最終話 二十一世紀の宝島

文字数 3,548文字

 昼下がりの西日が射しこむ会議室は、旧式の冷房を十分に効かせてもなお、汗が滲み出てくるようだった。
 一九八四(昭和五十九)年の夏は猛暑で、テレビのニュースでは毎日のように西日本の水不足が報道されている。
 強烈な太陽の光が、二人の男を照らしていた。
 せめてブラインドを下げれば直射日光を避けられるだろうに、しかし会議室内の男たちはそんな簡単な作業も行わず、ただお互いにじっと見つめ合い、ときたま、暑さに耐えかねるようにふぅっと息を吐き出している。
「とにかく、ぼくは反対です」
 険しい表情のまま、手塚治虫はそう言った。
 もう若くもない。五十六歳になっている。
 あと一人の男は講談社の編集者だったが、彼はその発言を聞いて顔をしかめた。このままじゃ話が平行線だ、そう思ったのである。
 会議はすでに数時間に及んでいた。しかし、手塚の意思は固く、編集者の提案にどうしてもウンと言わないのである。
 編集者は、ひたいから垂れ落ちる汗をハンカチで拭いながら、困ったような顔を見せて、しかし一歩も引かないという強い口調で口を開く。
「しかし、先生。『新宝島』は先生の出世作ではないですか。あれを加えずに手塚治虫漫画全集は名乗れません」
 二人の議題はそこにあった。
 七年前の一九七七年、『ジャングル大帝』を皮切りに、講談社から発売された手塚治虫漫画全集は、その後、順調に発刊されていった。
「いまさら、僕の古い作品なんかを出しても、売れるわけないじゃない」
 と、最初は全集の発売を嫌がっていた手塚も、全集の評判が良いことを知ると、思わず目尻が下がっていったものだ。
 しかし、その順調な全集の発刊も、最後の最後で壁にぶち当たったのだ。
 ──『新宝島』。
 講談社は手塚治虫漫画全集の最後をこの作品で締めくくろうとしている。
 しかし手塚本人が、その要請に対してなかなか承諾しないのだ。
 若い手塚ファンには、『新宝島』の名を聞いてもピンと来る者は少ない。だが熱心な手塚マニアには、『新宝島』は既に伝説となっているのだ。
 しかし、何しろ四十年近く前の本であり、いまや市場には流通していない。古本がいくらか出回っているものの、プレミアがついており、普通の読者が買える代物ではなかった。
 だからこそ、読者は『新宝島』の復刊を望んでいる。
 手塚が世に出たきっかけとなった伝説の作品を、読んでみたいのだ。
 しかし手塚はなかなか首をタテに振らない。
 『新宝島』には苦い思い出がある。
 世間の評価や賞賛ほどには、彼はその作品の価値を認めていなかった。
(あれは純粋な僕の作品ではない……)
 酒井七馬が案を練り、手塚が描き、そしてまた七馬が手を入れた一冊だ。
 七馬があのとき主張した漫画論を、手塚はいまでも認めていない。個人的には七馬に感謝しているが、漫画家としては認めるわけにはいかないのだ。
 そういうものだ。
 作家にとって、自分が認めないものを世に出すのは歯軋りするほど悔しいものだ。特に手塚はその傾向が強かった。
(だから、あの『新宝島』を出すわけにはいかない……)
 ――窓から外を眺めると、その光景はいつの間にか変わっていた。強烈な夏の日差しは消え失せて、どしゃ降りの雨になっている。
 雨音は激しくなり、水滴は強く、なお強く、窓を叩いていた。
(思えばあの人と出会ったのも、こんな土砂降りの日だったな)
 三十八年前の夏のことは、いまでも鮮明に覚えている。

「手塚君、わしが酒井や。君の漫画は読ませてもろうた」
「はい」
「細かいところは先日の手紙に書いたと思うが、とにかく君は良いセンスをしとる」
「ありがとうございます」

(もしもあのまま、酒井さんとコンビを組んで仕事を続けていたら……)
 どうなっただろうか。手塚はふと思った。
 考えるまでもない。恐らく、いずれは決裂していただろう。
(どだい、考え方が違ったんだ……)
 手塚は雨が降りしきる空を、恨めしげに見つめた。
「――先生、手塚先生」
 編集者から声をかけられて、手塚は我に返った。
「ん」
「とにかく『新宝島』を出してください。出すと言うまで、私はここを離れませんよ」
「強引ですね」
 手塚は苦笑した。この編集者の立場も分かる。恐らく上司から、絶対に許可を取って来いと言われてきたのだろう。
 手塚は考えた。
 あの『新宝島』は世に出すわけにはいかない。あれは自分の考えた『新宝島』ではない。
(ならば、僕の考えた『新宝島』を出すか……)
 本来、手塚が考えた筋書きの『新宝島』である。七馬が手をつけていない、完全な形の『新宝島』だ。
「リメイクなら」
「え」
「リメイクした『新宝島』なら、いいですよ」
 手塚にとっては本来の『新宝島』なのだが、世間はそう見なすまい。だから手塚は敢えて、リメイクという言葉を使った。
 編集者は迷った様子で、
「とにかく上司に相談してきます」
 と言って、部屋の外にある公衆電話のところへ向かった。
 部屋には手塚だけが残った。
(酒井さん、僕は僕の『新宝島』を世に残しますよ)
 そのとき、雨の勢いがにわかに増した。
 七馬と手塚の思い出には雨が多いが、この日もまた、雨の勢いが強い一日となった。
 手塚の行いを嘆いているようでもあり、励ましているようでもある。

