第10話 義一 ② 後編

文字数 23,400文字

「終わりー」
と、本人は誤魔化してるつもりだろうが、見るからに照れ隠しにそう声を上げつつ、私たちの座るテーブルに戻ってきた。
「ふふ」と私がただ微笑む中、「オツカレー」と絵里が軽いノリで声をかけていた。
「ふふ、うん」と義一はそう照れ笑いで返すと、そのまま紅茶のお代わりを取ってくるというので、茶器を持ってそのままキッチンへと行ってしまった。
その間、私は取り敢えず今日取ったノートを見返しつつ、頭の中で反芻していたのだが、ふと視線を感じて顔を上げると、そこには、顔一面に苦笑を浮かべてこちらを見てきている絵里の姿があった。
目が合っても何も言わなかったが、それでもこれだけの付き合い、何をどう思っているのかは分かっているつもりだった私は、その苦笑に対して、さっきの義一のように、なんとなく照れ笑いで返すのだった。

義一が戻ってきて、また私と絵里のカップに淹れたての紅茶を注ぎ入れ、最後に自分のにも注ぎ終えて着席すると、絵里が態とらしく慇懃無礼な態度を取って見せつつ、義一の苦労を労うという建前で、また一度乾杯の音頭を取った。
それに合わせて、私たちも同じように乾杯の掛け声をあげるのだった。
最初のように一口分無言で味わうように飲み終えると、まず私が口火を切った。
「んー…しっかし、本当に義一さんといると、色んなことが学べるから嬉しいわ」
と、確かに今思い返せば中々に”恥ずい”台詞ではあったが、当時の私は、そのまま素直な気持ちのままにと、自然な笑みを浮かべつつそう言うと、
「あははは」と絵里が意地悪げに視線を流しつつ義一を見る中、「んー…ふふ」と義一は、今日一番に頭を乱暴に掻きつつ照れ笑いを浮かべるのだった。
「いやぁ…うん、ふふ、ありがとう」
と義一が答えてから紅茶を啜ると、絵里が何かを思い出した風な様子を見せて、表情はそのままに、顔は義一に向けたまま私に視線だけ流して言った。
「あはは。でもなぁ…昔もね、ほら、ギーさんってこんな調子だったからさ?良くからかいを含めて言ってたんだよ。…『ギーさん、そんなに色々と知ってるし、弁も立つんだから、あなた、政治家にはならないの?』ってね」
「…あー」
『確かに』と咄嗟に言われたが、瞬時にそれは良いアイデアだと思い、すぐに同意しようと思ったのだが、だがすぐに、普段からの義一のとの会話などを思い出し、同意するにしても留保をしなくちゃいけないと分かり、それで答えるのを渋っていると、「んー…」という、義一の唸り声に思考が遮られた。
まぁ予想通りの反応だったので、すぐに思考を切り上げて斜め隣に座る方を見ると、義一は満面の苦笑いを浮かべつつ口を開くところだった。
「まぁ…ふふ、その時にも言ったと思うけれどもね…うん、政治家になる気は、”今のような世の中、今のような政治体制の元では”なりたく無いし、んー…ふふ、そもそもなれないだろうけれどね」
と、言い終えると義一はニコッと目を瞑るように絵里に笑いかけていたが、私からすると、点々で囲った部分を、他よりも強調しつつ、それもゆったりと絞り出すように話した点が印象的だった。まぁ、この答えも、普段を知る者からすると、想像通りの想定内の答えだった。
「ねぇー、琴音ちゃん、この男は毎回こんな風な台詞で逃げるんだよぉ…。ふふ、まぁギーさんみたいな変人が、政治家に向いてるかどうか、本当になってしまったら、どんな悪い変化が起きてしまうのかって不安にならないでも無いけれど…」
「ふふ、悪い変化が前提なのかい」
と義一が苦笑いでツッコミを入れていたが、毎度の事だとそれには返さずに絵里は続けた。
「…うん、私個人としては、ギーさんが仮に政治家になって、しかもそのまま大臣クラスにでもなった、そんな時の日本は、少なくとも今の日本よりも面白いとは思うんだけれどもねぇー」
と絵里はふと、自覚があるかはともかく、私の目からすると、とても優しげな、柔らかな笑みを浮かべつつ義一の事を見ていた。
私もおそらく初めては小学生の頃だったと思うが、その頃に、今日の様な色々な興味深い、知的好奇心のくすぐられる話を聞かせて貰った後で、今絵里が聞いた様な事を聞いた事があった。それ以降は普通に返してくるのが流れだったが、初めて聞いた時の義一の表情は今でも覚えている。
何て言うのか…聞いた直後、義一は目をそれまでに見た事がないほどにまん丸に見開いてしばらく固まっていたが、その後で、スッと力の抜けた様な笑みを浮かべつつ、今絵里に返したのと同じ様な言葉で返すのだった。
もっと詳しい理由を聞きたかった私は、当然その直後にまた質問を続けようとしたのだが、その笑顔、そのどこか諦観の入った様な、寂しげな笑みが印象的すぎて、結局その当時の”なんでちゃん”は、引き下がる他になかったのだった。
この義一の答えの詳しい理由、まぁ今この現時点ではまだ本人の口から聞けてはいなかったが、それでも、義一との普段の会話、義一に借りてきた本、もっと言えば、いわゆる義一たちグループが考える保守思想家、保守主義者達の著作などを読んでいくうちに、その理由はすでに漠然とではあるが予想は付いていた。
なので、これまでしつこく聞く様な真似はしてこなかったのだが、実はこの話、後々で義一とは別の人物から、不意に触れられる事となるのだが、それはまた後の話だ。
さて、話が逸れたので戻すとしよう。
義一も絵里を見つめ返していたが、ちょうど私の位置からは顔が見えなかったので、どんな表情で返していたのか、それが見えなかったのは残念だった。
と、実際は数秒ほどだろうが、
「普段からアレだけ議員なり何なりを小馬鹿にしてるんだから、どんな理由でアレ、自分がなってみたら良いのに…」
と絵里は顔を切り替えて、横目で義一にジト目を向けつつ、私にはニヤケ面で、また一番初めに戻る様な堂々巡りな事を言うので、私も思わず、その内容も含めて自然と微笑み返していたが、その時、義一はまた一度ニコッとして
「まぁ…そもそもさ、絵里、今君が好意的に言ってくれたけれど、僕みたいにさ、自分でも変に口が回るなとは思うけれど、そんな思った事をそのまま話してしまう様な僕には、やっぱり…ふふ、失言が許されない様な職業は向いてないと思うなぁ」
と、一度溜めてから最後のセリフを吐いた瞬間、私と絵里は顔を見合わせると、その直後には「あははは」と明るい笑い声を上げるのだった。義一も一緒になって笑うのだった。

「でもなぁ…」
と一息ついた後、絵里は紅茶を啜りながら、字で埋まったホワイトボードを眺めつつ口を開いた。
「ギーさんは自分でそんな風に言ってたけれど、でも、さっきも言った様に、私みたいな一般人で門外漢だって、話がキチンとそれなりに違和感なく理解出来たけれどなぁ」
「うん、私も」
と私がすぐさま同意を示すと、「んー?」と絵里は、先ほど義一に向けていたニヤケ笑顔を、今度は私に向けてきつつ言った。
「琴音ちゃん、あなたは…一般人かなぁ?」
「ちょっとー、それってどういう意味ー?」
