第14話 修学旅行 後編 肉玉そば

文字数 39,423文字

あれから席に戻って、お互いのスマホの写真を見せ合いこしたりと、また皆でお喋りに興じたが、名古屋を過ぎ、少し経ったあたりから、一人、また一人と寝落ちしていった。
最後に残ったのは私だったので、さっき皆にからかわれたばかりではあったが、それでもせっかくだしとリュックから本を取り出して読もうかと思ったその矢先、自分も気づくと寝落ちしてしまった。

ウトウトとでも意識が戻り始めたのは、通路を歩きながら「そろそろ準備してねー」と声をかける志保ちゃんの声によってからだった。
私だけではなく、他のみんなもその辺りでほぼ同時に起き始めた。
それからは、ノソノソと気怠げに動作も遅く準備をし始めると、列車は大分前から徐行運転していたらしいが、ますます速度を緩めつつ、何だか勿体ぶるかのように静かに広島駅のホームへと滑りこむのだった。

列車が着いたのは正午を少し回った頃、予定通りだ。
私たちは先生たちの引率の元、自分たちとしてはだが速やかに降りて、ホームから階下に伸びる階段を降り、改札を出て、広島駅新幹線口の二階からすぐの、ペデストリアンデッキという名の場所に出た。
広場と横断歩道橋の両機能を併せ持つ歩行者専用通路だ。
このデッキはごく最近に出来たものだと、こんなことまで研究してきたらしい紫が歩きながら私たちに教えてくれた。
確かに言われた通り、パッと見では汚れの見えない床のタイルから真上の天井の真っ白な屋根など、明らかに出来たてホヤホヤなのは察せれた。
新幹線口を出て右手に切れ、そのままゾロゾロと皆で歩く中、左手を見ると、当然天井があるせいで完璧には無理だったが、空は目が痛いほどに真っ青な色で占められてるのが見えた。雲っこ一つ浮かんでいない。
東京の朝も思ったことだったが、広島の正午も見事な五月晴れだった。
太陽の陽が燦々と地表に降り注がれていた。
その五月後半という時期にしては強烈な日差しによって空気が温められたらしく、通路はまるでビニールハウスの中のような様相を呈していた。
吹き抜けなのに、あまり風が吹いていないのもあったが、どうも天井があるせいで熱がこもりやすいらしく、体感的に火照ってくる様な感想を覚えていた。
だが、どうやら空気は乾いているらしく、火照る割には汗ばむ程では無かったのが幸いした。
…と、こんな風にいうと、いかにも不満げに聞こえそうだが、気分は空の快晴度合いと比例して上々だった。

歩いたとはいってもほんの数分だったが、だんだんと同じ制服姿で固まった一団が見えてきた。そこが降車後の一旦の集合場所に指定されていた駅前広場だった。
ここまで歩く途中、私たちの班の皆に限らず誰もがスマホを取り出すなりして景色などを撮り収めていたが、あまり他の女子ほどには然程写真を一々撮るという習慣の無かった私は、後で義一たちに見せるためという義務感から一、二枚だけ撮ると、後はキョロキョロと自分の目で辺りを興味深げに見渡していた。

駅前広場は上から見たら半円の形をしており、天井には通路と同じく屋根があったのだが、ここの形状はとても面白かった。
簡単に一口で形容してしまえば、傘を広げた形をしていた。天井は中心から車輪の様に何本もハリが四方に伸ばされており、そんな点からも傘の下にいるようだった。

一団のすぐ近くまで寄ったその時、ふと今度は右手を見ると、そこには通路が伸びており、その入り口の上には『南北自由通路』と表示されていた。その口の左手には、デカデカと地元の野球チームの応援ポスターが貼られていた。
取り敢えずヒロならすぐに食いつきそうなものだと連想したが、私は何度も言う様に野球に興味がないせいで、結局はそのヒロの様子を想像して一人笑みを零すと、
「あはは、ヒロくんなら興奮しそうだね」
と隣を歩いていた裕美が不意に笑顔で声をかけてきたので、同じこと考えていたんだと仄かに嬉しくなったのを誤魔化す様に「ふふ、そうだね」と悪戯っぽい笑顔で応じ、それからは二人で微笑み合うのだった。
ちなみにヒロは、野球があんなに好きなのにも関わらず、特定の球団のファンとかは無いようだ。
…って、どうでもいいか。

私たちと同じ制服の一団は、そのポスターの目の前辺りに固まっていた。
ふーん…一緒の列車に乗っていたはずの他校生の姿が見えないけれど、どこか別のところで集合してるのかしら?
と軽く前後左右を見渡しつつ、ふと担任の安野の姿があったので早速近寄った。
紫が私たちの班が無事に全員降車して来れた旨を伝えると、まだ全員が集まるまでは時間が掛かりそうだと言うので、なんとなくフラッと、さっき見えたポスターへと近寄って行った。
…ふふ、地元愛満載ね
とチラッと思ったその時、スッと私の横に立つ者がいた。
見るとそこには裕美が立っており、私と同じ様にポスターに視線を飛ばしていた。
横顔しか見えなかったが、私の位置からも、とても興味津々といった様子を見せていた。
「…ふふ」
と思わずではあったが、胸中では様々な思いを秘めつつ笑みを零すと、裕美はゆっくりとこちらに顔を向けてきた。
その瞬間は真顔に近かったが、私の笑顔を見るや否や、徐々に表情に変化を持たして、終いにはジト目とニヤケ面を同居させるような、普段からよく見せる笑みを浮かべつつ声をかけてきた。
「…もーう、何よー?」
「ふふ、なんでも無いわよー?」
と合わせておちゃらけ気味に返す中、ふとある考えを思いついた。
「…あ、そうだ、裕美?」
「んー?なーにー?」
「ふふ、あのさぁ…」
とここで私は腰を少し曲げて、頭を低くし、そしてその位置から裕美の顔を下から見ながら言った。
「せっかくだし、あなたのスマホで私たちの写真を撮ろうよ。広島一発目ってことで」
「あ、いいねぇー!…でも」
と提案を聞いた直後はノリノリで同意してきたのに、途端に何かに気づいた風を見せた。
「…なんで私のスマホでなの?」
「え?ダメ?イヤ?」
と久々に可愛子ぶって聞き返すと、裕美はまた目を細めつつ疑い深げに返した。
「いや、別に良いんだけどさぁ…なんか裏がありそうなんだよねぇ…」
とスマホを取り出しつつ言うので、私はわざとらしく大袈裟な満面の笑みを作りつつ返した。
「えー?別に裏とか何も無いよー?ただ…」
とここで笑顔の種類を別のニヤケ風味のものに変えてから続けて言った。
「…ふふ、裕美、あなたのスマホでこのポスターを背後に写真を撮れば、それをヒロに自然に送れるじゃない?」
「は?…って、ちょっt!」
と初めは何の意味か分かってない様子だったが、ハッと気付いた瞬間、アタフタと慌て始めた。
そんな裕美の乙女チックな動きに明るく笑った。
「ふふ、きっとあの野球バカの事だから、写真を送ったら喜んでくれるわよー?」
「ちょ、ちょっとぉ…琴音ー?」
と恨めしげな裕美を他所に、私はまた目をイヤラしめに意味深に細めて見せつつ追い打ちをかけた。
「え?なーに?裕美、嫌なのー?…あっ、そっか、ごめんごめん!…せっかくなら、自分一人で写りたいよね?」
「…へ?あっ、ちょ、ちょっと待った!」
と、私が口にしながら裕美の手のスマホを取ろうとした瞬間、裕美はまるでスマホを胸元に引き寄せて、庇うが如く身をよじり、数歩ほど後ずさりをした。
こちらに向けてくる顔には、これまた変わらずの恨めしげな表情を浮かべていたが、それと同時に、いくらそこそこ暑いからといっても不自然なほどに顔を赤らめていた。
「あはは!ゴメンね裕美ー?もうこれで終わりにするからさ」
と私がニヤケつつ手招きをしながら言うと、
「もーう勘弁してよぉ…」
と苦笑まじりに戻ってきた。
「琴音…後で覚えときなさいよぉ?」
と裕美が言うので、
「…ふふ、何言ってるの?」
と今度は私が心底呆れつつ、しかし笑みを絶やさぬまま返した。
「いつもだけど、今日だってあなた、散々新幹線の中で私のことをからかってきたじゃない?…これでおあいこよ!」
と最後に目をぎゅっと瞑りつつ言い切ると、
「それを言われちゃうとなぁ」
と流石の裕美も普段のことを反省…はしてないようだが、それなりに納得したようだった。
それからはお互いに気を取り直して、そうはいっても結局は裕美のスマホを使って、ポスターを背後に裕美自身が持って自撮り風に二人で写真に写ったのだった。
撮り終えた直後、二人で写真を眺めつつやんややんや言い合っていると、「おーい、二人とも、何してるのー?」と、そんな私たち二人の単独行動(?)に気付いたらしい他の四人が近寄ってきた。
「何してたのー?」
と藤花が間延び気味に聞いてきたので、私と裕美は申し合わせたわけでもないのに一度互いに顔を見合わせると、どちらからともなくクスッと笑ってから、二人揃って皆の方に顔を向けると言った。
「何でもなーいよ!」

「えー?本当にー?」
と過剰なまでの疑い深げな演技で言う藤花の声に始まり、他の三人からもポツポツと質問が飛んできだしたその時、少し離れた位置から号令がかかったので、お喋りを中断して先生たちの元へと向かった。

皆が集まったのを確認すると、朝の東京駅でのと同様に、まず校長の挨拶に始まり、次に学年主任でもある担任の安野先生から、今日初日のスケジュールについての話があった。
その内容はこの場では端折るが、その中で、まずは腹ごしらえというので、昼食を取りに歩いて近くの食事処に行くとの御達しが出た。
…あ、そういえば、まだ昼食食べてなかったわね
と、我ながら柄にもなくやはり楽しんでいたらしく、すっかり忘れていたのだが、この話が出た途端、急にお腹が空いてくるかのようだった。
それは皆も同じだったようで、そこかしこから「お腹すいたー」との声が上がっていた。
班ごとに固まっていたのだが、ふと他の五人とも視線が合い、そしてその直後には一斉に笑顔を見せ合うのだった。

先生の言葉が終わるとまた号令をかけたので、先生たちの後を生徒たちみんなで後に続いた。
下にバスターミナルを見渡しつつ天井付きの歩道を歩いている途中、私たちは二列に並んで歩いていた。
先頭に紫と麻里、その次に藤花と律、最後尾に私と裕美といったフォーメーションだ。
その紫たちの前には他クラスの最後尾があった。
要は、私たちの班がクラスの中では一番先頭だという事だ。
別に先生たちに何か言われたわけでもないのに、自然とこの様な立ち居位置になっていた。
別に学級委員だからってクラスの先頭に立たなければならないって法はないと思うのだが、そこは紫、ついでと言ったら悪いが麻里、この二人のある意味での真面目さがこんな面にも出ているのだろう。
…とまぁ、直接その考え心中なんぞは当然聞いてはいないが、まぁそんなところなのだろうと、これについて如何にも自然体、いつも通りといった風で誰も何も口にしないままに、後を付いて行きつつ考えていたのだった。

結局はさっきの事がお流れにならずに、四人から…特に近くにいた藤花と、それに同調する様に律から質問にあいながら歩いていた。
色々聞かれたが、今も覚えているのは、「琴音たちって、広島ファンだったの?」というものだった。
皆には悪いが、これ自体にはそれほどの面白みは無いと、今冷静に思い返したらそう思うのだが、しかしここでまた裕美と顔を見合わせると、ただ二人で同時に吹き出してから明るく笑ってごまかすのだった。
そんな私たちの反応を見た他の四人は、初めは呆れ顔を浮かべていたが、最終的には釣られるように同じように明るい笑い声を漏らしていた。


と、そんなやりとりをしていると、先生が言ってた通り、さっきいた集合場所から数分歩くと、目的地のお好み焼き屋へと辿り着いた。
引き戸式のドアには『本日貸切』と手書きの紙が貼られていた。
ふとこの時後ろを振り返ると、先ほどまでいた駅ビルがすぐそこに見えていた。
先生たちを先頭にゾロゾロと店内に入ると、店主や女将、店員たちがテンション高めに迎え入れて歓迎してくれた。
何でも修学旅行では定番中の定番らしく、如何にも慣れている調子だった。私たち中学生への接し方に慣れが見えていた。

