第22話 スピリチュアルとの相性(その2)

文字数 3,241文字

 さーちゃんのスピリチュアル生活で閉口したのは、マルコ先生と二人で摘んできた雑草を使って作ったジュース(青汁?)だ。
 私たちにしきりに味見させたがるのはまぁいいとして、専用のバケツで数日発酵させて作っている最中、家にコバエが大発生した。
 家中、どこに行っても目の前をチラチラと飛び回るコバエは、これといって害はないが、死ぬほど鬱陶しい。
 その他にも、紅茶キノコとかいう、不気味なデロデロしたなにかの塊が入った瓶が、いつの間にか冷蔵庫の中でドンと鎮座していたりした。
 久子がコバエ退治しながらブチキレている。

「さくら! あんた、薬剤師のくせにホントにこんなジュースががんに効くと思ってんの!?」

 前世武闘派の将軍だって自分で言ってた久子が喚いている。

「思ってない」
「はあ!?」
「わかってたけど、ああいう人たちの科学ってホントにいい加減でさ、これぞ似非(エセ)科学って感じなんだよね。電磁波危険だから電子レンジ極力使わないって言ってるくせに、私に放射線治療いいらしいですよって平気で言うんだよ。あはは。でもまぁ、気持ちの問題だからさ。やった方がいいってマルコ先生が言うんだから、やらないよりはやった方がいいでしょ?」

 さーちゃんが、スーパーで買い占めたコバエホイホイをあちこちに設置しながら言った。

「あんた、そこまでわかっててなんで……?」

 久子が呆れている。

「だって、動物と話せるようになりたかったし、この方面ってまだ誰も科学的に証明してないけど、ないとも証明されてないし、お母さんだって、説明できない不思議体験の一つや二つあったでしょ」
「……ま、まぁ」

 渋々といった感じでお母さんが認めた。
 あるのかよ、と思ったところで思い出したことがある。
 それは、お母さんの親友だった、私たちと家族ぐるみの付き合いのあるユウコさんというママ友が亡くなった時のことだった。私は当時まだ小学校の低学年だったと思う。
 やはりがんで何年も通院治療していたのだが、亡くなった知らせを受けたのは突然だった。久子は電話口で、知らせてくれたママ友に向かって、

「バカ! 嘘つき! なんでそんなひどい冗談言うの!!」

と罵ったかと思ったら、電話をイキナリたたき切った。
 それ以降どんなに電話が鳴っても取らず、ワーワー泣きわめいたかと思ったら、イキナリごしごし廊下の雑巾がけを始めた。そして、突然ふらふらと家を出てユウコさんの眠る自宅へ出かけ、私たちが駆けつけた時には、ユウコさんをここから出せと言って、棺をガタガタ揺らせながら泣きわめいている真っ最中だった。
 考えうる限り、最悪の展開だ。
 長い付き合いの一家だったので、お母さんのことをよく知るおじさんも、私たちの幼馴染の二人の息子も、笑って許してくれたが普通なら大顰蹙だ。
 手を合わせてやってくれと苦笑するユウコさんの実のお姉さんに向かって、

「そんなことしたら、ホントのことになっちゃうでしょ!」

 と怒っていた。意味不明だ。
 そんなお母さんを、三姉妹でなんとか連れ帰ろうとして、お母さんが通りがかりのベンチにへたり込んだ。
 いかんともしがたくて、さめざめと泣くお母さんを見守るしかない私たちだったが、まだ小さかった私の手を引きながら、お母さんを見るさーちゃんとももちゃんも声を殺して泣いていた。
 人が死ぬということが、どういうことなのかまだよくわからない私は、みんながあまりにも悲しんでいるのが悲しくて一緒に泣いてしまった。
 すると、お母さんが突然弾かれたように顔を上げた。
 そして、キョロキョロと周囲を見回し、私たちに向かって「聞こえた!?」と聞いた。

