川田っちの仕事

文字数 16,027文字

職場となる秘密マンションのドアを開けると何かがいる雰囲気。泥棒かな?警戒心を高めて、傘たてにあった蝙蝠傘を握り締めて、朝日で薄ら明るい部屋の電気を付ける。明るくなるとソファーに横たわる太股とルーズソックスが見えた。確か、メッシュいれた髪と少し吊った目付きは、そうだマユミだ。
 「朝ですよー、朝だー朝だーよ。何してるんですかマユミさん?なんでここで寝てるのですか?」
 「はー今何時?六時半って、川田さん早いね。まだ寝かせてよ。」
 「そっちこそ早いね。どうしたの?」
 「えー、昨日友達と遊んでて、オール決め込みそうになったんだけど、今日はやつれ顔する訳にいかないし、遅れるわけにもいかないからここに泊まったの。」
 「今日は何の日?」
 「はっ?知っとけよ。社員なんでしょ。」 壁に掛けてあるカレンダーの六月二十五日のところに赤い丸がしてあった。この子たちの入所から五日目(すでに何年か居たように寛いでいたが)の今日は何の日なんだろう。 マユミに聞こうと思ったが「電気消してよ、眠れないじゃない。」の一言に何も聞けなくなり仕事部屋に移って、いそいでパソコン立ち上げて行程管理表を開いた。六月二十五日水曜日、午前九時から登録写真撮影。場所渋谷バードマンスタジオ。「メールの着信があります」画面の下にメッセージ。「川田くんへ、今日撮影会があります。九時に迎えの車が来ます。総務の川北君の指示に従ってください。なお、参考までにコギャル顔のマニュアルでも見てください。横田より。」メッセージは午前四時半着になっていた。あの課長はいつ何をしてるのだろうって一瞬思ったが、それより今日の仕事が気になった。さっそくコギャル顔のマニュアルってファイルを開く。「みんなに好かれるコギャル顔の仕方。その一、悪戯っぽい上目遣いでキッと相手を見つめます。目が大きく見えますね。顔だって小さく可愛く見えます。その二、口をニッと釣り上げます。たとえるなら近所にいそうな可愛いおしゃまな女の子のはにかみ笑顔です。さっそく練習しましょう。」ははははは、なかなか面白いじゃないか。こういった顔に男は弱いわけだ。とくに同じような年代の娘がいたりする中年層はね。なるほどね。うつむき加減で相手を許したかのように、試すかのように悪戯っぽく見つめ、口をおばけのQ太郎のようにニッと釣り上げる。思わずその顔を一人でやってしまった。俺がやると「なめてるのか?」ってことで相手を小馬鹿にしてケンカ売ってる顔になるんだろうけど、女子高生がやるとフラフラとオッサンたちは間違いなくまっしぐらだろう。確かに昨日逃げ出した昼に立ちよったゲームセンターでみんな自分を可愛く見せようとこんな顔を必死でしてて、そんな同じ表情の顔のプリクラが腐るほど貼ってあったな。
 出発時間の九時前には全員が集まり、緊張した面持ちで静かになったかと思うと「ねえ、今日の顔へんくない?」「疲れ顔?」「あんたなんかいいわよ、私の顔、最悪。」「メイクさんとか来るのかな?」なんて具合に不安がったり、そわそわしたりして彼女たちは燥いでいた。写真には写らない香水の匂いをぷんぷんさせて、何度も鏡を見ては自分の顔を確認する。よく見りゃこいつらみんなほとんど眉無しで、綺麗に細く書いただけの眉毛を釣り上げたり、ハの字に、にやけたりと忙しく表情を変えていた。笑ってやろうか?眉無しってのはどうも間抜けなんだがな。
 九時きっかりにドアを叩く音。几帳面そうな三十男の川北という男がよく晴れた朝の慌ただしい始まりの空気と反比例したムスッとした顔で「迎えに来ました。ついてきてください。」以外何もしゃべらないで送迎の黒づくめのワゴン車(フォードアストロ、ローダウン。そういった輩が結構好んで乗る車)まで案内してくれて、コギャルさんたちは相変わらず期待にニコチンまみれの胸膨らませて、車中に乗り込んでからもがやがや騒いでは急に大人しくなったりと決戦前なのか遠足なのか解らないぐらいの錯乱ぶり。あーあ、マユミの奴、歌まで歌いだしやがった。ジュディマリの、あれ、なんて曲だっけ?俺は助手席で運転手の川北の不機嫌そうな仏頂面を気にして「いい天気ですね。」「すいません騒がしくて。」なんて具合に和やかな意味無い会話で彼の機嫌を害なわないようと何か話し掛けようと思ったけど「若いのはいいな。いくらで相手するんだ。」って川北にぼそっと聞かれて、俺はコギャルさんたちを弁護する必要なんてこれっぽちも無いのに反射的に「けっこうするんじゃない?あんたの安月給じゃまず無理だけど。」って便所虫に対する態度で言いきった。川北の奴、狭い車中で暑苦しく怒りだすのかと思ったら「はは、そうかもな。俺にとっては金払う価値もない連中だもんな。言ってみただけだよ。」って俺をまともな相手と認めたように表情を和らげて涼しげに話してきた。おそらく、いや、きっと俺が川北の台詞に感じたことを川北は俺に感じていたんだろう。「世間のクズが!」って。しかし今は、もう認めあってる。お互い道徳のド字は解る人だって。しかしな、同じ会社の人間だろ。同じ疑問を持つのは仕方ないが、同じように人を蔑み自分をどこかで正当化しようとするってのは、精神衛生上よくないんだろうな。やってることに自信が無いてのは結構悲しい話だよ。
 そんな感じで俺らはとっくの昔に昇った太陽に照らされた朝のガヤつく街並を一緒になって走ってて、つまりそれまでの早朝の孤独を通り過ぎて、特別な理解しあったもの同志の無言の会話をしてたのだが、後の奴らは「キャイキャイ」浮かれたカラオケ大会状態になっていた。どこの誰だ?「森の熊さん」なんて歌ってる奴は!