と少し膨れて見せながら返すと、「あはは」と絵里がまた明るく笑いかえす中、義一も「ふふ」と笑みを零しつつ口を開いた。
「ふふ、でもまぁ…うん、実はね、今度六月頭だと思うけれど、『国力・経済論』という本を出すんだけれどもね」
「うん」
「でね、さっきも言ったけど、その中の何章かが今のお金の話に終始してるんだけど、出版社の方でも面白がってくれてね?それで…」
とここまで言うと、何故か一度絵里の方にバツが悪そうな苦笑を浮かべて見せてから続けて言った。
「んー…それと同じ日にね、そのお金の話だけをもっと詳しく書いた本を、そのー…同時に出すんだよ」
「…え?」
「へぇー!」
と私が嬉しさの余りに、咄嗟にテンション高めに声を上げる中、当時は、絵里が戸惑いのあまりの声を漏らすのに気付かなかった。表情も少し暗めだ。
だが、そんな事を知る由もない私は、テンション高いままに義一に声をかけた。
「一度に二冊も出すのねー?良いなぁー…すっごく楽しみ!しかも、もう一冊は、要は今日の話をもう少し詳しく書いてあるのなんでしょ?」
「ふふ、そうだよ。題名も決まっていてね、『貨幣について』って、ふふ、そのまんまなんだけれど…。まぁ、流石に限られた時間内だったから、今の話だけでは誤解があるかも知れないから、…ふふ、良かったら、また次の、これには今僕が持ってる資料なり知識を全て入れ込んでるから、今度は二冊同時、しかも両方共にページ数も多いんだけれど…また貰ってくれる?」
「ふふ、もーう…そんな一々分かりきった質問をしてこなくて良いのに…。もちろん!是非ともまた頂戴ね?…ふふ、タダだから、義一さんの売り上げにはならないだろうけれど」
と、私が言うから…と恥を承知で言うが、最後のセリフを吐くと、義一もそれがすぐに分かって、それからは二人でニコニコと笑い合うのだった。
だが、一人、静かに黙って私たちの様子を眺めていた者がいた。言うまでもなく絵里だ。
ふと向かいの席で、一人真顔に近い顔つきをしている絵里に気づき、思わず心配げな声質で声を掛けたが、絵里は私のには応えず、そのままの表情で義一に声を掛けた。
「…何、ギーさん、六月に出すっていうのは、一冊だけじゃなくて、二冊出すっていうの…?」
「え?」
と、その余りにも真剣味の帯びた声音に、ハタから見てると押されている様に見える様子を見せていた。
私も私で自分の事のように、少し居心地の悪さを覚えていたのだが、同時に、今日宝箱に来たばかりの時の、絵里と義一のやりとりを思い出していたのだった。
そんな中、義一は、照れと決まりの悪さを同居させた様な、そんな笑みを浮かべつつ、頭を掻きながら答えた。
「え、あ、うん…まぁ…ね」
と、辿々しく返すのを聞くと、絵里は「はぁ……」と長く溜息を吐き、両肩を大きく落として見せて、それからその溜息の延長の様にまた言葉を続けた。
「もーう…今さっき来た時にも言ったけど、何もギーさん、あなたがそこまで色々とやる必要なんて無いじゃない…。いや、何度も言ってると思うけれど、別にあなたがやろうとしている事、それ自体には何の不満もないの。それには賛成なんだけれど…うーん…」
「…」
と、義一は黙って顔を絵里に向けながら聞いていたので、これまたさっきと同様に表情が確認出来なかったが、それとは逆に、絵里の表情はありありと見えたので、この間、ずっと絵里の方を眺めていた。
絵里は途中までは真剣味の顔つきだったが、途中から、自分でも何を話せばいいのか判らなくなって…というよりも、頭の中で言葉が余りにも多く現れすぎて、その中のどれを取り出したらいいのか、それに手間取ってる風に見えた。
…それだけ、今義一に対して、思い入れが強いあまりに言いたい事が沢山あるという事で、自分自身もそのような経験が何度かあったためか、その真意、もっと言えば、何で絵里がここまで義一に対して言いたい事が膨れ上がっているのか、具体的なことはともかく、何となくとはいえ裏を含む真意が垣間見えるようで、身勝手を承知で言えば、何だかとても絵里のそんな様子が『良いなぁ』と思うのだった。
それはともかく、絵里は何だかまだ混乱した風な様子を見せていたが、「…ふふ」と小さく笑みを零したかと思うと、義一がボソッと、語りかけるような調子で口を開いた。
「…ふふ、絵里、ありがとう…。そのー…ふふ、そこまで心配してくれて」
「…へ?」
と言われた瞬間、あからさまに呆気に取られた表情を浮かべていたが、その直後には、こちらからも分かるほどにアタフタと動揺して見せつつ、
「え!?あ、いや、そんな、し、心配なんか、べ、別に…」
と慌てふためいて答えていたが、そんな様子を眺めていた義一は突然
「あははは!」
と今日一番の明るい笑い声を上げた。まるで場の空気を一度入れ替えるための様にだ。
余りに底抜けな笑い方だったので、流石の私も一瞬あっけに取られたが、釣られてというのか、私も一緒になって思わず笑ってしまうのだった。
そんな私たちの様子を、これまた鳩が豆鉄砲を食ったような顔つきの絵里だったが、フッと一度息を吐くと、それと同時にさっきまでの動揺もみるみる引いて、最後は一緒になって笑い合うのだった。

この笑いもひと段落つくと、何やらある事を思いついた風な表情を見せて、義一が愉快げに口を開いた。
「まぁ、さっきの話に戻るわけじゃないけれど、絵里、君はそうやって理解出来たって言ってくれたけれど…」
「えぇ、それは事実だよ。…ギーさん相手で癪だけど」
とすっかり調子を取り戻した絵里がニヤケ面で軽口を返すので「ふふふ」と私も紅茶をつけるところだというのに笑ってしまった。
義一も笑みを浮かべはしたが、それには取り合わずに言葉を続けた。
「ふふ…まぁ実際は、この二冊を出しても、さっき僕自身が自分で言ったけど、余りにも社会通念からかけ離れた、真反対の内容だから、そのー…多分バッシングされると思うんだよね」
「…え?」
と、さも愉快だと言いたげな様子で何気なく言うので、聞き逃しそうになったが、しかし、内容が内容だけに、聞き捨てならず、しかし咄嗟に返しも思いつけなかった私は、ただそう漏らすのみだった。
それとは反対に、義一はますます愉快さ加減を強めつつ口を開いた。
「今からでも、すぐに経済学者だとか、政治家から官僚の様な政策を運営する実務者たち、彼らの様なお偉い先生方から猛反発を受けると思うんだ。というのもね、さっき僕が話した説というのは、繰り返しになるけど、別に真新しいものじゃなくて、今だに立派だと尊敬されている過去の経済学者たちが言っていたことを繰り返してるだけなんだけれど、これを言った瞬間にバッシングされるのは目に見えてるんだ」
「それは…」
と、もうこの時点で大体今日の話からも、そしてこれまでの宝箱での話、雑誌オーソドックス内の話などなど、挙げればきりが無いが、その言葉の真意はすぐに察せれたつもりだったが、それでもこう聞くのが筋だろうと思い続けて聞いた。
「またどういう訳なの?」
「ふふ、それはね…」
