第25話 朽ち果つ廃墟の片隅

文字数 12,673文字


不意に、ボーッとした視野が広がっているのに気付いた。そして、気付きた次の瞬間には、その視野のボヤけ具合が見る見るうちに改善されていく…という、これまた慣れ親しんだ感覚を覚えていたのだが、それと同時に、初めてでは無いにしろ、珍しく嗅覚まで反応を示すのにも気付いた。
…あ、油の匂いがする。
と単純な確認を、まだボーッとする頭の中で呟いたその時、今度は聴覚が働き始めた。
と同時に、これまた幼気な、しかしとてもうんざりしてそうな、呆れていそうな、そんな口調が耳に飛び込んできた。
「…っと?ちょっと?…ねぇ、ちょっとってばぁ!」
「え?」
と私が返したその瞬間、まだ朧げだった視界、嗅覚、聴力、そして頭の中に充満していたモヤが一気に晴れる様な心持ちになった。
と同時に、目の前でゆらゆらと”影”が上下に揺らめくのが見えたのだが、形から判断するに、目一杯広げられた手のひらの様だ。
「おーい、大丈夫ー?」
と口にしながら、今度はその主が急にその顔を私の眼前に持ってきた。体勢的に、下から顔を覗き込んでくる様な感じだった。

…と、何だかあやふやな表現になってしまったが、それも仕方ないだろう。
何故なら、”相変わらず”その主は、体全体が真っ黒…いや、”真っ暗”と言った方が正しい様な、そんなまさに”影”と言った様子を見せていたからだ。
しかし、そんな中でも、真っ暗なはずなのに、純白なAラインの半袖ワンピースを着ており、見覚えがあり過ぎる麦わら帽子を目深に被っているのが、しっかりと判断出来るのだった。
…ふふ、ここまでわざとらしく引き延ばす必要は無かっただろうが、そう、これは例の定期的に見る私の夢の中。
そして、私に不満げな様子で繰り返し声をかけてくるのは…そう、ナニカだった。

「え、えぇ…」と私はまだ覚束ない様子で間を埋める様に口にしたのだが、すぐその後で「ふふ、大丈夫よ」と自然と笑みを零しつつ続けて返した。
それを聞いたナニカは、一際影の度合いの強い顔の下部に、卵形の白い空間を浮かべつつ言った。
「もーう、急にどうしたのかと思ったよぉー。…急に黙りこくっちゃうしさー?」
とナニカはそう口にしながら、私の前を右左に数歩ずつ歩いていたが、ぱたっと私の真正面で足を止めると、先ほど私の顔を覗き込んで来た時の様に、腰を曲げて見せたが、その時とは違い、今回はその顔に三日月を浮かべつつ続けて言った。
「何をそんなに考え込んでたのー?」
「え?あ、いや…」
…ふふ、そっか。いや、今までそこまで考えてこなかったけど…ふふ、ナニカという夢の中で意思疎通のできる初めての他者が出来たお陰で、夢から醒めた後の自分が、どんな様子なのか、これで初めて分かったわ。…ふふ、何か考え込んでる様に見えるのね
と、ナニカからの質問には曖昧にしたままで、そう考えを巡らせつつ、ふとここで、今私がどこにいるのかを再確認する事にした。

