川田っちと課長

文字数 5,050文字

二人ほど減ったけど、いつもと変わり無い一日が終わり、最近の事なのだがミカがほんの少し独り残って俺に下らないことやら、大事なこと、これまであったことを質問形式で話してきて俺が出鱈目な回答(例えばこんな感じ。「質問、絵本の「グリとグラ」のグリとグラは鼠なの?」「答え、厳密に言うと違うんだ、彼らは魚類に入る。背中にチャックがあって着ぐるみ脱ぐと中からヌメヌメしたのが出てくる。東京湾の乱開発による環境汚染で生まれた青森の特産物。忙しい主婦がとりあえず夕飯をカレーにするとき彼らに習いたての手話で頼むんだ。「パンケーキは程々に。」って」)をして笑い合うって時間を少し過ごして、ミカが帰った後、今日の仕事のまとめと明日の準備をしてたら課長がドアをノックせずに突然やってきた。「川田くん調子はどーよ?片着いたら飲みにいこう。明日休みだろ。今回は君の奢りでね。」っていきなり言ってきて、すぐに俺を夜の街に連れ出した。
 「いやいや、とりあえずお疲れさん。」地下にある煙り充満するガヤガヤ騒がしくたまに奇声あがるビアホールで乾杯。俺は肉体的には疲れてないのに、汗なんてかいてないのにどうしようもない疲労感と渇きから一気にビールを喉を鳴らして胃袋へ流し込む。すきっ腹に冷たいビールを流し込んだら、胃が縮み込むような苦痛が起こるのだが、それがかえってなぜか気持ち良かった。
 「おいおい、何か腹に入れて飲まないと体に毒だよ。それにしても川田くん、いや、川田っちは飲みっぷりがいいな。いつも思うよ自棄酒みたいって。自分をあんまり責めるもんじゃないよ。自分に向き合ったとこで相手は力の互角な自分なんだから、勝てっこないよ、ボロボロになるのがおちだ。辛いときは自分と付き合うつもりで生活しなよ。じゃなきゃ真面目な奴はこの世の中で潰れてしまうよ。「不真面目に生まれたかった。」って悲しい事言って太陽に目を向けられなくなるんだ。手を翳して、指の間から見える光を頼りに、「自分は大丈夫。」って自分に言って聞かす始末。手なんか翳さないで太陽を堂々と見る資格ある人に限ってそうなんだ。正しくあるのは結構だが、強くなくちゃね。辛いだけだよ。本当、辛いんだ。」
 課長はビールを一気飲み。なんだか自分に言って聞かす事を俺に確認取ってるみたいだった。なにかあったのかな?いつもと少し様子が違うのはよーく解っている。なにしろ今日はネクタイ巻いてなくて、ブーツに細身のリーバイス517、黒のタイトなTシャツ。セルフレームの薄いブルーが入ったサングラス。洒落たバイク乗りって感じで役職ついた会社員にはとうてい見えない。しょぼくれたスーツ着た俺がバイトの学生連れて飲みにいってるみたいだ。会社の愚痴なんか聞かしたり、辛いんだって泣きごと聞いてもらってる類い。
 「唐突な質問なんですが、課長って今年で何歳になるんですか?結構年令不祥ですよね、この間マユミから電話あったとき「課長の年令だけは最後まで分からなかった。」って言ってて、他の子達も分からなかったみたいですよ。」
 「はははは、俺は苦労が多いからな、あと謎も多いんだ。年令もその一つ。あの子たちに言うなよ。今年で二十四だ。実は君と同級生ってことになる。驚いた?」
 「へっ」って一瞬驚いたけど、本当なのかな?課長電話で「百回嘘ついたら、いつのまにか本当になる。ヒトラーも「大きな嘘は本当になる。」って言ってたし、俺もそう思う。」ってこの間言ってたからな。      「それにしても、仕事の話になるんですけど、僕の所のお客さんっていい人に当たりましたよ。女の子買うっていうから、どんな奴らかと思えば、正体不明だけど悪い奴らじゃないなって感じの人ばかり。マユミを買った中川もまんまヤクザだったけど、マユミは結構うまくやってるみたいだし、ミナコ買った敷島っていう何でも屋の親父は最近ミナコにスーツを買ってあげたみたいで、あと、学校にも卒業できる程度に通わせてるって。みんなフラフラしてるときより誰かに必要とされてて、居場所があってもたれ掛かる規制のある自由に在り付けたって感じで、俺は古い人間だから両手上げて喜ぶ訳には行かないけど、よかったなって思ってます。」
