第参話 鼠とおむすび

文字数 3,541文字

 それから僕は、稲荷から事の顛末を聞いた。
 殺生石が割れたことで、邪神大蛇が復活したこと。大蛇の神使に命を狙われていること。各地で起こっている怪奇現象は、その神使たちによるものだということ。
 そして再び大蛇を倒さなければ、この世が恐怖に支配されてしまうこと。
 事態は誰もが気付かないうちに、大変なことになっているようだ。
「して、此度の窃盗の怪奇は鼠の神使――【(ネヅ)】が絡んでおる」
 ネヅは狡猾な性格で、こうして怪奇を繰り返しているのも、稲荷を誘き出す為の行動と捉えている。さらに、もしかすればもう既に居場所を悟られているかもしれないらしい。
「おそらくネヅは、儂の神気残留――いわば、残り香を追っているのじゃろう。奴め、大した力など持っていなかったが、大蛇に何かしら手を加えられたと考えて良いのう」
「そ、それじゃあ……僕らがここにいるのはマズいんじゃ――」
 言い終える前に、稲荷は前足で制す。
 不敵な笑みを浮かべたあとに「儂に考えがある」と言い、稲荷は伝言を慎太郎に残して何処かへと消えてしまった。
「慎太郎、儂が戻る前にこれでもかと白飯を炊いておくのじゃ。何も入れずに、ただひたすらに白飯を炊いて欲しい」

 事態が動き出したのは、稲荷が消えてから二日目の深夜ちょうど。
 言われた通り、家にあったお米をただひたすらに無くなるまで炊飯器をフル回転させていると、深夜の静けさの中で、突如インターホンが鳴った。
「こんな真夜中に……一体誰だろう?」
 何だか不気味で嫌な予感がして、恐る恐る部屋のカメラを覗き込む。
 しかしカメラの故障か、カメラの映像全体が真っ黒で塗り尽くされており、外の様子を確認できる状態ではなかった。
 これでは仕方が無い為、ため息をつきながら玄関へと向かうその途中。

「出るな、慎太郎」
「えっ?」

 唐突として聞こえた――まるで、頭の中に直接響くような声に足を止める。その声の主は、ここにいるはずのない稲荷のもので間違いないのは確か。
 だが、肝心の姿がどうにも見当たらない。
 静まり返る部屋に再びインターホンが鳴り響く。
 その時、慎太郎は気が付いた。
「な、なんだ……アレは?」
 慎太郎が目にしたもの、それは――。
「こんばんはぁ……夜分遅くにすいませんねえ」
 玄関の隙間という隙間から外にいる何かによって、身の毛の弥立つ禍々しい黒い靄のような、何かが漏れ出していた。
 そのあまりの不気味さに、身体が強張ってうまく動かせない。
「いやはや……何やらやたらと、ここからいい香りがしてましてねえ。宜しければ、ご相伴に預かろうと思いましてえ」
「ダメだ。出てはならぬぞ、慎太郎」
 恐怖を堪えて、インターホンのカメラ映像を覗いてみる。
 そして、ようやく慎太郎は確信した。


 外にいるのは決して人ではない――奴こそまさに【鼠の神使 ネヅ】だとことを。


 インターホンのカメラは故障などしていなかった。あの真っ黒な映像は、今外にいるネヅの眼――淀みしかない、澄んだ漆黒の瞳。
 その事に、気付いたことに気付いたのかカメラから離れて、口だけの笑みを見せながら頭を下げた。
「そうそう、してるのはこの香りだけじゃ無くてですねえ。ええ、気になるんですよお……その香りも」
「チッ……腐っても鼠じゃな。良く鼻が利いておる」
 白米を炊いたときのほんのりとした甘い香りでは無く、おそらくネヅが言うのは、稲荷の神気残留のことだろう。「鼻が利く」のはあくまでも例えで、実際は「神気の探知に長けている」が正しい。
 ねっとりとした動きで再び顔を上げたネヅ。薄暗くてはっきり見えなくとも、その異様さだけはよく見えた。
 血色が悪そうな肌、不気味な漆黒の瞳にやたら突き出た鼻と口。剥き出しの前歯からしても、鼠が化けているとしか思えない。

 これが――僕らの敵なのか?