 車は渋谷駅の前を通り過ぎる。続いて後部座席の連中の大好きな109が見える場所(センター街?)の前を通り過ぎる。朝も早くから座り込んでる高校生が何人かいた。オール決め込んで破けそうなくらい真っ赤な乾いた目でこの街の喧騒を見つめている。社会の流れは人の波。その波を眺めて彼らはいったい何を期待してるんだろう?いつしか自分が乗れる大きな波でも待ってるのかな?何にも努力なんてしないでうまく乗れるわけないだろうに。大きな波に乗るにはそれなりの体に染み込んだ技術がいるんだ。考えなく波に乗ろうとしたなら間違いなく、その波に飲まれて流され、ついには溺れるんだ。その時連中はもがくのかな?足掻いてどうにかしようとするのかな?俺の勘では連中達観してて、うまい具合に誰かの助けを待つんだろ。だって子供たちだもの、そんな大人たちの。興味と哀れみでボケーっと見てたら、すぐにも車は通り過ぎて波待つ連中はバックミラーに小さく見えた。似たような車中の彼女たちは、渋谷に着いて緊張感増して少しは静かになったかと思うと、その緊張感に耐えかねてか渋谷であった彼女たちの事件で話が盛り上がり、歌は歌わないが、さっきよりキイキイ声で燥ぎだして車内は耳を覆いたくなるほどうるさくなった。
 「静かにしろよ、もうすぐ着くから。」
 川北のイラついた声に連中可愛く大きな声でそろえて「はーい。」。俺や川北の怒る気力は、騒がしくどこかクールな、でもお人好しな渋谷の街の景色のようにスピードの彼方に過ぎ去っていく。わがまま言う小さな子供に対して憎みきれない大人の気持ち。そんな気持ちは川北にもあったし俺にもあった。  「もうすぐだって、よかったな。」
 俺が子供をあやすように言ったら、煙草吹かしてた川北がニヤリとした。煙が鼻からふっと出る。実際のところ悪い奴なんてこの世にはいないんだろ。なんとなしゆるんだ顔で流れる街の景色に目を移す。目に入った開店前(ひま人の物欲にさらされる前)の西部百貨店は物静かで文明的に聳え立つ清潔な建物に見えた。
 バードマンスタジオは何の気ない裏通りの何の気ないビルの何の気ない二階にあって、一見写真スタジオなんかがあるように見えないのだが、その手の連中ご用達で結構有名なとこらしい。ぱっと見俺の気に入りそうな、しかし狭苦しくて、気取ったアホが好んで集まる場所なんだろうな。世の中に何の関与をしてない連中が「この世の中間違ってるよ。」って深刻に、何処かふざけて、クール気取って終末論と現実知らない弱っちい理想論を語るユートピアって感じのとこなんだろ。俺なら二秒もいたらムナクソ悪くて唾吐いて衝動的な破壊行動にでたくなるとこだ。たぶんな。どうせ内装は真っ黒か、真っ白なんだろう。想像に容易いよ。
 二階の事務所で金髪の女の子相手に手続きを済まして、スタジオに案内された。ドアを開くと暗い骨組みのようなとこに出て、そんな櫓のずっと下の方に強烈に明るい白を基調とした撮影するところが見えた。撮影所の天井から入ったって感じで浮遊感漂い、存在事態が取り込まれるような人工的な広い空間がなかなか面白かった。とにかく意味有るのかダダっ広い音のよく響く静かな場所ってのは思わず背筋が伸びるような緊張感が張り詰めていて俺は結構好きだ。一瞬「わー。」って声が後から沸くのが聞こえて、それからとたんに静かになった。コギャルさんたちも期待と緊張感でしおらしくしている。振り向いて何か言ってからかってやろうと思ったが、皆さんキョロキョロしながら本当に単純ないい顔をしていたので、何も言わずにおいた。
 全身黒ずくめの髭生やしたいかにもって言う三十前後のカメラマンがやってきて無表情だが真剣な面持ちでスタッフに指示を出しテキパキと撮影準備に取り掛かる。それにしてもここの「バードマン」って名前はスタッフが着ている黒いTシャツの胸にのっかってる白い影、鼻のトンがった耳のとこに羽があるヘルメット被った、顎の長い顔、まさしく「パーマン」のバードマンから来てるのか?興味有るとこだが聞いて違ったら恥ずかしいので聞くのは止めておこう。
 「ねえ、あれってなにやってんのかな?」 「何か測ってるね。」
 マユミとミナコがスタッフの一人がライトの明かりを照度計を使って測ってるのを見て興味を示す。
 「なんだ、おまえらガイガーカウンターも知らないのか?」
 「なにそれ?何測ってるの?」
 「放射能だよ。原子力発電所なんかで問題になる奴。」
 「放射能って、レントゲンとかから出てる奴?それって体に悪いんじゃない?なんかの授業で聞いたことあるよ。」