店内に入ると、片仮名の”コ”の字型のテーブルが幾つもあった。お店の外観からは想像出来ないほどに、意外と店内は広々としていた。
コの字テーブルに沿うように幾つもの簡易ではあるがイスが設置されていた。パッとみた感じでは、一つのテーブルに十二人ほど座れそうだった。
と、テーブルを見た瞬間、普段は見慣れない形状をしていたので、ついつい目を奪われてしまった。
というのも、鉄板がテーブルのほとんどの面積を占めていたからだ。もう既に油が程よく塗られているらしく、天井からの照明をテラテラと反射していた。
まぁお好み焼きを知っている方ならこの様な形態は当然ご存知だとは思うが、誤解を恐れずに言えば、私自身、生まれてこの方、今だに一度もお好み焼きなるものを食べたことが無かったのだ。なので、勿論テレビや写真などで何かの拍子に見たことはあったが、実物を見るのはこれが初めてだった。
というわけで、ジロジロと鉄板を上から眺めていたのだが、ふと視線を両脇から感じた私がふと見渡すと、他の五人が一斉にこちらを見てきていた。
「あ…あー…いやぁ」
と何も言う言葉も見つけられずに、ただ若干の照れを覚えつつほっぺを掻くと、次の瞬間には同時に皆に笑われてしまった。
私もその直後にクスッと笑ってから加わるのだった。

それからは先生の言葉に従い、それぞれが決められたテーブルの席に座った。
さっきも言ったように、私たちがクラスの先頭を歩いていたのもあって、店に入るのも必然と一番に入ったわけだが、その流れで、一番端を紫が座り、次に麻里、その隣に裕美、そして私、その隣に藤花、最後に律の順に座った。
そしてその律が座った後は、私たちと同じ『六人班』である同じクラスの他の班が座った。
どうやらテキトーな目算であったにも関わらず、テーブル席は十二人がけだったようだ。

私たちが座り終えると、安野先生が食事についての注意事項を述べている間、コの字でいう窪みの中に、一人のおばさんが入ってきた。
入るなり、私たちをぐるっと見渡すと、ニコッと人懐っこい笑顔を浮かべた。
あまりのその無邪気な笑顔に、思わず私たちも何も言わず笑みを浮かべていたが、ちょうどその頃先生の話が終わるやいなや、おばさんは一度大きく鼻で息を吐くと、ハキハキとした大きな声を発した。
「さーてっと!皆さん、私たちのお店にようきんさった。これから…って」
とここでふいにおばちゃんは照れ臭そうに笑いながら言った。
「あー…皆さん、『ようきんさった 』って…分かる?」
「え?えぇっと…」
と急に問いかけられた同じテーブルの私たちは、隣の席の子たちと顔を合わせあったのだがその時、「はい!」と元気よく返事をする子がいて、私含む皆で一斉にその方を見た。
その声の主は紫だった。
紫は自信ありげな笑みを浮かべつつ、おばちゃんに答えた。
「『ようきんさった』というのは、『よくいらっしゃいました』って意味ですよね?」
と言うのを聞くと、おばちゃんはすぐにまた人懐っこい笑顔を浮かべて答えた。
「そうそう!良く知ってるねぇー。…ふふ」
とおばちゃんはここで少しテンションを下げたが、笑みは同じままに私たちをまた見渡しつつ続けて言った。
「そう、今答えてくれた通りの意味、広島弁でした。あはは!まぁチョイチョイ方言が入ると思うけど、それもまぁ一緒に楽しんでね?」
と最後に下手くそだが愛嬌あるウィンクをしてきたので、今度は私含む皆全員で「はーい!」と返すのだった。
おばさんの言葉は、字面では標準語とさして変わらないのだが、実際にはイントネーションが微妙に私たちの標準語とは違い、その違いがとても面白く、他の皆は知らないが、私一人でなんだかウキウキし出していた。
それと同時にとうとう遠くに来てしまったんだという実感を、広島駅に着いた時にはそれほど感じなかったのに、この時にようやく覚えたのだった。

「さてと、さっき先生がお話しされてたけど…」
とおばさんはテコや油敷きなどで準備を進めながら言った。
「皆さんにはおばちゃんが手によりをかけて、お好み焼を作ろうと思うんだけどね?んー…」
とおばちゃんはふと腰を曲げてまた私たちを見渡すと、一度大きく頷いてから明るい笑顔で続けて言った。
「…ハイ!このテーブル席の中で、お好み焼き作りをしてみたいって人を募集したいと思いまーす!」
「おー」
と、私たちはおばさんのテンションの高さに追いつけないまま、しかしそれでも控えめだが声を上げた。
…そう。今おばさんが言った『お好み焼き体験』、それは今回の修学旅行に行くまでにあった数回のホームルームで話が出ていた内容だった。
ただ、こう言ってはなんだが、別に当日に現地で、その場のノリでしたい人がすれば良いと、そう皆の中で共通の考えがあったので、実際に誰が体験するとかは特に何も決めていなかった。
なので、こうしておばさんの口から直に言葉を聞いた瞬間、その場のノリでとは考えていたのだが、実際にはその瞬間から、さっきの”方言クイズ”の時のように、また隣や近くの子と顔を見合わせ始めた。

まぁ、この手の事ではよくある話だろう。
それに…これは勿論冗談で言うのだが、私たちは世間的、一般的なイメージではお嬢様校に通うお嬢様…なので、なかなかこういう時に先陣を切って”私が、私が”というキャラの持ち主の子が殆どいないのだ。
別に学園生全体の生徒達が暗くておとなしい訳では決してない。ただ、こういったノリの対処の仕方、つまりは”良いノリ方”の加減が普通の同年代の女子と比べるとあまり分からないのだった。
ついでに話すと、とってつけたように聞こえるかもだが、今私たちの班と一緒に座っているもう一つの六人班、彼女らは全員が小学校からエスカレーター式に上がってきた子達だった。そう、藤花と律と同じだ。
私たち…少なくとも私とは三年にして初めて同じクラスになった。
どうもはたから見てる限りでは、いわゆるエスカレーター組の中では藤花と律と仲が良さそうに見えた。
それを証拠に…って訳ではないが、こういった班員以上で固まる機会で一緒に過ごす班を探していた時、すぐに藤花と律が彼女たちに声をかけたのだった。
どうやら彼女たちとずっと今まで関係を保っているようだ。
その時にもワイワイと仲良さげに話していたが、今も、班の中では一番端に座っているあの律ですら、すぐ隣の別の班員と仲良く時折微笑みつつおしゃべりをしているのだった。
…っと、またもや悪い癖が出てしまった。
つまり何が言いたかったのかというと、彼女たちも藤花や律と同じように、私が言うとすぐに突っ込まれそうだが、世間一般的な公立の学校とは若干の違いのある、一風変わった小学校時代を過ごしてきたのもあって、こういった軽いノリへのノリ方が、若干下手なのだった。
勿論、今言った理由が一概に当てはまる、もしくは大きな理由だとまでは言い切れないだろう。
これを聞いた、同じような境遇の方、過ごしてきた方から、『私たちは違った』と思ったり言われることもあると思う。
だが、少なくとも私たちの通う学園のエスカレーター組はそうなのだと納得して頂く他にない。

…あ、コホン。なんだか言い訳がましくなったが、取り敢えずそんな訳で、確かに打合せ段階では”その場のノリで”としたのだったが、案の定というか、結局その場のノリに中々誰もすぐには乗ろうとしなかった。
私も左右に顔を流していたのだが、その時、ふと私の右隣から肩に手を置かれた。
咄嗟にその方を見ると、そこには裕美のニヤケ面があった。悪巧み顔だ。
もう長い付き合いだというのもあって、すぐに嫌な予感がしたのだが、そんな心境などとっくに知っているくせに、裕美はそのまま手を置いたまま話しかけてきた。
「…ねぇ琴音ー?アンタ、やってみてよ」
「…へ?私?」
と私は自分の顔に指をさしつつ聞いた。
な、なんで私が”やらなきゃ”いけないのよ…?
といつもの癖というか普段の調子で思わず口にしそうになったら、ふとおばさんと目が合ってしまい、流石に空気が読めなすぎると慌てて口をつぐんだ次第だった。
「あー、確かにー」
と裕美の声を受けて、左隣に座る藤花がすぐさま裕美に乗っかった。
「琴音なら適任だねぇー。だって、いつも美味しいお菓子を作って食べさせてくれるし!」
と最後に目をぎゅっと瞑って見せると、「確かにね…」とボソッと藤花の向こうから律が細やかに微笑を漏らしつつ言うのだった。
私はそんな二人を見て、それから裕美にも視線を配りつつ
「もーう…いつもってなによ?別に頻繁には持ってこないでしょ?」
と呆れ笑いを浮かべつつそう返すのだった。
「えー?琴音ちゃん、お菓子作れるの?」
と、私の言葉の直後に、今度は裕美の向こうから麻里が、これまた目に好奇心の光をギラギラ輝かせながら聞いてきた。
「え、えぇ、まぁ…ね」
と、恒例になりつつあるが私が戸惑い気味に返すと、「そうなのよ」と、麻里の向こうから紫が私の後を引き受けるように言った。
…そう、私が普段からお菓子作りという、ヒロに言わせれば”女くさい”趣味を持っているというのは、既に一年生の時点で皆にバレていた。
何がきっかけだかは忘れたが。
それからというものの、バレンタインには裕美とヒロ、それに朋子たちだけではなく、他の三人にも作ってあげてるのだった。…あ、キッカケはバレンタインに皆に作って持ってきたのが一つかも知れない。
まぁそれはともかくとして、お陰様でバレンタインデーには朋子たちも入れて合計して約十人分のお菓子を作る羽目となっているのだが、まぁ他のみんなも市販だったりなんなりとくれたりするし、…ふふ、その時にくれなくても、皆律儀にというか、ホワイトデーが近くなると、その時にお返しをくれてたりするのだった。
「焼き菓子から何からね、令嬢のご機嫌次第なんだけど、雑誌とか読んでてさ、ケーキ屋さんとかの特集とか組まれてたりするじゃん?でさ、『食べたいなぁ、行きたいなぁ』ってみんなで言ってるとね、『あ、これなら私が作れるかも…』とかなんとか言うんで、それで頼み込むのよ」
と、”誰の真似”なのか、後半で妙に胸を張って見せつつ言うと、私の方に視線を流した。
その目にはいつも通りの、からかいたくて仕方ないと言いたげな心情がにじみ出ていた。
「でさ、それで後日に作ってくれて、持ってきてくれるんだけれど、それがメッチャ美味いんだよ!」
「へぇー、そうなんだぁ」
「うん。もうさ…お菓子作りが上手いとか、そんな点からしても、琴音は本当に…」
と紫はここで一度溜めると、顔は麻里に向けたまま、視線だけ私に流し、そして目元をニヤッとさせて続けた。
「…お姫様っぽい!」
「あはは」
と紫の言葉を合図に、他の班員も含む皆が笑い合う中、私はそんな悪戯っぽく笑う紫の顔をチラチラと覗き見ていた。
そんな様子を見て、またいつもの紫に戻ったとホッと一安心したのも束の間、ほっとくわけにもいかないだろうと、一度はぁっと息を吐いてから、一つ一つ、懇切丁寧に突っ込んでいった。
「もーう、姫はやめてってばぁ」
「姫って?」
と律の隣の子が聞くと、「それはね…」と答えかけたので、
「あ、ちょ、ちょっと律ー?」
と私が慌てて制した。
「もーう、余計なことを言わないでよー?」
「ふふ」
と私の言葉にただ微笑で返してきたが、その時、「あはは」と紫が一人また笑みを強めた。
そして、私の方をチラリと見ると、
「まぁまぁ、後でなんでこの令嬢が姫様なのか教えてあげるよ!」
とまたイヤラシげな表情を作りつつ、しかし次の瞬間には満面の笑みで言うのだった。


「もーう、分かったわよ…」
と一連の流れに区切りがつくと、私はまた一度ため息を吐いてから言った。
「…うん、じゃあ私がするわ」
と言った後で、正面を向き、今までのような私たちの内輪のノリを、黙って笑顔で辛抱強く見守ってくれていたおばさんに声をかけた。
「じゃあ…お願いします」と笑みを浮かべつつ言うと「はいはい、分かりました」とおばさんも笑顔で返してきた。

