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 試合当日、ゴングと同時にルーキーは仕掛けてきた。
 どうだ、俺は打撃だってこなせるぞ……リングを対角線上に駆け寄って、そう言わんばかりの乱打戦を真っ向から挑んできたのだ。
 ――なめるなよ、優等生……。
 当然のこと、後藤も正面からそれを受けてやった。
 確か〝三倍努力〟の格言を残したのは古い柔道家だったと思ったが、なるほど挑んでくるだけあって、一応の型には嵌まった手堅い攻防をルーキーは見せた。
 一つ打てば一つ。
 二つ打てば二つ。
 確実に返してくる拳は楕円軌道で顎先に引き戻され、すぐさま防備を固めて次の打撃に備えてくる。一連の動作が身体になじんでいた。短期間であれだけの技術を身につけてきたということは、相応の血と汗を流してきたのだろう。
 が――
 所詮は、道場で身につけたテクニックの域である。たいした根性なのは認めるが、正面切って後藤と削り合うにはキャリア不足は否めない。
 そして、その差は一つ一つの拳に如実に反映されていた。
 端から見れば流麗にも思えるルーキーの一発は、骨身を削る無骨な後藤の一撃に対して、あまりにも教科書どおり過ぎたのだ。
 ――悪りぃな、ルーキー。
 覆い被さるようにして回転を上げてゆく後藤の猛打に、カフッ、と、ルーキーは小さく呼気を洩らした。
 その均衡が崩れる音を聞いた途端、後藤は自分の内側で膨れ上がるなにかを感じた。
 そうだ、苦しいだろう? もう息だってつづかない筈だ。さっさと息を吸っちまえ。そうしたら、俺はそこに一撃くれてやる。お前だって知ってるだろう? そのタイミングで入れる一発は、この場で勝負すら決められるんだ。
 二つに一つ。
 三つに一つ。
 拳を交わすごとに、ルーキーの手数が減ってくる。それでも後藤は、容赦なく回転を上げてゆく。たまらずルーキーは後藤の胴体に組みついた。タックルでも入り身でもない、ラッシュを止められればいいという、ボクシングでいうところのクリンチだ。
 ――させるかよ、ド阿呆が!
 瞬間――後藤の中で残忍な衝動が音を立てて爆ぜた。無防備に晒された背中を押さえつけ、ルーキーのガラ空きになった後頭部に思い切り拳を振り下ろす。
 ぼぐり……。
 打ち下ろした右拳に、くぐもった衝撃が伝わってきた。
 ラビット・ブロー――。
 ボクシングであればそう呼ばれる、脳髄に直接ダメージを叩き込む悪質な反則打撃だった。無論、総合系のリングであったとしてもそれは変わらない。
 叩きつけられた人形のように、ルーキーはマットに四肢をついた。
 後藤は、その後頭部を情け容赦なく打ちつづけた。
 一つ、二つ、三つ――四つ目に割り込んできやがったから、間抜けなレフリーも一緒にぶっ飛ばしてやった。
 一ラウンド、二分三八秒反則負け――。
 まるで抗議をするがごとく、何度もゴングが打ち鳴らされた。
 それを合図になだれ込んできた若手連中を、敵味方お構いなしに後藤は端からぶっ叩いていった。取り押さえられるまでのわずかな間に、五、六人はなぎ倒しただろうか? 内の一人は目玉に指を突っ込んでやったから、きっと再びリングに戻ることはあるまい。
 とはいえ、それは後藤にしても同じことだった。
 度重なる危険行為により、以降のいかなる試合へも無期限の出場停止。つまりは、お前を使うつもりは二度とないという、興行側の意思表示であった。勝者である筈のルーキーも、残りの人生を報われるとも知れないリハビリに費やすという。あげく――
「無双。お前、ちょっとやり過ぎだ」
 いつもの笑みを浮かべながら、新崎はそう言った。それが絶縁状だと気づくまでに、後藤は十数秒の時間を必要としていた。
「少しばかり懲らしめてやれとは言ったけどさ、ぶっ壊しちゃあ元も子もない。もっとも、これであの礼儀知らずも身に染みただろうけどね……」
 なんのことはない。後藤は、いいように利用されたのだ。
 観衆に飽きられ始めた後藤から看板を挿げ替えようとした新崎は、目下売り出し中のルーキーに白羽の矢を立て、その目論見が崩れるや否や、無下にも誘いを蹴った新看板候補を、古看板を使って体よく叩き潰したのである。
「まぁ、ウチもそろそろタマが揃ってきたところだからね……もし、表の世界に居場所が残っているようなら、お手柔らかにたのむよ」
 残っているようならね……。
 念を押した新崎の予言どおり、落ちぶれた後藤を受け入れようという団体は、一つとしてありはしなかった。アマレス界を追われて六年とほんの数ヶ月――若干の遠回りを経たというだけで、結局は裏の世界に足を踏み込むことになっていた。


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