第43話 キノコ

文字数 6,580文字

 様々な生き物にふれてきているのに、何故かクワガタについて書いてない。
 けっこうポピュラーな飼育生物であるのに、である。そういうのやってないわけじゃなくって、むしろいっぱいやったし、今も実際飼ってはいるし、実を言うと昔インドネシアまで採集に行ったこともある。
 だけどクワガタってのは、恐ろしいほど深く、熱くやってる人がものすごくたくさんいて、『クワガタ飼育界』っていう暗く深い闇のような世界が広がっているのだと思ってもらっていい。その中で俺のやってることなんて、それこそ魔界の入り口くらいのレベル。
 それをえらそうに、アレがどうのコレがどうのと書くほど恥知らずではないし、そう面白いネタも無いように思うので、これまで書いてこなかったわけだ。
 だが、最近になってクワガタそのものよりも、その幼虫の餌である『菌糸ビン』てやつに興味を持ち始め、いろいろと試しているうちに自分で作ることまで出来るようになってきたので、それと絡めてちょっと書こうと思う。

 さて、まずその『菌糸ビン』てのは何か、ってことから話さなくてはいけないだろう。
 クワガタ飼育魔界では常識以前の単語だが、知らない人にとっては何のことやらさっぱりであろうから。
 『菌糸ビン』てのは、要するにキノコの菌糸をおがくずに蔓延させたものをびっしり詰めたビンのことで、クワガタの幼虫はこの中に入れて育てるのが一般的なのだ。
 ホムセンなどでも売っているので、見たことのある人もいるはずだ。
 子供の頃、テキトーにクワガタやカブトを飼っていて、カブトは産卵してけっこう殖えるのに、何故クワガタは殖えないのか、不思議に思った方もおられるかも知れない。
 よく、クワガタは朽ち木に産卵するから、そういうのを入れないと殖えない、と言われているが、実は原因はそれだけではない。
 クワガタが飼育下で産卵し、成虫になるまでにはいくつものハードルがあって、コイツを越えない限りは、繁殖は出来ないのである。
 まず産卵条件だが、第一は温度だ。
 たとえばミヤマクワガタは、温度二十五度以下でないと、調子を崩してすぐ死ぬ。
 といっても、あんまり寒いとまずいわけだが、まあ二十度から二十五度くらいが適温というところ。三十度以下ならしばらくは生きているが、もちろん暑くて気息奄々の状態なわけで、むろん産卵どころではない。
 すぐ死んでしまって飼いにくい、という印象の強いミヤマクワガタだが、温度を二十五度程度に抑えれば、むしろ強健。さらに、飼育しているマットに細かく砕いた腐葉土を混ぜ込むだけで、簡単に殖やせるのである。
 他のポピュラーな種類、ノコギリクワガタ、ヒラタクワガタ、オオクワガタ、コクワガタなんかは、ミヤマほど温度要求は厳しくないものの、やはり三十度以下に抑えるに越したことはない。
 もう一つのハードルは、これはマットや朽ち木の材質や状態。
 要するに、水分が適度で木やマットの腐れ具合がちょうど良いと、よく産むってことだ。
 問題は、どういうのが良いかってことだが、これは種類によっても違うし、木の状態によっても違う。
 まあ、これについては専門の飼育書も出ているので割愛しておく。
 だが、最近は程度の良い朽ち木が、ホムセンなどでも『産卵木』という名称で販売されているから、これを購入してくるのが手っ取り早い。俺はシイタケ農家からもらってきたり、強風の後に山中を徘徊して拾ったり、自分で作ったりしている。
 最後のハードルは、共食い。
 そうなのだ。クワガタは、結構共食いするのである。だから、他のすべての条件が整って首尾良くケース内に産卵したとしても、そのまま放っておくと、ほとんどいなくなってしまうことがよくある。
 クワガタの雌は、卵を産むために動物性タンパク質を欲しがるようで、他の個体が産んだ卵はもちろん、自分の産んだ卵や幼虫も放っておくと食べてしまう。
 これを防止するために、タンパク質を強化した専用の餌をやったり、カブトの幼虫を餌として与えたりするって人もいるくらいだ。
 そうすると、卵食いの防止になるだけでなく産卵数も増えるのだという。俺はちょっと可哀想だし、イヤなのでやらないが。
 まあ、そこまでやらなくても、共食いを始める前に回収してしまえばいいのである。
 共食い傾向は、成虫だけでなく幼虫にもあって、幼虫同士で食い合ったりもするから、回収して一個体ずつに分けて飼うのが合理的かつ効率的だ。