私はおばさんに促されるままにすぐさま立ち上がり、藤花、律の後ろを通り、他の班の子達の後ろをカニ歩きで通って行ったが、その流れでふと、律と隣同士に座る子の二人の会話が聞こえてきた。
内容自体は、先ほどの紫と麻里の間のものと同じようなものだったが、ふとこの時、なんだか興味をそそられたのだった。
何故というと、律が私たちの前で、藤花以外にここまで心を許して話しているのを見たことが無かったためだ。
…と言うと、まるで律が今だに私たちに心を許してくれていないって言い方に聞こえてしまうかも知れないが、決してそうでは無いと慌てて付け加えさせて頂く。
…コホン、まぁ簡単に結論だけ言うと、今律と仲睦まじく話している子は、律と同じバレーボール部に所属しているとの事だった。修学旅行の打ち合わせ時に教えてくれた。
律は今部長兼キャプテンを務めているわけだが、この子はそんな肩書きこそ無かったものの、二年に上がってからずっとレギュラーをはっているらしい。
確かに、なかなか時間がなくて、律の部の試合は今のところ文化祭での親善試合しか見た事無かったのだが、その中で見かけたことがあった。
背は律よりも低く、私よりもほんの少し低かったが、言われてみれば背の高さが有利に働く競技をやってそうに見えた。
…っと、あまり話と関係ない内容をグダグダと話してしまった。ただ、それだけ律の様子が私の目に珍しく映ったという事だけ分かって頂けたらなと思う。話を戻そう。

おばさんの隣に着くと、おばさんは一度こちらにニコッと笑ってから、
「さて、もう一人は誰がやるー?」
と顔を皆の方に戻して聞いた。
また少しダラダラとしちゃうかと思ったのだが、今回は違った。
「ねぇ紫ー?」
と麻里が紫に話しかけた。
「え?」
と聞き返す紫に対して、一度ニヤッと笑ったかと思うと続けて言った。
「もう一人っていうんなら…あなたがやんなよー」
「へ?」
と紫はツリ目を真ん丸にして見せるという、呆気にとられたのを隠そうともしない表情を浮かべた。
その様子が、向かい側に立つ私の位置からよく見えた。
「ウンウン」
とそんな紫の反応に構うことなく、続けざまに言った。
「それが良いよー」
「あ、確かにー」
と、ここで不意に裕美が乗っかった。
「紫、アンタさぁ、たまに家に遊びに行った時、食事を作ってくれたりしたじゃーん?」
「あー、そういえば!」
と今度は藤花が乗っかる。
「マ…あ、いや、お、お母さん達が家にいない時に、よく作ってくれたもんね!」
「…ふふ」
とここでふと私と律が同時に笑みを零した。
藤花はどうも、一年生の時からお母さんの事、それに加えてお父さんの事を”ママ””パパ”と呼んでいて、それは三年生の今もそうなのだが、本人が直接言わないまでも、それなりに恥ずかしくは思っているようだった。
それは今の態度からも分かる。
でも、少なくとも私たちの前では、普段からママ、パパと何かにつけてそう口にしていた。
それはまぁ、一年生の四月の時点で、例の藤花にとって初めての観衆の前での独唱という大役をこなした後で、ついつい私たちの前でそう呼んでいることがバレてしまったのが大きいみたいだ。
本人としては開き直りというか、もうバレてしまっているのだから、今更隠すこともないといった心境のようだった。

私は、藤花が普段呼びの”ママ”と言いそうになるのを、すんでのところで言い換えたのが、とても可愛らしくて微笑んでしまったのだが、もちろんそれに加えて、紫の手料理のことを思い出したのも当然だ。
どうやら律も大方同じらしく、何も言わずとも私とアイコンタクトで察し合い、また一度クスっと笑うのだった。

「で、でもさぁ…」
と紫はまだ踏ん切りが付かない様子で、テーブルの狭い鉄板以外の部分に肘をつき、私とおばさんの向こう側に座る別班の子から徐々に左に顔を流しつつ言った。
「私らの班からは琴音が出たじゃない?二人って定員なのに、そこでまた同じ班の私が出るっていうのは、そのー…どうなのよ?」
「どうなの?」
と紫の言葉の直後に、律が隣の子に聞き直した。
そのテンポが妙によく、私はまた一人クスッと笑ってしまったが、声をかけられたその子も途端に笑顔になって答えた。
「うん、私としては全然構わないよー?…ふふ、そもそも私は料理出来ないし…って言い訳にはならないだろうけど、みんなはどう?」
と、律からの質問をバトンに見立てて受け渡すかのように自分の班員に声をかけると、その他の五人は顔を互いに一度見合わせて、そしてコクっと同時に頷くと、
「良いよー!」
と笑顔で一斉に紫に顔を向けつつ言うのだった。
「だって」
「だってさ」
と律とその子が順番に微笑みつつ言うのを聞くと、紫は「んー…」とほっぺをぽりぽりと掻いていたが、ふとずっと立ちっぱなしの私の方に視線を向けて、そして数瞬ほど見てきたかと思うと、フッと力を抜くような様子を見せて、やれやれと腰をゆっくりと上げた。
「んー…ん、まぁ、そんじゃあ、みんなのリクエストもあったし、それで良いなら私がやるよ!」

「おー!」
と他のみんなで声を上げる中、「いやいやぁ」とでも言いたげに照れて見せつつ、さっきの私のようにカニ歩きで私とおばさんの場所まで来た。
「ようこそ!」
とおばさんに声をかけられた紫は、「よろしくお願いしまーす!」と、さっきまでの逡巡がなんだったのかと言いたくなるほどに、明るい笑顔、明るい声で言うのだった。
そんないつもの紫の様子を見て、私はまた思わずクスッと笑ってしまったのだが、ここでふと紫と視線があい、今度はすぐさまニコッと笑ってきたので、笑い返すのだった。

「じゃあ勇敢なる挑戦者が決まったところで…はい!」
と、急に過剰な演出を凝らしておばさんが、私と紫に差し出してきたのは、エプロンだった。真っ赤な下地に、白字でお店の名前と、それと何やらキャラクターが描かれていた。どうやらお店のオリジナルキャラのようだ。
「じゃあ早速、そのエプロンを着てね?」
と言うので、渡されたそのエプロンを眺めつつ「はーい」と二人揃って身につけた。
「ちなみに…」
と、私たちが準備している間、おばさんは他の十人に話しかけていた。
「こうして挑戦してくれた二人には、なんと、今身に付けて貰ってるのと同じ、私たちのお店のオリジナルエプロンをプレゼントしまーす」
「え、良いんですか?」
と、流石の紫と私…って、自分の事まで言うのは恥ずかしいが、慣れているせいか手際よく身に付け終えて、二人で背中の結び目などを確認しあっている中で、ふとそう漏らすと、「えぇ!」とおばさんが笑顔で答えた。
「えー!」
と、私が何かお礼を言おうとしたその時、向かいに座っていた藤花が声を上げた。
見ると顔にはワザとらしいイジケ面が見えている。
「プレゼントがあるのー?だったら譲らないで、私が立候補すれば良かったぁー」
「あははは!」と藤花の言葉の直後に、私と紫含む他の皆で一斉に笑い声を上げた。
「あはは、残念だったねぇ」とおばさんも笑顔で声を掛けると「はいー…」と肩を小さく縮こまらせつつボヤいていたのだが、
「あ、そうだ!二人ともー、写真撮らせてー?」
と声を掛けてきた。それに対して私たちが許可を出す前に「あ、いいねぇー」と裕美と麻里が口に出した直後には、皆に言われるがままにポーズを取りつつ写真を撮られるのだった。

一通り撮り終えて満足げな笑みを浮かべていたのだが、「…あっ!」と藤花はまた突然声を大にしたかと思うと、次の瞬間には私と紫の姿を何度か交互に見て、「そうだっ!」と急に指をビシッとこちらに向けてきつつ口を開いた。
「せっかくだしさぁー、二人の中でどっちが上手くお好み焼きを作れるか、勝負してよー」
「は?」「へ?」
と私たちが二人で顔を見合わせてると、
「良いねぇ、それー」
と案の定と言うか、裕美がすぐさま乗っかった。
「ウンウン」
と麻里も大きく何度も頷いていたが、
「…ふふ、良いんじゃない?」
と律までもがクスッと笑いながら呟くので、「ちょっと律まで…」と私が苦笑いで漏らすと、それからは瞬く間に他の班の子達も一緒になって意気投合して盛り上がるのだった。
「ちょ、ちょっとみんなー?」
と紫が学級委員よろしく上体だけを少し前に倒してジト目でテーブル席を見渡す中、私は私で、さっきからニコニコしっぱなしのおばさんに声をかけた。
「す、すみません、なんだか勝手に盛り上がっちゃって」
と私が言うと、おばさんは笑顔のレベルをそのままに、何度か首を横に振ってから返した。
「んーん、なんもなんも!あはは!良いじゃない、良いじゃない!おばさん、こういうノリ、好きよー?」
「は、はぁ」
と私が返す途中で、今だに体勢を前屈み気味にしている紫の横に立ったかと思うと、おばさんは同じ体勢を取りつつ言った。
「あはは!こんな言い方は悪いかもだけんど、皆さん意外とノリが良いんだねぇ。うん、したら勝負したら良いよ!」

「ヤッタァー!」
おばさんの言葉によって、席ではますますの盛り上がりを見せていた。
急に熱気を帯びだしたこの場の空気のノリに、私は当然として、見ると紫までもがキョトンとした表情を見せていた。
が、ふと私と視線が合うと、紫はおもむろに腰に両手を当てて、そして年寄り臭く「はぁ…」と長く息を吐くと、その直後には目を細めて明るく言い放った。
「…まぁ、仕方ない!こんな空気になっちゃった以上、もう後には引けないんだから、私とあなたとで勝負するわよ!」
と言い終えるのと同時に、こちらに向かってビシッと指を向けてきたので、すぐには反応出来なかったが、それでもあまりの芝居っ気に我慢が出来なくなり、クスッと笑ってから「えぇ」と笑顔交じりに返すのだった。

「…あ、裕美?」
と私はふとある事に気付いて声をかけた。
「なにー?」
「うん、あのさ…」
と私は、空席になった私の席辺りに視線を配りつつ言った。
「悪いけど、そこに私のリュックがあるでしょ?その前ポケットにさ、メガネケースがあるから取り出してもらえる?」
「ん?なん…」
『なんで?』と言おうとしたのだろうが、実際には言い止まって、
「良いよー!…よいしょっと」
と裕美は自分の腿の上に私のリュックを置くと、メガネケースを出してくれた。
「はい」
とケースごと渡してきたので「えぇ、ありがとう」と受け取ると、早速中から黒縁のウェリントンを取り出して掛けた。
「ありがとう裕美」
と空になったケースを渡すと、「いえいえー」と受け取り、そして元の位置にしまってくれたのだが、
「もーう、こういう時にしては珍しく本気モードなんだからぁ」
と仕舞いながら笑いを含みつつ余計な言葉を呟いた。
「え?」
と、制服のポケットに念のために入れているヘアゴムの一つで黒髮ロングヘアーをハイポニーテールに変幻させていた私が、なにを言い出すのかと漏らしつつ見ると、裕美はニコニコとただ笑うのみだった。
「ちょ、ちょっと…」
といかにもツッコミ待ちな裕美に、その要望通りに返そうとしたその時、麻里に遮られてしまった。
「あはは!本気モードかぁ。…ふふ、眼鏡っ娘どうしの戦いだね」
「え」
と今度は紫も声を漏らして、そして何度目になるのか顔を見合わせると、
「…ふふ、ホントだ」と呟く律の直後に、
「どっちが本当の眼鏡キャラか勝負だねぇー」
と最後に藤花が追い打ちをかけた。
あまりのバカバカしさに、流石の私も苦笑いを浮かべつつ「なんなのよそれはー?」と返すと、ふとその時、「確かに…」とボソッと紫が呟いた。
「…琴音、どうやらここで白黒はっきりつける時がきたようね…」
と不意に深刻げな声音を使って話しかけてきたので、こんな馬鹿をしている時でも頭の隅にまだ残っていた私が、「な、なに?」と若干の緊張を味わいつつ聞き返すと、途端に紫は悪戯っぽい笑みを浮かべて、私の肩に手を置いてから、その手でポンポンと叩きつつ言った。
「私たちの中で誰が一番メガネキャラにふさわしいのか、それを決めるわよ!」
「…は?」
と、さっきまでの軽めとはいえ緊張の直後のこの言葉、空気にすっかり肩透かしを食らった心持ちになってしまった私は、おそらく今日イチのキョトン顔を浮かべた。
が、すぐに紫の言ったセリフを思い出すと、心底呆れたという感情を前面に押し出しつつ、しかし笑みを浮かべながら返した。
「…ふふ、もーう、何を言い出すかと思ったら。…ふふ、そんなメガネキャラの座なんて、別にあなたにあげるわよ」
と言うと、「何よあげるってー」と紫はすぐに拗ねた風な仕草をして見せた。
「ダメダメ、こういうのはキチンと手順を踏まなくちゃいけないんだから!」と付け加えている間に、結局は顔中に締まらないニヤケ面を浮かべるのだった。
こんなしょうもないやり取りを、おばさんを含む他のみんながニヤニヤしながらただ眺めていた。