と、この宝箱内ではすっかり様式美と化してしまっているが、私、それにおそらく義一もだろう、それに対して飽きてるだとかそういった感情は持たず、それを証拠に、何も気にする様子を見せないまま義一は答えた。
「まぁ理由というか、二つ挙げられると思うんだよ。
まず一つ目はね…『デフレなのに、歳出削減や増税を唱え続けて、二十年も国民に忍苦と困苦を強いてきたのに、今更、財政危機ではありませんでしただなんて…言えない』」
「あー…んー…」
と、セリフの内容自体には、全く納得というか飲み込めるようなものではなく、ただただイラつくだけの事だったが、しかし確かに、そんな事を考えて、そして実際に言いそうだと容易に想像が出来た。
それは絵里も同じだったようで、私と同じように不満げな声を漏らすと、それを何だか嬉しげに眺めてから先を続けた。
「ふふ、で後もう一つ、んー…ふふ、『貸し出しイコール預金という、信用創造の基本、もっと言えば、資本主義の基本を知らなかっただなんて…今更言えない』」
「…」
もう呆れすぎて声を漏らす事すら出来なかったが、その反応も想定内だと言いたげに、義一も呆れ笑いというか、諦め笑いを浮かべつつ続けて言った。
「まぁ要はね、アンデルセンの有名な童話の一つに、『裸の王様』っていうのがあるけど、僕の論…っていや、昔の有名な経済学者はきちんと理解していた”お金の話”をね、自分は知らない、もしくは嘘をついて誤魔化してきた訳だから、今更『王様って実は服着てないよね?裸だよね?』ってバラされるのが嫌で嫌で仕方ないと思うんだよ」
「あー…裸の王様か、まさにそうだね」
と私がすぐに同意してみせると、その後を継ぐように絵里も乗っかってきた。
「裸の王様が、ここ最近…って、詳しく無いからいつからなのかは知らないけど、その経済学…だけじゃなく、その周辺全体って意味なのね?」
「そう!二人とも大正解!」
と義一が明るくそう言い放つと、すぐにそのテンションを少し抑えつつ話を続けた。
「まぁ、えぇっと…話をググっと戻して、琴音ちゃん、君には何度も話してはきたと思うし、それに、例の数寄屋に何度か来て貰った時に、神谷先生を始めとする皆が同じ様な事を話していたから分かると思うけど、今の、保守の立場から見た、大衆化が著しい世の中で、どう考えても、何度考えても正しいとしか思われない、思えない点について、そんな裸の王様たちにバッシングされるっていう事は、それは寧ろ喜ばしいというか、それだけで、自分たちが間違っていないんだなって確認出来るって意味もあるんだ」
「…あー」
と私は、今さっきもチラッと触れたが、その時を思い出したのと同時に、初めて数寄屋に行った時の、神谷さんとの議論の内容を思い返していた。
義一は続ける。
「ってまぁ、そういう考え方を、まぁ他を巻き込む事は無いのか…ふふ、僕に限って言えば、まぁ持ってるからね、んー…ふふ、変に聞こえるかもだけど、だから、敢えてバッシングをされたいが為に、今回の本を出したいと思ったりもしたんだ」
と言い終えた直後、ここでダメ押しというか、普段はまず見せないウィンクを戯けてしてきたので、すっかりまたこちらの緊張…というか、絵里が言うところの心配が少しばかり薄れて、これまた釣られてというか、クスッと一度笑ってから
「…ふふ、確かに変な動機だね。…義一さんらしい」
と言い終えて、ウィンクのお返しとばかりに、目をギュッと瞑って見せると、「あはは、間違いない!」と絵里もすぐに乗っかってきた。
その後で今度は絵里と二人で「ねぇー?」
などといった軽いノリ同士で合わせていたが、そんな様子を義一はただただ微笑ましげに眺めてくるのみだった。
「あはは。…っと、そうだ、話ついでというか…琴音ちゃん?」
「ん?なに?」
「あのさ…ちょっとメモ代わりというか、君のノートを少しくれないかな?」
と聞いてきたので、「うん、いいよ」と考える間も無く、快く、先ほどから出しっ放しにしていたノートの一番最後を開くと、ビリビリっと一枚破って渡した。
これはたまに、こんなやり取りが過去にもあったので、何の躊躇もなく破ることができた。
まぁ…もちろん初めは、書斎机の上にメモ用紙があるのに、何で私から貰うのかと質問したのは言うまでも無いけれど。
…って、そんなどーでもいい事は兎も角、ついでに義一がペンまで貸してと言ってきたので、それも快く応じて貸してあげた。
義一はこの二つの品物をお礼を言いつつ受け取ると、何やら切れ端に字を書き始めた。
当然私はその手元を覗き込む様に眺めていたが、チラッと視線を上げると、絵里も同じ様に、興味深げに眺めていた。
と、すぐに書き終えた義一は、書いた字が私たち二人に見える様な感じで見せてきた。
見るとそこには、『センメルヴェイス反射』と書かれていた。
これを見た瞬間、記憶を浚ってみたが、特に検索にヒットしなかった。どうやら聞き覚えのない名前だった。
それは絵里も同じだったらしく、私を出し抜いて、早速義一に問いかけ始めた。
「んー…?センメル…ナントカって、何これ?何かの技名?」
と聞くと、「センメルヴェイスね」と義一は苦笑まじりにツッコミ風で返した。
「まぁ…技というのは、近からず遠からずって感じかな?」と一度ニコッと子供っぽく笑ったかと思うと、私と絵里へ交互に視線を配ってから話し始めた。
「センメルヴェイス反射っていうのはね、まぁいわゆる、んー…心理学でいいと思うけど、その付近でよく使われている用語でね、通説にそぐわない新事実を拒絶する傾向、常識から説明できない事実を受け入れがたい傾向のことを指すんだ」
「…あぁ、なるほど」
と直後に合点がいった私は、すぐさま相槌を打った。
「要は、まだ分からないけれど、あなたが自分で言ってた、バッシングを受ける云々に関係してるのね?」
と言うと、義一はまた、先ほどのと同じ愉快笑いを浮かべつつ先を続けた。
「そう!そういう事だね。ふふ、だから今から話すコレも、例の如くというか、二冊同時に出すうちの一冊の『貨幣について』の後書きにね、書いたんだけれど…」
「うん」
と、間を埋める為というか、とりあえずそう返しつつ、過去の義一の本を思い返していた。
というのも、義一は過去に今二冊出しているのだったが、その二冊共に後書きがあり、そこには、この様なある種の逸話というか、その本の内容に即した、関連した話を挿し込んでいたのだった。以前に少し触れた通りだ。
「でね、このセンメルヴェイス反射の”センメルヴェイス”というのは実在した人名でね、その名も『センメルヴェイス・イグナーツ』、1818年に生まれたハンガリーの人でね、お医者さんなんだ」
「へぇ…医者…」
と、この時私は瞬時にお父さんを連想した。
まぁ、どうでも良いけど。
「そう。少し先にネタバレ的なことを話すとね、今では誰もが知ってる、手洗いなどの簡単なのも含めた消毒法、院内感染予防に関しての先駆者とされているんだ」
「へー」
「この人はハンガリーで生まれたんだけど、医師の勉強をした後は、当時のウィーン総合病院の、今でいう産婦人科で勤めていたんだ」
「へぇ、産婦人科医なの」
