第1話 四人の母たち

文字数 9,029文字

 その日の朝はいつもと違った。
我が家は夕飯に何かしらのお吸い物が出て、朝はその残りが味噌汁に生まれ変わって再登場するのが通例だ。なのに、今朝は珍しくその鍋がない。代わりにお椀の中に永谷園のインスタント式こな袋が、ポツンと入っていたのだ。
 なかったのは味噌汁に限らない。俵と三角形の中間をさまよって握られたおにぎり。目玉焼きもしくは卵焼き、ミニトマトやレタスなどが定番の野菜類に、昨日の余ったおかず、ソーセージかベーコン。ヨーグルトと季節のフルーツ…。フルコースのように並んで思わず胸焼けするはずの朝食メニューは、姿も形も無い。炊飯ジャーの中を確認したら、早朝六時に炊き上がった白米だけが、ちゃんとあった。ただし、表面が平らのままだ。
 一三歳なのだから、やかんを火にかけるくらいわけはない。しかし、普段あまりやらないことを、低血圧との戦いに並行して行うのは無理だった。ぼうっとした頭で沸騰したやかんを持ち上げた際に、熱湯の具合が知りたくて、蓋を取ってしまった。
中学で誰もが習うとおり、液体は蒸発すると気体になる。しかも沸騰という過程で気体は熱々の蒸気となって立ち上る。やかんの構造上、蓋の上には取っ手があって、まさにその取っ手を、私の利き手が握っていた。
 びっくと脊髄反射―これはテストにも出る用語だ。やかんを落っことし、熱湯が重力に従って飛散し、うら若き乙女の下半身にぶっかかり…みたいな悲劇には発展しなかったものの、慌てて流しに投げ入れ、指の第一関節と第二関節間の外側が、皮をひっぺがされたみたいな痛みに襲われる。それはすぐにひりひりと針刺しのような拷問に変わった。つまり、火傷した。
 普通なら、これで短い悲鳴でもあげて、誰かに飛んで来てもらえばいいものだが、残念なことに、私はくだらない方のプライドが高い少女である。
 こんなこともできなかったのかと、一つ屋根の下で暮らす人間に卑下されるくらいなら、いっそこの手に永遠に残る傷を…などと、そこまでヒステリーぶるつもりもないが、下唇を噛み込んで、とりあえず我慢した。
 軽く冷水で流そうと試みるも、水道水がぬるい。水道局民営化のせいだろうか。社会の時事問題に出るから知っているだけの単語で、根拠はなかった。
 冷凍庫から保冷剤を取り出す。アイスクリームとかを買うとついてくるのを、いつか使えるとやたらめったら溜め込むから、製氷機の中に溢れるほどあった。
 ―ひんやり。
 だくだくと流れていた血が存在を消す。冷たい感触が支配して、楽になった。
 けれどそれもかりそめらしい。保冷剤は私の手の甲でどんどん汗をかいていく。はやばやに見切りをつけて、新しいのを出そうとしたら、のそのそとした足取りが階段を軋ませているのに気づいた。
 「―おはよう」
 そう言って入って来た父から、目を背ける。
 思春期の娘云々以前に不快だった。なぜ中年男性というのは、家の中でステテコとかパンツとかでいて良いというルールを生きているのだろう。
 近所の平屋に住んでいたおじいさんは、毎日パンツ一丁で乾布摩擦をする。舞台は縁側で、庭に植木ひとつないから、小学校時代は毎朝、あのあばらの浮き出た皮膚とイボのある背中を目撃した。あれが公然わいせつ罪にならないことに、いまだに納得がいかないのだ。なんだか私のいつの日かやってくる走馬灯で、あの光景が出てきそうで怖い。もし、履いていたのがフンドシなら、立件可能だっただろうか。
 顔を洗いに行った父の背中を見送って、今度は乱暴な足音を察知する。それはさっさと何段かとばしで階段を降りてくる。
 「母さんは?」
 そう言いながら、兄は地毛に見せかけたデジタルパーマの髪を撫で付けた。
身内の欲目を足したとしても、この髪型は本当に気持ちが悪い。