「もーう…藤花が余計なことを言うからよー?」
とひと段落ついた後で私が言うと、「ごめーん」と全く心にも思ってない調子で返された私、それに紫を見て、また一旦皆で笑い合ったのだが、
「はい!じゃあそろそろ作り始めるよー?」
というおばさんの言葉を合図に、ここにきてようやくというか、予定通りにお好み焼き作りの挑戦…と同時に、紫とどちらが上手く作れるかの勝負の火蓋が切って落とされた。

おばさんが合図をしてすぐに、どこからか男性店員二人がやってきて、私たちのいるスペースに入ってきた。
手には、ボールやら食材やらを持っていた。
「じゃあ二人とも、このボールを持ってくれますかー?…はい、ありがとう。では二人には早速そのボールの中身を掻き回して貰います。お願いできる?」
「はーい」
と私と紫が返事をすると、おばさんも自分の分のボールを持ちつつ口を開いた。
「じゃあこの間に、今から一つずつ説明していきますね。今おばさんと二人、それに、今来てもらった他の店員さんが手にしてかき混ぜてるのは、いわゆる生地の元です。内容は、薄力粉と水で、粉の玉が無くなるまで混ぜまーす。ここで一つポイントは、必要以上に混ぜすぎると粘りが無くなるので、そこに注意だけれど、これは経験がモノを言うので…慣れしかありませーん」
とおばさんはふふっと自嘲気味に笑った。
「へぇ」
と席のみんなが声を漏らす中、「これで良いですか?」と、私と紫がほぼ同時に声をかけると、おばさんはボールの中身を交互に見比べた後で、「うん、オッケー!」と答えた。
「さて、生地の元が出来たら、次はすでに薄く油を引いてあるプレートに生地を流し込みまーす」
おばさんは慣れた手つきで、おたまで一杯分掬い取ると、プレートに素早く広げていった。20センチほどの真円形だ。
「…プレートはあらかじめ熱してあって、すでに160度から170度に達しています。熱いから気をつけてね?」
「はーい…」
とまた二人同時に返事をしつつ、言葉の通り慎重に恐る恐る、おばさん、それにすぐ脇で同じように作っている男性店員の手つきを見よう見まねで流し入れた。
…こう言っては悪いのだろうが、率直な感想を言わせてもらうと、家庭的な一般的な料理屋の女将って感じのサバサバしてハキハキとした口調の、これはもしかしたら悪口になるかも知れないが、そんな気はさらさら無い事を前提に付け加えれば、ガサツと見えるおばさんのキャラからは想像できないほどに、理路整然とした説明を耳にして、それが何とも矛盾に感じつつもそれがとても面白く、自分でも分かるほどに口元を気持ちニヤケさせつつ作業を進めた。
後で聞いたのだが、紫を含む他のみんなも同じ感想を覚えたようだった。
「…お、二人とも、流石みんなが言ってた通り、普段から料理をするってだけあって、手際も良くセンスがいいねぇ」
「ふふ、ありがとうございます」
と、私と紫が答えると、二人でお互いの生地を眺めた。二人とも、自分で言うのも何だが、おばさんが褒めてくれた通り、初めてにしては我ながら真円に近いものが出来上がった。
顔を上げて二人で顔を見合わせると、どちらからともなく微笑み合うのだった。
「…あはは!さて、ここでプレートの温度を220度くらいまで上げます。その間にー…いよいよ具材を生地の上に乗せていきます」
「へぇ…」
と私は話を聞きながら、用意された食材の中の一つ、予め千切りされたキャベツを、すぐ傍にいたお兄さんに教わるがままに生地に乗せつつ、思わず声を漏らした。
「さっきの時点で不思議には思ったけれど、私が知るのは具材とかも一緒にボールの中で掻き回して、それをドバッと鉄板に流し入れるイメージだった…んですけれど…」
と、私は顔を下に向けて、次に渡されたモヤシをキャベツの上にフワッと広がるように乗せていたのだが、ここでふと隣から強めの視線を感じたので顔を上げて見ると、おばさんが興味深げな顔つきを見せていた。
何だか気まずく反対に向けると、店員の一人と目が合い、やはり彼も同じような顔つきを見せていた。
…な、何か変な事を口走っちゃったかな…?
とシュンとしかけたその時、
「あー、確かにー」
と藤花が私の後を引き継いだ。
「私もそんなしょっちゅう食べるわけじゃなけれど、確かにボールに生地の元と予め具が入っていて、それをグチャグチャと掻き回して、それを鉄板に入れるもんね」
「あー」
と他のみんなもすぐに同調しだした。
「…もーう、みんなー?それは…」
と私たちの中で一人苦笑い気味の紫が口を挟もうとしたその時、「あはは!」と突然おばさんが笑い出した。
と、同時に、今まで寡黙に別のお好み焼きを作っていた男性二人も笑い出したので、今度は私たちの方が呆気にとられてしまうと、それには構わずおばさんが口を開いた。
「あー、皆さんが言ってるのは、いわゆる関西風だね。まぁ私らのと色々と違いはあるけんど、一番の違いはやっぱり焼き方なの。今あなたが言ってたように、関西のは生地に具材を混ぜ込んでから焼き始めるけど、私らのは今やったみたいに一度生地だけを薄く伸ばして焼いて、その上に後から具材を乗せていくねぇ。これを因みに”重ね焼き”って言うの。…まんまやね!」
あははと、自分で言った直後にまた豪快に笑ったので、私含めて他の皆でまた笑顔になるのだった。

それからはまた指示通り、乗せたばかりのモヤシの上に、カレースプーン二杯分の天かす、青ネギをまたカレースプーンこれは一杯分を”重ねた”。
「まぁ別にお好み焼きの具材に”これ”っという決まりはないから、本当は何でも入れても良いんだけど、今回は初めてだってんで、今日はウチの定番通りに乗せていくよー。まぁ今度ウチに帰ってだとか、その時に、自分で好きな具材を乗せて作って食べてねぇ」
「はーい」
と答えつつ、その上に今度はイカ天を乗せた。おばさんが言うには、広島のお好み焼きには欠かせない定番とのことだった。見た感じ、そのまま食べても美味しそうなイカ天だった。
そして最後に、まだ焼いていない豚バラ肉を数枚、まるで蓋でもする様に満遍なく広げて乗せていった。

「…出来ました」
と、これまた二人同時に口にすると、「どれどれー?」とおばさんが大きな動作で私と紫のを見比べた。
私と紫もお互いのを見てみたが、パッとみた感じ、どちらも同じ出来栄えに見えた。
まぁおばさんの言う通りに一応作っているのだから当然だとは思うけど。
気づくと他のみんなも黙っておばさんの言葉を待ったが、急に勢いよく頭を上げたかと思うと、ニコッと笑顔を浮かべて口を開けた。
「…うん!完璧完璧!」
「やったー」
と、私と紫の二人よりも、他のみんなの方が大袈裟に喜びを表した。
私たちもそれに出遅れてだが、二人顔を見合わせて、時たま視線を互いのものに流しつつ、自然な笑顔を向けあっていると、その間におばさんが男性二人に何か話しかけた後で、腰に両手を当てつつ明るく言い放った。
「さてと、今日のメインイベントに行ってみましょうか!」

「ちょっと良いかいー?」
「はい」
とおばさんに言われるままに側から少し離れた。
「さて、今このプレートは220度に達しています。…っと、こうしてさっき作った生地の余りをボールからおたまに半分くらい入れて、豚肉の上から満遍なくかけます」
「はい…」
と私と紫も真似つつ続いた。
「この時に追加する生地のことを”つなぎ”とも言います。まぁこれもまんまやけんど、要はこの後ひっくり返す時にバラバラにならないよう失敗しないためにするものです。なので…ふふ、裏返しした後の自信が無い場合は多少多めにしてもええですよー」
「はーい」
と今回は私たちの代わりというか、他のみんなで明るく返事をした。
「うん、よし!では…」
とおばさんはおもむろに二本の金具を手に取ると、軽くカンカンと音を鳴らしてから言った。
「とうとうメインイベント!今まで二人に作ってきてもらった訳だけんど、今からお好み焼きをひっくり返してもらいます!」
「おー!」
と今度は私と紫も一緒になって、皆で声を漏らした。
おばさんはそんな私たちの反応にニコッと笑い、それから口を開いた。
「さて、今おばさんが手にしているのはヘラと言います。コテとも言うけんど…。っと、さてお二人さん、お好み焼き屋さん秘伝のひっくり返し方を見せちゃるけん。よー見とき?」
…ふふ。
と、さっきまでは私たちに合わせてなのか、イントネーションはともかくとして字面的には標準語だったのが、狙ってなのか、ここ数分間で一気に方言があからさまに混じってきたのを聞いて、ますますの親しみが増すのと同時に自然と笑みがこぼれたのだが、それは紫も同じだったようで、おばさん越しに同時に顔を見合わせると、次の瞬間にはニコッとお互いに微笑み合い、それから「はーい!」と明るく返事を返すのだった。
「よろしい!じゃあいくよー…」
と、おばさんはお好み焼きの下にヘラを刺し入れた。
この瞬間は、テレビ風だとここでどこからともなくドラムロールでも鳴ってきそうな雰囲気になったが、「…ホッ!」と声を上げた次の瞬間、おばさんのお好み焼きはクルンとキレイに回った。
「おーー!」
と皆で一斉に声を上げて、思わずといった風に全員が立ち上がり、ひっくり返った後のお好み焼きを覗き込んだ。
「キレー」
と皆が思い思いに簡単な感想を述べる中、
「なんのなんの!」とおばさんは、形状上仕方なく少し散らばった具材をお好み焼きに戻しつつ、半分誇らしげ、もう半分は照れ臭そうに笑いつつ口にしていた。
「えー…さて!まぁこんな風なわけで、早速だけんど、そうやなぁ…」
とおばさんはチラチラと両脇にいる私と紫を交互に眺めていたが、「じゃあ…っと」とおばさんは私で視線を止めると笑顔で言った。
「じゃあ順番ということで、最初に名乗り上げてくれた、えぇっと…あ、そういえば、まだ名前聞いてませんでしたね?」
とここで急にそんな話を振ってきたので、その場違い感にまたもや思わず笑ってしまいながら、「あ、私は…」と名乗ろうとしたその瞬間、「あっ!」とせっかく一度席に座ったのに勢いよく立ち上がる子がいた。裕美だった。
あまりに急だったので、ヘラを手渡されている途中だった私とおばさんとで顔を同時にそっちに向けたのだが、裕美は立ったまま、座ったままの他のみんな、特に麻里、藤花、律の方に視線を配ってからニヤケつつ続けて言った。
「あ、その子の名前はですね…ふふ、”姫”と呼んであげてください!」
「ちょ、ちょ…」
と私が制しようとするのも束の間、「あはは!」と相変わらずよく通る声で明るく笑う藤花を先頭に、また私たちの中でのいつものノリが発生してしまった。
しかもこの時は、別の班の子達も悪ノリしてきて、律と隣同士の子から始まり、一瞬にして空気が伝播していき、「姫、姫」とコールが始まってしまった。
いつものクダラナイノリとはいえ、ここまでの規模のは初めてだったのもあって、流石の私も苦い顔つきを保っていられなくなり、「もーう、勘弁してってばぁ」とボヤくのと同時に、ついつい笑みを浮かべてしまうのだった。
おばさんも流石(?)というのか、空気を瞬時に察知したらしく、まだこの雰囲気が続く中、目をぎゅっと瞑るように笑いながら口を開いた。
「あはは!姫かぁー…よし!じゃあ姫ちゃん!」
「もーう…『よし!』じゃ無いですよぉ」
と私がイジケ風に返すと、おばさんはまた一度豪快に笑った。
だが、すぐにふと鉄板に視線を落とすと、少しテンションを落とした笑顔を浮かべて私に話しかけた。
「ははは…っと、さてと、お喋りはこの辺にして、こうしている間にもプレートの上でどんどん焼かれてっちゃうから、そろそろ引っくり返して頂きましょうか、姫ちゃん?」