と今度は絵里が相槌を打つ。
「心理学用語の元なのに」
「ふふ、まぁね。それはでも後々で話が分かってくるから、もう少し辛抱してね?」
「はーい」
「…ふふ」
「よろしい。…ふふ、でね、当時一九世紀に問題になってた事があってね、それというのは…産褥熱だったんだ」
「さ、さんじょくねつ…?」
「うん、そう、えぇっと…」
と義一は、早速、毎度の様に切れ端に漢字で書いてくれた。
「まぁこう漢字で書くんだけれど、そもそも産褥っていうのはね?んー…男の僕がいうのは少し気がひけるんだけれど…まぁいっか、妊娠、分娩によって持たされた母体への変化が、妊娠前の状態に戻るまでの期間を言うんだ」
「へぇ…私、妊娠した事無いから、知らなかったわ」
と、絵里が本気か冗談か分かり辛い感じで言うので、少し義一も側から見てると困り気味な風だったが、そのまま話を続けた。
「ふふ、でね、後は読んで字の如くで、要は出産した後で、熱を出して死ぬという病気が流行ってたらしいんだけれど、でも、自宅分娩だとか、同じ病棟で助産婦さんが行う場合と、彼の様な医師が行う場合とでは、その産褥熱の発生率が十倍も違うことに気づいて、疑問に思って研究を始めたんだ」
「へぇ、産婆さんの方はお母さん死んでないんだね」
「そう、まぁ死亡率が格段に低かったらしい。でね、この原因を明らかにしようと分娩後に死亡した遺体の解剖を行っていた最中の1847年、友人の法医学者が産褥熱により死亡した検体解剖を学生らに指導していた時にね、誤ってメスで指に切り傷を創ってしまうんだけど、そのまま解剖を行った後日、産褥熱と似た症状で死亡してしまったんだ」
「あらら…」
「この経緯からね、彼は目には見えないけれど、臭いでしか確認が出来ない死体の破片か何かが医者の手に付いている事が、死因じゃないかって考えたんだ」
「うん、なるほど」
「まだ当時はね、病原菌などの概念がまだ無かった為にね、こんな結論になったんだ。まだこの時は、近代細菌学の開祖と呼ばれる事となるパスツールの研究が出る前だったからね」
「あー」
「でね、彼はそこで色々と試行錯誤を繰り返してね、臭いが原因のわかるツールだと考えていたから、脱臭作用のある塩素水で手を洗うことにしたんだ。そしたらね…見事に、産褥熱の死亡者が激減することになるんだ」
「へぇー」
と、これまた毎度のことではあるが、相変わらずのボキャブラリーの無い声を漏らしてから、
「それは良かったねぇー。このー…センメル…ヴェイス?だっけ?お母さんたちを救ったという点で、大手柄だね」
と私がテンション高めに返したのだが、それとは反対に、先ほどまで明るく話していたのに、ここにきて、見るからに少し表情を曇らせつつ、しかし笑みを絶やさない様にしたためか、苦笑まじりに先を続けて話した。
「まぁねー、ここで終わればただの美談で終わるんだけれど…」
と義一が、ふとここでトントンとノートの切れ端に書かれた用語の上を叩いて見せた。
それを見た瞬間、「あ…」と思わず声を漏らしたが、義一は少し笑みの度合いを強めつつつ続けて話した。
「んー…話を戻すと、産褥熱による死亡は激減したんだけれど、でも当時の学会では受け入れられなかったんだ。有り体に言ってしまえば、無視されたんだね」
「…え?」
と、私と絵里は顔を見合わせつつ声を漏らした。
そして、今度は私が真っ先に「なんで…?」を続けて声をかけると、義一はやれやれと言いたげな表情のまま答えて言った。
「まぁ、今風に言えば、産褥熱の原因だったのは、医者たちの手に細菌が付いていて、その付いたままの手で施術をしてたからってのは分かったよね?
んー…でもね、これってはっきり言ってしまえば、これを認めてしまうって事は、医者たちは素手で大勢の母子を殺していたってことになっちゃう…」
「あ…」
「それで、主流派の医師たちは、センメルヴェイスの意見を受け入れられなくて、一斉に無視を決め込んだんだ」
「ひどい…」と絵里が思わずと言った調子で、暗く漏らす中、「あぁ…」と代わりというわけでは無いが、私も声の表情を暗くして言った。
「なるほど…義一さん、あなたが言いたかったのは、そのセンメルヴェイスが自分と言いたくて、その周りの主流派の医師たちが、今でいうところの主流派の経済学者、その周辺の人たちって事なのね?」
それを聞き終えると、義一は例の照れた時の癖をしつつ、苦虫を噛んだような顔つきで答えた。
「ま、まぁ…ね。まぁ、僕程度が彼と並べるのはちょっと悪い気がするけど、でも、まぁ自分でも書いちゃったし、まぁ気持ちの上ではそうだね」
と、何だか言い訳がまし過ぎて、『まぁ』の連呼もあり、わけ分からない感じの内容になっていたが、それからはすぐに元の様子に戻ると先を続けた。
「センメルヴェイスはこれで母子が助かるのが研究や実績から分かっていたから、無視され続けても何とか理解してもらえるよう、何とか自分の理論を受け入れてもらえるように頑張るんだけれど、結局受け入れられずに、所属していたウィーン総合病院の助教の任期も切れたというんで、母国のハンガリーに帰るんだ」
「…」
「するとね」
と義一はここでますます”諦め笑い”を強めつつ先を続けた。
「彼流の消毒法を施していた、センメルヴェイスが在籍していた時には産褥熱による妊婦の死亡率が3%だったんだけれど、彼が除籍された後には消毒法が導入される以前の30%にまで戻ってしまったんだ」
「…」
もうただただ、絵里も漏らしていたが、酷い話に胸がズキッと痛むばかりだったが、少し不謹慎だと思いつつも、話の内容が面白く、同時に聞き入っていた。
「このような相関関係に気づいたセンメルヴェイスもね、自身が過去に多くの妊婦らを死に至らしめていた事実に気づいていたから、罪の意識に苛まれ続けたんだ」
「うん…」
「そんな動機もあったと思う…。それで、彼は無視され続けていても、消毒が産褥熱を激減させることを啓蒙しようと数々の病院を回ったけど、さっき言った理由で、結局は門前払いに終わって、終いには、医学会もセンメルヴェイスを危険人物扱いにしていたんだ」
「ひどい…」
と今度は私がボソッと呟いた。絵里はというと、さっきからずっと、今話しながらも義一が書き込んでいたメモに目を落とし、静かに黙って聞いていた。
「でもね、まだこのセンメルヴェイスって人は諦めきれずにね、1860年に一冊の本を出すんだね」
「あ…」
と、またしてもすぐに思い至ったが、しかしここでまた突っ込むのは無粋にも程があると思い、そのまま話の続きを待った。これを聞いた瞬間は、どこか光明というか、そんなものが見えた心持だったが、すぐに気のせいだったと思い知らされた。
義一は続ける。
「その本というのはね、今まで無視してきた論敵をはじめとする、医学界全体に対してボロクソに書きまくるんだけれど、その5年後の1865年、とあるウィーンの皮膚病学者に率いられた医師の集団が、嘘の説明でセンメルヴェイスを精神療養所施設に呼び出すんだ」
「え…」
