第27話 ライギョ

文字数 4,041文字


(ああ、こういうときには、涙を流すものなのかも知れない……)
 彼の死を確認した俺は、ぼんやりとそう思う。
 だが、涙はこぼれなかった。
 全長約七十センチのライギョ。そいつとの付き合いはまだ、たった四日間ほど。
 普段から生き物を殺し、あるいは食い、あるいは標本にし、あるいは飼い殺している身として、我ながら奇妙なことであるが、その死は大きなショックだったのだ。
 ひとつには、これほどの生物量を持つ存在、というのは、それだけで生命として敬意を払ってしまう、というのも理由だろう。
 これは本能的なものである。と感じた。そうしたものはもしかすると、彼が生きてきたこれまでに、俺達同様に他の生き物を食べ、その身に蓄積してきた『生命力』=『オーラ』とでも呼ぶべきものに関係するのかも知れない。
 しかし、彼にもし言葉があれば、『その程度のことで、俺の死に涙するのはお門違いも甚だしい』と、そう言うのではないか。
 何故なら、その巨大なライギョは、本来殺すはずのものだったからだ。
 俺は、彼をため池の外来生物駆除作業で手に入れた。そもそもこんなデカブツを、生かしておくつもりなど最初はなかったのだ。
 ライギョは東南アジアでは重要な食用資源であると聞いていたから、どちらかというと食べる方に興味があった。もう一つの方のエッセイ『きゃっち☆あんど☆いーと』にでも書くネタになればいい、くらいの考えで、その場で処分されるはずだった彼を引き取ってきたのである。
 捕獲の時点で酷い扱いであったし、自宅に持ち帰った時も、バケツなどに入れずトランクにそのままゴロンと入れて連れ帰った。ライギョはしばらくなら空気呼吸が可能だから、それでも死ぬはずはないと分かっていたからであるが。
 だが、泥吐きを兼ねて、とっておきの百二十センチ水槽に彼を収容し、何度か水換えして、少し元気を取り戻した姿を見ているウチに、俺の中から彼をシメて食べてしまおうという気持ちは、少しずつ失せていった。
 こうなればもう、一生つきあってやろう、と、そう思い始めていた矢先のことだ。
 しかし、思いのほか吐き出した泥や汚れの量が多く、あわてて三日のうちに二度も水換えしたのが、負担になってしまったのだろう。
 今朝、出張に行く前に水槽をのぞくと、彼は仰向けになって沈んでいた。
 まだ死後硬直も起きておらず、死んだばかりという様子だったから、そこで三枚に下ろしておいて、あとで食べる、という選択肢もあった。
 だが俺は、どうもそんな気にはなれず、庭に深く穴を掘って彼を埋めたのだった。
 外来生物駆除作業、というのは、ため池の管理を兼ねた池干しであって、池の維持には必要な行為である。ご存じない方のために申し上げておくと、農業用ため池はそのほとんどが、そもそも人工の池であって、放置すれば次第に埋まってしまう。
 数年に一度の水抜き、泥抜き作業がないと、ため池の環境そのものが維持できないのだ。
 また、外来生物を駆除して地元本来の生態系を復活させる、という観点から見ても、そこには『大義』とでも呼べるものがある。
 持って回った言い方をして恐縮だが、現代に生きる人間として、それは正当な行為であるといえよう。
 だが、ひとたび向こうの立場に立ってしまうと、非常に凄惨な殺戮現場であるのも事実だ。
 今回のため池は大きかった。
 ちょっとした小学校の校庭くらいの広さの水域に、百万、千万のオーダーでは効かない数の外来生物がひしめいていて、彼等は問答無用で土に埋められ、殺されることとなった。
 まだビチビチと蠢くウシガエルのオタマジャクシやブルーギルの稚魚の上に、土がかけられ、生き埋めになっていくのは決して面白い光景ではない。
 この池で見つかった外来生物には、ウシガエルとブルーギル以外にも、ブラックバス、アメリカザリガニ、ライギョがいた。その他はコイ、ヘラブナ、ニゴイ、トウヨシノボリが捕獲されたが、これらもすべて在来種とは言い難い。
 コイは錦鯉でこそないものの、体高が高く、いわゆる真鯉であって野鯉ではない。
 そんなもんどっちでもよさそうに思われるかも知れないが、野鯉は日本在来で、真鯉は大陸からの移入種、であるらしく、性質も遺伝形質も違う。
 要するにまあ、別種らしい、ということだ。
 ヘラブナももともとは琵琶湖・淀川水系固有種のゲンゴロウブナが原種である改良品種であるから、これも当該地域では国内外来種という括りになる。
 トウヨシノボリも同じようなもので、やはり琵琶湖水系からの国内移入種であるらしい。
 とすると、今回捕獲された生物のうち、純粋に地元産と思われるのは、たった一個体捕獲された、ニゴイだけとなる。
 そのニゴイは、捕獲された時点ですでに弱っていたから、生かそうとしても死んでいただろう。
 俺は所用あって途中で抜け出した。最後の始末は県の職員達がしていたので、どうなったかは分からない。
