05_複数宇宙の衝突

文字数 5,694文字

視点#ラブ

ジャック・パーカーは多分世界で一番頭がいい。東洋の天才軍師が孔子の教えをそらんじてたころ、彼は聖書の教えをそらんじた。
ドイツの大数学者が1から100までの足し算を即答するときには、彼は円周率を10000桁まで正確に作る方程式を作った。
普通の子供がジュニアハイスクールを卒業するころには、アインシュタインの宇宙項を改良してブラックホールの所在を突き止める方法を(叔父の名前を使って)発表した。
思春期の頃、お金を求めて、パートタイムに励むころには、彼は資産を確実に1.0001倍する不思議なシステムをガレッジセールで199ドル99セントの2世代前のノートパソコンで運用して世界で650番目のお金持ちになっていた。そして彼は今、17歳になるころには、カオス理論とかなんか難しいものを利用して、チューリングマシンたるものを作ろうとしている。そんな彼は僕の兄だ。

「お兄ちゃん。今日、学校は?」
「おう、ちょうど今、出来たんだ。万能チューリングマシンが。」
「何ができるの?」
「まあ、世の中のすべての謎を解くことができるね。」
「すべて?」
「たとえるなら、どんな料理でも材料を入れれば、一瞬で超一流のシェフが作るような完璧な料理を作ってしまうそんなマシンだね。」
「ふーん、それで今何をしているの?」
「ああ、とりあえず、ラブが僕の弟かどうか入力して動作チェックをしているところさ。」
機械はブイーンとファンの音を鳴らして、スピーカーは語りだした。ポンとなる。
「ラブ・パーカーは、ジャック・パーカーの初恋の従姉です。」
「・・・従姉?それに初恋って?」
「・・・おかしいな。調子が悪いみたいだね。どこかおかしかったかな。」
もう一度試すが、同じ答えが返ってきた。僕たちに従姉はいないはず。
「あれ?」
そういって兄はまたシステムを見直し始めた。僕は夕食の準備を始める。じきにおじさんが来ることだろう。いつものことだ。こうして今日という日常が過ぎていくことだろう。そう今日までは僕もそう思っていたんだ。

@@@

朝、僕はいつものように起きる。なんだか寝ぼけているみたいだ。昨日はあのあと、兄とおじさんがシステムを遅くまで見直していたが、大きな欠点を見つけることはできなかったみたいだ。おじさんが帰ったのは明け方。兄はまだ眠っているみたいだ。洗面台でうがいをする。フェイスタオルをとる。おかしい。何かいつもと違う気がする。なんだろう。家から感じる違和感は全体的に高さが低い気がする。洗面台に移る顔を見て、仰天の答えを知ることとなる。そこにいるのは、驚いた表情を浮かべている金髪の女性がいる。スレンダーであどけなさがあるが、どこか見覚えのある目鼻顔だち。そして動くと、僕と同じ動きをする。これが平凡な鏡であることから、導き出す結論はこの女性は僕なのだろう。甲高い悲鳴を上げることとなる証明だった。
それでも眠り続ける兄の部屋に飛び込む。
「お兄ちゃん。」涙声で泣きつくように仰向けで眠る兄に馬乗りになる。
「どうした?ラブ。まだ、こんな時間じゃないか。学校まで2時間もある。」
寝ぼけながら兄は寝台の照明をつけて、僕の顔を見て、続きの文句を言いたそうにしていたが、すぐに表情は固まる。世界一の聡明な頭はその意味にすぐに答えを判断する。
「やっぱり欠陥はなかったのか。」

@@@

両面焼きの目玉焼きと簡単なサラダ。コーンフレークに牛乳を注ぎながら、テレビの電源を入れる。アニメチャンネルがすぐにつく。僕はトースターから焼きあがった食パンを取り出し、ピーナッツバターを塗る。日常は続く。
「オレンジ―ジュースをとってよ。」
「ねえ、お兄ちゃん。どうしよう。やっぱり病院とか行くべきかな?」
「無駄だろうね。多分。そんなことよりも僕らの状況を疑うべきだ。いつもと何か違うことをしたとかね。」
そういって僕らはテレビの隅っこの万能チューリングマシンを見つめる。
「まあ、そうなるだろうね。」
「結局、直ったの?それ」
「壊れてなかったよ。いくら見直しても。現れた事象も結局、正しいことになったしね。」
「ほかに何か試したことって何かない?」
「ほとんど正しい答えを返したよ。ただ、かなりでたらめな答えが返ってくる場合もあって・・・」兄はその口調を止める。
「おじさんは?」
「えっ!?」
「早く連絡を取ってみてくれ。」僕は携帯からあわてて連絡するが、繋がらない。
「早く、行くぞ!」