 つまり産卵用に置いておいた朽ち木を割ったり、ケースの底をさらったりして、卵や幼虫を回収し、一個体ずつ育てるわけで、ここでようやく冒頭に書いた『菌糸ビン』の登場、となる。

 クワガタの幼虫は、使い終わったシイタケのホダ木のように、ある程度腐れた木材を食べる。
 これは、キノコの菌糸が蔓延して、木の成分であるセルロースやなんかが分解されている上に、キノコ菌糸そのものもタンパク質であるから、これらを栄養として育つのだ。
 だから、こうした木材に幼虫を食い込ませて育てるって方法もあるし、現にそうやった方がでかいクワガタも出るらしいが、なにぶんにも扱いづらい。木材をそのまま放置すると乾いてしまうし、どの程度食い進んでいるのか、いつ羽化するのか、あるいはアクシデントで途中で死んでしまっているのかも分からないというデメリットがある。
 その点、ビンにおがくずを詰めて、中に一匹ずつ分けておけば、管理しやすいし乾きにくいし、どのくらいで交換すれば良いか、蛹化や羽化したかどうかなども分かるわけだ。
 もちろん、ホダ木なんかの腐朽材のおがくずを詰めておいただけでも幼虫は育つが、やはり生きたキノコ菌糸が蔓延したおがくずの方が生残率、サイズなどで成績が良いということなのだ。
 だがこの菌糸ビン、専門店でもホムセンでも置いてはあるが、けっこう高価。
 生きたキノコ菌糸を一つ一つのビンに植え付けて育てるには、おそらく大変な手間がかかっているわけだから、それは仕方ないと言えば仕方ない。とはいえ、元気な幼虫は菌糸を二ヶ月ほどで食い荒らしてしまうので、すぐに交換しなくてはならず、一年ほどの幼虫期間の間に四~六回も替えると、幼虫一匹あたりで数千円も飛んでいってしまう。
 まともに産ませると、雌一匹から四十~五十匹の幼虫がとれるから、全部に菌糸ビンを与えたら、その時点で破産決定である。
 かといって、節約しまくって一回か二回しか替えないと、小さくて貧相な個体しか出てこない。
 こういう悩ましい思いをする飼育者は多いようで、次第に菌糸ビン以外の方法を模索したり、菌糸ビン自体を自作したりするようになっていく。
 俺もご多分に漏れず、苦労して幼虫の飼料を自作したものだ。
 まず取りかかったのは、菌糸を使わない発酵飼料。菌糸を扱うには、無菌作業が必要になるから、大ざっぱな俺にはまず無理だと考えたのだ。
 発酵飼料とは、広葉樹のおがくずに小麦粉やフスマなんかの栄養剤を加えた後、発酵させたものである。
 水分と栄養分を与えられたおがくずは、微生物が繁殖して高熱を発する。
 これを、毎日毎日かき混ぜて発酵を促すわけだが、温度は六十度近くにも達するから、結構熱い。十数日も経つと発酵熱が引いてくるので、温度が落ち着いたものをビンに詰めて、やっと幼虫を入れることができるようになるわけだ。
 この作業自体は簡単だし、幼虫もそこそこ育つのだが、やはり菌糸ビンに比べると大きくなりにくいし、死にやすい。毎日かき混ぜるというのも意外に大変で、失敗すると全体が酸っぱい臭いになって全部廃棄になってしまうのも問題だった。
 そういうわけで菌糸ビンにも挑戦したいと思っていたのだが、そのうち俺はビオトープ管理士になってしまった。
 ビオトープ管理士は、日本の生態系を守るのが仕事みたいなもんだから、外国産クワガタを飼い続けるってことに疑問を感じてフェードアウト。
 そして数年間、それきりになっていたのであった。
 だが、最近になってふと思いついた。
 菌糸ビンの中だけ殺菌すりゃいいってんなら、べつに作業段階で無菌である必要はないんじゃないか、ってことだ。
 とにかく、どうでもいいから広葉樹のおがくずを耐熱ビンに詰め込み、これを蒸したらいいんではないか。
 そんでもってキノコの菌糸を植え込めば、菌糸ビンなど簡単に作れるのではないか。
 それなら無菌作業台=クリーンベンチも、殺菌用アルコールも、マスクすらいらない。
 必要なのは、出来上がったビンの殺菌方法だけである。
 そう思ったら、やってみたくてたまらなくなった。
 その時クワガタは飼っていなかったが、庭には普通にヒラタクワガタがいる環境。
 ならコイツから幼虫をとれば検証も出来る。
 問題なし。
 ってんで、やってみることにした。
 最初は、でかい蒸し器を買ってきて、材料(おがくずとフスマを混ぜたもの)を詰めた耐熱ビンをコンロの上で蒸した。
 まあ、三十分も蒸せばいいだろうと思っていたのだが、なんと翌々日にはビンの中に青カビが!!