 「おー、ミナコ、よく知ってんな。その通り。浴びすぎると細胞が異常を起こしてガンになるんだ。白血病とかそんな奴。」
 二人して驚く顔。俺は眉ひとつ動かさず嘘をつき続ける。知らない奴らに出鱈目な難しいこと言って、からかうってのは正直結構面白い。恐る恐る聞くマユミ。
 「なんでそんのものここで測る必要あるのよ。ちょっと待ってよ。」
 「よく言うだろ、年寄なんかが「写真撮られると魂がぬかれてしまう」って、あれって強ち迷信でもなくて、フラッシュの強い光があるだろ。アレから放射能がバチって一瞬出て、運が悪けりゃ細胞が異常起こしてガンになるんだ。つまり死ぬかもしれないんだ。いや、きっと死ぬに違いない。抗癌剤ってきついから髪の毛とか抜けて苦しみぬいてね。」 「そんなの聞いたことないよ。」
 「バカだな。そんなこと言ったらみんな恐れて写真撮らなくなってカメラ造ってるとことか、写真屋さんたちが商売できなくなるだろ。だから政府公認で隠し事にしてるんだ。写真が無かったら困るだろ。」
 「えー、嘘でしょ?でも、あれって眩しいし。やばいな。私写真よく撮るからな。あっ、でも、だいたいフラッシュ無しで撮るから大丈夫かも。」
 「えー、私夜集まったとき写真撮るからやばいな。千葉のお婆ちゃんみたいにガンになってるかも。早くみんなに言ってあげなくっちゃ。」
 ミナコがすぐにみんなのとこにすっ飛んで行った。輪になって並んだ足とルーズソックスの井戸端会議に一騒ぎあった後、笑い声。そんな嘘ぐらい解りなよ。まったくこいつら本当にガキだな。 
 「何ニヤニヤしてんのよ。嘘ばっかついて、悪い大人なんだから。あれ測ってるのは、ルクスとか、光の量なんでしょ。ミカちゃんが教えてくれたよ。川田さんって嘘つきだって。」
 ほう、そこまで知ってる奴がいたか。ミカっていったら、あの普通に綺麗な子か。こっち向いて笑ってやがる。結構やっぱり可愛いな。バカじゃないみたいだし。
 「株式会社フリースタイルの皆さん、メイク室の準備が出来たので順番に来て下さい。上田美奈子さん、川上真由美さん、杉田綾さん、こちらにどうぞ。」
 ジーンズにアイリッシュセッター姿でドリフの爆発コント頭の幼い地味な顔した、本人センスを売り物にしたい、いかにもって女の子が手招きしている。午前組の三羽烏が一斉にあのマンションでは見せたことのないぱっとした顔で振り向き無気力売り物にしてたはずなのに元気よく「はーい。」って返事して気怠さそうなとこは一つもなくて素直に指示にしたがった。
 「なんかワクワクするね。いっつもこんな感じだったらいいのに。」
 「えっと、カナだったよな。お前等いつもこんな感じで生活してるんじゃないの。「私らサイコー」とかいって。」
 「そんなことないよ。カラオケしたり騒いだり飲んだり男の子捕まえたりするのも結構楽しいけど、こんな具合に締まった感じないし、ただ楽しいだけ。なんかこれとは違うのよ。」
 「それはあれか、緊張感とか特別とかそんなのが欲しいってことか?なんて言うか充実感って奴かな。」
 「うん、そんな感じ。ミカちゃんとそんなことさっき話してたんだよ。きちんとしたやる気があるねって。」
 なーるほどね。やっぱりあるはずなんだよね。俺が高校生の時もあったもの、何かしてやろうとか何者かになってやろうとか、無謀とも言える形に出来ない野望ってのが。俺はその時もがいたよ。何か無いかな?って。それで俺の友達はカメラにこった。そいつは自分の中にある、そいつにしか撮れない写真を撮ろうとした。写真で何かを変えようと取り憑かれたんだ。正直俺は羨ましかったよ。何かしたいことがあるっていうのが。友達を裏切ってまでね。まぁ、仲直りしたけど。
 「裏切られたの?」
 一人考えてるつもりがいつのまにか口から出ていた。自由気侭な都会の一人暮らしから発生した独り言の癖。ミカとカナは興味有りげに聞き入っていた。「気にするな、独り言だわ。」って誤魔化したけど奴らは興味有りげにひつこく噛み付いてきた。
 「何か訳在りなのね。」
 「えーと、だったら川田さんのしたいことって何?」
 「うーん、言っても解るかどうか知らないけど「負けないで戦う」ってとこかな。それも全力で自分の能力出し切ってね。それが出来てこそ、次のことが出来るって思ってるんだ。」
 「次のことって?」
 「うーん、言ってどうこうなることじゃないけど、復讐なんだ。回復させることによって貫徹される復讐。強い意志が必要だな。」 俺の言った抽象的な発言をミカが上目使いで何やら考え事をして、頭上にふっと浮き出た考えをひっつかんで、感覚だけを言葉にして投げてきた。
 「それって、誰かを助けるの?」