@@@

僕は兄にせかされたまま、家を飛び出す。4ブロック先がおじさんの住むアパートだ。そこに一人暮らしをしている。持っている合鍵で兄は部屋に飛び込んだ。
「リチャードおじさん!」返事はない。
整頓された部屋では、コーヒーメーカから湯気が上がっている。おじさんの姿は見えない。僕らはそこで顔を見合わせた。少しそこで意識を集中すると、部屋の椅子の陰で魚が跳ねる音がする。恐る恐る近づくと、大きな錦鯉が跳ねている。
「リチャードおじさん!?」兄はそう叫びながら魚に駆け寄る。
「早く水と大きな水槽を用意しろ、ラブ。このままでは鯉が死んでしまう。」
「鯉?何を言っているの?まさか、その鯉が・・・」
「昨日の結果の一つに、おじさんの答えが鯉という事象があったんだ。くそ、このままじゃ間に合わない。早く水槽を!」
僕は濡れタオルを持ってきて、鯉を包み込む。
「鯉はとてもタフな生き物だから。えら呼吸ができるように考慮すれば、死なないはず。この間に水と水槽を用意すれば十分間に合うはず。幸い、そばにアクアショップもある。」
兄は腑に落ちない顔をしながら、状況を見ていた。
「ラブ。悪いがその辺の手配をよろしく頼む。俺は、先に家に戻って学校に行ってくる。」
「えっ?!なんで急に?」
「ちょっと思うところがあってね。確認したいことがあるんだ。」
「う、うん。わかった。任せて。」
兄はいそいそと出かけてしまう。

@@@#ジャック

今朝からずっと残っている疑問がある。それは俺に弟がいたのかという根本的なものだ。最初から従姉だった気がする。弟であるという反証は難しい。あいつは何も言わずに着替えていたが、弟だったならなぜ服装に何の不満もなく着替える?鯉に関する知識にしても不自然だ。でも一方で確かに従姉であった確固たる証拠もない。ただ胸の高鳴りがどうしようもなくうるさいのだ。やはりあの機械は正しい。
だから行くしかないだろう。俺たちについて知っている第三者の意見が必要だ。

@@@

「それは、『マルチバース・コリジョン』というやつだな。」
「えっ、なにそれ?」
「離人神経症にも似ているが、二人同時に起こるという可能性は極端に低いしね。それに君ほどの才覚がその感覚を誤ることの方が難しいだろう。」
「いやそんなことより、マルチバースって」
「マルチバースというのはユニバースに対して複数の宇宙ということで、ビックバンが起きるプロセスを物理的な見地判別すると、複数の宇宙が必然的に・・・」
「いや、ジェット。マルチバース理論のことは知っている。」
「ああ、失礼。えっと、つまりそれらの宇宙が、単連結に存在するもしくはよく離れている確率と衝突する確率は等しいということだよ。」
「それが、どうして今回のことになる?」
「いや、ここからは思考上の仮説になる。何せまだマルチバース自体仮説だ。で、この仮説ではもう一つの宇宙が物理法則を持っているとは限らないということからスタートするんだ。すると、その宇宙自体は、認識どころかモニターすることもできないからね。だから接触したかどうかなんて想像の範囲でしかない。でも接触したのなら何らかのアクティブな反応を示すはずだ。それはどのような現象を引き起こすかなんてわからないなんて理屈だよ。まったくこんな奇奇怪怪なSF話を本気で論じる学者がいるんだから・・おい、どこへ行くんだ、パーカー。今から授業だぞ。」

@@@

ヘンリー通りを抜けて、ウェイン・シューズを左に。地元の悪がきがたむろするスタンドの手前で裏通りに、その正面のワン夫婦が営むクリーニング店があるアパートの4階、4号室に駆け込む。そこは、間違いなく俺の家だ。遠い過去から。
マルチバース・コリジョン?原因はどうでもいい。そのような思考はなかった。物理法則を疑うなんて、でも一番納得してしまう答えだ。俺の作ったチューリングマシンは故障などしていなかった。あれは普通不変符号で作られたものだ。この世界の規則が上書きでもされない限り、止まることはない。たとえ予期せぬ乱入者でもその法則に従って正しい解を吐き続けることだろう。
勢いよく扉を開くと、そこには、彼女がいる。やはり夢などではなかった。