 で、キノコ培養の本を購入して調べてみると、三十分なんてとんでもない。六時間~七時間も蒸すべし、と書いてある。
 大型の蒸し器とはいっても、中型の耐熱ビンを並べて五つが限度。しかも、一時間もすると中の水が蒸発してしまうから、何度も水を足す羽目になり、その際に温度が落ちてはどうしようもない。
 仮にうまく出来たとしても、六時間もガスを使用して蒸したのでは、手間もコストも合わないだろう。ここで俺は行き詰まり、数か月この作業を停止したのだが、ある時、勤務先の工場をうろついていて、はたと気が付いた。大型機械用のエンジンオイルの缶、これって鍋代わりになるんじゃね?
 機械用のオイル缶、通称ペール缶と呼ばれる大きな缶は、使用したらその空き缶は、廃棄物として捨てられている。だがこの缶、取っ手もついていて金属製のバケツのような形状で、重ねて取っておけるのもあって、何かと便利。
 自動車工場などからもらってきて、農作業などに再利用している人もいるから、知っている人もいるだろう。
 コンロで蒸し器を蒸す、と考えるから行き詰ったのだ。
 この金属バケツならたくさんビンが入るし、焚火なんかで直接火を当てれば、沸騰させることも可能だろう。
 だがさて、しかし蒸すとなるとどうすればいいか。そこで、前述の重ねられるという特徴が生きた。バケツ状だから、重ねても全体の高さの四分の一くらいは重なりきらないのだが、このことを利用するのだ。
 缶を二個用意し、一方の底にドリルでいくつも穴を開ける。
 そして、もう一方に重ね、底の穴から見える程度に水を入れれば、簡単蒸し器の完成だ。
 これをだるまストーブの上に置く。
 焚火も考えたが、ストーブにした理由はいくつかある。
 まず、火を付けっぱなしで数時間放置しても問題ないこと。
 倒れたりした場合には、安全装置が働いて消えること。
 燃料が切れれば勝手に消火してしまうこと。
 冬季には暖房と兼ねて作業が出来るので、無駄がないこと。などだ。
 もちろん、ストーブの上にそんなでかい物を置けばバランスが悪くなるが、そこはペール缶がバケツ状なのが役に立つ。
 天井からひもを垂らし、取っ手に結んでおけば良い。これでストーブが倒れる心配も減ったし、仮に倒れてもバケツがひっくり返ることはない。
 缶のフタは耐熱性なら何でもよかったが、ちょうどいいタイミングで、自宅のフライパン用のフタが、大きすぎるという理由でお払い箱になったので、これを流用。
 大きさはピッタリだし、耐熱だし、中も見えるし、取っ手までついているという、あつらえたようなフタとなった。
 さらに、加熱方法も二回蒸すことにした。
 これは、キノコ栽培本に出ていた方法である。百度近くになると大抵のカビや微生物は死ぬわけだが、カビの胞子ってやつだけは耐熱性があって、百度でも死なないのだ。
 だから、一回だけの殺菌だと冷えた頃に胞子が発芽してしまう。しかも、今度は競争相手になる他のカビが減っているからガンガン殖えるってことになってしまうわけだ。
 道理で、最初に蒸し器でやった際に、たった二日で青カビが出たはずである。
 クソ寒いのに、正月も過ぎる頃には鏡餅が青カビだらけになってしまうのも、同じ理由だ。
 だが、いったん冷えてカビの胞子が発芽した頃、自分で胞子を作り始める前に、もう一回百度近くにしてやれば、今度は何も残らない。よって、完全殺菌の完成となるわけだ。
 種菌は販売されている菌糸ビンや、食用ヒラタケの種菌を使用。滅菌した俺のおがくずビンはカビることもなく、白い菌糸が蔓延していった。