 「叔父さんと電話中。朝ごはんは自分でやってね」
 何気なく返しながら、バレないように保冷剤を冷凍庫に戻す。とたんに火傷はまた声を上げ始めるが、平生を装った。流しにほっぽりっぱなしにしていたやかんの中身を流し捨て、いま初めてという風に水を入れる。
 「母さん、どこで話してる?」
 「ベランダ。ついでに洗濯物干してくるって」
 「夏休みのことかな?お盆、俺バイトいれたいんだよな」
 「おばあちゃんの話みたいだけど…」
 そう言ったとき、記憶の引き出しが一つ。前触れなく開いた。
 「…ねえ」
 冷蔵庫の前に立った兄が振り返る。取り出しかけた無調整豆乳は、来年の成人式に向けて、身長の向上に最後の望みをかけ、飲んでいるらしかった。
 「アロエって、うちの庭にあったっけ」
 きょとんとして頭の中で反芻する顔が、なんとも間抜けだ。
 「なんだって?」
 難聴ではないはずだから、上から下までちゃんと聞こえていたのだろう。それで聞き返す奴に、わざわざ繰り返し尋ねる気は失せた。
 「なんでもない」
 もう一度、丁寧にガス栓をひねる。
 今度は蓋なんか開けないで、私は朝の一杯を作った。



 記憶は増長する。
人からされた嫌なことというのは、相手が身近にいればより一層害悪なものになるし、もし相手が死んでしまえば、生前わずかに垣間見た良い一面が、急に粒立って見えてきてしまう。良好でなかった人間関係も、またしかりだ。
 一三の小娘である私が、いまのところの人生で最もうまくいかなかった相手は、父方の祖母だった。その人は後妻で、私の父が成人し、母と結婚し、兄を産んださらに後から、後添いとして祖父と結婚したらしい。一人で余生を過ごすのが怖いとは、全く可愛らしいと思った。
 父は血も繋がらず、下着を洗ってもらったこともない母親には、たいして思い入れはなかったはずだ。終始敬語で話していたし、呼ぶときも「美智子さん」と名前だった。
 ただ、家のことをまるでできない老父の守役としてなら、少しの間だけ遺産を渡して構わないという考えだったのである。盗み聞いた話だが、この美智子さんはどうやら、若い頃に患った病気で、子供が産めなかったのだ。エゴい裏事情に、私は心底と納得した。
 年齢は祖父よりも十以上は下で、まだ初老と呼ぶには若い。気が強く、出る杭に派手な服と化粧を与えたような印象しかない彼女は、私が小学校五年生の冬に死んだ。
 正確にはいなくなった。よく聞く市内アナウンスで「昨夜、〜時から、〜歳のお年寄りが…」みたいな行方不明放送までしてもらったが、見つからなかった。
 結婚前から持っていた通帳と実印、簡単な貴重品や衣服、極め付けに旅行鞄も無くなっていたから、どうやらボケたわけではないようだった。むしろボケていたのは祖父の方で、「美智子さんはいつからいないの?」と尋ねたときに、「美智子ってどちらさん?…俺の嫁は佳代子だよ」と、半世紀近く前に死んだ、父の実母の名を出した。
 認知症と診断が下りてから、核家族はちょっと揺れる。後添いが添えなくなったわけだから、一人息子が代わりを務めることになるのは、自然な成り行きである。当然その妻子も道連れとなって、同居は決まった。
 けれど、タイミングは重なるもので、一人マンション住まいだった老人を引き取るべく、社宅から大急ぎで一軒家に引っ越そうとしていたら、祖父は死んだ。夜中にトイレに行こうとして足を滑らせ、頭を打ったのだろうと言われている。真相がわからないのは、発見されたとき、廊下に横たわってすでに生き絶えていたからだ。だが、すでに走り出していた我が家の新築計画は止められず、あのとき建てた新しい家に、いまも四人家族は暮らしている。
 この騒動で発覚したが、父方の一族は短命らしい。葬儀で顔を合わせた親類たちには、五十を超えた人が、ほとんどいなかった。