「センメルヴェイスは異変に気づいて逃亡を計ったんだけど、その時に施設の監視人集団から殴打を受けてね、その時の負傷が元になり同施設で…死ぬ事となるんだ」
と義一が最後に一度溜めたのもあり、その効果も手伝って、それからしばらくは誰も口を開くものはいなかった。
勿論、これが悲劇の話だというのが大きかったのだが、それより何よりも、義一が何故今この人の話をし出したのか、その意図がありありと分かったからでもあった。
重たい空気の中、チラッと視線だけあげて、テーブルの向こうを見ると、絵里も顔面が、蒼白とまでは言わなくとも、すっかり重たい影が差し込んでいた。
と、そんな空気が流れていたのだが、義一はフッと短く息を吐いたかと思うと、途端に先程までとは大分違う明るさを声に現わしつつ口を開いた。
「まぁのちになって、スイスの雑誌に発表した論文がイギリスのとある外科医の目に止まって、そこから手を消毒する事で細菌感染を予防するという消毒法がもたらされる事となったんだ」
「遅すぎるよ…」
と絵里がボソッと暗い顔で呟いたが、それを見てでは無いだろうが、何だかここからまた、何故が義一は愉快な調子を取り戻しつつ口を開いた。
「だからまぁ…ふふ、いくら事実、抗えようの無い真実だとしても、それが社会通念、通説にそぐわない話は、今も昔も黙殺されるか、こうして一斉にリンチに遭うか、まぁそんなものなんだねぇ。だから…そう、僕はまだこれから本を出す段階だから、彼が辿った運命で言うところの、無視されて怒りに怒って出した本の段階かなー?」
と一番最後で明るさが頂点を極めていたが、そんな義一とは対照的に、見るからに絵里が不機嫌な顔つきを全面に浮かべ始めていた。私はというと、先ほども言ったように、想像通りの言葉を本人から聞いたので、実際に聞いたせいか思ったよりもダメージはデカかったが、それでも苦笑を浮かべるくらいの余裕はあった。
と、そんな向こう側の顔つきを眺めていると、絵里は静かに、しかしあからさまに怒りを声に滲ませつつ義一に声をかけた。
「ギーさん…いくらなんでも、今みたいな話を、そんな面白そう…というか、愉快げに話すのは、どうなのよ…」
「え?」
と、まだ笑顔が引いていなかったが、さもそんな絵里の反応が想定外だと言わんばかりに驚いて見せていた。
だが、長年の付き合いのお陰か、義一のそれは、ただの誤魔化しのためだというのはすぐに分かった。
それを恐らく絵里も分かるのだろう、そんな態度を取られたせいか、声音は静かなままだったが、ますます怒りを滲ませつつ続けて言った。
「ギーさん…あなた、琴音ちゃんが大事、大事と何度も繰り返し言ってきたよね?」
「う、うん…」
「…」
なかなかに本人の私としては、恥ずかしい事この上なかったが、それでも、真剣に真面目に絵里の言葉に注目しようと努力した。
「ギーさん…あなた、自分で何を話しているのか、自分で話している分、分からないはずないでしょ…?それに、あなたほどに、その…人の心の動き、気持ちの変動に、敏感な、敏感すぎるそんなあなたが、しかも”私”みたいな他人なんかではなく、…琴音ちゃんの事だったら、ますますわかりそうなものじゃない…」
「…」
「…」
と私は少し俯きつつ、絵里の言葉を聞きながら、一人呑気に、ふと絵里の学園時代の先輩である女優の有希がいる時に遊びに行った中で、絵里が義一の名前を出しはしなかったが、今触れたような内容を話していた事を思い出していた。
勿論、絵里特有の、私、それに…義一を含む私たち二人に対する、あの件がすっかり知られるようになって以来ずっと変わらない、尋常ならぬ気の使いようも、こんな時だというのに、相変わらず変化がない事に喜びを覚えつつ、しっかりと自分なりに真摯に受け止めていた。
「な、なんで…」
とそんな中、ふと絵里の声が震えだしたので、ビックリして顔を上げると、絵里は怒ったような表情を浮かべていた。
…という表現をしたのは、実際に怒りに駆られた為の表情というよりも、んー…我ながらコレを言うのは無粋なのははっきりと自覚しつつも、それでも言えば、何とか泣きそうになるのを堪える、そんな表情に見えたのだった。
「え、絵里…さん…」
と私は驚きつつ、思わず小声で声を掛けると、絵里はチラッとその潤んだ目でこちらを見はしたが、すぐに視線を強く義一に戻した。
それを受けた、そして、今まで絵里の話を聞いてきた義一は、途中からずっと腕を組み目を瞑り黙って聞いていたのだが、どれ程経ってだろうか、ゆっくりと目を開けたあと、腕も解くと、真後ろに位置していた書斎机の上に無造作に置かれた箱ティッシュを丸々手に取ると、それを絵里にゆったりと差し出した。
不意に動作を見せたので、この時に私は義一を見たのだが、その顔には、ごくたまに私に向けてくれる、あの柔和な、何とも言えない慈しみに溢れた仄かな笑みを浮かべて絵里を見ていた。
そんな表情を向けられても、何だか憤ったような表情は緩めなかったが、それには気を止めずに、静かに、しかし声も顔に合わせた感じで口を開いた。
「…ふふ、まったく絵里…君って人は…。僕らの事となると、まるで琴音ちゃんみたいに、そんな我が事のように泣くほど感じちゃうんだからなぁ…はい、ティッシュ」
「な、泣いてないわ…」
と言いつつ、差し出された箱を受け取ると、「ありがとう…」と小声で言い、中から何枚かティッシュを取り出すと、それで目元、鼻の下をスッと摩るように軽く拭っていた。
「それに…」
とそんな動作をしつつ、チラッと私に視線を向けて続けて言った。
「別に私は、あ、あなたのことを、そのー…し、心配してじゃないの…。あくまで、琴音ちゃんが心配だからなんだから…」
と、あなたのところで何となく、こんな様子の中でも照れを滲ませているように見えた…のは、私の先入観のせいかもしれないが、そんな様子が見えた気がしたので、こんな空気の中ではアレだと思ったが、フッと口元だけ小さく緩めてしまうのだった。
「ふふ…ハイハイ」
と、義一はまるで幼子をあやすような声音を使って、絵里から箱ティッシュを受け取ると、また腰をひねって真後ろの机の上にそれを戻した。
そして体勢を戻すと、チラッと私に視線を配り、ちょうどそのまま目が合うと、義一は先ほどから続けている例の笑みのままニコッと笑い、そして視線はそのままに口を開いた。
「絵里…ふふ、琴音ちゃんは、こんな話を僕から聞いても…大丈夫だよ。…ね?」
「…え?」
と、ここでそんな風に話を振られるとは思わなかったので、その意味で少し戸惑ってしまったが、しかし、その聞かれている内容それ自体は、その意図も含めて瞬時に理解したので
「…うん」
とだけ小さな声で返した。
そんな義一、そして私の返答が気に入らないと、口にせずともその表情でありありと分かるような顔つきを見せつつ、絵里がまだ怒りを静かに残したまま言った。
「大丈夫って…そりゃ、琴音ちゃんは、ギーさんにそんな風に聞かれたら、そんな風にしか答えられないでしょ…?それはギーさん…ちょっと卑怯だと思う…」
「…え?」
