第2話 久子51歳

文字数 1,860文字

 行き当たりばったりのそんな花井久子は51歳。三人姉妹の母親だ。前に「バケモノの子」というアニメ映画をテレビで見たが、主人公の少年を引き取って育てる、ケンカっ早くて不器用で乱暴者のクマテツという狼のバケモノは、うちのお母さんにそっくりだなと思った。さすがにあれほど暴力的ではないが、気に入らないと誰に対しても臆せず突っかかる心根が、子どもの私の目から見てもヤバい。そしてもちろん、剣の達人ではない。念のため。
 そんな女なので、案の定、久子はシングルマザーだ。私が三つになったばかりのころ、お父さんはわかりやすく、お母さんとは真逆のかわいい女の人の元に走ったのだそうだ。では、そもそもなぜ、お父さんはクマテツのような女と結婚したのかと思うが、しばらく考えた末お母さんは他人事のように言った。

「うーん、当時事故で恋人亡くしたばっかで弱ってたのよ、私。だからつまり、ギャップ萌え?」

 なーにがギャップ萌えだ。
 さりげなく、なかなかヘビーなことをさらっと言われたが、そこは華麗にスルーするとして、確かにお父さんは、ロマンチストかもしれない。要するに、「不幸な女を守る俺」というシュチュエーションに酔う男ということだろう。
 なので私には、小さいころのお父さんとの思い出がほとんどない。なにしろまだ三つになったばかりだったのだ。不幸に酔うお父さんの萌えポイントは、我が子相手には働かないらしい。でもまぁ、私自身が自分のことを不幸だと思わないのでいいのか。物心ついたころには、すでにいない人に思いを馳せようがない。だから、特別悲しいと思ったことはないし、寂しくもないし、恨んでもいない。つまり興味がない。
 そして、お母さんはこのころ、離婚調停をしながら、脚本家になるのだと言って突然シナリオ教室に通い始めた。今にして思えば、それまで十三年間も専業主婦一本でやってきたド素人が、そんな夢物語に飛びつくなんて、どうかしているとしか思えないが、お母さんの恐ろしいところは、これを本当に実現してしまうところだ。一年ほど、週に何度かどこかに通ったり、パソコンに向かって熱心に何か書いているなと思ったら、数年後、テレビに出ているきれいな女優さんを指して言った。

「この人、お母さんがモデルなんだよ」

 ふーんと返しながら、子ども心にウソつけ、と思った覚えがある。
 本当だった。
 当時の私はまだ子どもだったのでよくわからなかったが、ラストのクレジット画面に、久子の名前があったというのは覚えている。
 その連続ドラマは、アラフォー女性の結婚と離婚がテーマで、離婚のエピソードの一部は、本当にお母さんの離婚活動がネタになっていたのだそうだ。このドラマから『婚活』ならぬ『離活』という言葉が生まれたそうだ。
 転んでもただで起きないとはこのことだ。一家の恥を全国区で発表してしまうなんて、まったく油断がならない。ただ、お母さんは脚本家としての参加ではなかったし、内容はずいぶん変更が加えられていたそうだ。その辺りは、私にはよくわからない大人の事情と言うやつなのだそうだ。
 だが、事実は小説より奇なりを地でいっているのが久子という女なのだ。
 それはそれとして、画面の中の女優さんは、とてもきれいで朗らかに笑っていた。逆立ちしたってうちのお母さんとは似ても似つかない。
 以来、久子の仕事は、近所の本屋さんでパートをしながら作家を兼業している。その前に「売れない」という言葉がくっつくのはお約束だ。
 そんなカツカツの作家稼業の中で、ある時期、乙女ゲームのシナリオをやっていたことがある。乙女ゲームはつまり、女性向け恋愛シュミレーションゲームだ。この歩く無神経と言っていい、男嫌いで傍若無人な我が家の暴走機関車のアラフィフ女が、乙女ゲームのシナリオを書いているなんて世も末だ。
 しかもこのゲーム、さーちゃんが高校生の頃に一時期ハマったことがあるという事実がわかり、さーちゃんが震え上がった。よくよく聞くと、その頃のシナリオはお母さんが書いていたのではないと聞いて胸を撫で下ろしていたが、少なくともこの事実は私たち姉妹の間に衝撃をもたらした。

「失礼な。あたしだってあんた、きらっきらのイチャラブもの書けるっつーの」

 その言い方がもはやキモいと、みんな心の中で思っているのがわかった。
 全国のそのゲームファンの方々のために、決してそのゲームタイトルだけは、明かさないことにする。
 ただ、本人はいたって楽しそうに書いているのは本当だ。自分の理想を全部こめているのだそうだ。



 


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