷を作り、作った氷でジュースを冷やしながら飲もうとした時の事だった。 自転車を飛ばして駅前の百円ショップで製氷皿を購入し、そこへペットボトルのジュースを注いだ。全部入れると飲む分が無くなるから、半分は普通の氷を作った。 夏休み中の暑い日で、何を間違ったか菜緒の事を思い出し、学校は違ったが宿題の進捗でも聞いてみようかと氷を作りながら何となく考えていた。両家はお互いのペットを預けて旅行に行くぐらいの仲だったから、学校は違ったが話す機会は結構あった。
そうして出来上がった水道水の氷の中の一つが、透き通るように光る赤いキューブだった。初見で、何となくそれは口に含んでも問題ない物と理解した。
コップに赤いキューブを取り、部屋に戻って口に含んで数秒で――地獄の体験をした。
おれはラブコメでもやらねーよってセリフを吐いていた。とてもじゃないが耐えられない。菜緒の良さを延々と説いている。 ああー、このまま夏の光で焼いてくださいと切に願った。これ以上はメンタルがもたないから勘弁してほしい。女の子の手も握った事の無い中二の夏だった。 おれ自身意識すらしていないむき出しの心だと気付き愕然とする。心にも思わないと言ったら嘘になるが、そこまで考えた事は無い。お蔭でそれ以来、何とも無しに菜緒を意識するようになってしまった。
小峰や菜緒に出来たのは、おれにはキューブを作る能力があるせいで、彼らの力でもないし偶然でもない。
これまで菜緒の心を見ようと作った事は無ない。彼女のむき出しの心なんて覗いたら、おれのメンタルが完全崩壊してしまう。
小峰に作ったのは、どっちが出るか分からないが意趣返しがしたかっただけだった。他者の心は誰の物か窺い知れないが菜緒の心じゃ無い事は確かだろう。
実際、菜緒が小峰に気がなくて安堵している自分がいた。 菜緒があの時見たのは、間違いなくおれの心の中だろう。
氷を作った時の心のありようなんて、能力者にも分かるわけがないのだ。読みが甘すぎた。おれは菜緒に心を見られた傷が存外に深く、もう数カ月会ってもいないし、メッセージも既読無視を決め込んでいた。
+++ +++
三年の春が来た、うっかり菜緒と登校中に顔を合わせてしまった。おれの方が足早に去ろうと急いだ。
「待って」 おれは、速足で去ろうとする――顔見れないって。 菜緒は前に回り込み、目の前でスマートフォンを取り出すと猛烈な打鍵を繰り出し、おれのスマートフォンがそれを受信した。
菜緒はおれがメッセージを読もうとする隙をつき――「今日、付き合いなさい! 拒否権ないよ」 一方的な拉致宣言だった。
「え……分かった」「西小山町駅に十六時!」 ビシッとそれだけ言って駆けて行った。 その駅は通学と全く関係の無い駅だった。
待ち合わせたのはカラオケ店で、歌う事も無く二時間を過ごした。 菜緒があの青いキューブを含んだ時見た光景について、改めて聞かされるという苦行の時間だった。
おれが小中と離れたことについて、うちは小中私立は経済的にちょっとキツかったから、公立で頑張って高校は偏差値高くても一緒の所に行きたいと思っていたこと。 ずっと好きだったこと。 想っている時間が長すぎて、気持ち悪いと思われてしまうだろうなと、自虐的になっていること。 菜緒の好きなところブラッシュアップバージョンの列挙、そして、真摯に恋の口上を語っていたという。 最後に「おれを選んでほしいと言ったら望み過ぎですか?」そう言ったのだそうだ。
それらを、臆面もなく語り切る菜緒。 爆発してしまおうと思ったね――。
おれは灰になったが、骨は菜緒が拾ってくれるみたいだ。いつもと違う経路の帰宅で、街の喧騒がとても遠く感じる。菜緒の家の方が先なので門の前で別れた。
繋いだ手を離した先で、「また明日」と菜緒が言った。「ああ、明日」
おれは二度とキューブを作る事は無いだろうと、思うのだった。