と義一はこれまた小さく返したが、不思議と…と私はこの時思ったのだが、何だかこの短い声の中に、絵里とは比べ物にならない程度だったが、それでもほんの小さな苛立ちが見えるかのようだった。
義一は一度フッと小さく息を吐くと、少し声のトーンを落としつつ口を開いた。
「…絵里、今の言葉は少し聞き捨てならないなぁ…どこが卑怯なんだい?」
「あ、いや、だって、それは…」
と、少し絵里としても意外な反応だったのか、若干あたふたとしていたが、しかしすぐに体勢を取り戻して反論しようとしたその時、義一が絵里の顔近くまで左腕を伸ばして制した。
それは効果があったようで、実際に絵里はその先を言うのを取りやめた。
それを確認した義一は、その左腕を下ろすと、また一度短く息を吐き、ここで何故か私に視線を流しつつ口をまた開いた。
「いや…絵里が言いたい事は分かるつもりなんだよ。…これでもね?でもね…いや、僕が言いたかったのはね、僕に関する事じゃないんだ」
「え、それって…」
「うん、僕が絵里に言いたかったのはね?…ふふ、琴音ちゃんは、別に僕になんて言われようが、しっかりと自分の意見を持ってハッキリと言い返せる、誰が何を言おうが、その人にどんな偉そうな肩書きがついてようが、もしくはついてまいが、その言葉の内容自体に違和があったり納得がいかなかったら、ハッキリと『ノー』と言える…そんな、この歳にしてしっかりと”自律”している”女性”なんだよ。それを…ふふ、あまりにも君自身が見くびった言い方をしたもんだから、ついつい言い返しちゃったんだ」
「…え?…え!?あ、いや、そんなつもりなんか!?…ん、んー…そのー…」
と、義一の言葉を受けた瞬間、先とはまた別の意味で周章狼狽しつつ私を見てきたが、それとはまた別に、私は私で義一の言葉に狼狽していた。
な、なんて言葉を本人を前にして吐くんだこの人は…。久々にここまで場を同じくして言われたけれど、…もーう、一体どんな顔をしたら良いのよ…
と、鏡などを見ずとも、自分でも分かるほどに顔が真っ赤っかに火照っていくのが分かった。
と、ここでふと、義一はもともと静かにしていたので違和感は無かったが、ふともう一人の声がいつの間にやら静かになっているのに気づいて、ゆっくりと顔を上げると、なんと二人共がこちらに視線を向けていた。
その両方共が、見開くというほどでは無かったが、それでも常時よりも何だか目を大きくして見てきていた。
だが、私と視線が合うと、その直後には、義一と絵里は二人して今度は顔を見合わせると、どちらからともなく力を抜くように柔らかな笑みを見せ合うのだった。
何だか一気に空気も柔らかくなるのを感じて、私自身も合わせて息が楽になったが、それと同時に、どこか一人納得いかなかったのは言うまでもない。
だがまぁ、これもある意味毎度通りなので、この時ばかりは甘んじて受け入れてあげる事にした。

みんな無言ではあったが、それなりに居心地の良い空気がしばらく流れたが、ふと義一が、一口紅茶に口を付けてから絵里に柔らかく話しかけた。
「まぁー…なんだろ、こんな風に変に間を持って話す内容でもないんだけれど、んー…絵里、君にも何度か話したことがあったけど、僕がね…」
と義一はここで一瞬間を取ると、私の方にチラッと視線を向けて、そしてニッコリと小さく微笑んで見せてから、また視線を絵里に戻した。
「んー…ふふ、僕は再三言ってきた様に、まずね、一つの基準として、そうだなぁ…これに括る事は本来はそんなに意味ないとは思いつつも、それでもまぁ言えばね、今僕が言った様な、自分をセンメルヴェイスと関連づけて話す様な事ってね、もしも、少なくとも十代のうちに、十九世紀みたいな近代との葛藤に苦しみ悩み続けていた作家たちの書いた、本なり小説なりを読んだ様な、それだけじゃなく、しっかりとその葛藤に共感して血肉に出来た人ならね、変に表面上の薄っぺらな世間に通用している倫理観には囚われる事なく、ただ自然と、ただ現実のものとして、冷静に受け止められると思うんだ。『まぁ、世の中…特に、ここ二百年ばかりの、善悪の判断基準とか、そんな価値観、価値基準が流れ出てしまったような、薄っぺらくなった近代の中では良くある出来事だよなぁ…』ってね?」
「…」
今義一が話した事には、自身も言っていたが、もう何度となく、それこそ小学5年生の時に再会した直後あたりから、延々と、それこそ最も大事な話として聞かされてきて、そしてその度に自分なりに心底納得いっていた内容だったので、すぐに同意の相槌を打ちたくなったが、しかしまぁ、何となく場の空気的に、そのまま黙って、義一の話の先を待つのだった。
「…まぁ、センメルヴェイスの話自体が十九世紀の話ってのもあるっちゃあるけども…って」
とここまで長々と話した後、義一はまた例の照れた時の癖をしつつ、私と絵里を交互に見渡した。
「まぁー…ふふ、そういうわけなんだけれど、それで言うとね、琴音ちゃんなんかは…今僕の話したことに、まさに合致してるんだよ」
と義一はここまで言うと、ふとまたこちらに今度は顔ごと向けてくると、その表情に、今日二度目の慈愛に満ちた微笑を湛えつつ、先を続けた。
「別にこの子は、僕なんかに出会う前から今と同じ様に”自律”した精神…いや、少なくともその片鱗は思いっきり表に出ていたんだけれど、ここの本を借りていくに従って、ますますその精神に磨きがかけられていってさ、んー…ふふ、だいぶ話が逸れていっちゃってるけど、そんな様子を見れて、僕はとても嬉しいんだ」
と、途中から私から視線を外すと、宝箱内をぐるっと見渡しつつ話していたが、最後の方で私に戻すと、一人また照れ臭げにして見せていた。
「…」と、尤も、義一よりも、またもやそんな事を話された私の方が恥ずかしかったけれど。
義一はここでふと絵里に視線を向けて続けて言った。
「だからさ、んー…ふふ、また卑怯って言われるかも知れないけど、そんな琴音ちゃんなのを僕は知ってるつもりだからね、それを自分で言っときながら遠慮するのも、それはそれで失礼だと思うし、その必要はないと考えてるから、…ふふ、こうしてね、面と向かって、ただただ現実的な事、現実にあり得る事、あり得そうな話をしたって事なんだよ」
「…」
と、絵里は義一が話し終えてからも黙ったままだったが、先ほどまでの様な憤りというか、怒りというのか、そんな類の感情が顔からは消え失せて、代わりに静かな、どちらかというと力がいい具合に抜けた、今にも微笑が浮かんできそうな顔つきをしていた。
それに伴って、場の空気も、まぁ…私が照れて顔を赤くしてた時点で和らいでいたのだが、その時よりもますます緩んだのを肌に感じた私は、「ふふ」と一度笑みを零して、それから義一に話しかけた。
「…もーう、今日は何なの?こんな立て続けに、本人を前にそんな話をするなんてー」
と不満げな声音を使って言ったが、顔には悪戯っぽい笑みを浮かべて見せていた。
それを見て聞いた義一は「あはは」とただ明るく笑って返してきて、絵里はというと、ここにきてようやく微笑を本格的に浮かべたのだった。