 「うん、助ける、そうかもな、まずは自分を、ついでに不特定多数のみんなも。」
 「意味が分かんない。それより私はね、こういうとこで働きたい。この仕事でお金蓄めて、ヘアメイクの専門にいってセンスを生かしてみんなを綺麗にするの。みんなに喜ばれて必要とされるビッグで有名な重要人物になるの。」
 カナが自分のことを楽しそうに話しだす。確かに俺の言ったことは訳分かんないし、言った俺自身でさえ分かってない。でもいいよな。これがしたいってのがはっきりしてる奴らは。それが、たとえ、いかにもってなことであっても。
 「でもさあ、なんでヘアメイクなの。いつ決めたの?俺なんてそんな時期に具体的に何かやりたいことなんて決まってなかったけどな。理由ってのあるの。」
 「えー、だってカッコいいじゃない。レジとか事務とかしても面白くなさそうだし。」 単純だよな。羨ましいよ。俺等の世代いって言うか、みんな、八十年代とかバブルの影響引きずってか、九十年代前期の連中は「これがしたい!」ってのに理由がいるものな。いらない奴らも結構いたけど、いろいろ考えて仕方なくサラリーマンでもってのがヘタに大学行った奴らの就職活動の時は、やっぱりたくさんいたよ。俺もそうだった。言い訳がましい、もっともらしい小賢しいこと言って、結局「これが俺だ」って自由でいる能力やガッツなんてなくて、そのために人生頑張ってなくて、さぼってて、楽そうな大きな流れに乗ろうって、今朝の大きな波待ってる連中より、大きな波も期待できない、普通の波に乗っかろうって魂胆しか思いつかない言い訳だらけのボケナス野郎ってのが。実のところ希望ってのは在ったけど、自信持って公言できなかったってのもあるな。とはいえ、やっぱり言えないけど、俺には有るんだけどな、抽象的だけどやり抜こうってことが。
 「あらら、川田さん思い出モードに入ってるね。目が遠く見てるよ。」
 「ミカちゃんは何かあるの?やりたいことってのは。」
 「えーとね、カナちゃんみたいにはっきりしてないけど、私ね、いろんなことが知りたいの。なんか、世界を見たいの。」
 俺が一人孤独な独房で解決策の無い問答をブツブツ無理遣り続けてる間、ミカとカナが自分たちのことを話し合ってる。正直ミカの言う「世界が見たい」ってのは言い切り方が悔しいけどカッコいいな。俺のと似てるかもしれない。
 「世界って言っても色々あるよ。俺はお前等より少しは長く生きてるけど、別にいろんなとこ行ったわけじゃないけど、想像と期待は結構裏切られるもんで、知らなきゃよかったってことも結構あるからな。」
 「解ってるよ。奇麗も汚いもいっぱいあるもの。だからもっと知りたいの。色んなことを。知ってて損ってこと無さそうだし、ついでに何か解りそうじゃない。」
 カナの方は半分聞いて半分聞き流しはじめていた。俺の方は俄然興味が沸いてきた。そうなんだよ、進むことなんだって!自分のあやふやな考えを確定する。彼女の恐いもの知らずの態度が俺のいつまで経っても不安定な心の襞をそっと撫でる。ある種の共通意識の認識。俺は出発前の船の乗って、旅の期待と不安を抱き緩やかな波に揺られている気持ちになっている。やばいな、この子に特別な興味を持ち始めているな。俺の飯の種となる商品となって売られていくこの子に。
 おかしな感情芽生える前に興味をそらそうと、どうでもいい話をし始めた。どうでもいい話だからミカの方も「そうね」「あー」とかのどうでもいい反応。カナの方は自分にとって理解しやすい話になったので、さっきまでの退屈は取り除かれたようだった。どうでもいい話の内容、料理について。「お前料理するんだなコギャルのくせに。」「いーじゃんよー、結構楽しいし。」そんな感じで何気ない会話。そう言えばユイの方は何処にいるんだろう?あれ、おい、いないじゃないか!永遠に隠れんぼってことはないよな。
 「おい、ユイは何処にいった?」
 「あれ、いないね。何処いったのかな?たぶんトイレじゃない?」
 少し心配になって辺り中を見回す。あの子は何処にいても居心地の悪い思いをしているだろうって子だから、ヘタすりゃ逃げたんじゃないかな?血の気がさっと退く。やばいなって感じだ。しかしながら平静装いカナとミカにユイを探してくることを言い残すと俺は小走りに広いけどジッとしてられる居場所なんて無さそうなスタジオ内から出ていった。 スタジオ出て自販機と長椅子のある場所ですぐにユイを見つけた。探す事無く、ぱっと出てきた。安堵感に力が抜ける。女子トイレから出てきたところだった。喜びの表情はなるべく隠して明るく爽やかに声掛ける。