「ふむ……さいですか。まあ良しとしましょう。何にせよ、早めに決めておくべきでしょうな」
「――っ!」
 カメラ越しではあるものの、ネヅの漆黒は確かに慎太郎を見ていた。顔を合わせていないのにも関わらず、全身が危険だと判断している。
 
 狐を寄こすか――もろとも死ぬか。

 それは単なる脅し文句ではない。ゆらゆらとネヅの身体を蠢く黒い靄から発せられているのは、たしかに殺気だった。
「返事をするでないぞ。そのまま、じっとしておるのじゃ」
 頭に響く声の言う通りに、必死に息を殺して嵐が過ぎ去るのを待つ。
 そう、今の僕に何が出来るというのか? ここには稲荷さえいない。どれほど僕が神気を持ち合わせていたとしても、使い方が分からなければ何の意味もないんだ。
 どれだけの時間が経ったのだろう。暫くして、不意にネヅから放たれる殺気が消え、身体が一気に軽くなった。
「フフフ……また来ますよ。どうぞ――」

 その時まで。

 まるで思い出したかのように始まった呼吸。僕はどれだけの時間、どれだけ息を殺していたのだろうか。
 カーテンの隙間からはすでに、黒の景色から青みがかった夜明け色が溢れだす。
 すでに炊きあがっていた白米も、水分が多めに抜けた固めの仕上がり。リゾットなんてのも良いかもしれない。
「ありがとう稲荷、助かったよ」
 ホッとしながら口にするも、稲荷の気配もすでに消えていた。だが確かにあの時、稲荷を近くに感じられた。
 とんでもない恐怖に駆られたが、稲荷のおかげで屈する事なく堪えることができた。
 大きく深呼吸をして、慎太郎は炊飯器から白米をお櫃に移し替えていく。


 そしてその日の夜に、ようやく稲荷は帰ってきた。


「これまた見事に炊き上げたものじゃ。ひょっとすると、慎太郎は米炊きの名手であったりするかのう?」
「いやいや、炊飯器のおかげだよ。僕はボタンをポチッとな……してただけさ」
「ポチッととな? それを言うならば始めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣くともなんとやら……じゃろうに」
 どうも稲荷の知識が偏っているのか、テレビのことを薄い箱と言ったり、スマートフォンのことを小さい薄い箱と言ったり……現代の機械を見るのは初めてのようだ。
 兎にも角にも、殆どの準備が整ったと稲荷は言う。しかし、ただお米を炊いただけで何の準備だというのだろうか?
 もしかすれば、きっと神にちなんだ特殊な儀式やら、供物として祈りを捧げたりするのかもしれない。
 そんな不可思議な体験が出来ると思うと、以前の恐怖を忘れたのか心がワクワクしてくる。
「よし、最後の準備にとりかかろう!」
「おっ! 随分威勢がいいのう、慎太郎」
 服の袖を限界まで捲くりあげ「えいっえいっおー!」と稲荷と気合を入れる。




「女狐コンコン、山の中ぁじゃ、山の中ぁじゃ」
「……」
「くさのみけちらし、ねずみを屠りぃ」
「あの、これって……」
「浅き夢見じ、酔ひもせずぅ――っと」
 聞いたことのあるような、でも所々違っている歌をルンルンで歌う稲荷と、唖然としながらせっせと手を動かす慎太郎。
 違和感しかない歌を延々とループで聞かされるのは、別段辛くはない。なにより稲荷の歌声がとても綺麗で、歌詞の内容を除けばずっと聞いていたくなる。
 問題はそこではないのだ。
 稲荷のいう最後の準備、その内容とは――。
「これ……あと何個作るのさ……」
「山の中ぁじゃ、山の――む?」
 慎太郎の目の前にずらりと並ぶのは、大量の【おにぎり】だった。
「これこれ、おにぎりではないぞ。これは【おむすび】じゃ」
 おにぎ――おむすびがこの三角形といえる形となった由来は、神の力を授かるために、米を山型――つまり、【※神の形】にするという話から来ていると、誰かから聞いたことがある。
 ※尖った部分に神が降りてくるという一種の信仰。
 それはそれで納得いくのだが、おにぎりとおむすびの違いが分からなければ、これがあのネヅにどう有効なのかピンとこない。
 しかし、稲荷が頑なに言う【おむすび】である理由には、その言葉の意味に【縁がある】のだという。
 ――ダメだ、さっぱり分からない。
「よし、儂のとっておきもこれ程で十分じゃ」
 困る慎太郎を尻目に満足気に頷く稲荷。そのとっておきを見た慎太郎は、苦笑いを浮かべる他なかった。
 こうしてついに最後の準備が整った慎太郎と稲荷。すると、稲荷はおもむろに地図を広げて所々に印を付けていく。
 その印を辿ると、その場所にはある共通点が存在した。
「これ、京都市の坂がある場所だけど?」
「そうじゃ。鼠、おむすび――して、坂と来たらもう一つしかないじゃろうて」
 言い終えるのと同時に、ニヤリと不敵に笑う稲荷。

 題して――。
 【おむすびころころ、鼠をころりん大作戦】じゃ。





 時は満ちた……。
 今こそ古き語りで、酔いしれた神使を目覚めさせよ。
「頼んだぞ稲荷、慎太郎」


 ――さあ、酔醒ましだ。
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