-おしまい-
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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よろしくお願いいたします。
小峰昏倒事件からひと月ほど経った頃、菜緒からメッセージが入った。その気になれば違うクラスと言えど同じ高校なのだから、通学時間帯が被らない事も無い。互いに何となく時間をずらしていただけだった。
菜緒は小峰と付き合う事も無く、小峰自身も最近大人しくしている。ほとぼりが冷めたらまた女漁りを再開する事だろう。
そして、メッセージを受け取ってから三日後、おれは今、冷蔵庫の前に立っている。 菜緒の家の冷蔵庫の前だ。
小峰の一件でおれがキューブを見たと知ったらしく、幸運にあやかろうとバフ要員として呼び出されたのだ。冷蔵庫は自動製氷機が稼働していてストックも十分にあったが、菜緒は冷凍室の製氷皿から氷を取ってくれと言う。 自分で取ればいいのに――ここにもキューブを拝みたい人がいたのだった。落ち着かないのかジュースが切れていたからと食品のストック場所へ、キッチンの隣にある納戸に入っていった。
冷凍室を開き、製氷皿を手に取ると、氷の一つに青く揺らめく光が灯った。
菜緒が戻り、おれのリアクションから突き飛ばす勢いで製氷皿の前に立つ。「……嘘みたい」「自分で作ったのか?」「うん、そう、小峰君関連のあれこれがちょっと嫌だったから、気分直しのつもりでキューブ作りにトライしてみたんだ。まさか、出来ちゃうなんて」
菜緒は、この先に待つ事柄より実物を目にした感慨の方が大きいようだ。急いでスマートフォンで写真を撮ってみたが、やはりがっかりしたようだった。
「これじゃ、アップ出来ないや」「いいんじゃねーの別に、人の心を覗こうとしているんだし、おれ帰ろっか?」
気を利かしてみたが、菜緒に一緒にいて欲しいと言われその場に残った。もしかしたら小峰の心を覗いてショックを受けてしまうだろうが、まぁ、何とかなるだろう。 おれとしては、〈小峰君関連のあれこれの〉の何が嫌だったのか、そっちの方に気が向いていた――だから、気が付くのが遅れた。
菜緒の反応を見て、諸々一撃で吹っ飛んだ。
頭から湯気が出そうな程赤面している――そんな光景を見たことがあるだろうか、しかもこちらを見て恥じらっている。
全てが終わった事を悟った。 ――お願いです。誰でもいいから、おれをこの世から消し去って下さい。マジお願いします。 菜緒は口の中で氷を転がしながら、上目遣いで見ている。とても耐えられない。
「ヤッパ、オレ、カエルワ」
歯切れの悪い言い方に、うんうんと首だけ振って玄関までついてきた。玄関の施錠をするためについてきたわけだが、一言も発しない。「じゃーな」 菜緒の顔を見る事無く、それだけ言うのが精一杯だった。
キューブは偶然出来る物じゃない。 SNSでは肝心な事柄が抜けていた。
能力者が製作を望み、製氷皿に触れた場合のみ、キューブは生成される。
その場合、氷作成者の心、または作成者が意図した相手の心の中となる。能力者が自身の為に作成できる事は無論であるが、中身が己か他者かは作ってみるまで分からない。 さすがに大っぴらにすると身の危険を感じる能力だから、世に出回るとは考えていなかったが、どこかの能力者が肝心なことは伏せてつい書いてしまったのだろう。
おれが自分の能力に気が付いたのは、中学生の時ジュースで氷を作り、作った氷でジュースを冷やしながら飲もうとした時の事だった。 自転車を飛ばして駅前の百円ショップで製氷皿を購入し、そこへペットボトルのジュースを注いだ。全部入れると飲む分が無くなるから、半分は普通の氷を作った。 夏休み中の暑い日で、何を間違ったか菜緒の事を思い出し、学校は違ったが宿題の進捗でも聞いてみようかと氷を作りながら何となく考えていた。両家はお互いのペットを預けて旅行に行くぐらいの仲だったから、学校は違ったが話す機会は結構あった。
