ロックショップ(1/2)

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 その昔、六本木にロックショップという店があった。今の六本木にあるハードロックを看板にしたチェーン店とは何ら関係のない、当時ロック喫茶と呼ばれた類いの個人経営の店だ。正式名は"Rock Shop Jaju"だったが、その意味を知るのはオーナーだけで、当時の従業員もほとんど"Jaju"の意味を知らなかったらしい。

 もしタイムマシンがあれば、その針を半世紀近く1972年まで巻き戻してみよう。
 六本木交差点から外苑東通りを東京タワー方面に向かって進み、六本木五丁目交差点を左に曲がる。当時その角には、まだ日本人にはハンバーガーそのものが珍しかった頃から開店していたハンバーガー・インという名物店があった。交差点を左折すると、すぐ突き当たりの児童公園の手前を右に曲がり、行き止まりになる路地の右側にその店はあった。因みに向かいにあった自動車修理店には、俳優の夏木陽介が名車メルセデス・ベンツ300SL(ガルウィング)を時々持ち込んでいたらしい。
 ロックショップはロックに熱中する十代、二十代の若者達にとって特別な場所。ジャズ喫茶とは違って、店内には曲に合わせて歌うボーカリストもいたし、バンドの練習帰りにケースから取り出して弾くギタリストや、ドラムスティックで膝を叩くドラマーもいた。たまにちょっと場違いなスーツ姿の年配客もいたが、どうやらオーナーの奥さんがモデル業の傍ら勤めていた銀座のお店の常連さんだったようだ。
 カウンターの奥にあるレコードプレイヤーでリクエストに応じてロックのLPレコードをプレイする。曲の指定がないときはアルバムの片面をそのまま再生し、リクエストのない時は店の従業員がセレクトしたアルバムに針を落とし、JBL製の15インチ(38センチ)スピーカーから迫力ある重低音が店内に鳴り響いた。
 つや消しの黒で統一されたインテリアは、各席がブースのように金網で仕切られていて、店の中央にはピンボールの台があったが、実は床に魔法陣が描かれていて、それを隠していたから霊的な出来事が多い……という噂もあった。そのせいだろうか? 夜中に幽霊に遭遇したという話は絶えることがなかった。


 リョータとユースケは、ロックショップの従業員ジュンに「イエス」と呼ばれていた。それは二人がいつもイギリスのロックバンド「イエス」の四枚目のアルバム『こわれもの(Fragile)』をリクエストしていたからだ。
 その年の夏休み、高校二年のリョータは十七歳、一年後輩のユースケはまだ十五歳だった。

 珍しくカウンターに陣取った二人は、いつも疑問に思っていたことをジュンに訊ねた。
「ジュンはいくつなの?」
「十九だよ」
「へぇ? もっと大人かと思った」とユースケは少し驚いていた。
「いやいや、まだ学生だし」
「大学?」とリョータは訊ね、ジュンは「慶應」と答えた。
「オレんちすぐ近くなんですよ」とリョータは喜んだ。「三田だから」
「残念。工学部だから日吉なんだ」
「工学部って意外」とユースケ。「でも、そのルックスならモテるでしょ?」
「全然! 工学部は女子いないしね」とジュンは笑う。「ところで、二人はいつもイエスばっかりリクエストするけど、他のアーティストは聴かないの?」
「去年は武道館でBST(ブラッド、スエット&ティアーズ)とシカゴ、それにツェッペリン(レッド・ツェッペリン)。今年もフリーとELP(エマーソン、レイク&パーマー)観に後楽園行ってきました」とリョータは自慢した。
「すごいな。来日アーティスト片っ端から制覇してるんじゃない?」
「まさか! でも勢いでシカゴ・ファンクラブ入っちゃいましたけど」とリョータは頭を掻いた。
「会長が可愛かったからでしょ?」とユースケがツッコミを入れる。
「余計なこと言うなよ。でもオレの一つ上の午年の女の子ってほんとに美人が多いよね」
「そうだね。三年のサトミさんもめちゃくちゃ可愛いしね」
「だろ? あの子、有名な指揮者の娘なんだよね」
「イエスの二人は同じ高校なんだ?」
「そう、先輩は文化祭実行委員長。オレは副委員長」とユースケが説明する。
「なんだか優等生って感じだね」と言うと、ジュンはちょっとだけ眉を上げた。
「ユースケは結構勉強できるけど、オレは出来損ないの落ちこぼれ。なのに、実行委員を立候補したら委員長にさせられちゃって。こうなったら委員長の特権でバンドの出演枠広げてやるつもりだけど」
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