@@@#ラブ

「おかえり、パーカー。また学校サボったわね。あなたには普通の生環境を持つことが・・・」
「ああ、ごめんラブ。それよりおじさんは?」
「おじさん?ああ、全然平気だよ。さっきもジャガイモを食べていたから。」
大きな水槽を見ると、口をパクパクとこちらを見ている。
「ねえ、原因わかった?」
僕は不安げに聞いた。不安はどんどん大きくなっていたから。この言い知れぬ不安を僕はずっと持っていたから。兄はすぐにチューリングマシンに座って、そしてそこそこと何か入力して、そしてマイクに向かって話しかける。
「原因はなんだ。」機械は独特の呼吸をしてから答える。
「要素が足りません。モニター不明のものです。」
「・・残り時間は?」
「30%の確立で287,455,329,178時間です。」
「ラブ・パーカーはなんだ?」
「ラブ・パーカーは17歳。ジャック・パーカーの従姉です。」
「リチャード・パーカーは?」
「この世に存在しませんが、99%の確立でジャック・パーカーの叔父です。1%で鯉です。」
「何をしたの?」僕は質問する。
「ああ、システムを少し変更して、回答をすべて僕の周辺の事象に変更した。原因はわからないが、仕組みは理解した。」
「?」
「どうやらいつごろからこうなったのかは知らないが、この事象は当たり前のようにあちこちで起きているんだ。そして今回、たまたま俺がそれをモニターできるアイテムを作ってしまった。宇宙規模で起きている『フォリ・ア・ドゥ』といったところか。」
僕は得意げに答える兄の後ろで顔を青くした。
「ねえ、お兄ちゃん。さっきから食べているのって、ピーナッツだよね?」
「?」
「お兄ちゃん、確かアレルギーで口に含んだだけでもはいちゃうくらいに。」
「!」
「自分は例外だとでも思ったかい?」
「!!」僕たちはさらに驚く。マシンはしゃべりだした。
「宇宙の存亡の危機だ。俺がしゃべりだしても何ら不思議じゃないだろう。」
「システムの一部が上書きされた。有意識の部分だが、それはむしろ良いことだろう。」
兄は席に戻って話しかける。
「例外ではないとはどういうことだ。」
「加速度的に変異は起きている。フォリ・ア・ドゥはパーカー自身を示している。」
「どのような変化だ。」
「ネズミになる。」
「・・・え?」
「ネズミになる。げっ歯類のよくあるやつだ。詳しく言おうか?」
「・・・残された時間は?」
「90%で30日前後、その加速度も一定じゃない。早くなるとも遅くなるとも。」
鯉が一回反転して、チャポンと波立った。
「笑えない冗談だ。」

@@@

「何ができるの?その間に?」
「どうした姉さん。突然?登録された範囲で質問してくれ。それはエラーだ。」
「方法はないだろう。」兄は答える。
「じゃあ、どうする気?」
「どうもこうも、こんな機械さえなければ、俺らは何も知らずに渦中の中踊るあほうで済んだということくらいか。あとは末期に備えて巣箱でも買ってくるか。」
「それなら俺が最安値で落札してやるよ。希望を言え。」
「気が利くね。」
「ちょっと、二人とも。何か対策を考えようよ。」
「すでにコードさえ、書き換えるような事態に、出来ることなんてもうないよ。終活に励むことが賢明だな。」
「それでも、何かできるかもしれないじゃない!」
「・・誕生日っていつだっけ?」
「それは2006年・・」僕はハッとする。それは兄よりも年上になってしまうから。
「そういうことだ。すでに正しい事実は変えられている。正しいことの否定はすべて妄想だろう。俺らの共有している事実も揺れの中にあるということだ。俺が君に口づけをしても魔法は解けやしないよ。」
僕はキスをする。兄に、その恋心を知っていたから。そして悔しかったから。兄は驚きよりも挑戦的な僕の泣きっ面に何も言えずにそこにいた。
「・・もう寝る。」
兄は部屋に行ってしまう。強く締め切る。バタン。そう響いた。
「・・謝罪の言葉でも検索しようか?」
マシンは答える。それを遮るように僕はマシンの前に座る。できることはすべてやってやる。そう思ったから。

@@@#ジャック

斜陽は傾き、俺が部屋から出てくるころには、6時の針を示す。マシンの前で眠る彼女がいた。昨日のことだ。なんて声をかけることが正解だろうか。ひどく傷つけてしまった。髪の束をつまみ、撫でかけようとすると、机に散らばる書き殴りの文字を見つめ直す。その中には、いくつも直そうとしたコードの一部がある。
「ずいぶんと調べ上げたものだ。」
「起きろ、チューリング。」
「なんだ、やっとさっき休んだところだぞ。」
「ずいぶんと調べ上げたみたいだな。」
「彼女はなかなか優秀だよ。どこぞのネズミよりも気骨もある。」
「俺が惚れる理由もわかるだろう。」
俺は彼女を持ち上げ、ソファに移動させる。
「さて、さっきまでの続きだが、この新しく書き換えられたコードのルールだが、有意識レベルに関する論文を・・・」
「おいおい、冗談だろ。俺にまだ働けというのか?」
「時間がないんだ。」
「ちっ。」

@@@#ラブ

兄の後ろ姿を眺めながら、私は夢に向かう。きっとどうしようもないことなんて知っている。悲しみすらもないことになるだろう。それが今は悲しい。うたかたの匂い、今日の夕飯を考えようとしたときにうれしそうなその肩に、響くブラックジョークに、彼の喜々とする空気を見つめる。明日はきっといい日だ。そう思えたことが私に眠りをもたらした。
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