 一方、出て行った美智子の行方不明届は、数ヶ月で取り下げられた。いなくなる一週間前に、夫婦が記名捺印した離婚届が市役所に提出されており、祖父の保険金の受取人は父のままで、美智子が持って行った物品や金は、彼女の最低限の財産だけだったからだ。
こうして私が生まれたときから家族だった他人は、他人になって消えた。
 安否不明のまま数年が経てば、死んだことになるらしい。美智子とはわりかしにいろんな思い出があるが、前置きに「嫌な」とつくものが大半だった。それが三年の空白の時間とともに、彼女が私の中で確実に死んでいって、違う引き出しが開き始める。
 うまくは言えないが、どちらも実体なく心を潰す布石となっていた。
 母の長電話が終わった後、一家は車に乗ることになった。今日は土曜日で、いつもなら父は、午前中にテニス教室へ行く日だ。兄は渋谷の服屋でバイトをしているから、本来週末はいない。一昨日から急にテナントのビルが閉鎖されてしまって、シフトがなくなったと言っていた。閉まってすぐに消毒業者が入ったという情報からして、原因はおそらく、世の中を騒がせる感染症だろう。接客業の宿命として仕方がないのかもしれないが、兄は歯を綺麗に磨くタイプではない。不衛生な性分に対する懸念から、車で隣り合うのは遠慮したいところである。
 だが、そんなことは置いておけばいい。なぜなら、道中の私にそんな余裕はなかった。指の表面が火傷に蝕まれ、その痛みを忘れるために、撫でてみたり爪を突き立ててみたりと、試行錯誤をしていたのだ。もう熱はないのに、火がついたままのように熱くて痛い。
 母はそんな娘の挙動に気づかず、チラチラと後部座席を振り返って、いま向かっている場所で何が待っているのか、ことのあらましを説明していた。
 心なく頷きながら、膝にかけた上着の下で、私の攻防戦は続く。やっと感覚が麻痺し始め、いじくりまわさなくても耐えられるくらいのレベルになった頃、目的地に着いた。
 「あっという間だね」
 車を駐車しているとき、父は助手席の母に何か言われても決して返さない。いつもなら母本人含め誰もそれを気に留めないが、今日ばかりは代わりを務めることにした。
 「自粛で道が空いてたんでしょ」
 実際そうだった。私は家からここに車で来たのは初めてだが、それでも距離で考えれば、二時間かからずに着くのは早い。道路でもつっかえることなくスイスイ行った。運転は性格が出るというが、私の父はまさにそれで、横をすり抜けるバイクや渋滞に、琴線をキリキリ言わせるタイプだ。   
 それが、今日はまだ心に余裕があるらしい。追い越しにも罵声を発することがなかった。
 「二人ずつしか面会できないんだって」
 車を降りながらそう言われて、私はこの後の提案に察しがつく。
 せめてもの反抗として、先手を取って口を開いた。
 「じゃあ、お母さんとお父さん先に行って来なよ。私はお兄ちゃんと行くから」
 イヤホンを丸めてポケットに突っ込んでいた兄が、顔を上げる。今更だが、「勝つ」とかいてマサル。大学生だ。
 「・・・」
 四人しかいないが、全員が黙った。その沈黙の中で視線は飛び交い、最終的に私に向けられる。
 「お母さんとお前で行って来なさい」
 お前という呼称は大嫌いだが、父はよく私のことをそう呼ぶ。
 「いいよ」
 この一言で、男どもがホッとしたのがわかった。
 いくじなし。と心の中で呟く。
 「じゃあ、エントランスのところで待っててちょうだい。最初に手洗いうがいがあるみたいだから」
 歩いて行く母にぞろぞろと付き従う。
 駐車場からぐるっと回ると、駅の横道だ。吉ぎゅうやドラックストアなんかが向かいに並んでいる。
 外気に触れ、火傷がまたじんじんと痛み出すのを感じながら、母が押したインターホンの音が耳に届いた。