それを見て、ここで本当に気持ちが軽くなった私は、今の笑みを絵里と同じ微笑に変えると、口調も合わせて話しかけた。
「もーう…。ふふ、そのー…絵里さん?」
「え?あ、うん」
と絵里に反応された瞬間、今から自分が話そうとしている内容のせいで、途端に恥ずかしくなり、咄嗟に言葉が口から出てこなかったが、しかし、今ここで直接私の口から言わない訳にもいかない、むしろ言いたいという欲求が優って、そんな心情を押し殺す様に言葉を続けた。
「んー…ふふ、そのー…うん、絵里さん、今さっきの絵里さんの言葉は、そのー…ん、私はとても嬉しかった…よ。…ふふ、だって、その言葉から、どれだけ私のことに気を遣ってくれてるのか…ふふ、私なりに分かったからね。…って、別にこれでも、私的には普段から分かってるつもりなんだけれども」
「琴音ちゃん…」
と、絵里がますます表情を和らげるのを見て、何だかそれに大きく影響を受けそうだと瞬時に察した私は、咄嗟にここで少し悪戯小僧よろしい笑みを浮かべつつ続けて言った。
「ふふ、でもね、本当に大丈夫だよ?今義一さんが言ってくれたけれど…って、いや、変に言い過ぎだったけれども…っぷ、あはは!あ、いや、でね?んー…うん、確かに、今の義一さんの話を聞いて、一瞬は胸が締め付けられた気持ちにさせられたのは本当…。うん、でもね、今義一さんは言ったことも含めて、これまでこの宝箱で二人で過ごしてきた濃密な時間、濃密な会話、議論を交わしてきてね、漠然とだけど、義一さんが何をしたいのか、何を希望しているのか、肌感覚でだけれど、これでも分かってるつもりなの。この分かってるつもりというのは、そのー…理解している、支持してるって意味でね」
と、ここで一度絵里から視線を外して、斜めに流すと、そこには、穏やかな笑みを浮かべつつ話を聞く義一の顔があった。
その顔に私からも小さく笑みを返すと、また視線を戻し続けた。
「まぁそうだし、あ、いや、んー…まぁもっと簡単に言えばね、そのー…そんな風な、さっきの話を堂々としちゃう様な、そんな義一さんの事が…」
『好きだ」と流れで言いそうになったが、この時の私は、それを言うのを憚ってしまった。
この瞬時の思考の間に、何だかそれが妙な、意味深な内容を含めることになってしまうんじゃないかと思ってしまったのだ。
絵里の前でもあるし…などとも思ったのだが、冷静に考えれば、私と義一は姪っ子と叔父さんという関係…別段何の気の使う様な案件でも無いのに、それでもまぁ事実として、何だかこうして口ごもってしまったのだが、結局
「まぁ…そんな変人の私の叔父さんって、『なんか良いなぁ』って思うのよ」
と、そんな思考をしていたのもあって、それを誤魔化すためか、我知らず変に大袈裟な笑顔を浮かべて見せたのだが、そんな心中を知るはずのない絵里、そして義一は、私の話を聞き終えると、また二人して顔を見合わせると、少し間を空けてから、どちらからともなくクスッと笑い合うのだった。

それが半分ほど続いた後、笑顔を残したまま絵里が口を開いた。
「まぁねー、あなたの叔父さんは本当に変人なんだけれど…ふふ、琴音ちゃん、あなたの言いたい事は良く分かったよ。まぁ…確かに、ギーさんの言う通りの点では、私自身、琴音ちゃんを信じきれていなかったのかもね…」
と最後の方で声のトーンに影を差し込んできたので、「あ、いや…」と何かを返そうと思ったが、「あはは」と言う絵里の明るい笑いに遮られてしまった。
「まぁ…ふふ、うん、分かったわ。琴音ちゃん、あなたが大丈夫だと言うのなら、私はその言葉、それにあなた自身をきちんと信じることにする」
「…うん、ありが」
とすぐにお礼を返そうと思ったのだが、またもや言葉を遮られてしまった。
流れる様にすぐに絵里は私から視線を外すと、テーブルに肘をつき、顎を乗せて、顔を斜め方向に向けると、思いっきり目を細めつつ、しかし口元はニヤケながら続けて言った。
「ギーさんに言われてというのが癪に触るけれどね!」

「おいおい、何だよそれは…」
と直後は不満を露わにして見せていたが、そのすぐ後で「あはは」と笑い声を上げるのだった。
それからは、今までの話が無かったかのように、また初めに戻るというか、私の修学旅行話、それに繋がって、麻里などの新しく仲良くなった…いや、ここが私の素直じゃない、自分でも面倒な程に理屈っぽいところだが、仲良く”なりだした”友達の話をしたりして過ごした。
暫くそうにこやかに過ごしていたその時、ふと、防音完備している宝箱内でも遠くの方で、『夕焼け小焼け』が外で流れているのが漏れ聞こえてきた。
そう、区役所から放送される、夕方五時になったという知らせだ。今日が流れている中、午後五時を知らせるアナウンスと、『お子さんはお家に帰りましょう』というアナウンスも続けて流れていた。
この放送がある間、ふと会話も止まり、三人揃って何となしに、この聞き慣れた音を黙って聞いていた。
放送が終わると、義一がチラッと時計を見て、それからは、私と絵里を見てつつ笑顔交じりに言った。
「…ふふ、もう五時だね?さてと…今日はこの辺りでお開きにしようか?」

義一の言葉に私と絵里はすぐに賛同して、各々が帰り支度をしている中、ふと、ノートをしまおうとトートバッグの口を広げたその時、もう一冊、ノートを持ってきてる事を思い出した。
んー…うん、この辺りで少しこのノートについて軽く触れた方がいいだろう。
そう、大体察してくれてる人も入ろうかと思うが、敢えて言えば、このノートは…そう、例の、不定期ではあるが、シリーズのように話が繋がっているあの夢を、書きまとめたノートだった。
以前にも言ったが、繰り返し言えば、例の夢の内容を小説風に書き纏めたもの、その夢ごとの内容に関する自分の思う所などの感想、それと…ちょこちょこ書いている詩などといった内容だ。
なぜこれを持ってきたのか、もうお分かりだろう。
そう、今だに例の夢について、義一にまだ一度も相談を含めた会話をした事が無かったのだが、我ながら不思議と、今回久しぶりに絵里も同席するならばと、義一とついでに絵里の感想なども聞いてみたくなったのだった。
もっと細かく言えば、義一とサシ、絵里とサシ、というよりも、この二人が同時にいる所で、場所もこの宝箱というシチュエーションならば、とても面白い、有意義な意見を聞けるかもという算段もあった。
だが、私が自分で質問をぶつけた訳だったが、それに対する答えや、その流れでの挿話の中身の面白さにすっかり魅了されて、この帰り支度をする頃まで失念してしまっていたのだった。
この事実に、今日の内容を新たに書き込んだノートを仕舞いつつ「…ふふ」と思わず自分に対して呆れ笑いを漏らしてしまったが、
…ま、今回きりって訳じゃないし、また次の機会にすればいっか。
とすぐに楽天的に自分自身に言い聞かせるように納得したのだった。
それよりも、そんな事を思い出したのと同時に、これだけは今日中に用事を片して置こうと、テーブル上にあった紅茶セットを台所に持っていき片して戻ってきた義一に、早速私から声をかけた。
