第9話 『ジャングル大帝』誕生!

文字数 4,004文字

 手塚治虫は東京にいた。
 目的は、漫画家の石田英助にインタビューをするためだ。
 大阪の出版社から、
「東京におる石田先生に会って、漫画についてのインタビューをしてほしいんです」
 と、頼まれたのである。
 漫画家が漫画家に取材をすると言うのも妙なものだが、とにかくおおらかな時代であった。
 それに、手塚はインテリである。へたな編集者よりよほど教養はあった。そのあたりも評価されて、インタビューの仕事が回ってきたのだろう。
(インタビューも、もちろんするけれど……)
 手塚にはもうひとつ、東京に出てきた理由があった。言うまでもなく、描きだめしていた動物ものの漫画を、東京の漫画家や出版社に見てもらうのだ。
(とにかく、まずは石田先生に会おう。それでインタビューの仕事を済ませてから、この漫画を見てもらおう……)
 そう決意した手塚は、東京に着くと、まずは学童社と言う出版社に向かった。学童社は『漫画少年』と言う雑誌を出している出版社で、石田英助はこの雑誌に連載を持っていたから、まずは学童社に話をつけるのが筋だと思ったのだ。
 その学童社に手塚が辿り着いたのは、もう日も暮れた暗い夜だった。
(これが学童社か?)
 それは驚くほどみずぼらしい社屋だった。
 いや、社屋と表現していいのかどうか。煤けて汚れた二階建て木造の家で、どう見てもただの一戸建てである。
(まるで大坂さんの漫画書院だ。会社じゃなくて自営業みたいだよ)
 その印象は間違っていなかった。漫画書院が大坂ときを一人で始めた出版社であるように、学童社も、戦前に名編集者と謳われた加藤謙一が一人で始めた出版社だったからである。
 だがもちろん、手塚はそんなことなど知らない。
 手塚はひっそりと静まり返った学童社の入り口――木でできた引き戸に手をかけて、ガラガラとその戸を開けた。
「ごめんくださぁい」
 ――まるで親戚の家に来たみたいだ……。
 手塚は思わず笑ってしまった。
「はあい、どなたさんかね」
 奥から声がした。家、もとい学童社の社屋の中は、さすがに出版社だけあって、廊下には本や雑誌が山積みにされていた。そんな山積みの本をかき分けるようにして、初老の男性が出てきたのである。
 それが加藤謙一だった。学童社の事実上の社長である。(名義上の社長は加藤の妻だった。加藤は戦前、講談社の取締役で『少年倶楽部』と言う雑誌の編集長であったが、その雑誌で戦争を煽ったと言うことでGHQによって公職追放の身になっており、おおっぴらに出版業ができない身分だったのである)
 加藤は、尋ねてきた青年が手塚治虫だと言うことを知ると、狂喜した。
「いやあ、あなたが手塚さんですか。あなたの名前は知っていましたよ」
「僕のことをご存知で……」
「ええ。大阪のほうから送られてくる読者の手紙に、よくあなたの名前が出てくるのです。『手塚治虫は凄い漫画家だから、ぜひ雑誌に連載を持たせてくれ』とね。あなたは良いファンを持っている」
 手塚とは、ほとんど親子ほど年が離れているのに、加藤は言葉遣いも丁寧である。人の上に立つ人とはこういう人かと、手塚はふと思った。
 それにしても、大阪の子ども達が東京の出版社に推薦の手紙を書いてくれるとは!
(赤本の仕事も、やって損はなかったかな)
 手塚は内心、ニンマリと笑っていた。
 加藤は社屋の中に手塚を案内し、お茶を出した。
「いやあ、それにしても手塚さんのほうから尋ねてきてくださるとは。私としても、いずれ会いたいと思っていたのですが、何せあなたの連絡先が分からない。それでそのままになっていたのですが……よく来てくれました」
「そこまで誉めてくださるとは……」
 手塚ははにかみながら笑いつつ、お茶をすすった。
「ところで加藤さん、僕がここに来たのは理由があるんです」
「ほう?」
「実は、石田英助先生にインタビューをしたいと思いまして……」
「えっ、石田先生に……」
 その名前を聞くと、加藤は顔を曇らせた。
「手塚さん、それは無理ですよ。石田先生は明日、結婚式だ」
「ええっ!」
 なんてことだ、話が違うぞ――手塚は焦った。
「そして、結婚式が終わったらすぐに新婚旅行に行ってしまうそうだ。インタビューは無理ですよ」
「そ、そんな」
 自分は何のために東京まで出てきたんだ――手塚は呆然とし、大阪でインタビューを頼んできた出版社に、どう言い訳をしようか、いやそもそもインタビューをするというアポイントメントは取ったのかと、内心、憤った。
 しかし、どう手塚が怒ろうが、石田英助にインタビューをすることは、もう不可能なのである。
(どうしたものか……)
 手塚が首をひねっていると、加藤がニッコリ笑って、
「まあ、諦めなさい。それよりも、漫画についてお話をしませんか」
 と言ってきたのである。
 手塚はすぐに気持ちを切り替えた。加藤の言う通りだ。できなくなったのだから仕方が無い。――そうだ、持ってきた動物漫画をこの人に見せてみよう、そうしよう……。
「実は加藤さん、描きだめをしている動物ものがあるのですが」
「ほう、是非読んでみたいものですな」
「これです」
 手塚は鞄から漫画の原稿を取り出して、加藤に渡した。
 加藤は温和な笑みを浮かべて「拝見します」とだけ言うと、数十枚の原稿を、丁寧に読み始めた。
 その間、手塚はお茶をすすっているだけである。
 だが内心は、お茶どころではない。
(頼む、面白いと言ってくれ、加藤さん!)
 もう、祈るような気持ちだった。
 お茶はとっくに飲み干してしまい、湯飲みはからっぽになってしまっている。
 だが手塚は湯飲みに口をつけ続けた。他にやることが無いのである。
 加藤はゆっくりとゆっくりと原稿を読んでいく。手塚は、丁寧に読んでくれて嬉しいという気持ちと、早く読み終わって感想を言ってくれという気持ちで半々だった。
 やがて、加藤は漫画を読み終わった。
「ふーっ」
 と、大きく息を吐く。
「……どうでしたか」
 手塚は、ほとんど裁判で判決を待つ被告人のような気持ちで尋ねた。
 そして、加藤の口が開く。
「手塚さん」
「はい……」
「これ、連載してみませんか」
「……は?」
 手塚は、何度か大きく瞬きをした。
 いま、この人はなんと言ったのか――
「手塚さん。この作品は傑作です。私が保証します。それで、どうでしょうか。うちの『漫画少年』にこの作品を連載しませんか」
「……あ、ああ……」
 あまりに突然の出来事に、手塚は呆然とするしかない。
 数秒の間、自分を失っていた手塚だが、やがて理性を取り戻すと、
「……いいんですか? その、この漫画はほんのプロローグで、すごく長い作品だし、連載するとしたらそれこそ何年単位でやることになりますが……」
「いいでしょう、いくらでもページを割きましょう。何年がかりでも構いません。手塚さんが望む限り、連載を続けてください」
 破格の条件である。
 いくら『新宝島』の実績があるとは言え、雑誌連載の実績がゼロの漫画家に、これほどの厚遇がなされるとは、普通はありえない。
 だが、現実にありえたのである。
 加藤はよほど、手塚の漫画に惚れこんだのだろう。
「良い。とても良い……」
 と、目を細めて、静かに、しかし強い口調で絶賛を続けたのである。
 手塚は我が身に起きた幸運を信じられなかった。まさか、挨拶程度に訪れた出版社で、いきなり連載を依頼されるとは。
 冷静になってみると、幸運も幸運である。仮にインタビュー先の石田英助が、翌日、結婚式でなかったら――手塚はきっと、出版社での挨拶も早々に、石田の家に向かっていただろう。そうすると、この連載依頼は無かったかもしれない。
「加藤さん。ありがとうございます、ありがとうございます……」
 手塚はほとんど涙目になって、加藤に頭を下げた。
 チャンスを貰えた、それもこの上無い形で――それが嬉しかった。
「手塚さん、一緒に頑張って、良い漫画を描きましょう」
 加藤の温和な声が、手塚の心に染み渡るようだった。
「ところで手塚さん、この作品ですが……」
「は、はい」
 涙をぬぐいながら、手塚は返事をした。
「タイトルがありませんが、どんなタイトルにしますか」
「タイトルですか。一応『密林大帝』というタイトルを考えてはいましたが」
「『密林大帝』……ううん、ちょっと堅苦しい感じがしますね」
 加藤の指摘をもっともだと思った手塚は少し考えた。
 すると、すぐに「これだ」と言うアイデアが出てきた。
「では、これはどうですか? 密林の部分を英語に変えて……『ジャングル大帝』!」