…とは言っても、既に最初の方で油の匂いを認識出来た時点で、ここがどこかはすぐに分かっていた。
そう、塔…と言うには低すぎる、大体二階建て程の高さしか無い、言うなれば、中世のお城や城壁などから張り出して、上に向かっている小さな塔、監視や援護射撃する為に”本来は”建てられていた張り出し櫓、英語で言う所の”バルティザン”だった。
前回から引き続き、そのバルティザンの内部にいる訳だが、今いる部屋を見渡して見ると、まず目に付くのは”ごく一部を除いて”壁一面を占めている、漆が塗られているらしい焦げ茶色で統一された大量の甕だった。
壁はこの塔の形態上、仕方なしに上から見ると真円の形をしているのだが、そんな曲線しか無いというのに、上手くそれに沿って何段もある棚がぐるっと設置されており、その棚に隙間無く、床から天井までビッシリと甕で埋め尽くされていた。
…と、これは初めて見た時にも一瞬頭を過ぎったのだが、勿論具体的には全く違うのだが、パッと見同じ物で埋め尽くされている様子が、どこか宝箱を思い起こさせた。
だからという事もあるのだろうか、油の匂いで充満しているというのにも関わらず、咽せたりなど、息苦しくなるような心配には及ばなかった。
むしろ、そんな油の匂いから、種類は言うまでもなく全く違うというのに、また例の宝箱内に充満している、古本特有のほんのり甘い匂いを不思議と連想してしまうのだった。
とは言っても、そんな甕で全てが埋め尽くされている訳ではなく、実は何箇所か空間が空いていた。
これも前回同様、甕の無い壁にチラホラと、今も私が腰元に付けてるカンテラと同様に、この相変わらず灰色の濃淡しか色の無いモノトーンの世界で、珍しく柔らかな、見ていてホッとする様なオレンジ色の光を発するランタンが幾つか掛かっており、それらによって室内も薄暗い程度の照度を保っていた。
…ふふ、さっき甕が焦げ茶色と話したばかりだが、そう、この甕それ自体も、不思議と色を持っていたというのを付け加えさせて頂く。
と、ついでにはならないが、これは前回には触れていなかった中の一つに触れてみよう。
こんな不思議な空間でも、きちんと櫓の痕跡は残っており、たったの三箇所だが一応窓があった。
とはいっても、ガラスがある様なものでは無く、吹き抜けだ。サイズも一つを除いてそれほど大きくはない。
三つあるうちの、向かい合うように対面で設置された小さめの二つの窓からは、さっき私たちが歩いてきた回廊が見下ろせた。

「…あ、ちょっ」
と制しようとするナニカの声を流して、私は不意に無意識のままに、その中の一つ、大きな窓に向かった。
そして、窓の縁に両手をかけて外を眺めて見た。

相変わらず空には濃淡の差こそあれ、どんよりと立ち込める雲で占められた曇天模様の下、前回ナニカが教えてくれた”海”が眼下に広がっているのが見えた。
そしてその向こう、今日も靄だけは無く晴れているようで、私のいる”島”の対岸には、別の陸地が二つ見えていた。

片や現代的なビルとも見て取れる様な西洋風なお城と、それに準じた建物群、そしてもう片一方には、これまたいかにも東洋チックなお城…というか、どちらかというと宮殿に近い様な、まぁそんな細かいことはともかく、その建築物も西洋風の方のと同じくらいに天高く聳え立っており、それと同じ建築様式と見られる建物群がその周囲に乱立しているのがハッキリと見えた。

と、そんな景色を見惚れる様に眺めていたのだが、その時、
「ちょっとー?」
と、背後からまた不満そうな声が聞こえたので振り返ると、ナニカが腰に両手を当てて、足を大きく開きつつ仁王立ちでこちらを見ていた。
「もーう、さっきから何なのー?」
と呆れ声で話しかけてきたので、「ふふ、ごめんなさい」と私は苦笑しながら元の位置に戻った。

とまぁ、そうして前回までの復習というか、自分なりに身の回りの確認作業を粗方終えたのだが、最後の最後、むしろ一番大事な件については敢えて残しておいていた。
それというのは、私がこの夢の中での意識がハッキリしてからというものの、これまた前回と同様に、こちらに背中を向けて一心に何か作業を続けるローブ姿だった。
あれだけナニカと私が騒いでいたというのに、一切気付いていないかの様に何かに没頭していたのだが、しかしまぁそのお陰というか、こちらの方でも今まで話してきた様に、落ち着いて色々と再確認できたのだった。

ローブ姿は前回と同じ様に、棚から一つ取り出したらしい甕の前に立ち、その上から何か液体でも注ぎ入れいているのだろうか、先程来ではあったが『トク…トク…』という断続的な音が室内に響き渡り続けていた。

