3杯めのコーヒーの味
文字数 1,951文字
ミーティングの最後に、グループの運営資金へ寄付するための袋が回される。そこで集められたお金があるから、グルーブの参加案内などの資料を印刷したりする。柚月が購入して預かっているインスタントコーヒーやそれに入れる砂糖やミルク、その代金も、運営資金から出ているのである。
裏を返せば、資金不足の自助グループでは、その存在を市町村や公益団体、医療機関などに広報することも、初めての人に渡す資料の充実度も、メンバーのために用意する飲み物も、おろそかになってしまう。
寄付は自分たちのためにすることだが、あくまでも任意だ。お金がない人もいる。出さない人もいる。金額も人それぞれである。コーヒーを飲んでおきながら、コーヒー代相当すらも払わない人だって、払えない人だって、もちろん、いる。
ミーティングが終わり、今日集まった寄付を確かめた香織がいささか驚いて、仁美に声をかけた。「こんなに入れなくてもいいですよ」と。
なぜ判ったのか?
いつもなら入っていない種類の硬貨があったからだ。消去法で判る。仁美は、インスタントコーヒーもあえて飲まなかったけれど、反対にお金は多めに入れていた。
そそくさと帰る参加者もいるなか、香織の呼びかけに応じた仁美は、会場の片付けを手伝った。机やパイプ椅子を畳んで部屋の一角にまとめる作業である。これは、さっき仁美が会場に来たときにはすでに配置してあったものだ。
自分のイスなど少し手伝っただけで帰ってしまう参加者は多かった。単純に形式的に割り算したら、それが自分のやるぶんだ、ということなのだろう。実際には、必要な作業はもっと多いから、公平に分かち合えていないのに。
途中、柚月に声をかけられて、コーヒーセットの洗い物も手伝った。仁美は、柚月との連帯感を感じていた。
最後まで残ったのは、香織と柚月、マコト、そして仁美の四人だけだった。これは、わざわざ手伝いを頼んでいるのに、なおも作業分担が偏っているということなのだろう。
香織が施設の管理人に、鍵を返して報告した。そして四人で一緒に、帰り道、最寄駅まで歩いた。
柚月は不自然なくらいにゴキゲンで、無邪気にはしゃいだ。さっきミーティングで話していたときの、神経質で抑鬱 な彼女の姿とは対照的だ。
付きあっている恋人が日本国外に赴任 になり、いま遠距離恋愛をしている、といった私生活のこと。今日初対面で素性 も知れない仁美にまでも、開けっぴろげに話した。
いや、お互いに素性を知らないからこそ、話せるのだろう。そういう不可思議な信頼関係みたいなものができていた。それに、さっき一緒に洗い物をしていたときに柚月はもう、手伝ってくれた仁美に対して好意をもっていたのだ。
乗る地下鉄の方向は、仁美だけ逆方向だった。
駅に着いて四人は、よろしければ、と確認しあってから、互いに握手をした。これからも生き抜いていこう、そういう決意を確かめあう戦友のようだった。
地下鉄の列車内で、仁美は考えていた。世の中これでいいのか、と。
いや、よくない。負担が偏っている。そして、そのことを隠されたまま、多くの人が『温室』に暮らしている。
公平にして、世の中をゆたかにしたい。本当の幸せにしたい。
けれど、私の力は微々たるものだ。やれることは少ししかない。
この自助グループも、世の中を直そうとはしない。グループは、世の中に暮らしている私たちの足もとに必要な存在だから。足もとの地 べたはシッカリとしていないといけない。これがなくなったら命にかかわる人も多いから。
考えていても答えは出せないまま、仁美は降りる駅に着いた。
列車を降りたホームにあった自販機。そこで仁美は缶コーヒーを買った。交通系ICカードの残高が表示される。
思いのほか減ってきたなあ。チャージは多めにしてあるので支障はないが。
損しているんだろうな。仁美は思った。
あのときインスタントコーヒーをもらっておけば、1杯ぶん浮いただろうに。
私の性格は優しすぎるんだろうな、甘すぎるんだろうな。しかし、後悔はしていない。これが私なんだ、と。
ちょうどお昼どきだ。乗換駅は、こころなしか騒がしい。
家に帰り着くまでまだまだかかる。
慣れない路線の車内でくたびれた。一息ついて、気持ちを入れ直したいな。ウチまであと少し頑張らなきゃな……。コーヒーはあまり熱くなかった。仁美は缶を軽く揺さぶり、タブを起こして開ける。
雑味がないという缶コーヒーの味は、いつもよりも味気なかった。味覚が慣れてしまったからかもしれない。
あのインスタントコーヒーの味はどうだったのだろうか。香織と柚月の、優しさと朗らかさの『味』がしたかもしれなかった。
しかし今日は、そう思った仁美の『味』もしていたことを、仁美は知らない。
裏を返せば、資金不足の自助グループでは、その存在を市町村や公益団体、医療機関などに広報することも、初めての人に渡す資料の充実度も、メンバーのために用意する飲み物も、おろそかになってしまう。
寄付は自分たちのためにすることだが、あくまでも任意だ。お金がない人もいる。出さない人もいる。金額も人それぞれである。コーヒーを飲んでおきながら、コーヒー代相当すらも払わない人だって、払えない人だって、もちろん、いる。
ミーティングが終わり、今日集まった寄付を確かめた香織がいささか驚いて、仁美に声をかけた。「こんなに入れなくてもいいですよ」と。
なぜ判ったのか?
