第3話 もも25歳
文字数 2,944文字
そんなお母さんとぶつかってばかりで、一番似ているのが、私のすぐ上のお姉ちゃん、花井もも25歳。私より7歳上の美容師だ。私はお姉ちゃんではなく、ももちゃんと呼んでいる。
お父さんとお母さんが離婚したのは、ももちゃんが小学校五年生の時だった。家族の中で一番繊細でヘタレなももちゃんは、両親の離婚という現状に耐えられなかったのだと思う。
それだけ、私と違ってお父さんのことが好きだったのかもしれない。そもそも、お父さんはお母さんと違って、穏やかでおとなしい人だったように思う。何かと暴走し始めるお母さんのストッパー役でもあったので、似た者同士のお母さんとももちゃんの、いい緩衝材になっていたのじゃないだろうか。
そんなお父さんが出て行った後のももちゃんは、ずいぶんわかりやすく荒れに荒れた。近頃の言葉でいえばDQNだ。DQNというのは『ドキュン』と読む。ネットスラングで不良を指すのだそうだ。
ワル仲間との夜遊びや反抗に忙しいももちゃんは、当たり前のように、中三で成績はどん底。名前さえ書けば受かるという評判の底辺高校に入学した。
結局、この高校も一年で中退することになるのだが、そんな短い高校生活の中でも、ももちゃんは入学早々、先輩から体育館裏に呼び出されるという、とっておきの逸話を持っている。
私たちはそれを聞いて絶句した。
「マジで!?」
さーちゃんがあきれている。
「マンガみたい!」
思わず言ってしまった。お母さんはといえば、腹を抱えてゲラゲラ笑っている。
ももちゃんがそれを受け、両腕を開いて肩をすくめるというふざけたポーズで「ね!」と人ごとのように言った。
「そんでどうしたの!?」
まだ笑っているお母さんを無視して、さーちゃんと私が先を促した。
ももちゃんは、中学を卒業してすぐ、髪を鮮やかなオレンジ色に染めていた。さすがに、高校入学前に黒く戻していたものの、戻りが少し甘かった。わずかに明るい髪色が、目ざとい先輩の目に留まったのだ。何しろ、この界隈一の底辺高校だ。先輩方もそれなりのDQN揃いだ。
そんな高校で入学直後から先輩に目をつけられたももちゃんは、何かというとしつこく絡まれたらしい。
例えば、わざと聞こえるように悪口を言われるとか、廊下を歩いていたら、すれ違いざまにわざとぶつかってくるとか、学校の裏サイトであることないこと書き込まれるとか、そういうことだ。
この辺りは、バカらしいからあんま言いたくないと、ももちゃんはあまり詳しい説明をしてくれなかった。たぶん、私たちに心配をかけたくなかったのだ。そして、話すことでもう一度傷つくことを避けたのだと思う。なにしろももちゃんは、見かけによらず繊細なのだ。
そんなある日、ど派手なギャルメイクに金髪の、見るからにDQNな先輩が3人、一年の教室にずかずか入ってきて、机に突っ伏して眠っているももちゃんを囲んだ。
「おまえが花井ももか?」
眠っているところを起こされて不機嫌なももちゃんは、そう声をかけられ、勢いよくバンッと机を叩いてゆらっと立ち上がった。
「なんすか?」
先輩方は全員、反射的に縮こまった。
ももちゃんは細身の165センチだ。顔が小さくて、どちらかと言えばきつめの美人だ。そのももちゃんが、わざと少しだけ背伸びしながらいきなり立ち上がったものだから、今度は逆に先輩たちが見下ろされることになってしまったのだ。確かに、その身長を超す女子はなかなかいない。
「こんな感じ」
ももちゃんが、「ひっ」と頭をかばうように腕を上げて、一瞬縮こまる先輩の仕草を真似した。ももちゃんのギャグセンスと顔芸は一見の価値ありだ。
お母さんが声もなく笑っている。
「そんなんで体育館裏に呼び出しとか、負ける気がしねえっつーの」
DQN漫画の主人公が我が家に実在するとは思わなかった。
単純すぎる気がしないでもないが、無事で家に帰ってきていることを思えばその通りだったのだろう。
お姉ちゃんとお母さんは、さらに先を促した。
「それでそれで?」
先輩方が去ってすぐ、ももちゃんを中心に教室は騒然となった。心配して一緒に行こうかと言ってくれた親切なクラスメートまでいた。そんな善良な人々を笑顔で断りながら、ももちゃんは果敢にも、単独で放課後の体育館裏に向かった。
先輩は五人に増えていた。
「なんで行くの? バックレちゃえばいいじゃん」
「それか、先生に言いつけちゃうとか」
さーちゃんと私が順番に言った。
「いや、それじゃ面白くないじゃん」
お母さんが無責任に言った。
「なんかストレス溜まってて、暴れたかったんだよね」