 「おい、うんこか?いないから探したぞ。どっか行くんなら一声掛けてくれよ。」
 ユイの何処を見ていいやらの戸惑う顔。うんこ指摘されたぐらいでって思ったら、ユイの後におまけが付いてきた。女のトイレから髭面の男。黒ずくめのカメラマンはオドオドするかと思ったらすっきりした(そりゃそうだ)開き直った自信に満ちた顔。たぶん「おい、カメラマン何やってんだ?」って俺がいくら凄んだとしても、奴は涼しい顔して「なにが?」って答えるだろう。それにしても早いな。二十分で何が出来る?汗かく前に事は終わったみたいだね。皮肉を込めて力を込めて野球部の後輩が絶対的な先輩に言うよう「お疲れさんした!」って言っといてやった。奴の自信は思い描けない声にぐらつき、「じゃあ、また」ってオタ付いて足早に去っていった。間抜けめ!ユイの方は怒られるのを期待?してたのか俺の冗談めいた力入った発言に力が抜けたようだった。
 「よう、率直に聞く、ユイ、お前セックス好きか?男の匂いがそんなにええのか?」
 「はっ?突然何よ?えっと、別に好きでもないわよ。バカじゃん、そんなのはっきり聞いてからに。」
 「だったら、今の金貰ったのか?」
 「違うよ。ただで啣えてやったの。なんか誘ってきたし、カメラマンってけっこうカッコいいじゃんか。後で撮ってもらうとき綺麗に撮ってやるって言ってたし。」
 「へー、なるほどね。たださ、言っておくけど、凄い奴、変わった奴と一時的な関係持ったからって、お前は全然凄くは成らないからな。奴らの暇つぶしになっただけって事にすぎないんだ。」
 「えー。私も暇つぶしになるだけよ。あと、話のネタにするの。偉そうにしてるけど、全然小さかったとか早かったとかね。」
 楽しそうに言いやがって、ホントこいつらだけは!「天は人の上に人を創らず、人の下に人を創らず。」こいつら好きな壱万円の奴の意志は今でもこうやって間違って受け継がれている。知ってないんだろうけどね。福沢さんも現代っ子達もお互いが。
 ユイがいつも居場所が無さそうにしてるのが何となく解った。こいつは根っからの娼婦なんだ。男たちが必要とするときにこそ、自分自身の存在価値を見出だし、必要とされる居場所を見つけて、好きでもない奴と、そんなに好きでもないセックスに興じる。いや、抱かれることは好きなはずだ。興味を持って触られてるって感触がこいつの傷を癒してるんだろうからな。疑似的な愛情とねっとりとした気持ち良さ。ついでに金貰える。道徳感麻痺してりゃあ、そんなに都合のいいことないよな。こいつ結構身を削って生きてるな。 「これまで何人くらいとああなった?」
 「えー、たくさん。」
 「なんか、テッシュペーパーみたいな話しだな。なんもかんも。」
 ユイは少し考えてから俺の言わんとしたことを理解したのかどうか知らないけど「そうね」って歩きながらボソッと答えた。バカと間抜けの取っ組み合いこ。思想の隔たりと秘密の共有の親密さを持って俺等は五人が待ってるスタジオに戻ってきた。
 「でもな、お前は悪くないよ。たぶんな。悪いのはオッサンたちだよ。「いくら?」ってのが生活の中心、いやエキサイトメントになってる奴らが悪いんだ。」
 「何の話?どういうこと?」
 「つまりな、おっさんってのは自慢話、人の噂、何気ない質問なんかをする時、会話の基準に「いくら」ってのを使ってくる。「いくら飲んだ?」パチンコで、競馬で「いくら勝った?」人の物見て「いくらで買った?」遊びにいったら「いくら使った?いくら掛かった?」ってね。ついでに「いくらで相手する?」なんてオファーしてくるだろ。「いくら値切った?」なんて会話が次の日持ちきりだったりして、つまり優劣の判断は金なんだ。金掛かってりゃ凄い。それだけ掛ければたいしたもんだ。そんだけしか使ってないの?それだけ使えば偉いね。頭のなかのアナログな計算器で金勘定。金を使ってるつもりが金に支配されやがってって感じだ。結局金目当てに生きてるんだ。金でエキサイトメントしてるんだ。それしかないんだ。つまり「世界丸ごとハウマッチ!」ってことなのよ。」
 「ふーん、そんなものかしら。でもね、お金以外で何で判断すればいいの?」
 ユイに話してるつもりが何時の間にやら、みんなの前で熱弁奮ってて、メイクが終わって多少変化があるような無いようなミナコに鋭い指摘を受けた。人の為に自分の為に頑張ったことが大事なのさ。ってな感じのことを言ったら結局欲しいものはお金で対処できるから、判断するのはお金でいいんじゃない?お金貰ったら嬉しいしって感じの答え。そうだ、そうだ、なんてみんなして勝ち誇ったかのようにいいやがって!
