第5話 想影

文字数 2,848文字

 それから、幾度となく彼女と話した。話せば話すほど彼女の事も、生きるということも、少しずつ好きになっていく気がした。
 それと同時に、優しく人らしい彼女に何処か言いようのない不快さも感じていった。彼女の存在を求めるほどに、僕の中のヒトが何かを否定する様な、生ぬるい愛情のようなものを。そんな違和感と好意を放し飼いにしているうちに、僕はいつの間にか彼女の事を当たり前の存在だと思い込み始めていた。だから、だからきっと僕は彼女に母の事や過去の事を話したに違いない。
 八月十三日、午前三十分。彼女がいつものように朝食を作り、僕らはそれを食べていた。今となっては当たり前の日常、けれど三か月前の僕からは誰も、僕自身もきっと予想していなかった光景かもしれない。ここにきて、浅間さんに良くしてもらい、栞と友達になって日々を送るなんて。この日も、僕らの日常は変わらない。朝食を食べた浅間さんは何処かへと向かう。僕らはそれを見送った。そのあとで、栞が食器を洗いながら言った。
 「照くん、ちょっとお願いがあるの」
「何?」彼女から受け取った食器をふきながら答える。
「もうすぐお父さんの誕生日なんだ、だからちょっとお使いを頼みたくて」
「そうなんだ、浅間さんに何を」
彼女はきっとあらかじめ用意していた一枚のメモとお金を僕に渡してきた。そのあとで「ごめんね」と楽しそうに言った。
 洗い物は大丈夫だからという彼女に「わかった、行ってくるね」と、僕は彼女の期待を背負いながら、手を振る彼女に笑顔を向けて家を後にした。
 メモには、食材一覧と、浅間さんに贈るらしい眼鏡チェーン、靴、コーヒーの何かなど、たくさん書かれていた。正直持ち帰るのに一苦労だと思ったけれど、彼女は浅間さんの言いつけであまり公に外には出られないらしく、必要なものは僕か浅間さんが買ってくることになっている。とはいっても外に出てはいけないというのはあくまで人前にということで、家の周りなんかは良く散歩しているようだった。
 それから僕は数時間かけてバスで隣町で一通りの買い物を終えて家に帰った。
「おかえり、良いのあった?」
「よくわからないけど、店員さんと相談して決めた」彼女は眼をキラキラさせていた。
「いいと思う、すごくいいと思う。 うれしい」と、なぜか自分が貰えるみたいに喜んだ。
 まるで、初めてプレゼントを贈るように。
「でも、毎年あげてるんだよね?」僕は開いたままになっていたドアを閉めながら聞いた。
 僕の言葉に彼女は、「ううん、私外にあまり出られないから初めてのサプライズプレゼント」とやはり無邪気に笑った。
 その笑顔を見て、懐かしい気持ちになった。僕も昔、母の為にあれこれサプライズを企てたことがあった。学校から沢山の折り紙を持ち帰って、一生懸命ハサミで切っては丸めてくっつけて、鎖の様にした物をたくさん作って飾りつけの準備をしてみたり、母の絵を描いた手紙を渡したり、割とそういうのが好きな子だった。懐かしい。
 そうやって物思いに老けながら、栞を手伝って家の掃除をしていた。
あれから数年も経って、今は知らない家で楽しく暮らしている。楽しいというよりは、すごく平和に、暮らせている。父があれからどうなったのか、どうしているのか知らないけれどここに来て、来れてよかった気がする。
 そんなことをひとつ、不意に考えてしまうと次々に忘れていた、思い出さないようにしていた物や気持ちまで川の様に脳に流れてくる。
 そんな僕を見て彼女が心配そうに寄ってきた。
「どうかした? なんか考え込んでるみたいだけど」
「いや、何もないよ」僕は、この家に来てから良く良く顔に感情が出るようになったらしい。もしくは、彼女が人の機微に良く気付くだけなのかもしれない。
「言いたくない事は言わなくても良いけど、悩みがあるなら言ってね」
「ありがとう」
「なんか飲む?」そう言って彼女は、カフェラテを入れてくれた。
 この歳でコーヒーの美味しさは分からないけれど、そんな僕がコーヒーを飲み始めたのは、毎日の生活の中であんな大人になりたいと、コーヒーの苦味よりも浅間さんへの憧れの方が強く、いつのまにか飲み始めた。とはいってもやっぱりコーヒーは苦く、カフェラテがギリギリだった。
 午後三時のおやつ時、僕らは一緒にテレビを見ていた。
痛いことに、そのテレビは引きこもりをテーマに取り上げられた番組だった。
 僕は彼女にいつもの調子でテレビ変えようか? とでも言ってほしかったのかもしれないけれど、目が合った彼女は奇しくも、「なに? 面白そうだね」と言った。
 僕は昔、裁縫の授業で布越しに針を指に刺してしまった時のような感情のまま、目をテレビに戻した。
 おそるおそる、痛いけど、続けよう。そんな気持ち。
彼女は、無表情の様にテレビを見ていた。それからテレビの中で少年少女らが(いじめられて学校に行くのが怖い、居場所がない。友達は助けてくれない。めんどくさい。先生が嫌い、臭い、好きな人にだけひいきする)と、インタビューに答え、司会者やコメンテーターが(引きこもりは甘えだ、学校で勉学や仲間との切磋琢磨を学んどかなければ社会にでても馴染めず死んだも同然だ)と眉を眉を吊り上がらせていた。
 気まずいと思っていた僕に向かって彼女は、不思議そうに言った。
「学校に行かなきゃ死ぬって」
「あ、いや、うん」でも、と彼女は続けた。
「よくわからないけどそんなことないと思わない? だって学校ってたまたま近くで生まれたからって同じ場所で勉強させられて、仲良くなれたらいいけど合わない人もいるだろうし、そんな人と仲良くしろって言われてもね、、、私は学校に行ったことないから行ってみたいけど、みんながみんなそうでもないんでしょう?」
「まぁ、、、でも、、、まぁ」苦虫をかみつぶした。
「照くんはこんな大人にならないでね、学校に行ってない代表として立派になって。人それぞれでいいと思う。わざわざテレビで引きこもりの人を悪者みたいに、どうしたらいいかじゃなくてただ否定してるだけだもん。 でも引きこもりの人もじれったいよね。私はどう思えばいいの?」少し苛立っている様だった。
「うん」僕は、いつもより少し苦いカフェラテを喉の奥に押し込んだ。
「照くんってさ、何で引きこもりになったの? やっぱりいじめられてとか?」
 やっぱり、の言葉が気になったけれど僕が引きこもりになったの理由は別に虐めが原因ってわけでもない。
「違うよ」
「聞いたらダメかな」彼女はじっと、好奇心と申し訳なさを無言で伝えてきた。一瞬目を離した後で答えた。
「別にダメじゃないけど、でも聞いても面白い話じゃないけど」
「引きこもりになる理由で面白い話なんてことあるの?」と、彼女は笑った。
 僕は、数年前の母親事と共に浅間さんと栞に出会うまでの話を木製の温かいテーブルに左手を添えながら話し始めた。
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