 「お電話でご連絡いただいた岩殿です。お世話になっております」
 母がインターホンにおじぎをすると、透明な自動ドアが開いて、中から女性が出てきた。マスクをしていて顔がわからないが、まだ若そうだった。
 「ご無沙汰しております」
 丁寧に頭を下げる母に倣って、後ろの三人も会釈する。スリッパに履き替えて手を消毒する順番を待ちながら、ふと建物を見上げた。
 パンフレットでは鮮やかなレモンイエローなのが、築年数ですっかりくすみ、四角く薄汚れた卵豆腐に見える。
 ここは母の母親、美智子ではない私のもう一人の祖母が入居する老人ホームだった。



 「ほとんどあっちとこっちの間くらいにいる状態です」
 部屋に入る前に、看護師は注意深く私たちに説明した。
 ここ最近繰り返した高熱。別にどこかが特別に悪いのではない。簡単に言えば老衰で、持病の治療で削られた体力が、さらにそれを早足にさせた。
 去年の夏と今年の初めに入院もしたが、手術が必要なわけではないから、安定したらまたホームに戻っていた。八十歳前だと、女性なら少し若いかもしれないが、それでもよく頑張っている。目は開かないだろうが声は聞こえていて、返事は期待しないでください。
 そんなふうに、これから先の光景に私たちがショックを受けないよう、緩衝材がふんだんに挟み込まれる。
 母はそれに信心深い教徒みたいに仕切りに頷き、私は異教徒のように部屋のネームプレートをぼうっと見つめた。
 「井垣多恵」と書かれている。井垣は母の旧姓だ。祖母が「たえ」という名前なのは知っていたが、字を見たのは初めてだった。
 名前の上には透明なケースがあり、抱っこちゃん人形サイズのキューピーが入っていた。いまはあまり見ない、プラスチック製のテカテカ肌が、フリルのドレスに包まれている。
 左右に並ぶ部屋にも、ハンチングや良質な色紙の俳句作品などがそれぞれ冠され、個々の縄張りを示しているようだ。
 「じゃあ、ご家族でよく挨拶してあげてください」
 挨拶とはなんの挨拶のことか。尋ねるほど私も幼くはない。
 決めセリフとともに、看護師はドアを開けた。
 アンモニアの香りと多目的トイレがついた個室。中央の介護用ベッドで管に繋がれた祖母が、すぐ視界に飛び込むくらいの広さである。
 「おばあちゃん。来ましたよ」
 そう言って母は進み出た。母にとって祖母は母のはずだが、私は母が祖母のことを「おかあさん」と呼んだのを、聞いたことがない。母の弟である叔父の俊明が「お袋」と呼んでいたことはあるが、母はなかった。
 もしかしたら、私や父や兄の勝がいないとき、例えば二人だけだったら呼んでいたのだろうか。お嫁に行って子供が生まれるまでは間違いなく、「おばあちゃん」ではなかったはずだ。母も「おかあさん」ではなかったのだから。
 母は一旦ベッドを素通りし、奥の窓を確認した。
 換気はされているようだが、ここは三階なのでそんなに大胆に開かないらしい。風も吹き込まず、薄いカーテンはピクリとも動かない。
 「娘の春子ですよ。二番目の子の紫乃も連れて来ました。わかりますか」
 紫乃という名前は、この祖母がつけたものだ。
 もともと私は、産婦人科医の見立てでは、男児の予定だった。自分の握りこぶしをふくらはぎに挟んで眠る癖が、母の子宮内でついたのだ。小さい頃は親戚が来るたびに、そのエコー写真が引っ張り出され、「いたずらっこでしょ」と笑い種にされた。裸の写真を見せびらかされているのと同義だから、私はいつも、すごく嫌だった。
 そのときに必ずセットで披露されるのが、両親が用意していたものが、私が女だったことにより、服からおもちゃから全ておじゃんになったというネタである。もとから兄のお下がりをフル活用する予定だったが、それでも肌着なんかを新調していて、それらが無駄になってしまったのだ。勿体無かったとぼやくのは、決まって母だった。