 「でもさあ、そんなうまい話があると思うか?実際この世の中よ。体裁気にして、外面必死に繕って、本当の事言ったら抹殺されそうな、窮屈で窒息死しそうなのに、勝手に死ぬことが許されない狂うしかない世の中なのよ。素直に夢見たら道踏み外して、真逆様に落ちてデザイアー。」
 「でも、あのお客達はそんな社会からドロップアウトというより達観して抜け出たような人たちでしたよ。それで、抜け出そうとしてる彼女たちを守ってやろうといった、シンパシー感じてる間柄に見えました。俺も仲間に入れてほしいぐらいの責任持った自由な連中なんじゃないかな?」
 「買い被りすぎだと思う。あの人たちだって人並みの欲はあるし狡い奴らだと思う。何が狡いかは分からないが、我慢なんてしない連中なんだ。自分の欲に忠実ってこと。俺は前にそれは誠実なことだって君に言ったけどまあ、実際そうなんだけど、通用するのかな?俺の誠実だと思わない大多数の胃に穴開くような必死な我慢して、与えられた努力してる奴らに、そいつらが組み立てた社会に。俺がぶっ潰してやりたい社会に。もし、ぶっ潰したとして、俺の知りたい次の場所は無秩序を目標としなくて、前提とした社会。トンがってる奴らが悔しいけどカッコいいってのじゃなくて、トンがってる奴らが普通で、そいつらが自分の欲に忠実に、それでいて、社会を確立するために誠実な秩序を作っていこうと必死になってる世界、愛想笑いなんて無い世の中なんだ。俺は見てみたいね。だから、そんな次の社会を見るためには、つまり、あんまりいいもんじゃないけど、今のどうしようもなく大きな渦に飛び込んで、せいぜい嘘っぱちの倫理を掻き乱すしか手はないんだ。ささやかなプロテスタントに興じるんだ。少しでもガッツのある奴がもし戦いを始めたとして、でも、たぶんそれは無力な戦いで、勝者の存在しない泥試合だろ。参加資格は誰だって持ってるよ。淋しくて、生きてて、日常に疑問を少しだけ持ってて、大きな渦に巻き込まれやすい、お人好しには。」
 課長はぶっきらぼうに熱く語るとジョッキのビールを一気に飲み干した。正論なのか、独り善がりか分からない早口な演説に耳を傾ける。酒が脳味噌に回ってて、アルコールがたまってる。次の世界。今まで溜まったアルコールは抜け出るのかな?酔ってる奴に何言ってもどうしようもないのでは?
 「でも、犠牲は出ますよね。憎めない、考えないお人好しに降り掛かる悲劇じゃないですか。存在の薄っぺらさを、衝動的な度重なる情事、あらゆる男たちと関係を持つことによって、それを商売として、金取って、自らを商品にして、自分を「あるもの」にしたい、弱いが結構強い女子高生と、「何もない。」って侘しいから、どうしようもないから「無人くん」にまで手を出して、人身売買をシステムとして安心して人間関係買ってるマヌケな男どもが、お互い手をつないで果てしない堕落の道を落ちていく悲劇が、勝者の無い戦いが、本当に必要なんですかね?お互い、世界中、混乱するだけですよ。「何が良いことだっけ?」って、その状態で新しく出来た秩序なんて信用できるんですか?」
 課長はサングラスの奥でゆっくりと目を瞑る。外界から一つの繋がりである視界を遮断して「そうじゃないんだ」ってもどかしい顔をして、今度は俺のジョッキのビールを一気に飲み干した。
 「俺だって、お人好しを踏み潰す気なんてないよ。俺もどっちかというと、呆れるぐらいお人好しなんだ。今の世の中嫌ってるわけじゃないんだ。ただ、もっと良くなるだろうって人並みに考えてるんだ。だから腹が立つんだろ、冷静に呆れるんだろ?俺はなんとかしてやろうってマジで考えているんだ。」  無益な戦いに本気で身を投じる。俺もそれなのかな?ただ、救ってやろうって意志だけは同じだ。個人の意志なんてこの広い世の中でどれほど影響力があるか知れてるもんだけど、やらないよりかはましだろ。一生懸命に迷子になって、何やってるか見当つかないお人好し。俺も課長もそれに違いない。みんなそうに違いない。辺り一面の酔っ払いたちは「辛い辛い」と同情こいて果てる。でも、曇りなく笑って生活したいんだ。いや、生活してる。命令口調で枝豆頼むオッサンも、飲めない酒を勧められて「いけますよ。」って、顔で笑って心で困ってる二十代後半のOLだって、場が盛り下がらないように必死こいて陽気なフリして、一回受けがよかったギャグをテープに録音再生するかのように何度だって繰り返す営業野郎だって、この天井の低い酒場で、誰かに呆らめ、誰かに期待する。もう、電気を消したってかまわない。ただ、また電気を着けてくれ。ぱっと明るくなったとき、何かを期待するんだ。
