第1話    初めての朝

文字数 3,745文字

少しの冷たい風が、建付けの良くない窓の隙間から顔を覗かせて僕の眼を覚まさせた。古そうな毛布から埃が舞い上がって、きらきらと星のように散らばった。
昨晩、ひたすらに涙を流していたせいで薄く腫れた目を窓の外に向けると、つらつらとした朝露がまだ淡く青い午前5時の空をうつしていた。しばらくして、部屋のドアがノックされる。
「はい」と無機質な返事をした後で、ドアが開けられた。当然、僕を前日にあの施設から引き取った浅間という老人が顔を覗かせてくると思っていただけに驚いた。
「おはようございます、テルさん」そう言って覗かせてきたのは少女、の様なロボットだった。
僕は上手く返事ができずにそれのように固まった。そして、後ろからぎしぎしと重い足音が近ずいてきて、しわしわの顔を出したとたんに家族に向けるように笑いかけくる。
「昨日は長旅で疲れただろう、家に着いてからすぐに寝てしまっていたからね。改めて挨拶もしたい事だし、朝食一緒にどうだい」
「一緒に食べませんか?」男に頭を撫でられながら、それも言っていた。
1階の円卓まで行くと、既に食事が用意されていた。男の人曰くこの食事は全てあのロボットが作ったらしい。そしてそれらを口に運びながら、男は語り始めた。
「この子は浅間栞といってね。私の娘だよ」躊躇なくまっすぐな瞳でロボットを自分の娘だと言うのの男に少しだけ怖いと思ってしまったけれど、今は何となく受け入れておこうと、「はい」と気のない返事をした。老人は変わらない口調で続けた。
この子の母親は41歳の時に高齢出産し、他界したらしい。このは、16歳くらいらしい。
つまりこの人は、この機械の設定をそういう事にしているということなのだろうか。それともそう思い込んでいるのだろうか。それともこの中に本当の女の子がいるのだろうか。
けれどこの子はどう見てもただの無機物な人に近い機器であるようにしか思えなかった。そう思いながらも時折話している言葉や仕草なんかには人の様な、気持ちを知っているような、感情があるような自然な立ち振る舞いにみえなくも、、、ない。
確かに、お年寄りでたればきっと騙されてしまう。それらの話の後で、僕を引き取った経緯を話し始めた。目玉焼きを白く濁った髭に付けながら。
それはなんてことは無く、老い先の短い人生であるから、この子に友達を作ってあげたいと考えていた所に、昔からの知人が母も父も失った可哀想な男の子を助けてほしいと言ってきたらしい。僕は別に可哀想ではないけれど。
結局難しい事はよくわからないけれど、養育里親というやつらしく期限つきの家族として数年間、本当の家族のように思ってくれていいと、そう言われた。
きっとこの人は心からの善人なんだろうとおもった。けれど僕は、その言葉たちを朝ごはんのようにはすぐに呑め込めずに、また、部屋に籠ってしまった。それが良くないとはわかってはいるのだけれど、けれど。よくわからなかった。
老人は無理に関わろうとはして来なかった。それは申し訳なくも、嬉しくもあった。
数時間が過ぎた頃、トイレに行こうとベッドから起き上がるとドアの下に1枚の紙が置かれてた。
(良かったら、外に行ってみませんか?)