 『新宝島』はリメイクされて復活した。こんにちでは、『全集版新宝島』と呼ばれている作品である。
 七馬の手によってカットされた部分が、手塚によって補完され、作品の終わり方は本来の『新宝島』とはまったく違う、いわゆる夢オチとなった。
 すなわち、宝島を冒険した少年だったが、それはすべて夢でしかなかった――というお話だ。
 手塚治虫漫画全集に収録されたこの『全集版新宝島』は、すっきりとした絵柄とひねった展開になっており、手塚はこれでやっと、『新宝島』が自分のものになった気がした。
 だが『全集版新宝島』の復活は、漫画マニア達をがっかりさせた。彼らはあくまで終戦直後に出た、オリジナルの『新宝島』が読みたかったのである。しかしどれほどマニアの声が大きくなろうとも、手塚は『新宝島』の復刊だけは断固として拒否した。
「あれは僕の作品ではないから」
 そう言い続けた。
 こうしてオリジナルの『新宝島』は完全に幻の本となった。

 ――さらに後日談がある。
 のちに有志によってオリジナルの『新宝島』が完全に復刻され、発売された。それは、手塚の死後、実に二十年の月日が流れた二〇〇九(平成二十一)年のことである。
 手塚伝説の始まりであり、酒井七馬最大のヒット作となった『新宝島』が、数十年の時を経て甦ったのだ。

 京都の下京区恵美須之町に、永養寺というお寺がある。
 寺町通沿いにある古いお寺だが、酒井七馬の墓はそこにある。【慈照院諦観居士】という戒名をつけられた七馬は、いまもその場所に眠っている。
 永養寺の東には鴨川が流れているが、寺との距離はごく短く、わずか二百メートルほどしかない。川から流れてくる涼しげな風を浴びながら、酒井七馬はあるいはいまも、プカリプカリと好物の洋モクを吹かしているのかもしれない。
 人間は笑うのが仕事なんや、と。
 かつてのような、柔らかく温かな笑みを浮かべて――



「酒井七馬と手塚治虫」 完





主要参考文献

 池田啓晶「手塚治虫完全解体新書 THE KING O.T.」集英社 2002年
 伊藤剛「テヅカイズデッド」NTT出版 2005年
 加藤丈夫「「漫画少年」物語―編集者・加藤謙一伝」都市出版 2002年
 酒井七馬 手塚 治虫「完全復刻版 新寶島」小学館クリエィティブ 2009年
 清水勲「漫画の歴史」岩波新書 1989年
 手塚治虫「新宝島 (手塚治虫漫画全集 (281))」講談社 1984年
 手塚治虫「ぼくはマンガ家」角川文庫 2000年
 中野晴行「謎のマンガ家・酒井七馬伝「新宝島」伝説の光と影」筑摩書房 2007年
 夏目房之介「手塚治虫はどこにいる」筑摩書房 1995年
 野口文雄「手塚治虫の「新宝島」その伝説と真実」小学館クリエイティブ 2007年
 藤子不二雄A「二人で少年漫画ばかり描いてきた」毎日新聞社 1977年
 藤子不二雄A「まんが道」(文庫)中央公論新社 1996年

                           (五十音順、敬称略)

 作品の中にある、歴史的記述や人物描写などに間違いがあれば、それは文献の誤りではなく、すべては著者の勉強不足、知識不足、ないしは創作でございます。
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登場人物紹介

酒井七馬(1905~1969)

主人公。大阪漫画界の重鎮。ディズニーを超えるようなアニメ、漫画を作りたいと志す中年漫画家。やがて手塚治虫と出会い、戦後漫画史にその名を残す『新宝島』を手がける。

手塚治虫(1928~1989)

大阪帝国大学の医学専門部に通う学生。七馬の手がける雑誌『まんがマン』に感銘を受け、七馬に漫画の原稿を見てもらおうとやってきた青年。七馬に劣らぬアニメ好きで、日本のディズニーになろうと志している。


大坂ときを(1923~2015)

七馬と共に雑誌『まんがマン』を手がける漫画家。酒井七馬と手塚治虫を引き合わせる役割を果たす。

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