夜語り

文字数 1,399文字

 階下から、酔っぱらいだろうか、ろれつの回らない声が聞こえる。
 姫棋は時折聞こえる人の話し声に耳を傾けながら、それでも、やはり中々眠れなかった。
 薄く目を開けて壁のシミをじっと見つめていると、背中の方で彼が寝返りを打ったのが分かった。
「姫棋……。もう、寝たか?」
 木蓮の声がすぐ後ろで聞こえた。こちらを向いているようだ。
「……ええ、寝ました」
「君さあ」
 寝たと言ったのに。まったく。
「あの屋敷に独りで住んでたのか?」
 それは。なあなあにしておいてくれないのか――。
 姫棋は短く嘆息した。
「三か月くらいは独りで暮らしてたかな」
「三か月? その前はどうしてたんだ?」
「それまでは父と、その他諸々と暮らしてた。母はわたしを産んだ時に死んで、(あね)もいたけど……姐は随分前に亡くなったから、あの屋敷では一緒に暮らしたことなかったな」
 ふうん、と何の感慨もないような声が聞こえた。
「じゃあ、どうして独りで暮らすことになったんだ?」
(木蓮って……)
 飄々としているようで、意外と詮索好きなのだろうか。
 噂好きの宮女(おつぼねさん)並みに深追いしてくるではないか。
「父は病で亡くなって、親戚たちも方々に散ってしまったの。母方の伯父が面倒をみてやると言ってきたけど……」
「けど?」
「伯父のところへ行くくらいなら死んだ方がいい、と思ったから断った」
「そんなにその伯父が嫌いだったのか」
「……」

 叔父は絶世の美女であった姐を、自分の出世に利用した。姐を有力官吏の息子に嫁がせたのである。父と母は、伯父の言いなりで反対などできなかった。
 ただ最初はけっして悪い縁談でもなかったのだ。相手の男も姫棋の姐を溺愛し大切にしてくれていたのだ。最初は。
 それが狂い始めたのは姐に子ができないと分かってからであった。
 まず動いたのは伯父だった。
 子ができねば利用価値が下がると考えた彼は、姫棋の姐に啼々夜草(ててやそう)を送りつけるようになった。
 啼々夜草(ててやそう)は月の物を整え、子をできやすくする生薬。後宮でもよく妃嬪たちが飲んでいるというものだ。
 ただ、身体に合えば効果がでやすい一方、副作用も大きい生薬で、長期間多量に飲んではいけない。だが伯父は、既定を超える量を姐に飲ませ続けていた。
 自分の息がかかった侍女を姐のところに送り付け、監視させてまで。
 もしかすると姐自身も啼々夜草(ててやそう)にすがっていたのかもしれない。姐の夢は、子を産んで育てることだったから。
 でも結局、子より先に、彼女は肝の臓をやられた。
 気づいた時には手遅れだった。
 病を得てからの姐はみるみるやつれていき、その美貌も損なわれていった。
 そんな姐を、嫁いだ先の夫はあっけなく突き放したのである。
 姐が嫁いだ当初は絶世の美女だといって溺愛していたくせに、姐が病を得たと知るなり顔を見に来ることもなくなった。
 そして、そのまま姐は夫に捨てられた。
 子をなせない場合の離縁は律令上、正当な理由として認められる。
 実家に帰ってきた姐はそして、間もなく帰らぬ人となった。
 その直後である。姫棋が自国の後宮に女官としてあがったのは。男のいない世界に逃げ込んだのは――。
 (姐のことは)
 誰にも話すつもりはない。そう、木蓮にも。
 姫棋が黙っていると、木蓮はまた寝返りをうって今度は仰向けになったようだった。
 このまま眠ったふりをしても良かったのだが、どうせ眠れはしないのなら、姫棋は自分も彼に何か聞いてみようか思った。

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登場人物紹介

姫棋(キキ)、19歳。絵師、宮女。

じゃじゃ馬娘と言われて久しい。

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