 ただ少なくとも、ヘラブナもコイも、他の外来魚同様、土手に埋められたことは確かであるから、ニゴイの結末も似たようなものであっただろう。
 つまり、あのライギョは、あのため池唯一の生存者となるはずであったのだ。
 外来生物と認定された彼等は、べつに好きこのんでその池にやって来たわけではない。
 人間の勝手で持ち込まれ、人間の造った『ため池』という環境に適応し、必死で生きてきた。その結果、殖えすぎ、従来そこに住んでいたはずのものたちを食い尽くし、それが人間の都合に合わないから、という理由で人間の勝手で殺されていくわけだ。
 それは、一言で言うなら悲劇であって、正義ではない。それを行う人間もまた、英雄ではない。そうあってはいけない。
 我々は贖罪のために、また罪を重ねていくに過ぎず、それはもしかすると更なる不幸を産むのかも知れない。
 それでも、こんな悲劇を繰り返さないためには、この罪を重ねるしかないと、俺は理解している。
 躍起になって駆除したところで、いったん定着した外来種は、容易に根絶出来ないが、少なくともこれを続けることで、人の心に残る。つまり、外来生物問題は風化しない。そのことは、これ以上新たな種類が持ち込まれることを防ぐ力になる、と思うからだ。
 正義を振りかざしたくない、振りかざして欲しくない、と切に思う。
 命は命。罪は罪だ。
 外来種駆除は、罪を重ねる行為であるが、やらねばならぬことであるだけなのだ。
 だが、ならばこそ、決して傲慢になってはならない。そんな気がするのだ。
 人は正義や大義を振りかざした時に、傲慢に、また残酷になる。相手が何者であろうとも、無条件で踏みにじっていい命など、どこにもないはずだ。
 そこにルールを持ち出すとすれば、決して無駄にしないこと。ではないか。
 「面倒だから」「コストが掛かるから」などという理由で、生かせる命を消すようなことがあってはならない、のだろう。
 命を無駄にしたくないならみんなで食べたり、利用したりすれば良い、と思われる向きもあるだろう。
 むろん、それは正しい。
 だが、そういう習慣のない地域の者にとって、淡水魚は決して食欲をそそるものではない。今回も俺自身は、ライギョ以外に既に死んでいたブラックバスやザリガニを引き取り、フライなどにしたが、妻と娘は食べず、息子と二人、バス肉だけで腹一杯になるほど食った。だが、それで消費できたのはバス一匹とアメザリ二十匹程度。
 万単位の生物を、どう処理しようもないものだ。そりゃあ、市内の住民がみんなで食えばなんとかなるだろうが。
 それでも、それをやっている地域もある、と聞く。
 だが、ウシガエルのオタマジャクシまで食っている地域、指先に満たないブルーギルの稚魚をもすべて無駄にしていない地域など、まずないだろう。
 つまり、埋める、という行為を一概に否定も出来ないのだ。
 ライギョは一時期、国内でどっと殖えたことがあって、生態系へのダメージを深く憂慮された外来生物であるが、病気やナマズとの生存競争、気候や水域への適応がうまくいかず、どんどん減りつつあるため、さほど問題視されなくなってきている。
 英名「スネークヘッド」の通り、不気味な容貌と巨体を持ち、他の魚と比べても生臭さはハンパ無い。さらに、不死身かと思われるほど空気中で長く生きることから、毛嫌いされ、場所によっては過去、賞金まで掛けられた。
 だが、ライギョは自分の卵と稚魚を守る、慈しみ深い習性を持つ生き物でもある。
 汚染や酸欠には滅法強いクセに、直接空気を吸えないと窒息死するという、不思議な魚類でもある。
 しかも空気中で半日以上生きているくせに、今回のように水質が合わないと、コロッと死んでしまうデリケートさも持っている。愛すべき地球の仲間なのだ。
 こんな出会い方をしなければ……どうしてもそう思ってしまう。
 むろん国内で彼等が滅びそうになったとしても、保護する必要などないだろう。だが、すでに生物量が安定した今、ことさらに殺す必要はないのかも知れない、とも思う。
 あのため池。
 魚類は完全に駆除できたようだが、季節が冬だったから、ウシガエルの成体は冬眠していたのか、一個体も捕まらなかった。
 天敵たるライギョもブラックバスもいなくなったため池で、おそらくウシガエルは爆発的に殖えるだろう。ウシガエルは動くモノは何でも食べる。放っておけば、水生昆虫だけでなく、目に入るものすべて食い尽くす。
 だが、俺が関わっている以上、そうはさせない。そう思っている。
 ウシガエルを殺すことも、また罪を重ねる行為になるのだろう。それでも、あのライギョの死を無意味なものにしないためには、あのため池を命溢れる場所にするしかない。そう思う。
 俺は、神には祈らない。
 いつも、命に祈る。これまで、死なせた命に祈る。これから、生きていく命に祈る。
 自己満足と、また偽善と言われるかも知れない。
 だが、祈りながら行くしかないのだ。今は。

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