「…ふふ、はい」
と私はまた苦笑まじりに返すと、早速両手に持ったヘラをそっと、自分で今まで作ってきたお好み焼きの下に、滑り込ませた。
この時ふと気付いたのだが、あれだけ私をからかうために盛り上がっていた他のみんなもいつの間にやら静まり返っており、顔を下げていたので実際には見ていなかったが、それでも視線が私の手元に集まっているのを感じていた。
「ふふ、失敗を恐れずに、勢いが大事だかんね?」
と今日イチの優しげな声でおばさんが声をかけてきたので「は、はい…」と視線を固定したまま返した。
そして動作をゆっくりとヘラで持ち上げようとしたその瞬間、ふと、先ほどのおばさんの様子を思い出した。
…あ、そういえば、さっきおばさん…
とここで私は不意に、お好み焼きをゆっくりと、形が崩れないように自分から離すように移動させた。
「おっ?」
とおばさんが声を漏らしていたが、この時の私は集中していたので、記憶の情景を思い出しつつ、いい塩梅と思われるところまで移動させると、また改めてヘラを下に滑り込ませた。
さて…っと…
ふー…と私は息を長く吐いたが、もうこれ以上は吐けないってくらいになったその時、「ほっ!」と、これまたおばさんの真似をして掛け声をあげると、持ち上げずに、どちらかというと一つ支点を作ってお好み焼きを起こし、そのまま手前側、自分側へ”倒す”ように引っくり返した。
引っくり返されたお好み焼きはというと、何とかというか、パッと見では形が崩れていない様子だった。
「ほ…」
と声に出して思わず漏らした次の瞬間、「おーー!」とまた一斉に皆が立ち上がって声を上げて、そのお好み焼きを上から見下ろした。
「すごーい!」
「キレーに出来てんじゃなーい?」
と口々にお褒めの言葉をくれるので照れ臭げに笑っていたが、「さっすが姫!」と裕美が言ったのは見過ごさずに、「あなただけ余計なんだから…」とジト目気味に、しかし口元はニヤケつつ突っ込むのだった。
「あはは!ウンウン、上手くやったねぇ」
とまだワイワイと賑やかな中、おばさんが笑顔で声をかけてきた。
「キレイだよー」
「ふふ、ありがとうございます」
と私がお礼を言うと、それに対して何度か頷いたかと思ったら、ふと急にニヤケ面になり、視線だけお好み焼きに目を向けつつ言った。
「…ふふ、上手くやったのもそうだけんど…おばさん、驚いちゃった」
「…え?」
と普通なら上手く返した事への感想だと受け取れる内容だったのだが、しかし直感的に何か引っかかった私が「何でですか?」と、普通だったら流すのだろうが、こんな時にも自重しない”何でちゃん”が起きだして、そのままに質問を投げかけた。
だが、おばさんは「え?んー…」と少しだけ考えて見せたが、しかし結局はニコッと笑うのみで終わり、パンっと一度両手を打ってから口を開いた。
「さーて、次の挑戦、いってみよー!」

「はい」
「ありがとうございます!」
とおばさんからコテを受け取った紫は笑顔で返した。
どうやらまだ先ほどのノリを引きずっているようで、はたから見た感じ、私とは真逆で良い具合に緊張を緩めているように見えた。私のおかげ(?)だ。
ヘラを受け取ると、早速紫はお好み焼きのヘリをヘラでペタペタとならすような動きを見せていたが、ふとここで私に顔を向けると、途端に悪戯小僧よろしい笑顔を浮かべつつ口を開いた。
「…まったくー、琴音ったら、一発でキレイに成功させちゃうんだもんなぁー。後でやる私の身にもなって欲しいもんだよぉ」
「あのねぇ…ふふ」
とその声のトーンと表情がキレイにカチッとマッチして、それが面白く目を細めつつもニヤケつつ返すと、「あはは」と紫も声をあげて笑った。
と、そんな私たちのすぐ後で、おばさんは早速紫の名前を聞き出した。
「あ、私ですね?私は…」
と言いかけたその時、
「ムラサキ!」「ゆかり!」
と私と同じようにまた外野から横やりが入った。二種類だ。
紫もだったが、私も声の方を見ると、まぁ当たり前だがそこには裕美、藤花、律と、それに麻里がいた。
「ムラサキ」は当然裕美たちで、「ゆかり」は麻里一人だ。
体の向きも、私の位置から見て麻里は右向きに、裕美たちは皆同じく左向きにしていた。
「あはは!どっちなのー?」
とおばさんが皆を見下ろしながら聞くと、途端にこれまた恒例の流れが始まりだした。
「ちょっとー、ゆかりでしょー?」
と麻里がまずニヤケながらだが不満げに声を漏らすと、「えー?」と他の三人で応戦した。
「ムラサキだよぉー」
とまず藤花が麻里と同じように不満げに、あざとくほっぺを膨らませつつ言うと「そうだそうだ!」と裕美も後に続く。
「てか誰よ、そのゆかりちゃんってー?聞いた事ないわ」
と言った後、顔を少し紫の方に傾けてから続けて言った。
「…ムラサキなら知ってるけれどねー」
「あはは!」
と藤花がまた明るい笑い声を上げた。
それからまた私のノリと同じように皆でワイワイと騒ぎ始めた。
麻里がまた何やら裕美たちに反応していたが、この時の私はふと律の方に注目していた。
他の班員たちも同じクラスなのもあって、今のノリは多かれ少なかれ知っており、それなりに笑顔で加わっていたが、そんな中で律はすぐ隣の、先ほどから度々登場する同じ部の子と和かに話していた。
「あはは!律、あなたたちの班…ってかグループって、なかなかに面白いわね」
「ふふ、…でしょ?」
と律は小さく微笑みつつ返していたが、ふとここで私と目が合った。
ほんの少しばかり見つめ合ったが、どちらからともなくクスッと笑い合うのだった。
とこの時にふと隣の子とも目が合い、そのまま一緒に微笑みあうのだった。

この子は今まで見てきた通りに、律にとっては藤花の次くらいに心を開いている数少ない小学校時代の友達というのが伺えるだろう。
まぁもし何処かで話の流れで触れる事があるならしてみようと思う。
微笑み合った後、また騒ぎの震源地に顔を戻すと、相変わらず同じネタで盛り上がっていた。
「ちょっとみんなー?私の名前で本人を前に妙に盛り上がるのやめなさいよー?」
と紫は、これまた”いつもの”調子で返していた。
…ふふ、さっきから”恒例の”とか”いつもの”と何気なく使っているが、これは一応軽く話しておいた方が良いだろう。
…ふふ、今までのお返しだ。
さてと、まぁ簡単に言えば、そのままの通り、今ずっと繰り広げられている流れは日常的に発生していた。
しかし、日常的とは言っても、私の”姫”だとか”お嬢様”とか、最近加わった”令嬢”とかのノリとは数は格段に少ない。
というのも、今のノリは、その場で誰も紫のことを知らないというのが大前提で、そうでないとここまで名前だけでは盛り上がりに欠けるからだっだ。
例としても片手で数える程しかない。
例えば例の御苑近くの喫茶店。あそこでアルバイトしている学園OBの里美さんと知り合ったその頃は、まだ入学したてというのもあって、ここまで人の名前を遠慮なくイジれるような間柄にはなっていなかったので、このノリは生まれなかった。
なので、自分で振っておいてなかなか例を思い出せないが、まぁ私の知る限り、すぐに思い出せるのは何をおいても、中学二年時の文化祭の二日目だろう。
そう、藤花と律を除いた他の三人で、ゲーム的にそれぞれが学園以外の友達を招待した時だ。
あの時は私と藤花の件を利用して、普段も文化祭時にも使われていなかった教室を借りて、そこでみんなでまず自己紹介をしたのだが、その時に今のような流れがあったのだった。
…とまぁそんなわけで、結局は恒例とか、いつものって程では無いのだが、それでもやはり久しぶりというのもあってか、紫が言ってたように、ここぞとばかりに”妙に”盛り上がりを見せるのだった。
そんな様子をニコニコと眺めていたのだが、ふとおばさんが私に「本当はどっちなん?」と聞いてきた。
それと同時にぱたっと今までのザワつきが静まった。
私は顔だけおばさんに向けたまま、器用に席側を見ると、麻里に始まり裕美たちが一斉にこちらに視線を向けてきていた。どの顔にも好奇心が浮かび上がっている。
ふと別の方からも視線を感じたので見ると、そこには紫がいて、これまた麻里たちと同じ表情を見せていた。
何でここでガラッと空気が変わったのか不思議に思いはしたが、それでもおばさん越しにチラッとまた紫を見てから、一度ニコッと満面の笑みを浮かべて、それからおばさんに顔を戻して、少し勿体振るように答えた。
「それは…もちろん…ムラサキです」

私がそう答えた次の瞬間、「あはは!」と皆がほぼ同時に笑い声を上げた。
「ちょっと琴音ー?」
と早速紫が状態を少し倒しつつこちらにジト目を向けてきたが、その口元には笑顔が見えていた。
私がそれに対して無邪気そうにニコッと静かに笑ってみせると、そんな私たち二人を含む皆の様子を見たおばさんは、他の男性店員に目配せをすると笑顔を向けあうのだった。

「よーし…」
と紫は、コテを両手に持ちつつ、制服姿だというのに腕まくりをするジェスチャーをして、如何にも気合が入ってる風を見せていた。
「ふふ」
と私は…というか、実のところ皆そうだっただろうが、すっかり勝負だというのを忘れて、妙に芝居臭い紫の行動に一々笑みを漏らしていた。
「紫ー?」
とそんな中、ふと麻里が声をかけた。
「何よー?」
と紫は肩をいからせていたのを元に戻して返事した。
「せっかく今気合い入れていたのにぃ」
と不満をあらわに見せつつ言うと、麻里はそれに対してニコッと笑いながら言った。
「今更だけど、あなたはいいのー?琴音ちゃんみたいに髪を纏めないで」
と自分の頭を指し、もう一方の手でリュックの方にもう片方の手を伸ばしつつ「髪留め貸そうか?」と続けて言うと、「うーん…」と紫は一気にウンザリげな表情を引っ込めると、パッと私の方を見た。
目が合った私は、ただ黙って、わざと少し自慢げにハイポニーテールを見せて揺らして見せた。
それを見た紫は一瞬考える様子を見せたが、途端にニヤッと笑みを浮かべると、そのままの顔つきで麻里に答えた。
「…んーん、別にいいわ。このままでいくよ!」
「そーう?」
と麻里がリュックを元に戻しつつ返すと、「えぇ、それに…」とここでまた私に顔を戻して言った。
「…ふふ、姫はお好み焼きを焼くのに準備が必要なほど髪が長いけど、私はこんなもんでしょー?」
と紫は、両手にコテを持ったままのもあって、見せつけるにもただ頭を左右に振ってみせるのみだった。
紫が振るたびに、天然パーマのカールボブが横にフワッと広がっていた。
と、頭を振るのに満足したのか動きを止めると、今度はこちらにビシッとコテを向けて、
「だから姫には開始前の時点で勝ってるんだよ!」
と悪戯成分多めの笑顔を見せつつ言い放った。
「何よその理屈は…」
と私が思わず苦笑まじりにつっこむと、またもやテーブル内でザワザワと賑やかになったが、パンっと不意にまた両手を打ったかと思うと、おばさんが少しジト目気味の目元を作りつつ、しかし笑みを絶やすことなく言った。
「さて、そろそろ早く続きをしましょ?」