 そして、兄からのお下がりであり新品でもあった「剛い」と書いてタケルという名前も、物品同様に無駄になる。「勝つ」に「剛い」は、柔道をやっていた父の好きな字だった。
 結局、すっかり出鼻をくじかれた両親は、もはや名付けへの情熱も冷めてしまい、私の名前はなかなか決まらなかった。出生届の期日も迫ったところで、ふっと出された多恵のアイデアが、代案なしで可決されたと聞く。この人は私のゴッドマザーなのだ。
 そんな単語を思いつくと、頭の中で、某マフィア映画でおなじみの曲が流れ出す。
 「ほら、あんたも見てないで」
 突っ立ったままでいたら、こっちに来いと手招きされた。父が私を「お前」と呼ぶのと比例するように、母は私を「あんた」と呼ぶ。もしかしたら両親は、いまだに私の名前に興味がないのかもしれない。
 そろそろと歩み寄って、じっと見下ろした。
 「頑張ってるね」
 そう言って、母は自分の母の顔を撫ぜる。
 赤く上気していてやけに血色がいい。頬は痩けていたが、仰向けの顔からはシワが流れ落ち、子供のような顔だった。蓋をした瞼は、もう上がらないのだろうか。
 蛍光灯の光を私が遮って、祖母の視界に影を落とした。少しだけ眉がヒクついて、驚く。
 「来たのがわかったんだね」
 私は母の顔をちらっと見た。視線がカチ合う前にそそくさと祖母へ戻したが、変わらず一筆書きしただけの目だった。
 「女の子はあんただけだからね」
 独り言のように呟く母を見て、自分自身に向かって言っているのだと理解した。
 祖母には、孫が五人いる。実子は一女二男の三人だが、末っ子の次男は、親戚筋に養子に出したと聞く。残った長男の俊明叔父さんは独り身だから、跡取りはいない。養子になった方には三人も子供がいて、全員男というから皮肉なものだ。私はそいつらに会ったことはない。
 叔父曰く、母の春子は、祖母の思い通りに育った。女子校から付属で名門大学を出ると、資格も取得し就職も滞りなく、三十手前に父と結婚、兄と私を儲けた。
 女が働きに出て子供を産み、やがて専業主婦になる時代。何枚も描かれた理想の絵のような道を踏んでいる。それが姉貴なんだ。―小学校に入ったばかりの姪っ子に、そんな心中を語った俊明を、当時の私はすでに哀れに感じていた。叔父の抱くコンプレックスと同じように、母も長子でありながら、女である不自由さと自由さに板挟まれていたのだと思う。私の記憶上、この姉と弟の仲は、あまり以上によくなかった。
 「触ってあげなさい」
 促されるまま、祖母の手を握ってみる。パンパンに膨れていて、シワも血管も見えない。内部を流れる血は、どくんどくんとマグマのようだ。私の火傷に共鳴して、忘れかけていた痛みが再燃した。
 きりきりぴりぴりと、燃え尽きそうなほどに痛い。舌の上に苦味が走り、握り返されているわけでもないのに、私は手のひらに強く力を込めた。
途中でハッと我に返って手を離すと、それを合図のように、母は祖母のおでこから手を離す。
 「…じゃあ、もう行くね」
 と春子は言った。
 滞在時間は五分くらい。
 混濁していて反応のやりとりもできない。呼吸だけが、機械の補助で繰り返される人間。本当にこれが、母娘の最後の瞬間でいいのか。私の存在が、満足な別れの儀式を邪魔しているようで、なんだか申し訳ない気さえする。
 だが、きっと母はそうして欲しいのだろうとも思った。いつも通りに立つその両足を、私が見ていることで支えている。そんな気持ちだ。
 私は何か言う必要も言葉もない。もう一度だけ祖母の顔を眺める。
そういえば、美智子を最期に見たのは確実に生きている姿だった。いま、目の前にいるもう一人の祖母、多恵は、生きていることと死んでいることの境にいる。
