第1話 花井家の面々

文字数 1,938文字

 その日はバレンタインデーだった。
 近頃なぜか羊毛フェルトにはまっているさーちゃんが、うちの三毛猫ポッキーの頭部を、びっくりするほど忠実に再現しながら唐突に言った。

「考えてみれば、みんなも私に向けてなにか書くべきじゃないの?」

 とても上から目線だ。
 さーちゃんは1月の末から、そんな手作業の合間に、私たち家族に向けて、手紙のような日記のような、日々の雑記帳をつけているのだ。
 それを聞いて、おもちゃのような筋トレグッズで遊んでいたお母さんとももちゃんがハッと顔をあげ、テーブルのゴミをかき集めていた私は、動きを止めてさーちゃんを見た。
 そして、三人同時に言った。

「た、確かに……」

 それは見事な異口同音で、私たちは、最初の「た」をどもったタイミングまで一緒だった。そしてさーちゃんは、そんな私たちを見てさもおかしそうに笑った。
 さーちゃんは私のお姉ちゃんで、このときすでに、余命宣告を受けていた。


***


 まず、私たち花井家のことを紹介しようと思う。
 まずは私。花井うめ19歳。三人姉妹の末っ子。公務員を目指して日々頑張る学生だ。家族からは、うーちゃんとかうめちゃんとか呼ばれている。渋すぎる名前だということはわかっている。1月生まれだから梅の花のうめなのだ。先に生まれた3月生まれの姉二人は、さくらとももだ。実に女の子らしいかわいい名前でうらやましい。私も、せめてツバキがよかったのに、なんて思う。
 家族が私を語る上で、もう何度も聞かされて耳にタコ状態のエピソードがある。それは私が、幼稚園の入園時と小学校入学の際に、散々泣いて周囲を困らせたという、わりと平凡なものなのだが、何度も聞かされるのには訳がある。
 まずは三歳になってすぐ入園した幼稚園で、二週間ほど毎日ギャン泣きしたのはお約束といったところだが、私の場合、一学期中丸々、先生がどんなに優しく声をかけようと、お友達がどんなに根気よく誘おうと、一切応じることなく、机の前にじっと座ったまま、ひたすら周囲の様子をチラチラ眺めるばかりだったらしい。
 困り果てた先生が、夏休み前の個人面談でお母さんに恐る恐る聞いた。

「あのう、うめちゃんは幼稚園のこと、おうちではどんな風に話してますか?」

 そう聞かれて、お母さんは感謝まじりにニコニコと答えた。

「はい、最初の頃こそギャン泣きしてましたが、二週間ほどで馴染んでくるとよほど楽しいようで、週末はお休みだよと言うと、泣いて行きたいと困らせるぐらいです」

「えっ!?」

 先生が驚いて思わず声をあげた。
 そして先生に、一学期中の私の様子を聞いて、今度はお母さんが声をあげた。

「ええっ!?」

 全く覚えていないのだが、我ながら、三歳の幼児が手の込んだお芝居をするとは思えない。つまり私は、一学期中丸々机にかじりついたまま周囲の様子を伺いつつも、それなりに幼稚園を楽しんでいたのだ。
 そして小学校入学の際も、案の定、行かないと周囲を困らせた。毎朝お母さんに半ば無理やり引きずられて行ったが、ある日、通りのベンチにがっちり座り込み、テコでも動かなくなった。

「うめ、いい加減にしなさい! そんなことするなら、お母さん、うめのこと置いておうち帰って、玄関に鍵かけちゃうからね!」

 こう言いたくなるお母さんの気持ちもわかる。ところが私は、一筋縄では行かなかった。

「いいよ! もうお母さんは帰っていいっ! うーちゃんは学校終わるまでずっと一人でここにいるーっ!!」

「えええっ!?」

 母親と一緒にいたいからこその駄々じゃないのかと、こいつは本気だとお母さんは思ったと言う。
 この日、折れたのはお母さんの方だった。
 それ以降もしばらく、毎朝の行く行かないの攻防は続くのだが、それもいつの間にか収束していった。
 さすがに小1の頃ことはボンヤリと覚えているが、大人になった今でも、我ながら、この頑固な登校拒否の理由が全くわからない。ただひとつ確実に言えるのは、幼稚園でも学校でも、これといって嫌なことは何もなかったことだ。もちろん、いじめなどかけらもなかったし、先生のことも大好きだった。
 たぶん私は、環境の大きな変化を嫌がったのではないかと思う。なにごとも、なるべく用意周到準備万端に整えていたい派なのだ。
 そんな私を、お母さんも二人のお姉ちゃんも、花井家にあるまじき真面目ちゃんと称すが、それはつまり、私がいたって平凡で普通の女の子ということなのだろう。

「なに言ってるの。幼稚園の頃から、買うもの忘れないようにあんたに言っとけば安心だったし、小学校の低学年で保護者用のお手紙管理できるのはあんたぐらいのもんよ。よっ、花井家の奇跡!」

 いい加減が服を着ているお母さんは、私の背中をバンと叩いてダハハと笑った。

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