第4話

文字数 2,578文字

 秋も深まった、一年は歳を経ることに早く過ぎる気がする。そんな直生は今日も古書店のレジで客を待つ。読書の秋とは言えども最近は何も電子化が進んでしまって、新刊の売れ行きはいまいち。古書店なんか特にだ。本を芸術と思う一部の人々のおかげで今生活は成り立っていた。しかし……。

「そう言うことでさ、直生ちゃん。悪いね」

 直生はその話にただ呆然として、しかし驚いたものの思ったよりすんなりと受け入れた、まあそう言うこともあるだろうと。
 御田村古書店が閉店する。夫妻ももう七十代後半の年齢で今後は年金だけで静かに暮らして行きたいと、その日はやけに風が強くて古びた窓ガラスがガタガタ鳴っていた。
 仕事がなくなったと言うことは住むところも失ったと言うことだ。古書店で住み込みなんて好条件の仕事は多分もうない。しかし高校も通わずに家出した直生は雇ってもらえる仕事は限られる。今の仕事だって半ば亜貴が無理やりにねじ込んでくれたようなものだ。男の大人がいれば泥棒よけにもなるとか、まるで番犬の扱いとして。

「直生、表の張り紙なんだよ!」

 休日には意外と最近マメに遊びにくる亜貴がめざとく気がついた。バイト募集の紙をはがして、閉店のお知らせがはってある。御田村古書店は急遽今月末で閉店する、せめて年内で、とかなら色々と余裕もあったのだが。

「見ての通り、閉店だよ」
「なんで!」
「もう十分雇ってもらったから、スローライフを送りたいって」
「お前は? お前はまだこれからだろうが!」
「雇い主にもの申す事なんて出来ないよ。ただのアルバイトだし」

 淡々としている直生の代わりに亜貴の方が焦っていた。また直生の行き場がなくなってしまう、再び無理な条件で不幸な環境に置かれでもしたら……と。

「おい」
「何?」
「直生、お前俺の家に来い」
「は?」
「三ヶ月前に引っ越したって言っただろう? 部屋は一部屋空いている。仕事も一緒に探してやるから!」

 ***

 亜貴の新居、話で聞いてはいたが直生は訪れたことはなかった。かつての古びたワンルームアパートよりも格上げされたマンションは、どう見ても一人で暮らすには向いていない。築年数も浅いのか外観は綺麗でエレベーターまで付いていた。

「一人じゃ広くて持て余していたんだよ。長年ワンルームだったからな、慣れなくて」
「じゃあどうして引っ越したんだ?」
「それはまあ諸事情があってだな」

 鍵を開けて重いドアを開けると亜貴は三ヶ月前に引っ越したと言うのに、いまだにダンボールが放置してある。

「直生、お前の部屋だよ」

 家具もない空き部屋にはやはりこちらもダンボールが。フローリングに白い壁、多少残った塗装くささが気になった。

「こんな広い部屋に?」
「もっと広い部屋もあるぞ」
「……教師って、儲かるんだな」

 こんなに広い家、亜貴はもしかしたら誰かとここで暮らそうとしていたのかもしれない。その辺の事情は直生がいくら聞いても亜貴は教えてくれなかった。

 ***

「何だこれ」
「弁当だよ」

 引っ越しを終えた師走、直生と亜貴は同居を始めた。早朝出かけようとしていた亜貴に直生はお弁当箱を渡す。

「藤尾、学食は不味いって言ってたから」
「確かに不味いけど……何だ、お前料理なんてするのか?」
「別に、気まぐれだよ」

 それは古書店にあった数冊のレシピ集から学んだもの。直生が自分では買わないと思っていた本数十冊退職金代わりだよと言われ閉店の際にもらってきた。
 料理はしないわけじゃないが機会がなかっただけだ。バイトで調理の手伝いをしたこともある。せめて亜貴の家に置いてもらっている間は食事くらいは作ろうと、弁当を受け取った亜貴は礼を言って弁当を鞄にしまい玄関にかけてあった青いマフラーを巻く。

「師走って言う通り仕事忙しいからな、今夜は先寝てていいぞ」
「ああ」
「じゃ、行ってくる」

 早朝、出かけた亜貴を見送って直生はため息。仕事もなくこの家で一日一人で過ごすのはどうしても時間を持て余してしまう。早々に仕事を見つけなければ……この家にいつまでもいるわけには行かないし。
 簡単に家事を済ませて、直生は着替えて家を出た。とりあえず近隣に仕事を募集しているところはないかと探しながら、食材や雑貨を買いに出かける。住宅街を抜けた駅前にはショッピングモールがあった。大きなスーパーマーケットもあるし、年齢層も若い。この街は新婚生活にはぴったりだと、そう思い直生は改めて一刻も早く仕事を見つけて出ていかなければならないと思う。亜貴の人生に迷惑をかけたいわけじゃなかった。

 ***

「なんだよ寝てていいって言ったのに」
「別に眠くなかったんだよ」

 午後十一時を過ぎて疲れた顔した亜貴が帰宅する。亜貴は直生の作った夕食を見て嬉々としてスーツから着替えて食卓に着いた。

「お前意外と料理上手なんだよな、弁当美味かったし」
「それはどうも」

 テレビでは夜のニュース番組も終わる頃、騒がしい深夜番組はつまらなくて直生は黙ってテレビを消した。

「なんかさあ、こう言うのって結婚したみたいだよな」
「は……?」
「はは、冗談だっての。でもこういう生活悪くないよ、帰ってきて誰かがいるのかいないのか、それって結構違うことだぜ」
「……仕事、見つかったら出て行くから」

 その言葉にぽかんとした顔の亜貴は答える。

「何で? 別にずっとここにいれば良いじゃん」
「家賃が払えない」
「別にいらねえよ、追々仕事が見つかったら考えたら良いんだ」
「……」
「何だ、気を遣ってんのか? 子供みたいな情けない顔するなよな。素直に甘えて良いんだぜ、もうここにはお前を害するものはいないから」

 亜貴の言葉に直生は浮かんでくる今までの感情を噛み締めた。暴力や悪意に満ちた生活、必死に逃げることができたからこそ、今ここに直生がいる。それは亜貴が与えてくれた居場所だった。

 ***

 亜貴は食事を終えて長風呂をしている。直生は汚れた皿を洗って、台所を片付けていた。

「……っ」

 その時、直生は息の止まるような胸の痛みに思わずシンクに皿を落とす。しばしうつむいてゆっくりと息を吐き出した。それは発作のように数回繰り返して、思わず直生は座り込む。苦しい、泡立った手で胸を押さえ、直生は呼吸を取りもどしたくてゆっくりと息を吐き出した。その異変は知らないところで少しずつ直生の中で起こっている……。
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