「よーし…」
と紫はまた両肩を若干イカらせて、コテをお好み焼きの下に滑り込ませた。
そして、また私の時のように皆で黙って見守る中、紫は小さく体を上下に揺らしてリズムを整えていた。
と、その時、
「…よいしょっと!」
と掛け声とともにクルンと引っくり返した。
空中でひっくり返ったお好み焼きは、ペチャっという音と共に鉄板上に戻ってきた。横からだったがパッと見た感じ、形も崩れてなく、どうやら成功したみたいだ。
「おーー!」
と今回も私含む皆で声を上げつつ上から覗き込んだ。
とうの紫はというと、サッと横を向きおばさんの顔を眺めていたが、おばさんは数秒ほど上から眺めた後、パッと左に顔を向け、そしてニコッと笑いつつ口を開いた。
「ウンウン、元気よく勢いよくひっくり返してくれました!…大成功だったね!」
「ふふ、はい!」
とさも当然と言わんばかりに胸を張って返すと、おばさん越しにこちらを覗き込んできたので、私からはそんな態度の紫に心底呆れたと見えるようにワザとらしく苦笑いをした。
それを見て、紫はただニコッと笑うのみだった。

それからは、私たち全員共にテンションを戻して、私と紫の二人はおばさんの指導の元、広島風お好み焼きに欠かせない焼きそばを作り始めた。
…まぁ、この焼きそば作り自体は簡単だったので、少なくとも私に限って言えば、お喋りする余裕が戻っていた。紫も同じようだ。
とその時、
「…あ、そういえば」
と口を開く者がいた。声だけで分かる。藤花だ。
見ると、藤花は少しだけ腰を浮かして鉄板上を見下ろしつつ続けて言った。
「琴音たちって勝負してたんだよねぇー?」
「あーー」
と藤花の言葉に瞬時に他の皆もすぐさま反応した。
「忘れてたわー」
と誰かが口にしたので、
…ふふ、やっぱり忘れてたのね。…別にいいんだけど。
と私は一人ふふっと笑みを零した。
「おばさーん」
と今度は藤花の代わりに裕美が声をかけた。体勢も藤花と同じだ。
「今二人にひっくり返したトコまでしてもらったわけだけど、おばさんから見て、どっちが上手でした?」
「えー?」
と途端に隣からボヤキに近い声が漏れ聞こえてきた。
如何にも少し困った様子だ。
「もーう、裕美ー?」
と助け船って程でもないが、なんとなく普段だったらこうするだろうということで、
「ちょっとー、それを今聞くのー?まだ作ってる途中だってのに」
と私が呆れ笑いを交えつつ返すと、その直後で隣からすっかり聞き慣れた笑い声が聞こえてきた。
チラッと視線だけ向けると、おばさんはコテを動かしつつも、器用に顔だけ上に向けて笑っていた。
そして顔を戻すと、藤花、裕美に話しかけた。
「あはは!確かにねぇ、今審判っていうのは気が早すぎる気がする…というか、私が審判するというのは考えていなかったし、そう聞かれるとちょっと困るんけんど…」
とここまで言うと、一度私と紫の手元を見てからまた続けて言った。
「まぁ今聞かれたことだけ答えるとね…まずえぇっと…姫ちゃん…で良かね?」
とまた急に標準語から外してきたので、何か訂正を入れようにも、こちらにその意気が削がれてしまい、「はい…ふふ、いいですよ」とだけ返した。
それを聞いたおばさんは目を細めて笑うと、おばさんは自分の分のを作りつつ、二本のヘラを使って焼きそばを調理する私たちの手元に時折視線を向けながらツラツラと話し始めた。
「はは、ありがとうね。えぇっと…ふふ、うん、流石姫ちゃん、普段からお菓子を作りよる言われとったけど、確かにその通りに道具の使い方とか何とか、手際が良かったわー」
「おー」
と皆が声を漏らすので、何が『おー』なのかといつもなら冷やかすところだったが、この時ばかりはスルーしておいた。代わりに照れ隠しに何も言わずにほっぺを掻くのみにとどめた。
おばさんは続ける。
「でもなぁー、おばちゃんさ、さっき見ててオモロイもんを見つけてしもうたんよ」
とここにきて急にニヤケつつ言うので、それが意味深に見えて、私と紫も含む皆が一斉に反応した。
「なんですか、それって?」
と皆を代表して、なぜか…って言っては悪いが、麻里が聞くと、おばさんは私に顔を向けつつ答えた。
「いやね、まぁ簡単に言うとさー…ほら、私が先に手本ちゅうかやって見せたでしょ?でね…ふふ、姫ちゃんはね、私のやったそのまんま、その通りのやり方でひっくり返して見せたんよ」
と言い終えると、コテを少し空中に持ち上げて、その場で”エアー返し”をしてみせた。
私も思わずそれを見て真似をする中、みんなは「あー」と、本当に分かっているのかどうなのか計りかねる相槌を打っていた。
それには特に構わずにおばさんは続けた。
「いやぁ、本当に綺麗にそっくりに真似てくれたからね、それがとても面白かったんよ」
とここまで明るく話したのだが、ここで少し声のトーンを落ち着かせて続けた。
「…ふふ、おばちゃんね、もう何年も前からみんなの学校からの修学旅行と関わっていてね、毎年毎年初日にはウチの店で作って食べて貰ってるのね?」
「へー」
「でさ、こうして各テーブル毎に代表二人に出てきてもらって焼いてもらうんだけんど、毎年見ているうちにね、何となくみんなの事が分かる…と言うと言い過ぎだけんども、なんか分かるようになったんよ」
とここでおばさんは一度溜めてから先を続けた。
「おばちゃんは話し下手やからね、ちょっと話が逸れちゃうけど、えぇっと…」
とおばさんは今度は左隣に視線を移した。
「…ムラサキちゃん…でええんよね?」
と苦笑まじりに聞くと、紫は一度向かいに座る麻里を見てから、クスリと一人笑みを零してから答えた。
「はい」
「ふふ…あ、でね、ムラサキちゃんも姫ちゃんと同じように普段から料理をするってさっきみんなに言われてたけど、その通りで、姫ちゃんと変わらないくらいに手際が良くて、それにもおばちゃん驚いたけれどね?ただ…」
とおばちゃんは私と紫を交互に眺めてから続けた。
「二人とも方法が違ってたんよ。姫ちゃんに関しては、私が言った通りだけんど、ムラサキちゃんに関して言えばね…」
とおばちゃんはまた一度区切ると、座っている皆に視線を順番に流しつつ言った。
「まぁ言うてみれば、前々に既にお好み焼きを作った事のある人の手つきだったんよ」
「あー」
と今度はそれなりにまだ詳細を聞いていないにも関わらずとも察したらしいみんなが揃えて声をあげた。
そんな中、
「…そうでしょ?」
と声を掛けられた紫は、「は、はい」と少し戸惑い気味だったがすぐに返した。
「何度か家族とかと一緒にお店で食べた事があります。てまぁ…別の種類ですけど」
と最後になんだか気まずそうに付け加えていたが、それには全く構わない様子で、
「あはは、そうやろそうやろ!」
とおばさんは何だか嬉しさと愉快さを混ぜ合わせたような表情を浮かべていた。
「ムラサキちゃんは、こうやって空中に少し全部ごと持ち上げて、手首とかを使って上手く返してたもんなぁ」
と、私の時と同じ様に空中で実際にまたパントマイムをして見せていたが、それを終えると、ふと今度は私の方に顔を向けると、先ほどまでの少しトーンの静かめな調子で言った。
「でもね、繰り返しちゃうけど、姫ちゃんはそうしなかった。私のした通りにしたよね?…あはは、うん、でね、それを見てすぐにね、あぁ、この子は今回初めてなんやなぁ…て思うてね。…どう?」
と聞いてきたので、別に隠す必要もないと「はい、その通りです」と素直に答えた。
「あはは、そかそか」とおばさんはそう一度返してから先を続けた。
「まぁ…って、何だか妙に長々と喋ってしもうとるけど、まぁ単純に言えばね、初めて作る、しかもそれがうちやったとしたら、キチンと美味しいもんを食って貰いたいなって思ったんよ」
とおばさんは、もうすっかり出来上がった焼きそばとお好み焼きを眺めつつ言った。
「まぁ、それは姫ちゃんが自身で器用に作ったから、今の時点で正直何も心配なんか無いんやけどね?…ふふ。あ、後一つ、それで勝負なんやけど…」
とおばさんは今度は私のだけではなく、紫のにも目を向けて、そしてその後は、麻里に始まり、裕美、藤花、律、そして他の班のみんな全員に視線を配ると、目をぎゅっと瞑りながら言った。
「…ふふ、こんなおばちゃんなんかの話で時間を潰しといてなんやけれど…うん、姫ちゃん、それにムラサキちゃん、二人とも方法こそ違うけんど、でもどっちも同じくらい綺麗にしてくれたから、同着って事で…良かね?」

そのおばさんの言葉を聞いた直後は、数瞬ほど間が空いたが、それからは誰からともなくクスッと漏らしたかと思うと、次の瞬間には皆で明るく笑うのだった。
「はい!良かです、良かです!」
と、藤花と裕美を中心におばちゃんの口調を真似しつつ繰り返し口にしていたのを見て、「そかそか」とおばさんもますます笑みを強めるのだった。
当事者である私と紫はといえば、皆よりもまた少しばかり”ノリ”遅れたが、ここでふとお互いの顔をほぼ同時に見つめ合い、それからはどちらからともなく、互いの作ったお好み焼きに時折視線を向けつつ自然な笑みを向け合うのだった。

それから後は、おばさんの指導のもと、出来た焼きそばを、お好み焼きが乗せやすいように丸く広げた。
そして、私たちがおしゃべりしている間に、いつの間にか鉄板の温度を170度に男性店員たちが設定したという説明を聞きながら、適度に余分な水分の抜けたお好み焼きを慎重にソバの上に乗せた。
そして次に、「これが最後の難関よ」とおばさんが両手に小ぶりのボールを二つ持って、それを私と紫に渡した。中を見ると、そこには生卵が一つ入っていた。
おばさんはそれを渡し終えると、
「じゃあ早速、二人はその卵を数回でええから掻き混ぜてもらえる?」
と言いながら、自分は鉄板に油を薄く引き始めたので、
「はーい」と二人揃って返事をすると、早速卵を掻き混ぜた。
その様子を見た、油を引き終えたおばさんは私たちを交互に見て、「やっぱり手際がええわぁ」と笑顔で声をかけてきた。
「おー」と数人が声を漏らす中、
…ふふ、たかが卵を掻き混ぜる程度のことで、手際も何も無いだろうに…
と、持ったが病というのか、こんなひねくれた性格故か、こんな考えが一瞬頭にチラついたが、それでも場の空気のなせるワザか、そんな生意気な考えはすぐに薄れて、そんな言葉にも素直に嬉しくなるのだった。
それからはまたおばさんの指示のもと、新しく油を引きなおした部分に混ぜたばかりの卵を流し入れた。
その瞬間、ジューっと心地いい音が辺りに広がった。
と、入れたのも束の間、「卵は半熟が美味しいんよ」との事で、教えてもらうままに、固まってしまう前にお好み焼きをその上に乗せた。
「さぁさぁ、時間との勝負よー」と何だか徐々に…いや、何だか目にそのゲージが見えるんじゃないかってほどに、凄い勢いでテンションを上げながら声をかけられていた。
「はーい!」と私たち二人が返事を返すと、
「お好み焼きを乗せたら20秒から30秒もしないうちに、ひっくり返すからねー?」
と言われたので、さっきあれだけ長く話しを聞いていたのもあって、すぐにまた話の内容を思い返していたのだが、その思い出に浸る時間の猶予はなかった。
「さぁ、今よ!」とおばさんが声をかけたので、私と紫は一度顔を見合わせ、そしてコクっと頷きあうと、「ヨッと」と掛け声を上げながらひっくり返した。
私はおばさんのやり方通り、紫は一般的なやり方でだった。
…最初の時は、おばさんが言ってたように頭の中で反芻しながら慎重にやったから出来たのだが、今回はどうかと心配した。だが、しかし…ひっくり返った後を見ると、どうやら今回も上手いこと出来たようだった。
ひっくり返ったその様を見ると、短時間とはいえ熱せられた鉄板の上で程よく半生で焼けた卵の姿は、白身部分と黄身の部分がまるでモザイクのように入り混じっており、天井の照明を、テラテラ…いや、キラキラと反射させていて、いつまでも見ていても飽きないような模様を見せていた。
「おー」と今度は皆よりも先に、私と紫が声を上げて、そしてそれにお互いに気付いてまた顔を合わせ、そして互いのお好み焼きを眺めた。
それからすぐ後で、自然とお互いの顔を見つつ笑みを浮かべると、その間で私たち二人の様子を見ていたおばさんが、明るい声を上げつつ言い放った。
「よし、完璧にひっくり返せたところで、最後の仕上げよ」

