第5章 アメリカの自然主義文学

文字数 3,883文字

5 アメリカの自然主義文学
 従来、湛山の自然主義批判は田中王堂の影響として論じられている。しかし、王堂が自然主義文学を認めなかったのに対し、湛山はこの文学には本来社会改革を行えるだけの力があるのを見抜いている。湛山は、むしろ、王堂以上に同時代のアメリカと共鳴している。実は、アメリカの自然主義文学はまさに湛山の主張を体現している。彼らは社会改良することこそ文学の役割だと信じて行動する。雨声会に呼ばれた云々で一喜一憂している日本の作家たちの姿を見ると、志の低さに唖然とさせられる。

 一八九〇年頃、雑誌の発行人たちはシリアルや清涼飲料など全国展開を視野に入れる企業から広告収入を集めて、価格を下げ、ニュース・スタンドで不特定多数の読者に販売するという方式を思いつく。『マックリュアーズ・マガジン』や『レディーズ・ホーム・ジャーナル』、『サタデー・イブニング・ポスト』、『コスモポリタン』などがこの新タイプに含まれる。この三文雑誌の読者は学識の高い教養豊かなエリート層ではない。一般庶民である。急増する都市の人口を背景に、新聞や雑誌の出版ブームが起きている。誰でも読めるように、語彙も少なく、平易な文体で記され、内容も具体的で身近な実感できる話題にする。当時のアメリカでは、政府は企業活動に介入すべきではないという信念が強くあり、そのため、絶望的に貧富の格差は拡大し、全米中に不正が横行する。全米各地で社会改良を訴える進歩主義運動が勃興する。雑誌の発行人たちは、渦巻く不正に対する憤りから社会改良の機運が高まっているのなら、これを前面に出せば、売れると思いつく。

 発行人の思惑とは別に、その雑誌で活動した作家やジャーナリストたちは世間で横行する不正や腐敗、強欲への義憤にかられ、ペンを通じて社会改良の必要性を真剣に訴えている。リンカーン・ステッフェンズは『都市の恥』(一九〇四)で政界の腐敗を糾弾し、アイダ・M・ターベルは『スタンダード石油会社の歴史』(一九〇四) で石油カルテルの不正を暴露、フランク・ノリスは『蛸』(一九〇四)で小麦農民による横暴な鉄道会社への抵抗を描き、エドウィン・マーカムは『囚われの子供たち』(一九一四)で児童労働の実態を暴く。もちろん、これだけではない。読者はそれを読んで驚き、呆れ、怒る。

 一九〇六年,セオドア・ルーズベルト大統領が政財界の腐敗を暴き立てる彼らを「マックレーカーズ(Muckrakers)」と揶揄する。それはジョン・バニヤンの寓意物語『天路歴程』に登場する人物で,肥やしばかりを仰き続けて天上の神の恩寵に気づかぬ「肥やし熊手を持った男(The man with a muckrake)」に由来し、下ばかり見て、あら捜しをする連中という意味である。湛山もこれを原書で読み、『私の読書医術』(一九五二)において記憶に残っていると述懐している。

 ルーズベルトは社会改革に後ろ向きだったわけではない。むしろ、公共の利益のために政府は積極的に関与する「スクエア・ディール」とうスローガンの下、改良主義を唱え、有権者からの期待も高い政治家である。実際、当初はこの第二六代大統領もマックレーカーズに好意的だったが、次第に彼らに記事の改善を望むようになる。一九〇六年、『コスモポリタン』二月号にデヴィッド・グラハムによる「上院の裏切り(The Treason of the Senate)」なる記事を目にした大統領は、三月一七日、ナショナル・グリッドアイアン・クラブの夕食会でこの手のジャーナリズムを激しく批判している。これが報道関係者の間で話題となったため、彼は、同年四月一四日、連邦の下院のビル定礎式の記念講演として醜聞暴きを「マックレーカーズ」と糾弾し、翌日、『ニューヨーク・トリビューン』他各紙がそれを大々的にとり上げ、その名称が世間に広まっている。

 しかし、一九〇六年、そのルーズベルトもショックを受けるマックレーカーズ作品が発表される。それがアップトン・シンクレアの『ジャングル』である。この小説は社会に衝撃を与え、アメリカの歴史を変える。

 舞台はシカゴの食肉工場で、労働者の多くは後発移民のリトアニア人である。その労働環境たるや、反吐をもよおすほど不潔だ。労働者が肉を煮る大鍋に落ちたのに、そのまま処理され、人肉が市場に出回ってしまった、腐っているとクレームがついて回収されたハムやソーセージに薬品を注入して再出荷した、倉庫内の製品の上にネズミの糞が大量に溜まっていたなどの記述に溢れている。

 これは、ルポではないが、丹念な調査に基づいており、決して誇張やでまかせが書かれているわけではない。この自然主義文学の代表作を通じて、シンクレアは、このような労働環境で働かざるを得ない移民に同情を寄せ、労働者の待遇改善を訴えている。