と、この時に初めて気付いたのだが、どうやらこのローブ姿の前に、この空間内では一番強めの光源があるらしく、結果的にその姿を包み込むかの様な、これまた柔らかげなオレンジの光が、四方に漏れ出ているのが見えていた。

その後ろ姿を、実際には一分も経っていなかっただろうが、何となしに眺めていたのだが、いつまでもそうしている訳にもいかず、私としては一番”再確認したかった”のが、このローブ姿だったのもあって、何とかしてこちらに気を持ってこよう…というより、どうしたら作業を自発的に止めてこちらに振り向くのか、あまり邪魔もしたく無かった私は、どうすれば良いのか一人頭を悩ませていた。

と、そんな様子を見ていたナニカはフッとまた、不意に呆れる余りに漏れたと言いたげに鼻で笑うと、顔をバッと勢いよくローブ姿に向けて口を開いた。
「…ほらぁー?まーた、いつまでそうやって没頭してるのよ?こっちは客人だよー?」
「あ、ちょ、ちょっと…」
と、あまりにも不躾なナニカの物言いに驚いてしまった私は、咄嗟に口を挟んだ。
「な、ナニカ…そんな言い方は…」
「えー?」
と、私のそんな不安げな調子にキョトン顔…って、実際には見えはしなかったのだが、まぁしかしそんな様子を見せていたナニカだったが、すぐに顔に三日月を浮かべると声を上げた。
と、そんな素っ惚けた反応をするナニカを眺めていたのだが、その時
「…え?あ、あぁー」
と声を漏らしながら、前回の最後には取っていたはずのフードを目深に被ったローブ姿は、ゆっくりとした動作でこちらに振り返った。
そして、止まるとすぐに、また両手をローブにかけると、これといって勿体ぶる事もせずに、サッと自然な調子で脱いだ。
その下から出てきた顔は、やはり…そう、見間違うはずなどない、私の知る本人と比べると、今いる場所の具合も影響されてるのだろう、表情が少し貧困だったり、影が全体的に射してる様に見えもするのだが、私と同じ様に、この世界の中では他に見たことのない、しっかりと現実世界と呼応している色合いを帯びた、正真正銘の義一のものだった。

「あ、あ…ぎ、義一さ…」
と私が思わず知らずに声をかけようとしたその時、クスッと小さく笑ったかと思うと、フードの男は私の隣で仁王立ちしているナニカに声をかけた。
「ふふ、ごめんごめん。いや…ね、そちらの客人が、何やら急に、さっきから真剣な面持ちで考え込み始めたものだから、僕としても折角の思索の邪魔をしてはいけないって思って、それで自分も作業を再開したところだったんだよ」
「…ふふ、いや別に、何もなんでそんな態度を取っていたのかの理由は聞いてなかったんだけど?」
とそのフード姿に対して、今度は腕を胸の前で組みつつ呆れた口調で返していたが、ふとこちらから見えたナニカの顔部分には、今回一番の大きな三日月が浮かんでいた。

と、この時の私はというと、途中から男が私に視線を流しつつ、目元をフッと緩めたかの様に見えたので、私の方では少しドキッとしつつも、しかし見慣れたその笑顔のおかげで緊張が解けていくのを自分でも覚えていた。

「もう…ふふ、大丈夫かな?」
と聴き慣れた声と口調で声をかけられた私は、咄嗟には応えられなかったのだが、「え、えぇ…」と戸惑いげではありつつも、しかしそれなりに自然を意識して返すことができた。
「あはは、そうかい?」
と私の返事を聞いた男は、ぱっと見ではジョウロにそっくりな、手に持っていた油差しを近くの棚に置くと、そのまた近くに掛かっていたタオルの様な物で一旦手を拭いてから、こちらに向かってゆっくりと近づいて来た。