いつもなら入っていない種類の硬貨があったからだ。消去法で判る。仁美は、インスタントコーヒーもあえて飲まなかったけれど、反対にお金は多めに入れていた。
そそくさと帰る参加者もいるなか、香織の呼びかけに応じた仁美は、会場の片付けを手伝った。机やパイプ椅子を畳んで部屋の一角にまとめる作業である。これは、さっき仁美が会場に来たときにはすでに配置してあったものだ。
自分のイスなど少し手伝っただけで帰ってしまう参加者は多かった。単純に形式的に割り算したら、それが自分のやるぶんだ、ということなのだろう。実際には、必要な作業はもっと多いから、公平に分かち合えていないのに。
途中、柚月に声をかけられて、コーヒーセットの洗い物も手伝った。仁美は、柚月との連帯感を感じていた。
最後まで残ったのは、香織と柚月、マコト、そして仁美の四人だけだった。これは、わざわざ手伝いを頼んでいるのに、なおも作業分担が偏っているということなのだろう。
香織が施設の管理人に、鍵を返して報告した。そして四人で一緒に、帰り道、最寄駅まで歩いた。
柚月は不自然なくらいにゴキゲンで、無邪気にはしゃいだ。さっきミーティングで話していたときの、神経質で
付きあっている恋人が日本国外に
いや、お互いに素性を知らないからこそ、話せるのだろう。そういう不可思議な信頼関係みたいなものができていた。それに、さっき一緒に洗い物をしていたときに柚月はもう、手伝ってくれた仁美に対して好意をもっていたのだ。
乗る地下鉄の方向は、仁美だけ逆方向だった。
駅に着いて四人は、よろしければ、と確認しあってから、互いに握手をした。これからも生き抜いていこう、そういう決意を確かめあう戦友のようだった。
地下鉄の列車内で、仁美は考えていた。世の中これでいいのか、と。
いや、よくない。負担が偏っている。そして、そのことを隠されたまま、多くの人が『温室』に暮らしている。
公平にして、世の中をゆたかにしたい。本当の幸せにしたい。
けれど、私の力は微々たるものだ。やれることは少ししかない。
この自助グループも、世の中を直そうとはしない。グループは、世の中に暮らしている私たちの足もとに必要な存在だから。足もとの
考えていても答えは出せないまま、仁美は降りる駅に着いた。
列車を降りたホームにあった自販機。そこで仁美は缶コーヒーを買った。交通系ICカードの残高が表示される。
思いのほか減ってきたなあ。チャージは多めにしてあるので支障はないが。
損しているんだろうな。仁美は思った。
あのときインスタントコーヒーをもらっておけば、1杯ぶん浮いただろうに。
私の性格は優しすぎるんだろうな、甘すぎるんだろうな。しかし、後悔はしていない。これが私なんだ、と。
ちょうどお昼どきだ。乗換駅は、こころなしか騒がしい。
家に帰り着くまでまだまだかかる。
慣れない路線の車内でくたびれた。一息ついて、気持ちを入れ直したいな。ウチまであと少し頑張らなきゃな……。コーヒーはあまり熱くなかった。仁美は缶を軽く揺さぶり、タブを起こして開ける。
雑味がないという缶コーヒーの味は、いつもよりも味気なかった。味覚が慣れてしまったからかもしれない。
あのインスタントコーヒーの味はどうだったのだろうか。香織と柚月の、優しさと朗らかさの『味』がしたかもしれなかった。
しかし今日は、そう思った仁美の『味』もしていたことを、仁美は知らない。