 ――のちに加藤謙一の息子である加藤丈夫が語ったところによると、その夜、加藤謙一は家族達にこう告げたという。
「素晴らしい新人に出会った」
 そして断言したのだ。
「手塚さんはこれからの日本の少年漫画を変える人になるよ」

 かくして七馬は大阪に残り、手塚は東京に渡った。
 実際には、手塚はその後もしばらくの間、地元の宝塚に住んでおり、原稿は出来上がる度に東京に郵便で送ったり、あるいは自分で東京まで行って加藤に手渡したりしていた。高校時代の藤子不二雄が宝塚までおもむき、手塚治虫と初めて出会い、自分たちが描いた『ベン・ハー』の漫画を彼に見せたのはその頃のことだ。
 しかし手塚は、次第に不便になってきたのだろう。程なく、東京に生活の場を移した。最初は四谷にある八百屋の二階に下宿し、やがてアパートを借りたのだ。このアパートが漫画史上に名高い『トキワ荘』である。
 七馬と手塚の縁は完全に切れた。
 七馬は紙芝居の世界に入り、手塚は東京で雑誌の連載を始める。

 そして時間は流れる。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

酒井七馬(1905~1969)

主人公。大阪漫画界の重鎮。ディズニーを超えるようなアニメ、漫画を作りたいと志す中年漫画家。やがて手塚治虫と出会い、戦後漫画史にその名を残す『新宝島』を手がける。

手塚治虫(1928~1989)

大阪帝国大学の医学専門部に通う学生。七馬の手がける雑誌『まんがマン』に感銘を受け、七馬に漫画の原稿を見てもらおうとやってきた青年。七馬に劣らぬアニメ好きで、日本のディズニーになろうと志している。


大坂ときを(1923~2015)

七馬と共に雑誌『まんがマン』を手がける漫画家。酒井七馬と手塚治虫を引き合わせる役割を果たす。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み