八 一郎太、お暇する

文字数 1,148文字

 上等の炭をたっぷりと使わせてもらって、囲炉裏端の遠火の強火で焼き上げたイワナ。もう最高に美味しくて、頭から尻尾まで骨ごとの二尾を、あっという間にぺろりと平らげてしまった。
 たくさんあった山の果実も、ゆっくりと滋味を味わっているうちに、いつの間にか食べきっていた。ああ、こんな素晴らしい昼食を僕ひとりで頂いてしまうなんて、もったいないやらありがたいやら、だ。
「ご馳走様でした」
 ハンカチ代わりの手ぬぐいで手と口を拭いて顔を上げると、人の姿で土間に降りていた猫柳の君が、湯飲みに湧き水のおかわりを()いでくれた。裾の短い小袖(こそで)にたすきをかけて、巻きスカート様の前掛けのようなものを付けている。これもたぶん、鎌倉から室町時代あたりの着物だろう。お正月のワイド時代劇とかで見たことがある。
「それ、これも持って行け」
 水瓶(みずがめ)のあるあたりから弧を描き、ずっしりと中身がつまった感じの何かが飛んできた。
 あわあわとキャッチして見てみれば、これは休憩所で手渡したペットボトルだ。口までいっぱいに水が入っている。全体が濡れているのは、一度清水でまるごと洗ったあとで、代わりの水を詰めてくれたからだろう。
 早く帰れなどと言うわりに、こうして最後までかいがいしく世話を焼いてくれるところがずるい。
「頂いていきます」
 縁側のすみに置いておいたリュックに手を伸ばし、脇ポケットにペットボトルを入れると、板に射す日がもうはや傾いていることに気付いた。秋の日は釣瓶落(つるべお)とし、だ。後ろ髪を引かれる思いではあるけれど、そろそろお暇しよう。
「山の(ふもと)にひとつ、出口があります。そこまでお連れしましょう。私の後についてきてください」
 支度を終えた僕を、柳雪さんが先導してくれる。猫柳の君は、わざわざ家の戸口まで出てきてくれてから、ぷい、と横を向いた。
「次に来るときは、塩でも味噌でも持ってくるがいい。囲炉裏と鍋は貸してやるし、寝茣蓙(ねござ)くらいは用意してやる。我が昔に見聞きした、珍しきことどもも語ってやるから、御前にばかり手間をかけるでないぞ!」
 炭火焼のイワナに舌鼓(したつづみ)を打ちながら、僕は贅沢にも、やっぱり少しは塩味(しおあじ)が欲しい、などと思ってしまったのだが……すっかりばれていたらしい。
 それでも彼女は、また来い、と言ってくれているのだ。次は泊りで、昔話も聞かせてやろう、と。言葉や態度とは裏腹なこの優しさ、可愛らしさ。ツンデレってやつだな。さすが猫族だ。
「ありがとうございます。お世話になりました」
 猫柳の君に心を込めた一礼をして、場を辞した。柳雪さんの方に振り向き、歩き出した瞬間、視界が途切れる。
 今度は河原を通らず、ダイレクトに山道の出口付近の木立の中に出た。本当に、どういう仕組みなんだろう。この心の準備が全くできない感じ、慣れないなあ……。
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登場人物紹介

松島一郎太(まつしま いちろうた)


祓い屋の青年。二十代(ギリ)前半。独身。

和装を好むが、山歩きの時はその山のレベルに応じた山ウエアをちゃんと着る。

市井の民俗学者を名乗ってはいるが、実績は特にない。実は体力には自信があり、腕っぷしもなかなか。

謎の青年


全体的に緑がかった印象の眉目秀麗な青年。とても細い。

猫又(ねこまた)


鎌倉時代の装束を好む、古き妖。変化が得意。

シビトタケ


類似のキノコを見かけても、決して近づくなかれ。

(詳しい説明は、第四話の終わりに注釈(※)として付けています。本当に気を付けてね)

山野ゆずこ(やまの ゆずこ)


一郎太の師匠。表向き、裏向き、双方の職業においての上司に当たる。滅法強い。

民俗学には特に興味はない。

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