「え、なにが?」
「今、ユウコさんが『あんた、私の顔見たの?』って言った!」

 お母さんは、亡くなったおばちゃんに、しょうがないなぁという口調でたしなめられたというのだが、私たちにはもちろん何も聞こえない。
 私は意味がわからずキョトンとするだけだったが、お姉ちゃん二人が驚いたように顔を見合わせたのを覚えている。
 確かに、棺で眠っているおばちゃんは、夢の中で何か微笑ましいものでも見たようにふっと小さく笑っていた。そのせいもあって、私にはおばちゃんが眠っていると思い込んだのだと思う。
 お母さんは気を取り直したように、苦笑しながらベンチから立ち上がった。

「わかった、わかったよ。そうだね」
「な、何? まだなんか聞こえるの?」

 さーちゃんがこわごわお母さんに聞いている。

「あんな顔で死ねるの私ぐらいだからって自慢してる」
「マジかー!」

 さーちゃんとももちゃんの声が揃った。でも、明るくて朗らかだったあのおばちゃんがいかにも言いそうなセリフではある。

「……って気がする」

 お母さんが半信半疑というように付け足した。
 あの時のことを指しているのか、さーちゃんがお母さんに言った。

「ね? なんかさ、できることは全部やっておきたいんだよね」
「……ふーん」

 お母さんが渋々納得した。
 マルコ先生のところへ通っていた時のことを書いた『たらふく帖』を引用してみる。

——*——*——
 
 私がマルコ先生の元で行ってきた事は、実は9割が『自分と向き合うこと』だった。(あとの1割でチャクラの流し方、前世の見かたなど、みんなもその場で説明されてすぐできるようなことをやってただけ)
 つまり、私は自分自身と向き合うことをみんなにもおススメしたい。これからの長い人生を私との哀しみと過ごすあなたたちだからこそ!
 いつまでも私を思い出しそうになったときに、自分の感情を押し込めてシャットアウトして欲しくない。
「ああ、とてもとても悲しかった。今でも心臓が破けるくらいに、乗り越えないぐらいに悲しい」と。
 悲しむ自分を拒絶せずに受け止めてあげてほしい。死ぬまで悲しみ続けることは悪いことではないから。私を思い出すことを怖がらないで欲しい。
 なんか、そーゆー気持ちです。そしたら、私みたく猫とお話しできるようになってくるかも?(笑)

——*——*——

 たぶんこれは、私のことを忘れないでほしいという意味じゃないと思う。
 お姉ちゃんは、どうすれば、大きな悲しみを抱えたままの私たちが、よりよく生きれるかのアドバイスをしてくれているのだ。
 後々、お母さんがこのページを読んでぽつんと言った。

「何をエラそーに上から目線なんだよ。だいたい、そんなことしたら、日常生活送れないんだよバカ。しかも、猫と話せなくても全然いいし」

 うん。お母さんの言いたいことはわかる。
 私たちに、家族を置いて先に逝かなければならないお姉ちゃんの気持ちが本当にはわからないように、お姉ちゃんにだって、置いて行かれる私たちの気持なんかわからないと思う。
 大人になると激しい感情を表に出すのが怖くなる。
 誰かにわかってもらいたいから表現するわけじゃなく、耐えきれずに溢れてしまうものだからだ。その大きな大きな感情の波に乗ってしまったら、もう引き返せなくなるんじゃないかと思って怖い。
 私たちはこの先、さーちゃんを失ってしまった悲しみを心のどこかに大きく貼り付けたまま、その現実を恐る恐る小出しにしながら生きていくのだ。
 そんな小心なためらいもまた、生きていく方法のひとつなのだと思う。
 あとになって、さーちゃんにはこのスピリチュアル生活の中でいくつかの課題があったと聞いた。
 私たち家族は前世で何度も出会っているらしい。この業界(スピリチュアル界)では家族や親しい友人は本来そういうものらしく、出会いには意味があるというのだ。
 生まれ変わりながら何度も繰り返される人生の中で、人は誰でも課題を持って生まれてくるらしい。
 こなせるものあれば、持ち越しされる課題もあるのだそうで、この業界のそんな考え方は、後々久子を大激怒させることになる。
 我が家の武闘派暴走将軍が怒り狂うのだから、それはそれはマルコ先生とて無事では済まない。
 それはもう少し先の話になるけれど、この頃の私たちはまだまだ平和だった。

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