第4話

文字数 3,658文字

 途中、深夜でも営業しているスーパーに寄って、明日のご飯を買い、家に向かった。
 いつもおにぎりしか買わないけれど、今日は久しぶりに学生時代によく食べていた冷やし中華を買った。早くも冷やし中華が出るような季節になっているのだ、と、季節に取り残されているような気分になったから、つい手が伸びた。
 ビニール袋をガサガサ言わせながら、私は玄関の鍵を取り出し、そのまま片手でドアを開けた。
 部屋は真っ暗で、しん、としていて、レースカーテンだけが閉められている窓から、オレンジ色に光る街灯が見えた。街灯のある外より家の中の方が暗いから、外がよく見える。時折通る自転車は、皆家へと急いでいるようで、きっとその人の帰りを待つ人が家にはいるんだろうな、と勝手に想像する。こういう考え方を、生きてきた中で、私は自然に身に付けてしまった。
 電気を付けて分厚いカーテンを閉め、手洗いうがいをしてから、買ってきた食べ物たちを冷蔵庫にしまった。さっきまで彩音と過ごしていたから、一人の静寂がいつもより淋しく感じ、見たいものも特にないのに私はテレビを付けた。
 淋しさを紛らわすため、帰り道は音楽を聴いていたから、携帯の充電は30%台まで減っている。これ以上使うと、明日の朝100%まで回復しないかもしれない、とふと思い、携帯を枕元の充電器に差した。
 惰性でいじっていた携帯を手放したせいで、今まで意識の外にあったテレビの存在感が急に増す。
 私は麦茶を一杯、台所から持ってきて、テレビの前に再び座った。
 明日のことを考えるのなら、今すぐにでもシャワーを浴びて布団に入った方が良いのだけれど、今お風呂に入るということはその間テレビは見ないから消す、ということで。静寂が一瞬でも訪れてしまう、ということで、そんなことをしたらぎりぎりで保たれている何かのバランスが、あっという間に崩れてしまう気がして出来なかった。
 起きていれば起きているほど、淋しさは脅威を増していくのに。
 深夜のバラエティー番組が終わり、朝には見たことが無い幾つかのCMが流れた後に、ニュース番組が始まった。零時ぴったりから始まるそれは、久しぶりに見たらセットの様子が違っていて、出演者は変わらないまでも、なんとなく異なる番組の様だった。
 出演者同士の軽い近況トークの後、トップニュースとして画面が切り替わると、そこにあったのは○○賞最年少受賞者の彼のことだった。
 もう、チャンネルを変えるためにリモコンを手に取る元気は残っていなかった。
 いや、変えようとも思わない程にそのニュースに引き込まれている自分に、一呼吸遅れて気が付いた。
 今日という日は平和な一日だったらしく、彼についてのニュースは特集扱いで、生い立ちから経歴から、15年という私の半分ほどしかない期間によくも語ることが詰まっているものだ、と感心してしまった。20分が過ぎても、その話題のままだったように思う。
 ずっと逃げていたそのニュースに、向き合ってしまった。意識的に逃げていた、ということは、関心がある、ということと同義だった。好きと嫌いは表裏一体で、一番異なるものだけれど、一番近しいものだった。