そうして出来上がった水道水の氷の中の一つが、透き通るように光る赤いキューブだった。初見で、何となくそれは口に含んでも問題ない物と理解した。
コップに赤いキューブを取り、部屋に戻って口に含んで数秒で――地獄の体験をした。
おれはラブコメでもやらねーよってセリフを吐いていた。とてもじゃないが耐えられない。菜緒の良さを延々と説いている。 ああー、このまま夏の光で焼いてくださいと切に願った。これ以上はメンタルがもたないから勘弁してほしい。女の子の手も握った事の無い中二の夏だった。 おれ自身意識すらしていないむき出しの心だと気付き愕然とする。心にも思わないと言ったら嘘になるが、そこまで考えた事は無い。お蔭でそれ以来、何とも無しに菜緒を意識するようになってしまった。
小峰や菜緒に出来たのは、おれにはキューブを作る能力があるせいで、彼らの力でもないし偶然でもない。
これまで菜緒の心を見ようと作った事は無ない。彼女のむき出しの心なんて覗いたら、おれのメンタルが完全崩壊してしまう。
小峰に作ったのは、どっちが出るか分からないが意趣返しがしたかっただけだった。他者の心は誰の物か窺い知れないが菜緒の心じゃ無い事は確かだろう。
実際、菜緒が小峰に気がなくて安堵している自分がいた。 菜緒があの時見たのは、間違いなくおれの心の中だろう。
氷を作った時の心のありようなんて、能力者にも分かるわけがないのだ。読みが甘すぎた。おれは菜緒に心を見られた傷が存外に深く、もう数カ月会ってもいないし、メッセージも既読無視を決め込んでいた。
+++ +++
三年の春が来た、うっかり菜緒と登校中に顔を合わせてしまった。おれの方が足早に去ろうと急いだ。
「待って」 おれは、速足で去ろうとする――顔見れないって。 菜緒は前に回り込み、目の前でスマートフォンを取り出すと猛烈な打鍵を繰り出し、おれのスマートフォンがそれを受信した。
菜緒はおれがメッセージを読もうとする隙をつき――「今日、付き合いなさい! 拒否権ないよ」 一方的な拉致宣言だった。
「え……分かった」「西小山町駅に十六時!」 ビシッとそれだけ言って駆けて行った。 その駅は通学と全く関係の無い駅だった。
待ち合わせたのはカラオケ店で、歌う事も無く二時間を過ごした。 菜緒があの青いキューブを含んだ時見た光景について、改めて聞かされるという苦行の時間だった。
おれが小中と離れたことについて、うちは小中私立は経済的にちょっとキツかったから、公立で頑張って高校は偏差値高くても一緒の所に行きたいと思っていたこと。 ずっと好きだったこと。 想っている時間が長すぎて、気持ち悪いと思われてしまうだろうなと、自虐的になっていること。 菜緒の好きなところブラッシュアップバージョンの列挙、そして、真摯に恋の口上を語っていたという。 最後に「おれを選んでほしいと言ったら望み過ぎですか?」そう言ったのだそうだ。
それらを、臆面もなく語り切る菜緒。 爆発してしまおうと思ったね――。
おれは灰になったが、骨は菜緒が拾ってくれるみたいだ。いつもと違う経路の帰宅で、街の喧騒がとても遠く感じる。菜緒の家の方が先なので門の前で別れた。
繋いだ手を離した先で、「また明日」と菜緒が言った。「ああ、明日」
おれは二度とキューブを作る事は無いだろうと、思うのだった。
-おしまい-
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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