と、ここでようやくというのか、男の立ち位置が変わったお陰で、その向こうにあった物が姿を現し、一気に辺りが明るくなった。
先ほど、男の向こうから、この空間内では一番強めな光が漏れてきていた点を述べておいていたが、今こうして光源の正体が露わとなった。
相変わらず色は灰色なので判断しづらいのだが、日干しレンガか石で土台を作り、粘土を塗り込み形を整えて作られて…いそうな、それは竈門だった。
形式としては、これまた曖昧な説明になってしまうのだが、江戸時代辺りの一般的な家屋の中にある様な物で、側面には燃料を投入するためと、燃え滓を掻き出すための口が設けられており、口は地面と同じ高さになっていた。
と、今し方、竈門自体は灰色で構成されていると話したばかりだったが、しかしやはりというか、その口から見える中で勢いよく燃えている炎の色は、ここまで上がってくるまでの階段の壁や、今いる空間の壁に掛けられている灯り、そして勿論、私の腰元で相変わらず同じ勢いで暖かな光を周囲に振りまいているカンテラの光と、全く同じ色合いを発しているのだった。
その竈門の上には、この部屋にある大量の甕と比べると若干小ぶりな大釜があった。
見た目はと言うと…ふふ、って我が夢のことながら笑ってしまうのだが、いかにも魔女などが使用する様な、ファンタジーな物だった。
それだけなら別にクスッと笑うほどの面白みはないだろうと思われるだろうが、先ほども触れた様に、竈門は典型的な日本式、そして上に乗っかるのはメルヘンな大釜という、そのアンバランスさ、その一貫性のなさ、それらが自分の頭の中で生み出されたという事実に自嘲気味に、しかし自虐的ではなく、気分的には気持ちよく実際に笑みを零していた。

「待たせてごめんね?」
と、私の位置から数メートル先に立った、義一にそっくりなその男は、立ち止まるなり声をかけてきた。
声音まで義一そのものだ。
そう言う照れ臭げな表情までが全く同じなのに気づいた私は、やはりと言うか、”まだ”少しだけ全身を強張らせていたのだったが、しかしその笑顔に絆されたのか、
「ふふ、いいえ、別にそんな」
と、こちらも笑みを控えめではあっても浮かべながら返した。
そんな私たちの様子を、すぐ側でナニカが交互に顔を向けつつ眺めていたが、どうやらニヤニヤしているらしい…ことが、”何故か”直接見てもいないというのに直感的に分かるのだった。

…が、この後は不思議と会話が続かなかった。
いや、本来なら、急に初対面同士で顔を合わせ”られた”のだから、すぐには会話が続かなくても可笑しくは無いと思いはするのだが、しかしやはり不思議と感じたのは、目の前の男が発する情報のせいだろう。

と、しばらく二人して顔を見合わせて愛想笑いを浮かべ合っていたその時、「…ふふ、もーう」と不意にナニカが笑み含みで口を挟んだ。
「焦ったいなぁー。二人して一体何なのー?」
と、真っ暗な中に、ほっそりとした真っ白い三日月を見せつつ言うのを見て、私と男は一旦顔を見合わせると、クスッとどちらからともなく笑い合った。
そして、その笑顔のまま男が口を開いた。
「あはは。いやぁ…ふふ、何せね、久しぶりに見たからさ?…”陰(イン)”を伴っている人をね」
「”陰”を…伴っている…」
と、顔はこちらに向けていたのだが、視線だけチラッとナニカの方に向けつつ話すので、私もそう呟きつつ横に顔を向けると、目深に被った麦わら帽子のせいで”表情”までは確認出来なかったが、それでも”ドヤ顔”でいるのは感じ取ることが出来た。
と同時に、
…あ、って事は…この男とナニカは、今回が実は初対面だったって事…なのかな?
と、ふと頭によぎった私は、それを聞こうか聞くまいか悩みつつ、顔は横に向けたまま、チラチラと横目で男の顔を窺っていた。
そんな様子を見ていたナニカは、一度大きくこれ見よがしに溜息を吐くと、口調もそれに合わせる形で話しかけてきた。
「…ふふ、ほら琴音ー?どうせあなたの事だから、質問したくて仕方ない事が、頭の中で渦巻いてるんでしょー?だったら…ふふ、”いつもの様に”質問をぶつけてみたら良いじゃない?…あなたは生粋の”何でちゃん”なんだから」
と、途中まではからかい調だったのが、最後の方で急に穏やかな柔らかい口調で言い終えると、「…何でちゃん?」と男が首を傾げつつ、しかし顔面には好奇心が全体に広がって出ているのが見えた。
…ふふ、そっか…この男は、私が”何でちゃん”なのを知らないのね
と、別にがっかりした訳ではなく、ただそう確認をしただけだが、それと同時に、ナニカの話し方のお陰もあるのだろうが、それらの事実を引っくるめて我知らずに益々緊張の糸が解けていった様で、「うるさいわねぇ…」と一応私なりの”礼儀”というのか、薄目がちにそうナニカに一言入れてから、顔をまた男に戻した。
「あの…し、質問しても…良い?」
と、そうは言ってもやはりというか、姿形や雰囲気など、五感に来る全てが、目の前の男を義一だと訴えかけてくるのだが、しかしこうして中身は厳密にはと留保をまだ付けて置きつつも、現時点では違うと分かった今は、あくまで他人として接せざるを得ず、こうして辿々しげな調子になってしまった。
そんな私の様子にどう思ったか、男はフッと顔を緩めるのと同時に微笑みつつ、「うん、良いよ」と返してきた。