 「友情、愛情、なんかの情の付くものは金で買えないだろ。でも金が無かったら情けないけどな。」
 「ほら、そうじゃないの。」
 何か言ってやろうと思ったが、それ言うと俺の仕事を否定することになるし、だいたい自分のことを棚に上げて偉そうな事言える身分ではないからな。とりあえず負けたくないからブーたれた顔して、外人特有の「オウ!」って肩をすくめるリアクションをとっといた。間髪入れずに「さむー。」「気色悪ー。」のひどい指摘が俺に突き刺さる。うるせえよ!
 曽根可奈、青島由井、冬樹美夏の三人が呼び出されメイク室にむかった。入れ替わりにメイク終わってこざっぱりした三羽烏。
 「ねえ、結構綺麗になったでしょう?」
 「可愛くない?」
 連中浮かれて俺に感想を聞きたがる。俺は率直に言ってやる。「ギャル系の格好って嫌いなんだ。なんか商売っぽいし、可愛いとも思わない。普段どんな格好してるの?」否定じみてて興味有りそうな質問。
 「あー、なにそれ?いいじゃんよー可愛いでしょうが。川田さんはどんなのがいいの?松たか子みたいなのがいいの?あいつブスじゃんか。ムカつくし。」
 「そうそう、上品ぶって、色白くて髪黒くて、男に媚売ってそう。あの太い眉毛何?おとなしいのがいいって腑抜けな馬鹿な男が多いから嫌。あの「負けません。」って感じの顔も気に入らない。」
 逆に言えば誉めてるようにも聞こえたが、松たか子ってのが誰だかはっきりしなかったので相づちうっといて、「でもお前等下品じゃんか、お水とヤンキーたして二で割って、現代っ子を掛けたみたい。どうしようもないじゃんか、それでいいの?って思うけど。」 さすがに連中の引いた顔見て、言いすぎかなって思ったけど、まあいいだろう。言いたいことも言えないで、人に気を使って何が俺の人生だよ。嫌われても結構。
 「あー、ひどいー。ヤンキーでもお水でもないよー。でも川田さん古くない?こーの昭和一桁生まれ。尋常小学校通ってたの?」
 おとなしかったアヤが珍しく俺に突っ掛かる。結構いつもの無表情消えて、冷たそうな顔には全然見えなかった。感情ってのは有った方がいいな。それに言いたい事言えば相手も言いたい事言ってくるだろ。こいつ等も言いたい事言ってるしな。コギャルさん達って結構素直なのかもな。嫌なことは嫌、したいことだけする。自分たちは最高。楽しいことは大事、友達も大事、誰かとのつながりも絶やさない。電話は便利。何処行ったって自分であろうとする。我侭だけど我慢だらけよりいいよな。結構颯爽としてやがる。もしかしてこいつ等の方が正しいのかな?
 「お前らってさあ、何か目指してんの?いやね、さっきミカたちとそんなん事話してたんだけどね。で、あと、おめー等とあいつ等雰囲気ちょっと違うし。あの子たちは、ピッチにサンリオグッズに使い捨てカメラ、プリクラ、たまごっち、カラオケボックス、ファーストフードって感じで、安上がりなコギャルじゃんか、あんまり色黒くしてないし、それにくらべて、一日中いるお前等は、ガンガンに黒いし、なんか派手だし、色気っていうか、見た目エッチいし、ブランド物持ってるし、夜の蝶々なんだろうし、俺には結構違うように見えるんだ。なんかハード系だよな。おまえらみたいなそんなハード系の奴らは何になりたいの?」
 三羽烏は「うーん」ってうなって考え事。確かにね、って同意してまた考え事。彼女たちとは違うかも。ってぼそ付き、自分たちをカテゴライズしたかと思うと、でも基本は同じよね。楽しみたいだけだもの。そこに落ち着いた。それと普通でいたいけど変わっていたい、なんかこう「違うんだ」ってのが欲しいってのが自分たちなんだってことになった。言い方は辿々しかったけどそういうことなんだろう。
 「ビッグな人になりたいよね。」
 ミナコの呼び掛けに「そうそう」って待ってましたと全員が相づちをうつ。
 「ビッグな人って、どんなのがビッグなのかな?俺が思うにそれが分からん。」
 「たとえばね、有名だけど、周りからチヤホヤされても自分でいる人。たくさん知り合いがいて、色々合わさなきゃならないのに自分らしくいれる人。カッコ良くない?」
 マユミの意見に一同共感の声を上げる。それは凄いことだよな。って俺も思った。同時にそれは無理だよなって思いもした。できりゃあいいよ好き勝手、それでうまくいって世の中楽しけりゃあ。でもな、こいつ等見てると可能な気がした。だって我慢しないんだもん。それでうまくいってるみたいだし。
 「お前等後は有名になるだけだね。我侭放題、気を使わない。それは既にある。」
 「えー、色々人に合わせてるのよ。これでもね。結構疲れるんだから。」
 「嘘放け。どこが?自分勝手だろ。」
 一同、「ひどーい。」そうか?ひどいか?俺の方が疲れてるよ。たぶん。しかし、そうか、有名になりたいからこんなことしてんだな。彼女たちのこれから撮る写真は全国版の雑誌に掲載される。シリアルナンバーとともに。シリアルナンバーはすでにこの会社に入る時に彼女たちは右腕の目立たない肩の所にタトゥーを入れられている。まあ、これが一種のステータスになってるらしいのだが、その後どうするんだろうね。「あっ、お母さんの腕に文字があるよ。」なんて子供に指摘されて、エプロンたくし上げながら昔の武勇伝語ったり若き日の恥を誤魔化そうとしたりするんだろうな。「なんでもないのよ。」なんて言ったりして。子供はなんのことやら解らなくてただ真っすぐな目をしてお母さんのいうことを聞くんだ。そうだ、こいつ等お母さんになるのだ。こいつ等が母親って!