 連れ立って部屋を出て、粛々と廊下を行く。案内してくれた看護師に簡単に挨拶をするときも、エレベーターに乗るときも、私は常に母の隣には立たず、背後にいた。看護師と話す母の声が、かすかに震えていた気がしたのだ。
 手持ち無沙汰に待っていた父と兄にバトンタッチし、入り口ロビーのソファーに腰をかけると、沈黙の時間が流れ出す。
 スマホを出そうとして、ここは病院同様にスマホ禁止かもしれないと、心配になってやめた。咎められるのは嫌いだ。
おもむろに立ち上がって、壁沿いにあった自動販売機でお茶を買う。ペットボトルではなくて紙コップに注がれるタイプだった。老人ホーム仕様で、取り出し口の横にトロみをつけるサーバがついている。
 紙コップを手に母の隣にまた座る。トリップしているように静かで、何か考え込んでいるらしい。
 その横顔が、なんとなく罪悪感を駆りたてる。
 会話ができない相手といえど、祖母に対して言いたいことが、春子にはなかったのだろうか。
疑問に思って、すぐにかき消す。
 たとえあっても、私の前では言わなかっただろう。だって母は、祖母の娘という生き物ではなく、もう母という生き物だから。
 そう思い至ったとき、私の右手はもう痛くなかった。気がつかなかったが、さっき個室を出てからずっとだ。先程の握手が、私の痛みを焼き尽くしてしまって、その灰さえも、祖母に預けたかのようだった。
 この驚きとともに、お茶をくっと飲み干す。冷たい感触が、今度は内側から体内に落ちていく。ここは空調がちょうど良すぎる。暑くもなく寒くもなく、完璧に調整されている代わりに、感触が何もない。生きているらしい体感が、一切失われているのだ。
 その事実に反抗するように、私はさも暑そうに腕をまくった。袖口から伸びる右腕は、黄ばんで白くて、目につく黒子が三つ、ちょこちょことあるだけだった。
 ―そう。昔、炊いたばかりの風呂にこの腕を突っ込んで、派手な火傷をしたことがある。あの日は祖父の家で、留守番は私と美智子だけだった。あの女はハガキを書いていたとかで、同じ家内で泣き叫ぶ私を、しばらく無視した。
 けれど、あのときの火傷の痕跡は、一つもない。
 それがなぜなのか突き詰めて思い出そうとしたことはなかったが、今朝開いた一つの引き出しから、ひょっこりでてきたのだ。
 「火傷にはアロエが効くんだよ」
 そう言って、自家製のアロエジャムを私の腕に塗りたくった。この治療が、実は全く医学的根拠がないことを、当時の私は知らない。
 でも、美智子の香水と混ざって香る甘い匂いと、冷たく固形物感のあるどろっとした肌触りに、不思議と痛みは鎮火していったのを覚えている。
 いま、片方の祖母が私の火傷を自分の熱で凪いだように、あのときの美智子もまた、私の火傷を治めていたのである。実感だけが証明してくれる方法で。
 これから死ぬであろう祖母の顔と、黙っている母の顔、もう眉毛の形さえ忘れた美智子の顔、いろんな顔面図が頭の中を交差して、私はただ黙っていた。
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登場人物紹介

○ 岩殿紫乃(イワドノ シノ)         十三歳。中学二年生。質問サイトでは「三十代後半の東大卒男」のフリをする。

○ 岩殿美智子                      紫乃の祖母。父方の祖父の後妻で血のつながりはない。数年前に失踪した。

○ 三田麻里亜(ミタ マリア)       紫乃と同じ中学の一年生。顔が可愛い。

○笑子                                 紫乃が質問サイトで出会った謎の投稿者。

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