02s_映画

文字数 2,227文字

(002)(1=16)

視点#語り手

何もかもが終わろうとしている。それは恒星であり、今日であり、世界であり、彼女であった。
普段は誰も意識もしないはずのフェンスだけが、彼女を支える唯一の根拠であったがそれももう間もなく終わる。

男:「一粒の砂に世界を、一輪の花に天国を、この小さな手の中には無限を、ひと時の永遠に」

その言葉は彼女を引き止めるのに十分だ。屋上の入り口で男は気だるそうに、その反応はさも当然みたいに彼女の言葉の続きを待っていた。

朝日:「ウィリアム=ブレイク。『無垢の予兆』、あなたは確か・・いつも山根君といた・・」
男:「そう、それでいい。それ以上も以下もないさ」
朝日:「私を止めに来たの?」
男:「いや?それは不可能だ。物語は朝日の死が必須でそれはもうこの世界で確定している」
朝日:「?・・じゃあ、ここにはどうして?私の死を見に来たの?だとしたら悪趣味ね」
男:「いや、そうじゃない。・・いいや、どうだろうな・・。ここで君と最後の問答を繰り返して、その度に君の最後を看取る。それが終わると結局、またこの場面に戻る。そうしてまで見ようとする。繰り返す理由は・・」
朝日:「あなたはどうしたいの?」
男:「不思議だな。君は何度目でも会っているが、一度も同じ話にならない。さすが、学園が誇る才女」
朝日:「お褒めの言葉、ありがとう。それで何度も私に何の用?」
男:「特には。強いて言えばこれから死にゆく、君に自分自身を重ねてみた。舞台袖の雑談さ。そういえば君も答えやすいだろ?」
朝日:「私は私の意思で居なくなる。・・私とあなたじゃ意味合いも色合いも異なる。それは全然違うはずよ」
男:「それはどうだろうな。本当にそれは自分の意思か?誰かから操作された結果かもしれないし、そう思うほどの根拠はどこにもないだろう?」
朝日:「仮にそうだとして、それがなぜ自我ではないと言える?そうだとしても、それが自身の過程において決定的な役割を持つのならむしろ肯定しましょう」
男:「おもしろいね。やはりここでもっと話したいけど、君に残された時間はあと10分と少々。あの陽が沈むまでのロスタイムでしかない。物語が省略した語り部のない事実だけの真実があるだけの隙間に僕らは語らっている。本当に完璧なこととはこの瞬間において、この暇しかない」
朝日:「ねえ・・私からも質問いい?」
男:「いいよ」
朝日:「私はさっきそこで人格を否定される事実に遭遇した。肉体的な性には頓着なんてないと思っていたけど、そこで遭った純然な恐怖と暴力には・・どうやら死を思い抱かされるには十分だったようね」
男:「こういうこと聞くのはおかしなことだが、そこまで達観しているのなら、この筋書きの矛盾に対して否定することができるのじゃないか?」 
朝日:「・・そうね。でも私にしても生きる意味がなくなってしまった。長年の問題も解けて、ジェンダーのパラドックスを抱えてまで生に対する価値を更新しようとするつもりももうない」
男:「たとえ・・その結論が間違っていたとしても?」
朝日:「ふふ。優しいのね。でもその問いはもう解けているの。仮に私の回答に反証が示されても、そのことで、もう続きはない。お兄さんの忘れ形見に対する私の対話はもう終わったのだから」
男:「・・本当にもうすべて終わりか、それで?質問って言うのは?」
朝日:「あなたはどういう存在なの?えっと・・あなたの言う天命ではなく、あなた自身が考えていることよ」
男:「・・たくさんの時代を見て来た。そのどれもに俺は物語でいう導入のためのモブキャラとして存在してきた。パラレルワールド、過去、未来、ファンタジー、とても取り留めなんてなかったが、共通していたのはどの世界でも俺は取るに足らない卑小な存在だった。ここでも同じだ。俺は再演するバイプレーヤーで悪趣味な映画監督にアドリブを言い渡されている。俺の存在?こうして客観的な批評を繰り返す。それだけだ」
朝日:「あなたはまだ閉じていないのね」
男:「閉じている?」
朝日:「数学で解があるかどうかは求める環の内に閉じているかどうかで決まる。例えば2次関数の解の公式ってあるでしょう?あれは虚数解の範囲で閉じているし、実数における和算の解は実数の世界で閉じている」
男:「へえ~。それがどうして、俺と?」
朝日:「私はこの世界で閉じている。続きはない。それは解の世界では絶対だから。でもあなたには、いくつもの世界でもそのどこにも正解はなかった。きっとそれはそこがまだ閉じていないから」
男:「『閉じていない』から・・考えたこともなかった」
朝日:「ええ。あなたはいつか大きな目的のもとにその世界を閉じるときが来る。その時にはきっと、今度は私があなたのためのモブキャラになるのね」

夕日の日射は刺す。視界は赤く染まり消え去った。視線に太陽が下りてきたからだ。あたりはもう何度も見た終わりの中で、彼女は微笑んだ。その所作のすべてがこれまでの再現と一切変わらずにあった。生活の雑音がことさら強調されてそのクライマックスにBGSが大きくなった。あとコンマ何秒後に聞こえる彼女の破裂音も伝えた。
だから男にはその違いは大きく反映した。これは見開きだ。経過のない世界で展開が成立した。フラグが立った。大きな呼吸のひと間もなく、大きく広げた両手が翼みたいに天使みたいに見えた。でも力強く落ちていく。無常のこともなく、彼女はそこから退場した。残されたのは男だけになった。
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