 「それで、まあ、ビッグになりたいわけだわ。たとえば誰?」
 待ってましたのように三人は口を揃えて「カナコさん。」って答えた。大柴加奈子。フリースタイルの創設の切っ掛けになった渋谷の女の子。シリアルナンバーAK001の持ち主。コギャルの彼女たちの憧れであり伝説の人って事になっている。地方にいた俺でさえ知っている。あれを見たのは半年前くらいの床屋で写真週刊誌を見てたら載ってて「なにそれ?」って思ったら床屋のテレビでやってた昼のワイドショウにまで出てた。密着二十四時間とかいって。(あっ、よく考えてみたらあの時の彼女のマネージャーって課長の顔だ!)普通の女子高生なのにマスコミに引っ張り蛸で彼女を表紙にしとけば売れるって程の人気がある。なんか、サンリオグッズを流行らせた張本人だとか騒がれていて、コギャルといったら彼女のことだった。世間のお人好しな珍しいもの見たさで話題になり、タレントとしてデビュー。今ではCD出して歌まで歌ってる。俺にはカナコさんの何がいいのか解らなかったが、世間ではうけが良かった。解りやすいからだろう。そんな特別きれいでもなかったけど、特別なものじゃなかったから良かったのかもしれない。この会社に登録されたがってる奴らはいくらでもいる。そいつらの「何となく芸能人に成りたい。」ってそれをいとも容易く成し遂げた(でっちあげられた)彼女のサクセスストーリーを夢見る連中は彼女のことをビッグな人だって思うし、憧れもするだろう。ヘタな芸能人より間違いなく色々なとこで影響力は有るよ。  「川田さんはカナコさんに会ったことがあるの?社員なんでしょ?」
 興味の視線が俺に注がれる。実際俺は見たことない。研修の時スライドで説明されたぐらいだ。こいつ等の方が俺なんかより憧れの彼女のことをよく知っているだろう。ただ、やっぱり少しでも知っといたことにしたほうが今後の展開が楽だろう。「見たこと有るよ一回だけ。会社の事務所にいたよ。話なんて出来なかったけどね。」「わー、すごい。」尊敬の眼差し。どうだった?の質問に「うん、雑誌のまんま。」って適当に答えとく。「いいなー。」「早くああなりたいよね。」彼女たちの希望は叶うのだろうか?叶うように彼女たちに大丈夫って百回嘘付けばそのうち本当になるかもね。売春まがいのことも「下積み」って勘弁してもらうんだ。
 「あの人見た?ケイコさん。アメリカ行って人気者なんでしょ。」
 海外に輸出して珍しいからって人気が出た川島慶子。ハリウッド映画に出たらしく、これもフリースタイルの成功例。彼女の場合は、だって向こうに最初から住んでて、後からフリースタイルに登録されたって感じなのに、ホントのこと隠したくて嘘を付いて出任せ並べたのに、やはり海外志向の注目の的。だからあの子はもともと結構有名なモデルだっていうのに、この有様。確かにアメリカは好景気でコギャルの輸出は伸びてるのだが、どういった扱いが行なわれてるのか、みんな知らないんだ。社員の俺でさえ知らないのに。どうせ、アメリカ人の復讐の人形になってるんじゃなかろうか。買われたコギャルたちは今までのイカレた日本のエコノミックアニマルぶりの尻拭いをしてるんだろう?日本嫌いな一部のサイコパスなアメリカ人の手によって。そうさ金持ち日本はもう終わった。今じゃあ、昔の東南アジアのように金持ちの国にダンサーを送る始末。ダンサーがダンスしてるとこ見たことあるか?俺に限っては無いぞ。「シャチョさん、シャチョさん。」が関の山なんだろ。とにかく貧乏で身売りするほど金が無いのは情けないんだ。
 「いや、あの人は海外で人気者だろ?日本にいるわけないじゃんか。それより、あいつら帰ってきたよ。すぐに撮影始まるから。」 戦時中劣勢の日本軍は長い戦争で消耗しきった民衆に事実である劣勢のれの字も公表しなかったという。それどころか「ワレ、攻撃二成功セリ」なんて具合に調子のいい嘘ばかりを並べ立てた。息も絶え絶えそれしか知らない無知な国民は「お国の為に頑張ろう」なんて手遅れな末期的状態なのに一抹の希望のみを頼りにして健気に頑張る。無いはずの勝利のために、誰かの為に無駄な努力をお人好しな笑顔を必死に演じて。いや、なにも知らないから笑うしかなかったのかも「明日があるさ」って、悲しいな。こいつらも、そんな感じなのかな?だまされんなよ。自分で考えてくれ。若いお前等が同じ事繰り返しても仕方ないんだから。回復しろよ。