それを受けて私は、「えぇっと…色々あるというか…」と独り口にしつつ、まず何から聞こうかと今いる空間内をグルッと見渡した。
大量の甕、鼻に入ってくる油の匂い、そして煌々と燃える炎が発する光が心地良い竈門、その上に乗る大釜、そして最後に…やはり一番気になる、義一似のフードの男と、順々に品定めをしていく様に目を配っていったのだが、ふと、そんな細かい話は取り敢えず後に置いとくとして、まず何よりも、一番大きな、マクロな点から攻める事にした。
「あ、あの…さ?細かい事ならキリが無いんだけれど…」
と私は一応そう一言を漏らしてから、一度また周囲を見渡しつつ続けて言った。
「それよりもまず…さ、そもそもこの”ゆ”…って、あ、いや、ここって一体どこなの…ってか、一体…何なの?」
『この夢って何なの?』と本当は口に出して聞こうとしたのだったが、何だか憚れて遠慮してしまい、結局はこの様な言い回しとなった。

まぁそれは置いとくとして…そう、何よりもまず、ここ一年以上不定期ではあるが見続けている、しかも一つ一つが内容的に全て繋がっているこの夢、この世界が一体全体何なのか…?これは見始めた頃からずっと抱き続けていた疑問中の疑問だったし、これに関しては、この夢の中で初めて口を聞いたナニカに聞くべき質問でもあったと思われるだろうが、これまた直感的に、仮に聞いたとしても、はぐらかされるのが”分かっていた”ので聞かずじまいだった。
なので、こうして折角質問をしてくれても良いと許可が下りたというのもあり、まずは何に置いてもコレを解消しない訳にはいかないと、良い機会だとまず口にしてみたのだった。

「あはは、『何なの?』って漠然と聞かれても…ねぇー?」
と案の定というか、想定通りにナニカが早速私の質問に茶々を入れながら、最後に顔を横に流したのだが、その先にいた男はというと、「ん、んー…」と苦笑交じりに声を漏らしていた。
だが、私がずっと視線を変わらずに飛ばし続けていると、「そうだなぁ…なんて説明すれば良いのか…」
と今度はアゴに手を当てつつ考えて見せていたその時、「…あ」
と何かを思いついた風な声を上げると、私には馴染み深い柔らかな笑みを浮かべた。
そして、男はおもむろに、大小三つあるうちの、小さな窓の一つに歩いて行った。
その様子を何となく眺めていたのだが、到着するなり男は振り返ると、
「ちょっと…良いかい?」
とこちらに向けて”おいでおいで”と片手をプラプラ動かしつつ言うので、「え、えぇ…」と私は少し戸惑いつつ返事をしてから、言われた通りに窓辺に近寄った。