 さて、これまでこのエッセイで、俺のこうした発明とか取り組みは、大抵悲惨な結末を迎えてきた。
 そいつを期待して、あんまし興味のない虫話を読み進めてこられた読者もおられるかも知れない。だが、残念。
 今回はこの取り組み、大成功であったのだ。
 この思いつきを、初めて試してみたのはある年の冬だった。
 そして、翌年の春から夏にかけて、菌糸は旨く蔓延し、菌糸ビンは見事に完成した。
 そして、その年の秋から冬にかけて、立派なヒラタケが収穫できたのであった。
 おい。
 クワガタはどうした。
 と、なるわな普通。
 でも、最初に書いてるよねえ。『キノコ』って。
 いやヒラタクワガタも飼育してるのは事実。でも、なにかとサボり気味だったせいで、あんまし幼虫がとれなかったのである。
 前述の通り、共食いで数を減らしてしまったわけだ。
 ほんの数匹の幼虫に対して、成功した菌糸ビンは数十個。まあ、そんなわけでせっかく作った菌糸ビンには幼虫が入れられず、食用キノコ栽培の役を果たしてもらうこととなった。
 生えてきたヒラタケは、なかなかの大きさで味も良かった。
 またこの蒸し器は、菌糸ビン以外にももちろん『木』そのものも殺菌できる。
 太さと長さがバケツに入るサイズでないとダメなのだが、いったん蒸したホダ木は野生の食えないキノコが生えてくる確率が減るし、組織が柔らかくなって菌糸が蔓延しやすいらしい。
 仕事柄、造園屋さんの知り合いが多いので、街路樹や庭木の切ったヤツをもらえるのだが、伐採されるくらいだから、すでにカワラタケとかが生えていて、ホダ木には不適なことが多い。
 でも、殺菌してしまえば問題ないはず。
 この取り組みは今年からなので、どうなるか楽しみだ。
 うまくいったら、管理しているビオトープに置いて、子供らにキノコ収穫も楽しんでもらおうって寸法だ。キノコビオトープってのは、あんまし例がないと思うし。
 あと、更に一歩実験を進めて、色んな物を菌糸ビンにしてみてもいる。
 まず、キノコ農家からいただいてきた廃菌床。これにいろんな栄養物を混ぜて、菌糸がちゃんと伸張するか見た。やはり米ぬかが一番菌糸の伸びが良いが、油が多くてクワガタ幼虫には良くないらしいと聞く。
 キノコを食べる分には関係ないが。
 それ以外には、おがくずすら混ぜずに『鳩の餌オンリー』『落ち葉オンリー』というようなビンも作ってみたが、なんとこれにも順調に菌糸が伸びた。
 もしかして、ヒラタケってヤツは何でもいいんじゃないか??
 そう考えて、ナメコ、クリタケ、ヤマブシタケの種菌も入手して、実験してみた。
 おがくずに、バナナの皮やサルノコシカケ、鶏肉までも埋め込み、菌糸を蔓延させる実験もやった。すごいことに、ヒラタケ菌は動物性たんぱく質も食うことが分かった。
 ストーブを使ったキノコ栽培は、趣味として随分形になってきた。。

 ちなみに、もしこのストーブを利用しての殺菌を試してみようって方がいても、あくまで自己責任で。割と安全な方法だと自負してはいるが、火を使うことに変わりはない。
 ペール缶そのものも高熱になるし、蒸す時に熱い蒸気が出るから、やけどの可能性はもちろんあるが、使用条件ややり方によっては、空だきになったり延焼したりして、火事を誘発する可能性ももちろんある。そもそも、ストーブの使い方としては用途外=イレギュラーなのだ。
 細心の注意を払って、安全対策をして、万が一にも事故のないようにお願いしたい。
 万が一、火事になっても責任は負えない。
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