 シャッターの音が支配する。あの髭面は写真撮るときは本物だった。「ライト、もっと右照らせ!」って厳しい口調で指示したかと思うと「ほーら、もっと笑って、ニッて感じで、そう、いい感じだ。なかなか可愛いじゃないか。」って、うちの子達に軟らかく信頼を得るような口調でいい顔を引き出していった。まぁ、あのQ太郎スマイルなのだが、正直可愛く見えた。カメラマンの腕も確かにいいのだろう。現像された写真は彼女たちにプラスアルファーな魅力を与えるに違いない。 「おい、うろちょろすんな。」
 待ってる奴らが落ち着きなくフラフラしてて小声で注意する。「はーい」って小声で答える。子供だよなって思っていたら、順番になってカメラの前に立つと、これまで見せたことの無いような真剣な表情。カメラマンの指示にも忠実に従い少しでも綺麗に撮ってもらおう、綺麗になろうって意識が緊張感になって静かなスタジオに漂い、見てるこっちが張り詰めた空気に圧巻されそうになった。こいつら見事にプロ意識があるんだな。自分を商品とする覚悟を持ってやがる。いままでの人生であまり見せたことのない真剣さでカメラマンに立ち向かってるわけだ。懸命な顔ってきれいだと思う。閃光のようなフラッシュが何度も焚かれる中、俺は彼女たちから目が離せなかった。真剣な目は間違いなく魅力的だ。あんなにダレてたはずなのにな。いいな、こいつら。思わず感心する。
 「はー、緊張した。どうだった?」
 「よかったよ。かわいかったもん。」
 「ほんと?」
 撮影終わった奴らが小声で感想言い合ったりしてる。安堵感となんかしらの達成感。緊張解けて燥ぐ彼女たち。女の子ってのは可愛いよな。純真であどけなく、感情に支配される精神と行動。いつもすねてないでこんな風にしてりゃあいいのに。こいつら間違いなく悪い奴らじゃないよ。悪い奴らがあんなに可愛い顔して笑うかよ。キザな言い方だが輝いた十代の屈託ない汚れ無き女の子の笑顔って、この世で重要なものの一つだと思う。まぁ、こんなこと口にしたら間違いなく連中に「さむー」って言われるんだろうな。「なに?輝きって?」ってひつこくからかわれるんだろう。たださあ、これだけは一人一人言っておこう。。冷えた缶ジュース渡して
 「お疲れさんでした。」
 って、俺がどんな顔してたか知らないけど渡された奴は一瞬戸惑った顔して、俺の顔を確認して、なんか安心して、これ以上に無い可愛い顔して「ありがとう」ってジュースを受け取っていた。もしかして俺はデレデレしてたのかな?それにしても連中マンションでまったりしてた奴らとホントにマジで同一人物かよ?全然違うぞ!
 何時間経ったのか、窓の無い一定の光で充たされたスタジオ内では解らなかったけど、撮影終わって外に出てみると辺りは薄暗くなっていた。ネオンの灯る頃だ。車の走る音や人の歩く音、クラクション、笑い声、かすかに流れる店の音楽なんかの街の音が世間と隔絶されたスタジオと違って容赦無く耳に入ってくる。なんか帰ってきた気分だ。何処から何処なのかはっきりしなかったけど、なぜか淋しさと安心感を感じた。俺の後の連中はほっとしてるように見えたし、気が抜けたようにも見えた。もしかしたら十二時すぎのシンデレラ気分でいるのかもな。はっきり言えることは、とにかく眠いこと、のろのろ歩いていたこと。この二つは間違いなかった。なんか冷蔵庫に入ってたなまものの子供たちが突然外に出て生暖かい街の空気にさらされてジクジクと腐っていきそうな感じだ。
 お盆の帰省から家に帰ったような、行楽地で過ごした後家に帰ったような、海水浴終わって家に帰ったような、とにかく疲れて我が家に戻った感覚で秘密マンションに帰ってきた。思わず「ただいま」って玄関開ける。何やらいい匂いがしてきた。エプロン姿の課長がフライパン持って立っていた。
 「お帰りなさい。お風呂にする?ご飯にする?それともアレにする?」
 志村けんのコントみたいな事言いやがって思わず笑ちまうだろうに。疲れた笑いをしてたら課長が「今日はお疲れさんでした。これで君たちの正式な始まりになったわけだ。今日はお祝いってことで、ご馳走作っておきました。ビールもたんまり有るから、とりあえず乾杯しよう。未成年もおかまいなしさ。」それからすぐに優しい宴が始まった。眠かったけどとにかく笑ってたな。何話したかも記憶に残らないどうってこと無い宴は、時間軸が狂ったまま明け方近くまで続いた。夏の早い朝が始まる頃窓から流れるひんやりした風を受けて僕らは深く長い眠りにとろけるチーズのように落ちていく。このまま眠り続けていつのまにやら世界が終わってもここにいる誰も文句は言えないだろう。それほど心地よい眠りだった。
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