私が到着するのと同時に、男は今度はもう片方の腕を窓の外に伸ばしたので、それに釣られる様にその先を私が眺めていると、話しかけてきた。
「…ふふ、質問に質問で返す様だけど、君が来たのは、あっちの方角からで合ってるかな?」
「え?えぇっと…」
と、確かに質問で返されるとは思っていなかったので、すぐには返せなかったが、しかし今見える、左手には海が広がってるのが見え、回廊を挟んで右手には切り立った岩肌があるのをすぐに確認出来た私は、
「え、えぇ。そう…よ」
と辿々しく答えた。
それを聞いた男は、「そっか」と小さく微笑みつつ返してきたが、フッと表情に明るさを取り戻したかと思うと、今度はこれまでの私の冒険…と言うほどでは無いのだが、これまでどんな経験をしてきたのか聞いてきたので、聞かれるままに私は、夢だというのに現実と同じレベルで鮮明に残る記憶を探りつつ、ツラツラと話していった。

話している間、私は窓の外に顔を向けていたのだが、その間ずっと、顔の側面に痛いほどの視線をしっかりと感じていた。
粗方話し終えて何気なく顔を横に向けると、そこには、興味深々と言いたげな顔つきで、目も爛々といった様子の男の表情があった。
その顔にはある種の迫力があったので、何も知らないでこんな風に見つめられたら引いてしまう人もいるのだろうが、そこは長い事、義一と付き合って来た私のこと、こんな表情も日常茶飯に見ていたので、むしろ懐かしさからくる安心感を覚えていた。

と、結果的に見つめ合う形となったのだが、しかしそれはものの一秒くらいだろう、男の方から表情を崩すと、「なるほどねぇ…」とまた独り言の様に呟き、その調子のまま続け様に話しかけてきた。
「それで…ふふ、また質問して悪いんだけれど…」
と男は照れ笑いを浮かべつつ言うので、私も慣れた調子で悪戯っぽく笑いながら聞き返した。
「えー…ふふ、もーう…何なの?」
と、義一に対するのと同じ調子で言ったのにも関わらず、その馴れ馴れしさに対して嫌悪感を一切見せるどころか、むしろその様子にニコッと男は笑ったのだが、しかしすぐにその笑みを元に戻すと、またボソッと小さく言った。
「ふふ、うん…君は、ここまで来る道すがら、どんな物を見たりして来たのか、経験談を話してくれたけれど…単刀直入に、どんな印象を持った?」
と言い終えたのと同時に、不意に体を寄せてきたので、その予期せぬ動きに一瞬ビクッとしたが、嫌悪感は覚えなかった。
むしろ居心地の良い暖かな心地を覚えていた。
何となく体温を感じられるほどに近かったのだが、同時に、今までナニカとそれなりに過ごしてきたはずなのに、この様な温もりは感じなかったのを思い出していた。

そんなことを思いつつ、「どんな…印象…?」と私が鸚鵡返しをした途端、「あはは、そりゃまた随分とフワフワした質問だねぇ」と背後から冷やかすナニカの声が聞こえたが、それはスルーしつつ、男の優しげな視線に見守られながら、馬鹿正直に、再びこれまで経験してきた一連の流れを反芻して見る事にした。

一番最初にいた、今思えば独房とも思える窓一つない正方形型の五畳間。
前触れもなく突如現れたカンテラに、同時に現れた油差しで充填した後、それと共に部屋の錆び付いた鉄の扉が開いて外に出て、四方八方どこまでも延々と広がる暗闇の中を歩いた事。
その途中で見つけた、全く同じ種類ではなかったが、私のとそっくりな火の消えたカンテラを側に、服を身に付けたまま倒れていた、白骨化した”死に屍”。
暗闇からやっとの事で出れた先の大広間、姿こそこの時はまだ見ていなかったが、得体の知れない気配に気付いた次の瞬間、隠れてやり過ごした事。
大広間から階段を上がって出た、太い列柱が所狭しと乱立していた礼拝堂で、実際に目にした、今目の前にいる男と同じ様な見た目のフードを身に付けた、異形としか言い様のない不気味な雰囲気を身に纏った者達の儀式を、ひっそりと遠目から眺めた事。
そして…その異形の者達が去った後で見たその祭壇にある、ありとあらゆる物のチープさにガッカリしたのと同時に感じた、虚しさからくる嫌悪感に近い感覚。
礼拝堂から階段を上り、ようやく外に出れたかと思えば、頭上に広がる曇天、相も変わらずモノトーンの色彩、この時に始まった事ではないが、例外なく見るからに、古びて、苔むし、ヒビ割れだらけのありとあらゆる建造物。
そして…出会ったナニカ。