「…あ、そういえばさ、義一さん?」
「ん?」
と義一はテーブルの自分の席に腰を落としかけていたが、中腰の態勢のまま返事をした。
「なんだい?」
「あ、うん、えぇっと…」
とこの時、テーブル向かいから絵里が何事かと、好奇心に満ちた笑みでこちらを見てきていたのが視界に入っていたので、一瞬口籠ったが、そのまま口調を変える事もなく続けて言った。
「そのー…さ、こないだの義一さんの講演時の資料…ってか、レジュメかな?それさ、欲しいんだけれど…貰える?」
「ん?」
と義一は一瞬キョトン顔を見せたが「あぁー」とすぐに間延び気味の声を漏らすと笑顔で返した。
「ふふ、うんいいよー。約束だったしね」
…そう、当然というか、今日この日に宝箱に行くと約束をしたその時に、同時にレジュメを貰える約束を取り付けていたのだ。
義一も最初はそんな資料を欲しがるとは思っていなかったようだったが、私からしたら欲しがるのは当然の帰結だった。
まぁ…女子校生一般が到底欲しがる物ではないのは重々承知してるけど。
…っと、だからまぁ義一も用意してくれてたようだが、まぁ色々と今日はまた濃い時間を過ごしたので、直接は聞いていないが、おそらく義一の方でも忘れてしまっていたのだろう。
…ふふ、私だけでも思い出して良かった。
「ふふ」
と絵里が私の言葉の直後に呆れ笑いを浮かべたのには、私からはただ照れ笑いで応戦した。
そんな中、義一は中腰からまたスッと立ち上がると、そのまま書斎机に向かい、椅子に座り、私の位置からは見えなかったが、何段かある引き出しのうちの一つを開けると、中からプリントの束を引き上げた。厚さは一センチ弱といったほどだった。
義一はそれを手に持つと、また私がまだ座るテーブルに戻ってきて、それから今度はキチンと椅子に座ってから
「はい」
と手渡してきた。
「ありがとう」とそれを受け取ると、なんとなしにペラペラとホチキスで留められたプリント群を眺めた。
チラチラとしか見てなかったが、それでも、例の動画内で出ていたグラフや表などがあるのが分かった。
「まぁ…」
と、そんな私の様子を眺めつつ、義一が何故か照れ臭そうに笑いつつ口を開いた。
「そのレジュメの内容っていうのはね、今度出す二冊の本の中身とモロ被りしてるから、んー…正直渡そうか迷ったんだけれど、でも君がどうしても欲しいって言うから、用意してみたよ」
「…ふふ」
と、なんだか妙に言い訳じみてるというか、なんでこんな物言いをしているのか、すぐには察する事が出来なかったが、それでも、この時の私はそれなりにすぐに察すると、プリントをパタンと元の通りに閉じ、そしてニヤッと意地悪げに笑いつつ返した。
「いや、ありがとね?…ふふ、大丈夫だよー、キチンとその二冊も受け取って、しっかり読むからさ?」
「あ、んー…」
と途端に義一は今度はバツが悪さげな苦笑を漏らしていたが、
「そ、そう…かい?」
と、その表情のまま続けて返すのだった。
「えぇ」
と私もそんな義一に対して、無邪気を意識した笑顔で答えると
「ちょっとー?」
とボヤキ気味に言う人がいた。…もうしつこいかな?勿論絵里だ。顔一面に不満げを充満させていた。
「私がいることさー…二人とも忘れてない?…私を前にして、イチャイチャしちゃってー」
と、それでも口元をゆるゆるで言うのを聞いて、
「え?!あ、そ、そんな、い、イチャイチャって…」
と、この場に裕美がいたら、真っ先にからかい気味に突っ込まれそうなリアクションをとってしまったが、その直後
「あははは!」
と、義一が底抜けに、特に何も反論などをしないまま明るく笑い飛ばしたので、自分でも毎回不思議なこの妙な照れが吹き飛び、私も一緒になってクスクスと笑って参加した。絵里も当然それに交わるのだった。

「…あ」
とまだ笑いが引かないその時に、義一がふと思い出した風で声を漏らすと、スクッと何も言わないままに立ち上がり、また書斎机に向かった。
そして、何やらゴソゴソとしてたかと思えば、そこから何やら”見覚えのありすぎる”安っぽい…って大きなお世話か、雑誌を二冊持って戻ってきた。
「はい、琴音ちゃん」
と手渡された雑誌の表紙には『オーソドックス』の字が踊っていた。五月号だった。
「あっ、ありがとー」
と、これは想定外だったが、最新号だというのでテンションが自然と上がった。
ふふ…やっぱり安っぽい。
と、失礼な感想を覚えつつ、表紙に書いてあるいくつかの字を眺めた。
そのどれもが、FTA関係のものばかりだった。
「んー…はい」
と、私が夢中気味に表紙を眺めている中、少し戸惑いげに義一はもう一冊を絵里に手渡すところだった。
声の調子が変わっていたので、私もこの時ふと顔を上げて二人を眺めていたが、そんな調子で差し出された雑誌を、ほんの一、二秒といった所だろうが、絵里は俯き気味に雑誌を眺めていた。
だが、フッと溜息なのか、ただ力を抜く目的の呼吸なのか、判別が難しい息を吐くと、
「…うん、ありがとう!」
と、何故か途端に元気に振舞いつつ笑顔を見せて受け取った。
それを見た義一は、ハタから見ててもキョトン顔を見せていたが、
「ふふ、如何いたしまして」
と苦笑まじりに返していた。
そんな二人の様子を見て、不思議に思いつつも微笑ましく眺めていた中、
「まぁ…さ!」
と、絵里は受け取った雑誌を手元で弄びつつ、チラッと私に視線を流しながらニヤケ面で言った。
「今回の号は何気に結構気になってからねぇー…ふふ、だってぇ…琴音ちゃんが、この雑誌にチラッと出るって、ギーさんが言うんだもん」
「…」
そう、…というか、もうお忘れの人もいるかも知れないが、念のために言うと、今年の初め頃、数寄屋にお邪魔した時に、ちょうどその時が毎号の雑誌の中の定番企画である、対談コーナーの日にたまたま当たったのだ。
勿論議題は今回のFTAだったのだが、そんな中で、初めのうちはそれなりに自重していたはずだったが、本当に我ながら病的だと思うけど、ついつい口を挟んでしまい、最終的には議論にズップリ参加する失態を演じてしまったのだった。
で、その時も言ってくれてたし、結局そう相成ったようだが、要は、私の発言もキチンと(?)今回の雑誌に掲載するとの事、そして、私の名前だけ曖昧にボカしておくというものだった。
それを聞いて、当然全面的に義一に信頼を置いているので、むしろ、私のことをどうボカしているのか、それ自体にも関心があって、前々から気になっていたのだった。
それを今絵里が言ったということだ。
絵里もその内容をあらかじめ聞いていたようで、私の発言部分、その発言者名の部分をどう表示しているのか、そこら辺は同じ関心事だったらしく、そこでまた話が盛り上がりかけたが、
「ま、二人とも、感想は次にでも聞かせておくれよ」
との義一の苦笑まじりの鶴の一声で、本当にようやくこれにて御開きとなったのだった。
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