ダイバーシティ & インクルージョン

文字数 1,352文字

 『ミーティング』というのは、会議ではない。会って話す場ではあるが、議論する場ではない。グループ運営の議題なら別だが。通常は、結論も出す必要がない。話す意味のない話でいい。
 目的が定められた特殊なものを除けば、ミーティングではなにを話してもかまわない。悩みや愚痴だったり、単なる感想だったり、笑い話だったり、悲痛な回想だったりと、さまざまだ。
 ただ、ミーティングにはいくつかのルールがある。
 ひとつは、話を聴くだけで批判をしてはならないこと。ミーティングの目的は、話し、聴く、それ自体だ。問題を解決するのが目的なのではない。そもそもだれも、自分に解決する能力があるとは思っていないし、首を突っ込まない。メンバーのことを批評しない。もしもここで思い上がったとしたら、グループ自体が壊れて元も子もなくなる。本当に危険なときは、当人が弁護士になり警察になり自身の責任で行くべきなのだ。
 またひとつは、ミーティングで話されたことは、外では一切の秘密だということ。つまり他言無用だ。それで、抑圧されて普段から辛抱してきた苦しみ、思いのたけをも話せる。日本社会には、話題にしてはいけないというタブーがある。ここにはそれがない。ミーティングは、抱え込まされてきた『荷物』をおろしていく場である。

 だから、グループには包容力がある。インクルーシブな場だ。

 自助グループのミーティングは、日本社会の『縮図』でもある。
 依存症なのに、周りが勧めてくるから怖ろしいとか、回復途上なのにまた『やってしまった』つまり『スリップ』とか。『精神障害者』と呼ばれている人、それがいまは自身のアイデンティティーになっている人もいる。
 いわゆる『毒親(どくおや)』に苦しんでいるとか、封建的な家に嫁入りしてしまい義理の親類にイジメられているとか。
 犯罪被害者もある。前科のある人も来る。親類が自死したということもある。
 メンバーの民族や国籍。ミーティングにだけは本来のジェンダーアイデンティーで来られるという人もある。

 本来のジブン。

 いわば隣近所にいる普通の人々。それが日本の社会生活では、抑圧されて、黙っていないと暮らしていけない。暗黙のうちに差別されている。
 普通にそこら辺にいるのに、まるで特殊なもののように扱われている。『テレビの中にいる人』のように思われている。例えば『二丁目』にいる人とか、好奇心本位にオモシロオカシク扱われることもある。見ただけで判る人ばかりだと思われている。実際には隣近所にもいるのに。
 特殊な人ではない。ときには存在すら消され、いないことにされている。
 『マイノリティー』とは、『少数者』ではない。既成事実として暗黙のうちに差別され抑圧されている立場。
 そしてそれは、私たちひとりひとりのことなのに。これは、だれもがみんなのことなのに。

 辛抱させられて、抱えてきたキモチ。

 * * *

 ひとりひとり、おのおのの思いを話していった。重い荷物を手放していく。問題が解決するわけではない。ただ、思いを共有して、気持ちの整理整頓が進んでゆく。
 話さない人もある。実際に「今回はパスで」と言う人がいた。聴きに来るだけで、「話す準備がまだだから」と言って毎回パスしている人だって、普通にいる。気持ちの整頓がまだついていないのだ。
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