 「それにしても、最近俺は疲れたよ。仕事が急がしくてね。バイク乗って旅に出たいなあ、少し暑いけど、いい季節だよ。」
 「そうですね。俺もどこか自由に回りたいな。どこがいいかな?」
 「あまりにもメジャーになりすぎて、今更人が行かなくなった観光地がいいよ。高度成長期あたりに乱立した景観無視した白いホテル、その三分の一ぐらいが営業してなくて、荒れ果てたところ。」
 「壁が黒くかび塗れで、ガラス窓が濁ってたり、割れてたりした閉鎖されたホテルですね。」
 「そう、昔繁盛してた施設がとり残された終わった場所。さびれてるの。でも、一度流行ったから、そこにはワッと土産物の店とか旅館がズラリ並んで、昔そこに居場所を見付けた、今は老いた人たちが半分気力なくしてしがみついてるような、昔ながらの観光スポット。そこ自体はかなりの名所で、文句が無い所がいい。多くの岬なんかがそうだよね。まぁ、何処にでもありそうだけど、とくに九州がいいよ。例えば宮崎の日南ってとこは高度成長期には新婚旅行のスポットだったんだよ。信じられる?今じゃ、ハワイでも在り来りなのにね。ここからなら、伊豆ってとこなのかな?とにかく九州はいいよ。あそこは観光地の風化した具合がいい。そこの人たちも、人がいい。「しがみついてる」って批判じみた言い方したけど、わかるかな?憎めないんだよ。お人好しで、新しいものなんかこれっぽちも無くて、「どうにかしよう。」なんて問題意識が薄くても。だから非日常的で、ケバくて、自然に浮いてるんだよ。「根性」なんて書いてあるキーホルダー平気で売ってても許されるんだ。比べて今頃の観光スポットはまるで駄目だな。うまく景観に馴染ませようとして、ほら、樹の形したコンクリートの柵やらベンチ置いて目立たなくしようとして、目立ってもいいんだよ。「らしく」なんて下らない。わざとらしくて結構。憎めないだろ。そんでもって、時間とともに古くさく野暮ったくなってて、「昔は良かった。」なんて言葉があって、俺はそんなとこが好きなんだ。俺等の商売も似てるよね。コギャルだって同じだろ。一過性のもので、もう終わってるのに、しがみつくようにルーズなんか平気で履いてて、呆れるほどお人好しで、とっくに終わってるってこと全部薄々感じながら、しがみつくしかなくて、悲しいけど、愛らしくも感じるだろ?」
 一通り一気に言い終えると課長は力なく笑った。その笑顔は、いつか行った、どこかの土産物屋の跡取りに見えた。「いいところだろ。」って複雑で単純な自慢の仕方をする、客を少し寂しげな笑顔で見送る寂れた土産物屋の店員。俺は何も言えないで、どんな顔をしたのか知らないけど、急に課長は少し意地悪な顔をして頼んでおいたお変わりのビールを口に付け
 「それより、川田っち、敷島さんって親父と、中川って男が俺の知り合いだって事実をどう思う?こっから先は君に任せた。それと明日、俺の課の連中とトライブの女の子引き連れて海行くから、もう君意外には連絡済みよ。八時にマンション前集合。海パンをズボンの下に履いてこいよ。よろしく、それではこれで。」
 課長は立ち上がると俺を残して薄暗い明かりの店から出ていった。いつもの事だから引き止めようともしないで「お疲れ様でした。」って声掛ける。課長は振り向きもしないで手を振った。千鳥足で雑踏に紛れていく。なぜか二度と逢わないような気がした。
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