第8章 コーディーのモラリズム論

文字数 2,080文字

第8章 コーディーのモラリズム論
 こうした政治と道徳の問題をめぐってオーストラリアの政治哲学者C・A・J・コーディー(Cecil Anthony John Coady)が興味深い考察をしている。世界についての道徳的判断力の元になるものを変形する見方、すなわち価値観を「モラリズム(Moralism)」と呼んでいる。彼は、”Messy Morality: The Challenge of Politics(厄介な道徳─政治の挑戦)(“2009)”において、その問題点を六つに分類している。

 それは「範囲のモラリズム(Moralism of scope)」、「バランスを逸して焦点化されたモラリズム(Moralism of unbalanced focus)」、「押しつけや干渉のモラリズム(Moralism of imposition or intereference)」、「抽象化のモラリズム(Moralism of abstruction」、「道徳絶対主義(Moral absolutism)」、「まやかしのモラリズム()(Moralism of deluted powaer)」である。

 「範囲のモラリズム」は「超道徳化(Over moralization)」である。例えば、アルカイダへの報復をしていた米国が彼らへの協力や大量破壊兵器の保有などの理由を挙げてイラクに攻撃を拡張したことがこれに当たる。その根拠がまやかしで、それを国連で訴えたことによりコロン・S・パウエル元国務長官の政治生命が断たれることになる。

 「バランスを逸した焦点かのモラリズム」はその特定の文脈を考慮せずに通常の価値観によって非難することである。人権や民主化のためとして、民間人への被害が相当見込まれるのに、武力行使に踏みきることが一例である。

 「押しつけや干渉のモラリズム」は普遍性のモラリズムである。例えば、異文化や社会事情を考慮せず自分たちの価値観を他国に当てはめようとすることだ。

 「抽象化のモラリズム」は一般化のモラリズムである。具体的な文脈を無視して、価値観を一般化してしまう。それは複雑な状況を単純化して一般論を適用することである。

 「道徳絶対主義」は、「抽象化のモラリズム」同様、政治的事象を道徳的に捉える姿勢である。ただ、もっと熱情的だ。例えば、政治指導者の判断と世論を同一視して、その社会にまで失望や幻滅、憎悪が生じることなどがそれに当たる、隅々にまで堕落が及んでいるとして、政治指導者に対する道徳的憤りが社会や人々にも向けられ差別的行動に至ってしまう。

 「まやかしの力のモラリズム」は思いこみのモラリズムである。自身の道徳的規範を過度に信奉するあまり、それを相手が知れば、従来の秩序が変わると思いこむ。民主主義の価値観の宣教がその国を変えるという思い上がりの認知行動はこうした一例である。

 こうしたモラリズムの弊害は、最近10年間の国内外の政治を振り返るだけでも、数多くあげることができるだろう。その意味で、ポピュリズムによってしばしば語られるこの時期は「モラリズムの時代」と言える。

 よい目的のための行動だからそれは正しいとしてモラリズムは暴力を正当化しやすい。けれども、それを克服するために、近代は政教分離を採用している。もちろん、政治にはイデオロギーが不可避であり、また、アパルトヘイトの廃止のように、価値観が現実を変えることも確かである。だから、モラリズムの問題は偏っていることだ。現実主義的対応には調整がつきものである。要求と譲歩の弁証法を通じて均衡に達する。現状を分析、事情を考慮した上で、策を講じる。その際、自身の価値観の相対化が必要である。

 三島にとって「憂国」に基づく卓越性のある行動は賞賛すべきものである。「バランスを逸した焦点かのモラリズム」たという批判は、大義を見失った意見にすぎないい。そうした妥協的態度が堕落を招いたのであり、現実を変革するには理想に向かった卓越性を追求した行動あるのみだ。

 ただ、この時代は近代である。前近代は共同体主義であるので、その規範が共有されている。徳に基づく行動によって現実から向かう理想が構成員の間で共通に認識されている。その理想は共通善である。卓越性はそれによって評価される。

 しかし、三島の理想はあくまで私的なもので、他者に共有されているとは限らない。現実認識や「憂国」を共有していたとしても、理想が異なっているなら、それは共通善ではない。共通善と結びついた行動ではないので、卓越性の追求自体が目的化してしまう。

 三島も討論会において、それを次のように認めている。

「私が行動を起こすときは、結局諸君と同じ非合法でやるほかないのだ。非合法で、決闘の思想において人をやれば、それは殺人犯だから、そうなったら自分もおまわりさんにつかまらないうちに自決でもなんでもして死にたいと思うのです」。

 卓越主義は共通善に基づく目的論である。それを欠いた行動は自己目的化する。この後の三島の行動はその帰結である。
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