いつからそこにあったのかは分からないけれど、とりあえずは見ぬ振りをした。今まで色々な物をそう来てきたように。
そうやって色んな物を避ける度に思う。生きてる意味もわからないし、だからといって死ぬこともできずに、学校へも行かず、虐められ、今は知らない人に引き取られ、この15年間ら何なのだろうと。
また、今まで何度かそうして来たように、母のことや、嫌いな父との日々を思い返していた。あれから今でも自分の生きてるこの世界が夢ではないかと思う時がある。
本当の幸せとは、一体何なのだろう。と、いつか読んだ本の答え合わせをしようとしてみる。けれど、いつまでも分からないでいる。
学校。
きっとここでも学校へ行けと諭され、嫌々行ったとしてもまた直ぐに行かなくなって、周りの全ての人から白い目で見られ、愛想を尽かされる。そんな人生を淡々と送って、よく分からないまま、死ぬ。
きっと、今ではなくてもそのうち自殺でもして、誰にも悲しまれずに忘れられて、終わりだ。けれどもし死んだら、母には会えるのだろうか、それとも、こんなやつは息子じゃないと突き放されるのだろうか。もしそうなってしまったら、僕に家族はいないということになるのかもしれない。
家族が居ないというのはなんだか、悲しい。
暗闇の中で何にも触れず、聞こえない。そんな気になる。
「あぁ、だからか」と、無意識に吐息混じりに言葉を零していた。
もしそうなってしまえば確かに、もしかしたらあんなロボットでも心の足しになるのかも知れないと、少しだけあの浅間という人に同情を覚える事が出来るのかもしれない。
そんな事を考えつつトイレから戻る途中、微かに何か甘い匂いがした。
興味本意でロフトから下に目をやると、ロボットと目が合ってしまった。
急いで目を逸らしたけれど遅かったらしく。
「テルさん、ちょうどお菓子出来たんですけどどうですか?」
「あ、うん。ひとつくらいなら」と言ったところで、僕は自分で自分に目を丸くした。その言葉はあまりにも自然に僕の口から出ていったから。そのあとで慌てて、「でも、お腹空いてないから大丈夫」と部屋に逃げ込んだ。
どうしてか、恥ずかしい気持ちになった。惨めな気持ちかもしれない。なにか、いけないことをしている様な気持ちになってしまった。僕はポケットにある紙をもう一度見た。
良かったら、外に行きませんか。と書かれた紙を、じっと見つめた。僕は、今何を思っているのか自分で分からない。何を思っているのか、何を思おうとしてるのか。
それから恐らく数分してから、部屋の前から声がして、「すみません、入っていいですか」と、同時にそれが入ってきた。手には、皿に入ったクッキーがあった。それは、笑ったようにクッキーを見せてきた。
「すみません」僕は申し訳ないと謝った。
けれど、それはクッキーをテーブルに置いてから目を丸く、したように思えた。
「どうして謝るのですか?」
「いや、さっきクッキー食べに行かなかったので」それ、は僕の前に体育座りをした。
「それくらいじゃ怒らないですよ。でも、私もごめんなさい」それの目はまっすぐ僕を見ていた。
「え? いや、うん。僕も別に怒ったりはしてない」
「怒っているとかではなくて、テルさんもきっと色々事情があるんでしょうけど、なりたくも無いのに私の友達になんて、こんな所に連れて来られて嫌ですよね。ごめんなさい。」
「いや、そんな事はないんですけど、僕はあまり人と接する事が好きじゃないというか、なんかめんどくさいなというか」
「なら、私はどうですか? ほら、人じゃないですよ。嫌じゃなければ、友達に」そう言ったそれが、どうしてか、すごくすごく悲しそうに見えた。
その目を少し見て思ったのは、誰も知り合いが居ないこの場所で、人じゃないこの子なら、関わるくらいならいいかもしれない。と。
さっきはあの人を怖いとも思ったけれど、遊び半分で世の中の技術に触れてみようと。いいリハビリかもしれない。
「わかりました」その返事を聞いて、「ありがとうございます」とそれは喜んだ様だった。そのあとで、少しの沈黙が僕らの前を歩いていった。
「あの」僕は冷や汗をかいた。
「はい」と、彼女が答えた。
「あのすみません、友達ってどうゆうふうにすればいいのか忘れました」平然を装っているけれど内心は心臓が飛び出そうだった。
その問いに、それも不思議と少しギクシャクしているように思えた。
「えーと、私も、、、友達というのが初めてなので、どうしたらいいんでしょう。 とりあえず敬語はやめましょう。あとテルくんて呼んでもいいですか? あとはたまに散歩に行きたいですし、、、いいですか?」
「はい」何だか友達というより、ペットみたいと思ったけれど、蓋をした。
「敬語、に、しなくて、あ、いいですよ」彼女は緊張からか急にロボットのようにカタゴトになった。
友達って、こういうものなのだろうかとは思いつつも、またそれを片隅に置いた。
きらきらとした埃柱の中で、彼女はとても人のように微笑んでいた。僕は、少しだけ見とれる。
三度の静けさの中、家の呼び鈴が鳴った。
その音を聞いて、彼女は掛けてある時計をみて言った。
「あ、もうこんな時間、ごめんねテル、くん。私勉強の時間なので」そう言って彼女は部屋を出ていった。
彼女が居なくなった後で、僕はクッキーをひとつ口に運んだ。思えば、母が死んでからちゃんと会話らしい会話をした記憶がない。施設でも、学校でも。けれど、嬉しくも思えた反面、何かに対する罪悪感みたいなものが後になってふつふうと湧き上がってきた。後悔、しているのかもしれない。
けれど無機質な彼女の作ったクッキーは、甘く、彼女の居たこの部屋は少しだけ、暖かく思えた。僕はもう一度だけ、彼女から貰った紙を見た。
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