第2話 山中祥子

文字数 3,543文字

雅は父が長期出張中のため、ほぼ一人暮らし。
そのため、家事は洗濯と掃除程度、食事はコンビニが多い。
昨日の金曜日も結局コンビニでサンドイッチ2個パックを買い、そのうち1個だけ食べただけ。
「万が一、明日の朝、おなかすいたりしてコンビニまで行くの面倒だ」
そんな考えで、あとは少しだけ勉強をして、お風呂に入って寝てしまった。
ただ、そんな食生活であっても、その時点で、それ以上に問題があった。
そして、その問題とは、ベッドに入る時点で、雅が「明日、土曜日の祥子さんとの約束」をすっかり忘れていたことである。


それでも、時間というものは止まることはない。
当然のごとく土曜日の朝が来た。
なんとなく、机の上のスマホが鳴っているような気がしている。
しかし、「気がしている」のは、雅がそう思い込みたいだけで、現実はスマホが鳴っていることは、把握している。

「うーん・・・誰かなあ・・・何だっけ、何かあったっけ・・・」
「でもいいや、何かあったような気がしたけれど、思い出せないことには仕方がない」
それでも、朝のベッドの中で、スマホの鳴る音をしばらく聞いていると、雅は今日の土曜日、何かの予定があったような気がして来た。

「そうは言ってもなあ・・・ベッドから出るの面倒だなあ・・・」
「こういう場合は・・・最適のことはなにか・・・」
「予定があるということは、何かするってことだ」
「休みの日に何かをするって、そんな失礼な話はない」
「そもそも、そんな失礼な電話に出る必要はない」
結局、そんな状態でスマホは鳴りっぱなし、雅は寝たままの状態で動くことはない。
まるで亀か芋虫状態、その表現でさえ、「亀や芋虫に失礼」なほどのグウタラさだ。

雅にとって「失礼な話」のスマホコールは、ようやく止まった。
「ふう・・・これで、もう一寝入りができる」
「せっかくの土曜日は予定などで無駄にするべきじゃない」
雅が、ほっとして、またニンマリとして、再び寝ようと眼を閉じた瞬間だった。

異変が発生した。

「え?今度は?」
雅は再び目を開けた。

玄関のチャイムが鳴った。
「えーーーー?今度はお客?」
「面倒このうえないなあ・・・居留守にするかなあ」
雅がそう思い、布団を頭から掛けようとすると、インタフォンから驚くべき声が聞こえて来た。

「おはよう!雅君、迎えに来ました」
「山中祥子です」
若くてきれいな声の主は、「山中祥子」と名乗った。

「えーーーー?あーーーー?」
「あ!そうだった、今日がその土曜日だった!思い出した!」
「今日が予定の日なんだ!」
雅はまず、顔が真っ青になり、次に真っ赤になった。

「あ、すいません!すぐに開けます!」
雅は必死にパジャマから着替え、階段を駆け下りて、玄関を開けた。

玄関を開けると、きちんとした紺のスーツを着た若い女性が立っている。
すると、この若い女性が例の「山中祥子」なのか・・・
確かに若い、年からすれば22歳ぐらい。
スタイルも良く、童顔かつ美形、肌のきめもこまかく、ほのかにジャスミン系の香りがしている。
ただ、どこかで見たことのあるような感じがあるが、全く思い出せない。


「あ・・・はい・・・おはようございます」
そもそも女性に「ウブな」雅は、まるでシドロモドロになった。
さっきまで鳴っていたスマホコールも、おそらく祥子だろうと思った。
そして、この「失態」は、必ず祥子から「何か」を言われると予想できた。
そのため、雅は青い顔と赤い顔を繰り返し、祥子の顔をまともに見ることができない。

「あの・・・電話には出ないし、少し心配しましたよ」
「都合がつかない場合の連絡もありませんしね・・・」
雅の予想通り、祥子の「何かの指摘」が始まっている。

「まあ、玄関で尋問していてもしょうがないから、とりあえずお話しましょう」
祥子は、玄関から移動して「話」なのか「指摘」なのか、したいらしい。
しかし、祥子の前、玄関ですでに、固まっている雅は、
「あ・・・はい・・・」
そんな言葉しか返すことができない。

しかし、祥子の次の言葉は、雅にとって、全く意外なものであった。

「これから雅君にお説教しようかと思いますが、その前に美紀さんに挨拶しないと」
祥子の声が「美紀さん」のところで、少し沈んだ。
それと同時に、雅は再び固まってしまった。
「美紀」は雅が小学6年生の時に亡くなった母の名前。
なぜ、祥子が母親の名前を知っているのか、なぜ、母親に挨拶なのか。
雅の頭の中で、疑問がグルグル回りをする。
しかし、確かにこのままではいられない。
雅は、ようやく祥子をリビングに招き入れた。