そういえばももちゃんは、アタマを使うよりカラダが先の、体育会系脳筋の持ち主だった。きつい顔立ちのモデル体型に騙されてはいけない。この姉の中身は、いつまでたってもおちょけた小学生(男子)だ。
そんなわけで、ももちゃんは、複数のど派手なDQNに半ば覚悟のうえで取り囲まれて、体育館裏でいきなり肩を小突かれることになる。
「おまえ、何様のつもりだよ! 生意気なんだよ!」
ところがももちゃんは、ここへきてこの展開がどうにもおかしくなってしまった。
「だって、マジでベタな不良マンガみたいじゃん?」
遅い。遅いよ、ももちゃん気づくのが。
思いっきり凄んで突き飛ばしても、へらへら笑っている生意気な一年は、ますます先輩の怒りを煽ったが、同時に、あれ、なんか変だな? とも思わせた。普通の新入生なら、ここまでやればビビッて泣き出すところだ。私なら泣く。もう間違いなく。
いつもと違うその展開に、イライラしてきた先輩方は、体育館の陰からコッソリ覗き込んでいる他の生徒を見つけた。ももちゃんを心配して様子を見に来た善良な人々 だ。
「おまえら、何見てんだよっ!?」
ここぞとばかりに凄みながら、何人かがそちらに向かった。
「ひっ」
手を握り合って怯む一年生たち。これが普通だ。
ところが、ももちゃんはそうじゃない。善良な人々 の存在に気づいたももちゃんは、ここで初めて声を荒げた。
「関係ねえヤツ巻き込むんじゃねえッ!!」
なんだかもう、聞いてるこっちが赤面したくなるほど不良マンガの王道という感じだが、ももちゃんの本音は、これで存分に暴れられると思ったのだ。嬉々として先輩の後を追った。なんなら、腕をぐるぐる回していたかもしれない。
ところが、ももちゃんが走り始めると、先輩は途端に顔色を変えた。
「え、ヤバい! ヤバいよ、こいつ!」
誰かがももちゃんにひるんだあとは早かった。
一人が逃げ出すと、それを追うように全員一目散に逃げだしてしまったのだ。
「え、あれ?」
呆然としたのはももちゃんだ。これで存分にストレス発散ができると思ったにも関わらず、先輩はこぞって逃げ出してしまうし、隠れていたクラスメートのみんなは、胸をなでおろしながらももちゃんの元に駆け寄ってくる。
「花井さん、ありがとう! こわかったよう!」
助けに来てくれたはずなのに、今にも抱きつかんばかりだ。
「すごい! すごいよ、花井さん!」
バシバシ肩を叩かれた。
「イタイ。イタイです。えへへ」
ももちゃんは、普通の女の子に好かれることに慣れていない。
「これから、ももって呼んでいい?」
「う、うん」
お父さんとお母さんが離婚したのは、ももちゃんが小学校五年生の時だった。家族の中で一番繊細でヘタレなももちゃんは、両親の離婚という現状に耐えられなかったのだと思う。
それだけ、私と違ってお父さんのことが好きだったのかもしれない。そもそも、お父さんはお母さんと違って、穏やかでおとなしい人だったように思う。何かと暴走し始めるお母さんのストッパー役でもあったので、似た者同士のお母さんとももちゃんの、いい緩衝材になっていたのじゃないだろうか。
そんなお父さんが出て行った後のももちゃんは、ずいぶんわかりやすく荒れに荒れた。近頃の言葉でいえばDQNだ。DQNというのは『ドキュン』と読む。ネットスラングで不良を指すのだそうだ。
ワル仲間との夜遊びや反抗に忙しいももちゃんは、当たり前のように、中三で成績はどん底。名前さえ書けば受かるという評判の底辺高校に入学した。
結局、この高校も一年で中退することになるのだが、そんな短い高校生活の中でも、ももちゃんは入学早々、先輩から体育館裏に呼び出されるという、とっておきの逸話を持っている。
私たちはそれを聞いて絶句した。
「マジで!?」
さーちゃんがあきれている。
「マンガみたい!」
思わず言ってしまった。お母さんはといえば、腹を抱えてゲラゲラ笑っている。
ももちゃんがそれを受け、両腕を開いて肩をすくめるというふざけたポーズで「ね!」と人ごとのように言った。
「そんでどうしたの!?」
まだ笑っているお母さんを無視して、さーちゃんと私が先を促した。
ももちゃんは、中学を卒業してすぐ、髪を鮮やかなオレンジ色に染めていた。さすがに、高校入学前に黒く戻していたものの、戻りが少し甘かった。わずかに明るい髪色が、目ざとい先輩の目に留まったのだ。何しろ、この界隈一の底辺高校だ。先輩方もそれなりのDQN揃いだ。
そんな高校で入学直後から先輩に目をつけられたももちゃんは、何かというとしつこく絡まれたらしい。
例えば、わざと聞こえるように悪口を言われるとか、廊下を歩いていたら、すれ違いざまにわざとぶつかってくるとか、学校の裏サイトであることないこと書き込まれるとか、そういうことだ。