その言葉の直後に、おばさん達からお店特製だというソースの入った容器とハケを受け取り、黄色と白の模様の上にハケを使って塗りかけていった。
その作業が終わると、青ノリ、鰹節、マヨネーズをかけた。
掛け終わり、ふとおばさんの方を二人で見ると、静かに黙って視線を何度も二つのお好み焼きの間を行き来させていたが、コクっと大きく頷いたかと思うと、私と紫に顔を向けて、そしてまた目を瞑りつつ笑みを浮かべながら明るく言い放った。
「…よし!無事に完成ー!お疲れ様でした!さぁ、早く早く、今作った自分のお好み焼きを食べましょ!」

「はーい!」
と二人でまた顔を見合わせつつ笑顔で元気よく答えると、その後は私と紫はエプロンを脱ぎ、それを一応ではあるが適当に畳んで、男性店員の二人に返してから自分の席に戻った。
その間、皆の後ろを通るたびに「お疲れ様ー」と、裕美達だけではなく、他の班のみんなからも労いの言葉を貰った。
最後に自分の席に着くと、「お疲れ」と私は両脇の裕美と藤花から、紫は壁際の席だったので左隣の麻里に同じようにダメ押しで声を掛けられていた。
それに対して、私も紫も「うん」とだけ短く返すのだった。
と、席に着いて私は髪だけはそのままにしつつ、眼鏡だけは外してケースに入れてリュックに戻していると、男性店員たちが私たち以外のみんなに出来てたてのお好み焼きを持ってきて、それを順に鉄板の向こうから置いていった。
置かれるたびに「わーい、ありがとうございまーす」と各々は行儀良く返していた。
そう、今皆に渡ったお好み焼きは、私と紫が挑戦していたそのすぐ傍で、店員の二人、そして教える為とおばさんが作っていた一つだった。
「おー」と口にしながら写真を撮ったりと皆が各様に思い出を残していたその時、「お待ちどうさまー」と向かいからおばさんが声を掛けてきた。
その両手には、今私たちが作ったばかりのお好み焼きが、お皿の中に鎮座していた。
「はい、これは姫ちゃん。…はい、これはムラサキちゃんのね」
と口にしながら手渡されたので、「ありがとうございまーす」と声に出しながら受け取った。
お好み焼きからはまだ出来たての証明とばかりに湯気が上がっており、自分が乗せた鰹節が、その湯気の流れに合わせてクネクネと踊って見せていた。
「おー」「いいねー」
と両脇の裕美と藤花が口にしながら覗きこんできていたその時、カシャっと音がしたので見ると、早速紫が自分の作ったお好み焼きをスマホで撮っていた。
「キレイに撮れた?」
「うん」
と会話する紫と麻里の様子を見て、一瞬逡巡したが、しかしそれでも湧き上がった欲求には抗えずに、私も制服のポケットからスマホを取り出し、そしてそのまま流れで自分のお好み焼きを写真に収めた。

…ふふ、急にどうでもいい話をするようだが、私は普段は、”外では”このような写真を撮ることがまず無い。
それはさっきの駅に着いたばかりの時に話した通りだ。
それを今回に合わせてもっと具体的に言うと、このように食べる前に料理を写真に収めるという習慣も当然なかった。
例の御苑近くの喫茶店に、初めての時は律の部の先輩に教えてもらって行った訳だが、その時に各々がスイーツを頼んだ後で、来たその品々を、裕美と紫、そしてそれに何テンポか遅れて藤花も写真を撮っていた。
私と律はただ傍観しているのみだったのだが、私個人でいえば初めて目の前で繰り広げられる光景に驚きつつ、まぁ…みんなには悪いが、正直ウンザリもするのだった。早くとっとと食べたかったのだ。
それは今もそうで、もう数え切れないほどに、あの喫茶店に限らず色んなお店で同じような光景を目の当たりにしたが、私と、それに律はただその間は黙って事の成り行きを眺めるのみだったのだ。

…と、まぁそんな訳なので、そのような普段を知っているためか、私が写真を一度だけだがパシャっと撮ったその時、両脇から熱い視線を感じたので、なんとなく想像が出来ていたのだがゆっくりと見渡すと、案の定、裕美と、藤花に始まり、紫、それに律までもがこちらをニヤニヤと見つめてきていた。
そんな様子を、ただ麻里一人がキョトン顔で、何のノリなのか見極めようとキョロキョロと見渡していた。
そんな中、
「な、何よー?」
と私が無駄と知りつつも動揺を悟られまいと目を細めつつ声に不満の色を多量に滲ませて言ったが、次の瞬間、他のみんなは近くの人に始まり徐々に全員に視線の先を向けていき、最後に一度コクっと頷き合ってから「べっつにー?」と声を揃えて言うのだった。
「もーう…」
と私はまたいつも通りに負けを認める風に苦笑を漏らしたのだが、この時、おそらく私だけだろう、皆の視線が私に集まっている時に、ふと藤花の後ろで、律が黙ってスマホを取り出し、そして一人でコソッと写真を撮るのが見えた。
「…あ」と流石の珍しい光景に小さく声を漏らしてしまったが、そんな音量だったのに”都合よく”律だけが気づき、バッとこちらに顔を向けてきた。
普段は上品に横にスッと切れた薄目がちの色っぽい目元を、この時ばかりは真ん丸に開けていたのだが、しばらく見つめ合った後、そのにらめっこの様な状態に耐え切れなくなった私が、ついさっきの光景を思い返したのもあってクスッと小さく微笑むと、その直後に合わせる様に律もほほえみ返すのだった。


「じゃあ…いっただきまーす!」
と私たちが向かい側に立って後片付けをしているおばさん、男性店員の二人に声をかけると「召し上がれー」と一斉に返された。
その直後にはワイワイガヤガヤと口々に声を上げながら、用意されていたヘラを、普段から使わないためかぎこちない手つきで動かしつつも、勢いよく皆が同時にお好み焼きにかぶり付いていった。
この時ふと何の気もなしに壁に掛けられていた時計に目を向けると、時刻は一時半になろうとしているところだった。お店に入ってから一時間ちょっと経つ頃だ。
まぁガツガツとお嬢様校のお嬢様たちが食べ始めるのも仕方ないだろう。私もそうだったが、朝が早い中でも朝食はきちんと食べたが、それから大分時間が経っていたし、それに新幹線の中では間食がわりのお菓子を少し突いた程度だったのだ。

ヘラに少しだけ苦労しつつも、そのこと自体を含めて楽しんでる風な自分たちの班と他の班員たちの、満面の笑みを零しながらお好み焼きにがっつきつつ、近くの同級生に思いつくままに感想を言い合うその様子が、何だか微笑ましくてついつい表情が緩むのだった。
この時ふと視線の端におばさんが見えていたが、口に出さずともそんな笑顔を浮かべていた。

とその時、
「あれ?琴音ー?」
と声をかけられた。裕美だ。
「琴音ー、まだ食べてなかったのー?」
と私の目の前に置かれたお皿を眺めつつ言うと、その直後、
「あ、紫ー、あなたもまだ手をつけてないじゃーん」
と麻里も裕美と似た声色を使いつつ声をかけた。
「あ、うん…」
と口にしつつ右の向こうを見ると、紫の方でもこちらを伺ってきていた。
それから少しの間見つめあったが、また事前に決めずとも互いに頷きあい、そして顔を正面に戻して、そして「じゃあ…」と誰に言うでもなく声に出しながら、手に持ったヘラを徐々にお好み焼きへと近寄らせていった。
そのままゆっくりとした動作で、ヘラを垂直に真上からグッと押さえつける様に、一口サイズに切り取り、ヘラの手前にチョコンと乗せた。
その直後、また右の方を見ると、紫の方でも同じ段階まで来ており、そしてまたこっちに視線を流してきたので、同じ様にすぐに頷きかけたが、ここにきてふと、さっきまでざわついていたのが静かになっているのに気づいた。
まず紫を見るにあたって、必然と麻里の顔が見えたのだが、その顔には笑顔ではあったが柔らかな類のもので、視線をほんの数ミリ動かしたそこには裕美の顔が見えたが、その顔にも麻里と同じ種類の笑みが見えていた。
その流れというか、左にも視線を移すと、藤花に始まり、律、そして律と仲が良い友達、そして他の班員たちにも顔を向けると、それぞれが各様ではあったが、どこか見守るというか、優しげな笑みを見せていた。
ぐるっと見渡す様に顔を動かしていたので、最後に正面に戻ってきたのだが、最後におばさんと目が合った。
おばさんは腕を組んで座っている私、それに紫に視線をチラチラと向けていたが、合ったその瞬間ニコッと人懐っこく笑うと、コクっと頷いた。
それを見た後で、またもう一度だけ紫と顔を見合わせ、そしてまたもや一度頷くと、「いただきまーす」と二人同時に声に出してから、ヘラをゆっくりと口に近付けて、まだ湯気が出ていたので熱いのにすぐに気づいた私は、前歯を上手いこと器用に使いながら、自作のお好み焼きを口の中に入れた。
想像通りというか、予想通りまだ熱を持っていたので、ハッ…ハッ…と吐く息で少し冷ましていたのだが、その熱に気を取られなくなると、少しずつ味を判断出来る様になっていった。
まず舌に感じたのは、お店特製だというソースの味だったが、それからはシャキシャキッとしたキャベツ、モヤシ、天かすというそれぞれに違う歯ごたえが主張してきて、噛むたびにそれらの食材が鼓膜の裏側で重なって音が鳴るのが聞こえた。
それに加えて豚肉のこれまた位相の違った噛みごたえが加わり、一気に面白みが増した。
この時の私は、あんな一口サイズだというのに、こんなに多様性があるのかと、大袈裟な言い方だが一人感動していた。
口の中が空になった後で鼻から息を吐くと、一気に鼻腔の中を香ばしいお好み焼きの具材の数々の匂いが纏めて刺激してきた。

…ふふ、相変わらず口が悪くていけないが、まぁたかがお好み焼きに対して、あまりにも私の物言いが大仰だとお思いになられる方もいるだろう。
それはそうだ。今こうして当時を思い返しても、この食べるときに限らず、一連の流れがあまりにも無駄に誇張的に聞こえても仕方ないと思う。
だが、まぁ何度か繰り返し言ってるように、私は私なりに自分で思っていた以上に修学旅行だというんでテンションが上がっていたし、それに、お好み焼き自体もこの時が生まれて初めてだったのだ。
なので、私としてはここまで大袈裟な反応をせざるを得なかったという事情を分かって頂きたい…です。
…ふふ。まぁそんなどうでも良い話はこの辺で終えて話を戻すとしよう。

長々と感想を述べてきたが、この間実際には数秒ほどしか経っていなかった。
味以外での私の行動に触れると、口に入れた瞬間、さっきも話した通り熱を逃がすために小刻みに息を吐いていたのだが、口元にはコテを持っていなかった左手を当てていた。
「んー!」
と私は両目を瞑って、まだ口の中に入っていたのもあって言葉にならない声を発していたのだが、その時右耳にも同じような声が聞こえたので、おそらく紫も同じリアクションをとっている事だろう。
それから口の中が空になり、ようやく目を開けると、目の前にはおばさんの笑顔があった。さっきと変わらない種類のものだ。
と、目が合った瞬間、おばさんはその笑みを数段強めつつ、それに少し悪戯っぽさを加えて声をかけてきた。
「ふふ、二人ともどうやったー?自分で作った”肉玉ソバ”は?」
肉玉…ソバ?
と一瞬頭の上にハテナマークが浮かんだが、すぐに今食べているお好み焼きの名前だと察した私、それに紫の二人は、ここで久々というかまた顔を見合わせると、またおばさんに顔を戻し、ニコッと笑顔を浮かべて答えるのだった。
「はい、めっちゃくちゃ美味しいです!」