と心の中で呟くのと同時に、後ろを振り返り見ると、「んー?」とナニカは首を傾げつつ、如何にも可愛げのある少女風な反応を示して見せた。
それを見た私はクスッと自然に笑みを零したが、特に話っかける事もなく、また元の位置に戻った。
そして、そんな長々と回想をまた一人で勝手にしていたというのに、それをジッと我慢して…いただろう、それでも一切の不満を顔に見せずに柔和な笑みを崩さないままの男の顔を一度見た私は、「うん…」と特に意味のない声を小さく発すると、顔を窓の外に戻しつつ口を開いた。
「まぁ…さっきも言った様に、例の異形のモノたちだとか色々と不思議な事ばかり経験してきたけれど…うん、何というかさ…感覚的な事でしか言えないんだけれど…」
「…ふふ、うん、それで良いから続けて言ってみて?」
と、これまた本当の義一ばりな合いの手を入れられた私は、自分でも不思議なくらいに心が落ち着いていくのを覚えながら先を続けて言った。
「う、うん。というのもね?んー…今さっき言った、異形の者達は実際のところ…うん、素直に言っちゃえば、得体が知れない所から、恐怖というか…単純に怖かったんだけれど、…これもチラッと触れたけれど、その後で見た祭壇画とかを見た瞬間に、そのー…妙な言い方かも知れないけれど、何だか…冷めちゃったの」
「冷めちゃった…か。それは…何でかな?」
「うん、何だかね、その異形の者達は、当然私は詳しい作法とかは知らないし、分からなかったんだけれど、それでもキチンと厳かにしている風だった…のね?だから、余程キチンとアレコレと儀式に伴う道具なり何なりも整えているのかと思っていたら…そんなボロボロな様子でしょ?」
「ボロボロ…」
と、こんな変哲も無い言葉を男が繰り返し言ったのに少し引っ掛かったが、話す事に熱くなっていた私は、そのまま先を続ける事にした。
「うん…それを見た瞬間にね、それまで見てきた物が全てチープに思えてきちゃって…ね?そのお陰で恐怖心は一気に消えたんだけど、それと同時に何というか…うん、虚しさに近い様な…うん、そんな感情に胸が占められちゃったの。…うん、暗闇の後で行き合った、パッと見では荘厳だった大広間だとか、礼拝堂とかも、思い返してみたらそこら中がヒビ割れだらけだったり、なのに一切の修復がされて無い様子だったし…うん」
とここまで話すと、一旦区切った私は、目の前に広がる風景を一度見渡してから続けて言った。
「…こうして外に出てからもさ、そのー…うん、それなりに立派というか、趣向を凝らして、ありとあらゆる物が作られている…のは分かるんだけれど…結局は、よく見ると、どれもこれもほっといたままなせいか、殆ど風化してる風にしか見えないし…うーん」
と、こうツラツラと話してきたのだが、ここに来てふと、今更ながら、長々と話してきた割には、自分でも何を言いたいのか、何を伝えたいのか、考えを纏めきれていないのに気付いた。
なので、こうして脈絡なく唸ってしまったのだが、しかし、もうここまできたら仕方ないと、無理やり纏めるべく、自嘲気味な笑みを浮かべつつではあったが最後の一押しを述べた。
「…どんな印象を持ったのかって質問の答えだけれど…うん、まぁ今残っている物を見る限りでは、昔…って、それがどれくらい昔かまでは知らないけれど、でも、それなりだったのは分かる。…うん、口幅ったい事言うようだけれど、それなりに豊かな文明…いや、文化を紡いできたというのはね」
「ふふ…うん」
と男が相槌代わりの、諦観が混じっているような苦笑を浮かべていたのが印象深かったが、私はそのまま先を続けた。
「うん…分かるんだけれど、今は…その残滓が辛うじて散見出来るだけで、むしろ中途半端に残ってるせいで見るも無残な…うん、醜態を晒している…なぁーってのが、印象…なんだけれど」
と、これもまた今更なのだが、自分でも中々にキツイ台詞を吐いてしまったと反省してしまったせいで、最後はこの様に弱々しげな口調となってしまった。
というのも、その世界というか中に住む当事者がここに”二名”いたからだ。