この辺りは、バカらしいからあんま言いたくないと、ももちゃんはあまり詳しい説明をしてくれなかった。たぶん、私たちに心配をかけたくなかったのだ。そして、話すことでもう一度傷つくことを避けたのだと思う。なにしろももちゃんは、見かけによらず繊細なのだ。
そんなある日、ど派手なギャルメイクに金髪の、見るからにDQNな先輩が3人、一年の教室にずかずか入ってきて、机に突っ伏して眠っているももちゃんを囲んだ。
「おまえが花井ももか?」
眠っているところを起こされて不機嫌なももちゃんは、そう声をかけられ、勢いよくバンッと机を叩いてゆらっと立ち上がった。
「なんすか?」
先輩方は全員、反射的に縮こまった。
ももちゃんは細身の165センチだ。顔が小さくて、どちらかと言えばきつめの美人だ。そのももちゃんが、わざと少しだけ背伸びしながらいきなり立ち上がったものだから、今度は逆に先輩たちが見下ろされることになってしまったのだ。確かに、その身長を超す女子はなかなかいない。
「こんな感じ」
ももちゃんが、「ひっ」と頭をかばうように腕を上げて、一瞬縮こまる先輩の仕草を真似した。ももちゃんのギャグセンスと顔芸は一見の価値ありだ。
お母さんが声もなく笑っている。
「そんなんで体育館裏に呼び出しとか、負ける気がしねえっつーの」
DQN漫画の主人公が我が家に実在するとは思わなかった。
単純すぎる気がしないでもないが、無事で家に帰ってきていることを思えばその通りだったのだろう。
お姉ちゃんとお母さんは、さらに先を促した。
「それでそれで?」
先輩方が去ってすぐ、ももちゃんを中心に教室は騒然となった。心配して一緒に行こうかと言ってくれた親切なクラスメートまでいた。そんな善良な人々を笑顔で断りながら、ももちゃんは果敢にも、単独で放課後の体育館裏に向かった。
先輩は五人に増えていた。
「なんで行くの? バックレちゃえばいいじゃん」
「それか、先生に言いつけちゃうとか」
さーちゃんと私が順番に言った。
「いや、それじゃ面白くないじゃん」
お母さんが無責任に言った。
「なんかストレス溜まってて、暴れたかったんだよね」
そういえばももちゃんは、アタマを使うよりカラダが先の、体育会系脳筋の持ち主だった。きつい顔立ちのモデル体型に騙されてはいけない。この姉の中身は、いつまでたってもおちょけた小学生(男子)だ。
そんなわけで、ももちゃんは、複数のど派手なDQNに半ば覚悟のうえで取り囲まれて、体育館裏でいきなり肩を小突かれることになる。
「おまえ、何様のつもりだよ! 生意気なんだよ!」
ところがももちゃんは、ここへきてこの展開がどうにもおかしくなってしまった。
「だって、マジでベタな不良マンガみたいじゃん?」
遅い。遅いよ、ももちゃん気づくのが。
思いっきり凄んで突き飛ばしても、へらへら笑っている生意気な一年は、ますます先輩の怒りを煽ったが、同時に、あれ、なんか変だな? とも思わせた。普通の新入生なら、ここまでやればビビッて泣き出すところだ。私なら泣く。もう間違いなく。
いつもと違うその展開に、イライラしてきた先輩方は、体育館の陰からコッソリ覗き込んでいる他の生徒を見つけた。ももちゃんを心配して様子を見に来た
「おまえら、何見てんだよっ!?」
ここぞとばかりに凄みながら、何人かがそちらに向かった。
「ひっ」
手を握り合って怯む一年生たち。これが普通だ。
ところが、ももちゃんはそうじゃない。
「関係ねえヤツ巻き込むんじゃねえッ!!」
なんだかもう、聞いてるこっちが赤面したくなるほど不良マンガの王道という感じだが、ももちゃんの本音は、これで存分に暴れられると思ったのだ。嬉々として先輩の後を追った。なんなら、腕をぐるぐる回していたかもしれない。
ところが、ももちゃんが走り始めると、先輩は途端に顔色を変えた。
「え、ヤバい! ヤバいよ、こいつ!」
誰かがももちゃんにひるんだあとは早かった。
一人が逃げ出すと、それを追うように全員一目散に逃げだしてしまったのだ。
「え、あれ?」
呆然としたのはももちゃんだ。これで存分にストレス発散ができると思ったにも関わらず、先輩はこぞって逃げ出してしまうし、隠れていたクラスメートのみんなは、胸をなでおろしながらももちゃんの元に駆け寄ってくる。
「花井さん、ありがとう! こわかったよう!」
助けに来てくれたはずなのに、今にも抱きつかんばかりだ。
「すごい! すごいよ、花井さん!」
バシバシ肩を叩かれた。
「イタイ。イタイです。えへへ」
ももちゃんは、普通の女の子に好かれることに慣れていない。
「これから、ももって呼んでいい?」
「う、うん」