 辺見彰人(15)は幼い頃から両親、特に父親の影響により、読書に親しんだ。同年代の子供の中では黙読を習得するのも早かったとのことだ。絵本から推理小説、ノンフィクションまで読むジャンルは多岐に渡り、小学校の図書室貸出ランキングでは六年間不動の一位を獲得した。その時にもらった賞状は、今でも自室の壁に貼ってあるらしい。
 同時期、彼が小学生の時だ。毎週月曜日には、週末の出来事を日記という形で提出する宿題があり、クラスメイトからは不評の宿題だったが、彼にとっては違ったらしい。毎週欠かさず、それも指定の行数を超え、びっしり書いての提出は他に類を見ないものだった。さらに、六年生の時には、毎週書き出しを変えるというルールを自らに課し、それを楽しみながら書いていたらしい。クラス内では『彰人の日記は面白い』ことが当たり前のようになり、学級新聞にも度々載っていたそうだ。当時のクラスメイトからの証言が幾つもあったようである。
 その頃から、彼の文才は、その輝きを外へ外へと惜しみなく披露していくこととなる。
 中学生になると、毎日の日記に力を注ぐのはもちろん、自己流で物語を書くようになった。それらは仲のいい友達に読んでもらい、感想をもらって次回作に反映させるなど、職業作家にも劣らないようなサイクルを生み出していた。本人にとっては遊びの延長に過ぎないもので、ジャンルとしては冒険ファンタジーといったところだろうか。勇者が異世界を冒険するような、周囲がプレイしていた家庭用ゲームに影響されたものが多かったらしい。
 そして、遂にこの6月、○○賞の募集があることを周囲からの勧めで知り、応募を決めたということだ。自分の作品が、プロの目によってどのように評価されるのか知りたい、といった好奇心から応募を決めたそうだ。これまでとは異なり、現実世界が舞台の男の子が成長する物語で勝負することにしたのは、自分が最も書きたいと思ったジャンルを真剣に考えた結果だったらしい。
 以前から彼の物語を読んで、感想を伝えていた友人は、その非凡な才能を肌で感じとっていたらしい。
 「本当に自分と同じ年の中学生が、今隣にいる人が、これを書いたのか、と読んでいる時には何度も思いました。図書館とか、本屋で立ち読みしていても違和感ないぐらい、素人目にも完成度は高かったと思います。単純に、面白くて引き込まれるんです。早く続きを読みたい!って。」
 彼と幼稚園の頃からの友達だ、というその女の子は、ひどく緊張した様子で、しかし、彼と最も近しい友人であることへの誇りがそこかしこに溢れる声色で語った。映されていない顔は、自慢げな表情でぴかぴかと鼻の頭をテカらせていることだろう。
 続いて入ったインタビューは、彼が中学一年生の時の担任教師のものだった。
 「いや、辺見くんがこんな才能を持っていたなんて。国語が得意なのは知っていましたけれど、こんな小説を書いてしまうとは。彼は、リーダーシップに溢れた子で、どちらかというと活発な印象を受けていたので、大変驚きです。ええ、今でも信じられないです。」
 興奮が自らの意志では抑えられず、まさか抑えるなんて無粋だ、と言わんばかりの喜色を顔いっぱいに浮かべながら、40がらみの女性教師はそう早口にまくし立てた。このオンエア時間30秒ほどのインタビューの為に、おそらく彼女は美容院に行き、時間をかけて化粧をして、一張羅のブラウスを着てきたのだと思う。くっきりした赤い唇は、端がつりあがったまま、滑らかによく動いた。

 次に、彼の受賞式直後のインタビュー映像に切り替わった。
 訥々と受賞した喜びや周囲の勧めに対する感謝、その他諸々の記者の質問に応える彼の姿は、今まで出てきたどの人よりも好感が持てた。若い子にありがちな変に気取った話し方でも聞き取りにくい早口でもなく、年相応の未熟さは残しつつ、はきはきと話す彼の姿はとても立派だと素直に思えた。
 謙遜を多分に含み、かつそれを本人が本気で思っていることが伝わるインタビューの様子は、彼がすぐに世間に受け入れられるだろう、と容易く想像させた。
 動悸がした。うるさい音が、自分の体内で響いていた。体の外側が、壊れてしまいそうなくらいの力強いものだった。
 コップを持っていたはずの右手はいつの間にか強く握りしめられていた。爪が、手のひらに食い込む。
 彼は、天才だった。
 私は、凡才だった。
 たったそれだけの話で、全世界に溢れている、珍しくも面白くもなんともない話だった。
 せめて、いっその事、私には出来ないであろう壮絶な努力の結果であって欲しかった。
 その努力量で私を絶望させて欲しかった。
 自分もその努力を出来たならこうなれたはず、という後悔ならば、まだ立ち直ることが出来るのに。
 本当は、そうなのかもしれない。
 でも、薄っぺらな番組の作り方では、そこまで分からなかった。仮に彼が血のにじむような努力をした結果がこの賞の受賞だったとしても、世間はそんなこと求めてなかった。
 受賞の瞬間、彼はスーパーマンであるべきだと決められたのだ。生まれながらにして才能に恵まれ、受賞は当然のことでなくてはいけないと。
 それは辛いことだろうが、私はずっと、その甘美な苦労が欲しかった。喉から手が出るほど欲しかった。その苦労で血まみれになりたかった。
 目は閉じなかった。瞬きもせず、幸いにも目が乾くようなことは無かったため、いつまでもテレビの前に座って彼を凝視し続けた。テレビの枠組みはいつの間にかぼやけて、中心だけがはっきりしていた。その後のアナウンサーのコメントも覚える程に集中していた。
 頭が真っ白で、気絶しそうで、でもきっと今夜は眠れないだろうと思った。
 グラスの底で、麦茶が乾いて、円状にこびりついていく。
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