…とまぁ、普通ならそんな気遣い出来るのは当たり前すぎて、こうして改まって一々話すまでもないと思われるだろうが、そんな常識的な事も一応私でも出来るという点を触れておいて話を戻すとしよう。

そんな気を遣いながらも何とか話し終えた私が、恐る恐る窓の外から顔を横に向けると、そこには目を大きく見張った男の顔があった。
その表情からは、驚きに満ちた様子が見て取れたのだが、しかし私と目が合った次の瞬間、ニコッと目を細めたかと思うと、ゆっくりと口を開いた。
「…ふふ、そっかぁ…君”は”そうしっかりと見えて、キチンと気付けたんだねぇ」
「…え?」
と男がシミジミと言うので、そのあまりにも感慨深げな様子に思わず声を漏らしてしまったのだが、恐らくキョトン顔であるはずの私の顔へ向かって、スッと目を細めた後、男はそのまますぐには声を発せずに、ゆったりとした動作で窓の外に顔を向けた。
私も倣って顔を外に向けると、時を同じくして、男は独り言の調子のまま口を開いた。
「そっか…ふふ、それじゃあ、まぁ…君の質問にいよいよ答えようかな?」
とボソボソと、力も弱くそう呟いたのを聞いて、
「…うん、お願い」
と私が合いの手を入れつつ顔をまた横に向けると、男はニコッと目をぎゅっと瞑った後で、柔和な笑みの中に少し寂しげな表情を混ぜつつ、その目には慈愛に満ちた光を宿しながら、ゆっくりとした口調で続けて答えた。
「んー…ふふ、そうはいっても、コレが答えになってるかは微妙だけど…そう、君が言ってくれた様に、以前までのこの島は、それなりの多様な文化の花が咲き誇った、豊潤な島ではあった”よう”なんだけれど…」
…”よう”?
と、その言葉の響きから他人行儀な感じを受けた私だったが、それには突っ込まず、男の話す続きを待った。
と、男はここでまた窓の外に顔を向ける。
「…うん、見ての通り、さっきの君の言葉を借りれば、今では醜くその残滓を残しているだけの…」
と男はここで一旦区切ると、またこちらに顔を戻し、すっかり静寂に包まれたその表情を、ほんの数コンマ秒だけ向けてき続けていたが、その直後には、スッと寂しげな笑顔を浮かべつつ、口調も弱々しげではあったのだが、声のトーンを数段階落としつつ続けて言った。
「過去から連綿と受け継がれてきた、大切にして大事だったはずの物物が、いつからか、いつの間にやら誰にも顧みられる事なく打ち捨てられてしまい、その結果として、ガラクタとなってしまった其れ等で埋め尽くされた、ここは…『朽ち果つ廃墟』」
「朽ち果つ…廃墟…?」
と私が鸚鵡返しをすると、それを聞いた男は漸く顔の表情を若干緩めた。
そして不意に上体を軽く捻って背後の室内を眺めつつ、少しばかり愉快げに言うのだった。
「そう、ここは『朽ち果つ廃墟』、そして…ふふ、今僕たちがいるこの小さな塔は、その『片隅』という訳さ」

四巻に続く
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