「あはは!そかそか!」
と二人の答えを聞いたおばさんは、今日一番の笑顔を見せつつ何度も頷いた。
「そりゃー良かった!」
「はい!…あ」
と、そんな私と紫の返答後辺りから、また皆は一斉に食べ始めた頃の活気を徐々に取り戻しつつあったが、ふとこの時、私の頭に一つの考えが過ぎった。
その内容に、
…ふふ、我ながら子供っぽいなぁ
と一人自分に対して呆れ笑いを浮かべた後、裕美と藤花を中心に色々と声をかけられる中、私とこれまた同じように麻里を中心に声をかけられ中の紫に話しかけた。
「あ、あのさ、紫?」
「…っと、んー?なにー?」
と、紫は慌てて口の中を空にしてから笑顔で聞き返した。
私はそんな様子にニコッと一度微笑んだが、そのままの顔つきで、不意に紫のお皿に指を指して言った。
「ふふ、うん。あのさ…せっかくだし、私とあなたの作ったのをさ、お互いに交換し合わない?」
と最後にぎゅっと目を瞑って言うと、これは想定外だったが、「あ、良いねー!」と間を開ける事なく紫もすぐに同調してくれた。
そんな私たちのやり取りに”外野”が盛り上がる中、私と紫は真円形のソレをコテを使ってピザ風に約十二分の一程のサイズを目算でテキトーに切り取ると、まず私から紫のお皿へ、そして紫が私のお皿に乗せた。
そしてヘラで貰ったのを乗せると、紫と顔を見合わせ、私がコテを向けると、紫の方でもすぐに察したらしくコテを向けていた。
「…ふふ、紫?」
と吹き出しながら言うと、「うん」と紫も返し、二人は中腰で立って、裕美と麻里の中間あたりでコテを軽く当て合うのだった。
「ふふ…かんぱーい」

「…ぷ、あはは!」
と私たちの音頭を聞いた裕美たちは、途端に明るい笑い声を上げた。麻里もすぐに察せたようだ。
律も声こそ上げなかったものの、クスクスと笑っていたが、
「…へ?乾杯?何それ?」
とすぐ隣の例の子が直ちに聞いてきたので、それに答えているのが気配で分かった。
そんな反応を見聞きしつつ、私と紫は早速相手の作ったお好み焼きをパクッと口に入れた。流石に時間が経ったせいか、息を吐くほどには熱くなくなっていて、これはこれで食べやすくて良かった。
「どうなの?」
と賑やかな雰囲気が意外にも早く収まったようで、裕美と麻里に始まり、藤花、律、そして他のみんなが同じ質問をしてきたので、このお店に来て何度目って感じだが、また紫と顔を見合わせると、まず紫から口を開いた。
「んー…ふふ、うん、美味しいよー。そっちはー?」
とニヤケつつ声をかけてくるので、
「んー…」
と私も負けじと顎に手を当てて悩むふりをした。
だが、そのフリもすぐに終わらせると、紫に倣ってニヤケつつ、何かうまいことでも言おうと思ったが、特にこれといって思いつけなかったので無難に返した。
「えぇ、こっちのも美味しいよ」

「…えーー?」
とそんな私の味気ない言葉を聞いた直後に、左隣の藤花が上体を後ろに倒しつつ天井に向けて声を上げた。
そしてすぐに元に戻ると、「二人とも、リアクションはそれだけー?つまんなーい」
と私と紫を交互に眺め回しつつ両頬を膨らませながら言うと、
「あはは、確かにー」
と裕美に始まり、また空気伝播とでもいうのか、またこのテーブル席内で賑やかな雰囲気が醸成されたのだが、その時、ふとこちらに近寄ってくる人影が見えた。
志保ちゃんだ。
「なーに、みんなー?盛り上がってるねぇ」
「あ、志保ちゃんだー」
と藤花が声をかけると、志保ちゃんは笑顔でただ手を振った。
「いや、さっきね?」
と裕美が悪巧み顔で笑みを漏らしつつ説明した。
「私たちのテーブルは、琴音と紫がお好み焼きを焼いたんだけれど、ゲームっぽくしようっていうんで二人に勝負をしてもらったんですよ」
「勝負?」
とここで不意に志保ちゃんは、おばさんの方を見た。おばさんはただ何も言わずに、志保ちゃんに笑顔で頷いているのみだ。
「そうなんですよー」
と麻里が口にすると、「それで誰が勝ったのー?」と志保ちゃんが少し体勢を前に倒しつつ、私たちの顔を覗き見るようにすると、私たちが一斉におばさんの方を見たので、志保ちゃんも腰を曲げたまま同じ方角を見た。
するとおばさんは「あはは!」と一度豪快に笑ったかと思うと、
「まぁ焼く時にどう上手くひっくり返せるかって勝負になったんだけれどね、まぁ二人とも普段から料理してるってだけあって、上手に作ってたよ。…結果は同着」
と声のテンションも高めに返すと「そうなんだー」と志保ちゃんも笑顔で返していた。

そんな二人の様子を見て、この二人の間には一教師とお好み焼き屋の女将のそれ以上を感じていたが、そう思っている間に、志保ちゃんから「おめでとう」という言葉から始まり、「料理するなんて初めて聞いたよー」と、それから流れで今までどのくらい料理してきたのかという質問に二人で答えていった。
それも一分ちょっとで終わると、「じゃあ後お願いね」と志保ちゃんが声をかけると、「はいよー」とおばちゃんが返し、それを聞いてフッと笑みをこぼすと、後は何も言わずに他のテーブル席へと歩いていってしまった。

「はーあっと」
とその後ろ姿を見送りつつ大きく伸びをしたおばさんを見て、もう溜まりに溜まった疑問の渦が溢れ出しそうになっていた私は、ついつい口を滑らせて聞いてしまった…のだが、まぁ、この話は流す形に止めようと思う。
これといって話にはそれほど関わってこないからだ。
でもせっかくなので、その流しでも話すと、おばさんは私からの質問に対して、一切嫌な顔一つせずに答えてくれた。
まぁこの時は私だけではなく、「あ、気になるー」と藤花に始まり皆全員が後に続いてくれたのが大きかったのだろう。

本人が言うのには、なんとなく目の前で見せられた状況証拠から察せられたが、簡単に言うと、おばさんは私たちの学園の卒業生だった。細かい話だが、元々広島出身ではあるのだが、中高、そして大学と一時期東京に住んでいたらしい。何でその間だけ東京にいたのかは聞かずにおいて、感想としては、だから標準語が違和感なく上手かったのだと納得した。
大学出ても東京で暮らすつもりだったらしいが、大学在学中に就活していた最中に、ふと地元広島で小学校時代の同窓会があったとかで帰った時に、同席していた男性と意気投合して、それからあれよあれよという間に結婚する流れとなった…とは、後で志保ちゃんに嬉々と教えてもらった。
そう、ここまでの話、二人の間の雰囲気でこれも察せられたと思うが、おばさんと志保ちゃんはこの学園で友人同士だった。
…ふふ、ここにきて、志保ちゃんもこの学園出身というのが分かっただろう。
”ヤンキー母校へ帰る”…って別に志保ちゃんはヤンキーでは無かったようなのだが、まぁ母校にこうして帰ってきて教職に就いている点では同じだった。
おばさんの話に戻すと、その結婚した相手がこの店の店長らしい。ここで他の班の一人が「東京で就職するつもりだったのに、広島に戻ってお好み焼き屋さんっていうのは面白いですね」と、これだと少しトゲトゲしいが、もう少し柔らかく質問をすると、おばさんはまた「あはは!」と豪快に笑ってから答えた。
「まぁ確かに就活はしてたんだけれど、私は志保と違ってやりたい事も無かったし、まぁ…うちの旦那がお好み焼き屋をしてるって聞いた直後にね、私も昔から大好きだったし、じゃあ『いっかなぁ』って思ったんよ」
「なるほどー」
と私含む他のみんなで納得の声を上げると、それからはまた色んな話をしてくれた。
…例えば、おばちゃんがチラッと言った”肉玉そば”という単語。
おばさんが言うには、他にも色んな呼び方があるらしいが、うちの店では今出したお好み焼きの事はそう呼ぶとの事だった。
それに付け加えて、「今度また広島に来た時には、ただお好み焼きじゃなくて、肉玉ソバみたいな名称を使ってみてね」と言うので、「はい」とみんなで快く返事を返した。
その後はまぁ、当然の流れというのか、卒業生だと知れた今、おばさん自身、それに志保ちゃんとの付き合いについて終始したのだが、「…あ、そうだ!」とおばさんはここで不意に声を上げた。
そして次の瞬間には、「ちょっとおねがーい」と男性店員の一人に声をかけると、「はーい」と頼まれた方でもそれだけで理解したらしく、返事をするとともにお店の裏へと消えて行ってしまった。
急に何事かと他のみんなで顔を見合わせていると、奥から店員さんが戻ってきたのだが、その手にはビニールに入れられた何かを持っていた。二つあった。
「ん、ありがとー」
とおばさんがお礼を言いつつ受け取ると、そのまま流れるように、その何かを私と紫に手渡してきた。
「はい、どーぞー」
「は、はい…?」
と私と紫は何事かまだ把握できないままに、差し出されるままに受け取った。
他のみんなも体を少し私たちの方へと寄らせつつ覗き込もうとしてきていた。
が、ふとビニール越しに見たそれに視線を落とすと、思わず声を漏らした。
「…あ、これって…」
と口にしつつ顔を上げると、おばさんは笑顔で自分の身に着けているエプロンを広げて見せて言った。
「そう、それは挑戦参加賞!今おばさんが着ているエプロンの新品だよ」
「おー」とそれまで控えめではあったのだが、おばさんの言葉を聞いた瞬間、裕美たちは一斉に体を寄らせたり、立ち上がって見てきたりした。
手元のエプロンだというその代物は、綺麗に畳まれて入っていたので全貌は分からなかったが、それでも、堂々とお店のキャラクターの柄が見えていたので、すぐに納得がいった。
「あ、ありがとうございます!」
事前に知らされていたとはいえ、こうして実際に受け取ると思っていたよりも嬉しくて、ついつい私と紫で顔を見合わせてからお礼を言うと、「いんえ、いんえ」とおばさんは少しの照れを見せつつ、しかしやはり豪快に笑いつつ返してくれた。

「おー!」
「見せて、見せてー」
とそれ以降はまた全員でやんややんやと盛り上がり出したその時、いつの間にか時間になっていたらしく、向こうの方で志保ちゃんと安藤先生が終了の号令をかけているのだった。

皆でゾロゾロとお店を出ると、店入る前には間違いなくいなかったのに、いつの間に来たのか、すぐ目の前の大通りに一瞬壁かと思うほどに大きな観光バスが三台停まっていた。
これからはこれに乗って移動するとの事だ。

私たちは組ごとに決められた観光バスに近づいていき、おそらく運転手とガイドさんだろう、お揃いの制服を着た男女に促されるままバスの収納スペースにボストンバッグを仕舞い入れた。
因みに、プレゼントされたばかりの特製エプロンは、ボストンバッグには入れずに、今日のところは私たち二人ともが外歩き用のリュックの中にしまう事にした。まぁ…なんとなくだ。

そして皆が荷物を仕舞い終えると、お店の前で整然と並んでから
「ごちそうさまでした」
と店先に出ていたおばさんを始めとする店員さん全員に挨拶をすると、
「いえいえ、こちらこそー」
と皆で明るく返してくれた。
そのすぐ後で、最後におばさんが両手を腰に当てつつ付け足すのだった。
「気ぃ付けて、行っといで」

私たち全員が乗り込んだことを先生とガイドさんが確認し終えると、バスはゆっくりとお店の前を後にした。
動き出して見えなくなるまで、おばさん達はこちらに手を振ってくれていた。
こちらからも振り返した。
姿が見えなくなってからは、皆でお好み焼きについての感想を言い合ったりしていたが、私はふと長めの自分の髪を鼻先に持ってきて匂いを嗅いだ。
毛先からは、微かにお好み焼きを焼いた時に嗅いだ匂いがそのまま付着していて、私は何度か匂いを味わうように嗅いでから、またみんなの会話の輪に加わるのだった。
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