「あ・・・少し待っていてください」
「珈琲淹れます」
祥子をリビングのソファまで案内し、雅は台所で珈琲豆を挽き出した。

「ふう・・・落ち着かなきゃ・・・」
「ごめんなさいもしないと」
珈琲豆を手動のミルで挽くのも、雅自身が落ち着く時間が必要だったから。
「本当に丁寧に淹れよう」
少し緊張気味に珈琲を丁寧に淹れた。
そして、祥子に差し出す時も、本当に緊張した。

「うん、美味しい、ありがとう」
祥子の声がようやく和らいだ。
「え・・・いえ・・・こちらこそ・・・ごめんなさい」
雅は、祥子の声が和らいだチャンスを狙って、すかさず「ごめんなさい」をした。
少しだけ、顔をあげて祥子の顔を見た。
思えば今日の朝から、「ド緊張」で、まともに祥子の顔を見ていない。

「ほーーー、寝坊助でグウタラの雅君のようですが・・・」
「まさか、ちゃんと予定を覚えていないとは思いませんでしたが・・・」
「珈琲淹れるのだけは、上手だね・・・」
「それに、華奢でひ弱のようですが、けっこう美少年ですね」
けなしているのか、ほめているのか、よくわからないが珈琲を丁寧に淹れたせいか、それほど祥子の表情と口調は厳しくない。
それさえ何とかなれば「美少年」なんか、どうだっていい。
「ド緊張」の雅の動悸は、少し落ち着きを取り戻した。

「それで、どうして母を?」
それでも、雅は「オズオズと」祥子に尋ねてみる。
祥子が母の名前を知っている、「話をする」というのだから、母とは知り合いだと思った。
しかし、雅自身は、そんなことは全く知らなかった。

「うーん・・・それはねえ・・・」
「もう少ししたら、教えてあげる」
祥子は、含み笑いをしている。

「はあ・・・そうですか・・・」
雅もそう答えるしかない。

「さっきね、写真は見せてもらって、お話ししたよ」
「美紀さんとね」
祥子は、ピアノの上に置いた、雅の母美紀の写真に目をやった。

「だけど、そんなことより、雅君の寝坊助で時間取りましたので、すぐに出かけます」
祥子は珈琲を飲み終え立ち上がった。
「え?今すぐですか?」
雅もつられて弾かれたように立ち上がる。
「当たり前です、先方はお待ちです、それにね」
祥子は、雅に急に接近して来た。
雅は再び「ド緊張」である、また声も出なくなった。

「シャツのボタンが二つずれてる!至急是正してください!」
祥子は、真っ赤にうろたえる雅の顔を見て、大笑いになっている。


それでも、これから人に会うとなれば、さすがにいい加減な雅とて、一応シャツのボタンを「是正」することになる。
それでも「亀」の雅、「ワリときれいな祥子さん」もいることだし、少しもたついた。
となれば、祥子から、さっそく声がかけられる。

「ほら、亀とか芋虫じゃないんですから、もう高校2年の男子なんだからシャキッとしてください」
「もう、お迎えの車が来ていますよ!ほら早く靴はいて!」
まるで、子供でもしつけるかのような状態だ。

「え?お迎え?」
雅は、祥子の「しつけ」はともかく、「お迎えの車」が気になった。
ついついキョトン顔になった。

「ほら、行きますよ!そこの亀君!」
キョトン顔をしていたら、ついに雅は完全な亀扱いになった。
それでも、必死に祥子の後を続いて、玄関を出た。

「えーーーーー?」
「どうして?」
「何?この車!」
雅が声を出して驚いてしまうのも仕方がない。
家の玄関の前に、「超豪華な黒ベンツ」が停車している。

「超豪華な黒ベンツ」の運転席から、立派なスーツを着込んだ上品な紳士が降りて来た。
両手には、白い手袋をはめている。
おそらくというか、当たり前であるが、この紳士が運転手だろうと、雅は思った。

そのうえ、運転手は「それでは、雅様、これからご案内いたします」
何とも優雅な仕草で、ベンツのドアを開けてくれるた。
雅は、再び「ド緊張」状態になり、固まってしまった。
なかなか、歩き出す一歩が始まらない。

「さあ、ためらっている場合じゃないですよ、さっさと乗って!」
雅は、さすがに見かねた祥子により、結局は、無理やり強引に黒ベンツ車内に押し込められてしまった。

「・・・ふう・・・全く手間暇かかる・・・」
「出発してください」
呆れたような祥子の言葉に、運転手は頷き、黒ベンツは静かに厳かに走り出した。
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