ようこそ聖書へ

文字数 2,646文字


「おめでとう、主を見出した方。あなたを聖なる物語に歓迎します!」

微笑んでそう言った人は、純白の衣を着、真珠貝のような光を放っていた。イブキがハッとして土の上に膝をつき、僕たちも腕を引っ張られて跪き頭を垂れた。白い人は、夜の森の柔らかい下草の上に裸足でそっと降り立った。
「顔を上げてください」
言われた通り顔を上げ、僕たちは、その不思議な人をしげしげと眺めた。その人は……いや、人のようにみえる「それ」は、全てが乳白色に滴るように輝いていた。さっき聖書から漏れ出ていた光と同じ、星のようにゆっくりと瞬く輝きだ。容貌は少女のように見えるが、性別を超えた人ならざる存在なのだろう。イブキに目配せをされて、僕は歓迎に応えるため前に進み出た。
「ありがとうございます、尊い方。この……森?その、この場所に僕たちが迎え入れられたのは、あなたのお導きでしょうか。さっきまでは教会にいたと思うのですが」
そう、教会の牧師室で聖書を開いたはずの僕たちは、気がつけば見知らぬ夜の森に来ていた。僕たちのいる一帯は白く照らされていたが、光輪の届かぬ先は深い木々の陰に覆われている。
しかし、恐れはなかった。白光を放つ人と、その隣で同じように仄かに輝き瞬きながら宙に浮く金縁の聖書が、僕たちに『聖なる何か』と対面していることを教えていた。

白い人は僕たちの顔をじっと見ると、不意にひひひと笑った。厳かな神の使いから、急に可愛らしいいたずらっ子になったようだった。そして、あっけにとられるほどくだけた口調で言った。
「そうだよ!君たちは聖書にダイブしたんだ。ここは聖書の物語の中だよ。私は、あなたたちの導きの天使ルチア」
「天使……」
「そう。見ての通り、ね。聖書の中に何かを求める子羊は、天使に迎え入れられるルールなんだ。さて、君たちは何を求めたのかな?」
「求めるもの?」
僕は困ってイブキたちを振り返った。彼らも顔を見合わせる。何を、も何も、いきなり放り込まれたのだとしか思えない。しかし、僕ははっと気がついた。そう、僕たちは確かに、探しているものがある。
「……シオン!」
スミレも気がついたようだった。
「先に聖書の中に入った人を求めた者も、また聖書の中に迎えられることになりますか?」
 ルチアは真剣な顔の僕らを見返して、あっさりと頷いた。

どうやら僕たちは、シオンがどこにいるのかを見つけたようだった。
それからしばらく、僕たちは天使ルチアを質問攻めした。不思議な現象への戸惑いは、好奇心に負けてすぐになくなった。ルチアは僕たちの質問に答え、てきぱきと不思議な『聖書ダイブ』について説明していった。

「聖書ダイブは、聖書が文字媒体として成立する前からある制度だよ。聖書に何かを求めた人は、その中に迎え入れられて、求める物を探すことを許されるんだ。秘密を守る誓いがあるから外に漏れることがないだけで、今までたくさんの人が聖書に受け入れられて来たんだよ。
「望んだ人全員がダイブを許される訳じゃない。上位の天使がダイブが必要だと判断した人のところに、私たち導きの天使が派遣されるの。
「うん、天使にも役割分担があるんだよね。私はまだ若い天使だから、送迎役なの。
「そう、ここは聖書物語の中。どの箇所か?それは自分で見つけなくちゃだめだよ。ダイブした聖書個所を特定して、章の終わりの節を唱えることが物語の外に帰還する条件なの。
「どこへ行くべきかも、何をするべきかも私は教えられない。ていうか、私も知らないもの。私の役目は、物語への入退場の導きだけ。話を進める『キャラクター』には私はなれないんだよ。
「ふーん、お友達を探してるの?その子がこの章にいるとは限らないよ。聖書は長いし、ダイブはピンポイントでは出来ないから。探しているものに出会うまで何度も聖書ダイブを繰り返す人たちが多いみたい。
「探しているものは人によって違うみたいだね。神や救い、幸せ、身を捧げるべき使命…。君たちみたいな、他のダイバーを探している人は珍しいよ」

ルチアの話を聞いて、僕たち4人は話し合った。あのとき教会で僕らが求めていたのは、間違いなくシオンだ。だから、僕たちがここに導かれたということは、きっと彼女はこの長い長い物語のどこかで一人の登場人物になっているのだろう。ミサは眉を顰めて言った。
「シオンが何かを求めてダイブしたのなら、邪魔をしない方がいいんじゃない?目的のものを見つけたら戻ってくるんじゃないかな」
スミレが首を振る。
「いなくなってからもう2週間だよ?シオンはしっかりした子なのに、ご両親をこんなに長く心配させるなんてらしくないよ。ルチアの話だと、聖書から抜け出るには条件があるんでしょ?そうだよね?」
ルチアが頷く。
「そうだよ。自分が今いる『章』の最終節を唱えると、担当の天使がお迎えに行くの」
「じゃあ、どの章にいるのか分からなかったり、聖書をなくして最終節がわからなくなったりしたら、物語の外に戻れないこともあるんだね?」
スミレが避難がましく言い、ルチアは決まりが悪そうにした。
 「わからない箇所に飛ばされることはないはずだけど…でも、『求めているもの』を見つけるのに長い時間がかかる人とか、聖書の中で『求めているもの』を見つけてそのままそこで暮らす人もいるみたいだよ。あと、救済措置として、聖書の内外で時間の流れが変わるようになってる。『三日が一晩』っていうルールなの。六日で一日、一二日中で過ごしたら外では二日。」
僕たちは絶句した。シオンはもう2週間家に帰っていない。ずっと聖書の中にいるとすれば、3カ月は滞在している計算になるのではないか。僕は恐る恐る聞いた。
「聖書の中で…事故とか、怪我をすることは…?」
ルチアは、少し迷った後に頷いた。
「あるよ。物語に登場人物の一人として参加している以上、怪我したり、死んだりすることもある……」

白光に照らし出された夜の森に、重い沈黙が降りた。友人の居場所はわかっても、その安否は結局不明のままだ。
やがて、ミサが休息を提案した。想定外の事態の連続に疲れ切っていた僕たちはそれに同意した。
だが、ここは満点の星空の下、開けた森の中だ。寝床がない。助けを求めてルチアを見ると、天使は肩をすくめた。
「私は送迎以外のことはできないよ。物語の登場人物になれるのは、ダイブした君たちだけだから」
僕は思わずため息を漏らす。
「まじかよ…」
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