 『ジャングル』を読んだアメリカの人々は食品製造の不衛生さに激怒し、食肉産業と当局へ抗議や非難が殺到する。一九〇六年、怒り狂った大統領と世論に押された議会は、慌てて、食肉検査法と純粋薬品製造法を成立させる。前者は精肉業者への衛生規制ならびに精肉工場への連邦政府による検査の義務付けの法律であり、後者は粗悪および健康被害のある食品と薬品の製造・輸送・販売の禁止を定めている。これは『ジャングル』発表からわずか半年後の出来事である。

 マックレーカーズほど劇的ではないが、T・H・A・ドライサーやスティーヴン・クレインなどの高い文学性を持った自然主義文学者たちも社会改良を目指して作品を著わしている。ドライサーの『アメリカの悲劇』は、チェスター・ジレットがニューヨーク州北部のビッグ・ムース湖で同僚の女工グレース・ブラウンを殺害した一九〇六年の事件が直接的なモデルになっている。ドライサーは、長年に亘って殺人事件を調べていく中で、これと共通の特徴があるケースが多いことを発見する。カネと色の欲望にとりつかれた貧乏な青年が金持ちの令嬢と結婚をするために、邪魔になった自分と似たような境遇の貧しい恋人を殺害する。ドライサーは、こうした事件をアメリカ社会の歪みがもたらす「悲劇」として描き出す。だから、あくまでも小説の真の主役は今のアメリカ社会である。

 こうしたタイプの殺人事件が実際に複数起きていたとしたら、確かに当時のアメリカ社会特有の「悲劇」と呼べるだろう。河合幹雄は、『日本の殺人』において、一九五九年版司法研修所調査叢書第五号『殺人の罪に関する量刑資料上・下』を読み解くと、少なくとも高度経済成長に向かう一九五〇年代日本にはないと指摘している。この資料は、司法試験に合格した研修生向けに、何百件にも及ぶ事例について被告の生い立ちも含めた事件の背景ならびに量刑の理由などが詳細に解説している。別れたい側が邪魔になったス手を殺すケースはただの一つもなく、別れたくない側がつねに加害者である。

 この『アメリカの悲劇』は一九三一年(昭和六年)に映画化され、それを見た小林秀雄が原作よりいいと主張したのに対し、谷崎潤一郎が『文章読本』の中で、原文を引用して、ドライサーを擁護している。谷崎は、文学史上では、反自然主義に区分されているが、この一件からも日本の自然主義が近代文学の「神髄」を理解していなかったことがわかる。

 アメリカの自然主義文学こそが湛山にとってあるべき姿である。 湛山も、『観照と実行』(一九〇九)において、生活していくには、「伝承」と「新要求がある以上に、「真理」や「理想」は時と場所によって変化すると言っている。日本の自然主義文学は社会改良には無関心だったが、「観照と実行」の関係を論じている。「観照と実行」、すなわち「理論と実践」が一致しなければならない、もしくは分離していてかまわないという議論は、「真理」や「理想」をも固定化して考えているにすぎない。後に登場する「政治と文学」や「芸術と実生活」というテーマも同じ構造を持っている。アメリカの自然主義文学のほとんどがジャーナリストである。それは、日本と違い、学者や学生が著わすものではなく、社会性のあるジャーナリストの小説である。社会が近代化したことで新しい人間が生まれ、そこに多くの矛盾や葛藤が発生、それを解決するためには、さらなる社会変革が必要だ。

 湛山はジャーナリストに転身せざるをえなかったが、『「故郷」の訂正と我が官憲の性質」(一九一二)で次のように述べる文芸批評家のすべきことは以後の彼の活動にも反映されている。

 我が邦は、今やどこの方面から考えて見ても、何うしても、政治的乃至社会的革新の時期に近づいておる。而してこの時に当って、我れ等国民に必要な物は、この革新を最も合理的に合法的に行うべき近代の批評的精神であるが、この精神を国民に鼓舞するものは、実に文芸思想家の直接の任である。
〈了〉

参照文献
石橋湛山、『石橋湛山評論集』、岩波文庫、一九八四年
同、『湛山回想』、岩波文庫、一九八五年
谷沢永一編、『石橋湛山著作集』4、東洋経済新報社、一九九五年

伊藤整、『日本文壇史』1、講談社文芸文庫、一九九四年
岡義武、『近代日本の政治家』、岩波現代文庫、二〇〇一年
柄谷行人編、『近代日本の批評 明治・大正篇』、福武書店、一九九二年
河合幹雄、『日本の殺人』、ちくま新書、二〇〇九年
姜克實、『石橋湛山』、丸善ライブラリー、一九九四年
増田弘、『石橋湛山』、中公新書、一九九五年

DVD『エンカルタ総合大百科2008』、マイクロソフト社、二〇〇八年
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