シオンが消えた

文字数 2,566文字

シオンが消えた。
冬が終わりかけたある日、シオンは礼拝でいつものように清らかな声で歌い、そのまま家に帰らなかった。それから2週間、シオンの両親はありとあらゆる場所を探した。しかし、どこにも彼女の影はなかった。少し頬が痩せたシオンの母親は、僕らが通う教会にも尋ね人の貼り紙を貼っていった。
「探しています。風見シオン、14歳。服装は緑のワンピースに黒のローファー。見かけた方はこちらの連絡先まで…」
その文字の下に貼られたシオンの写真は、柔らかく微笑んでいた。その薄茶色の澄んだ瞳をじっと見つめて、僕は、彼女を探すことに決めた。中学生の自分に出来ることなんて何もないことは分かっていた。それでも、僕は何かせずにはいられなかった。シオンは僕の想い人だったし、僕の恩人だったし。僕の友人だった。彼女の危機を見過ごすことはできなかったのだ。

シオンの身を案じているのは僕だけではなかった。
「ユタカ、シオンを探すつもりだろう?僕たちもそのつもりだ」
そう言ったのは、教会で出会い、親しくなった少年、イブキだ。よく切れる頭と溢れる知的好奇心を持った彼には、僕の考えなどは筒抜けのようだった。他に2人の少女が僕の私設シオン捜索隊に志願してきた。
「イブキから聞いたよ。私たちもシオンのこと心配してた。見つからなくっても探すよ」
そう言ったのはスミレだ。キャンキャンとよく喋るが気のいい奴だし、頭は悪くない。横で肯いているのはミサだ。寡黙で落ち着いた少女で、僕たち三人より一つ下の中学2年生だが、高校生くらいに見える。2人とも、よくシオンと一緒に礼拝を受けていた記憶がある。
「そう、見つからなくても探すんだ。……見つかるまで、探すんだ」

僕たちは、土曜日の昼に教会に集合し、作戦会議を開いた。解放された礼拝堂の二階席に陣取って、僕たちは意見を交わした。椅子の上には街の地図が広げられている。
「川の下流を見に行くのは?最近流れが強いし、流されたのかも」
スミレの言葉にイブキは首を振った。
「縁起でもないことを言うな。いなくなってから2週間経ってるんだぞ。ずっと川にいたら大変だろ」
「じゃあ山じゃない?教会の裏の山は結構大きいから、迷う人もいるよ」
ミサの意見も否定された。この町は大きな山に面しているが、樹海ではあるまいし半月も迷い続けることは出来ない。勢い込んで捜索隊を組んだくせに、僕はつい弱気なことを言った。
「やっぱり、シオンは自分の意思でどこかに行ったのかもしれない。家出したのかも。探すべきじゃないのかもしれない……」
しょぼくれた僕の背中を、イブキがばちんと叩いた。
「シオンは書置きも残さずにどっかに行くような奴じゃないだろ。お前が惚れた子はそんなことはしないはずだ」
僕を励ますためにわざと軽口を叩いたイブキに、上手く応えられなかった。この2週間僕の中に渦巻いていた不安が、また広がり始める。シオンが自分の意思でどこかに行ったのではないとすれば、何かの事件に巻き込まれたのだろうか。彼女が失踪してから、もう2週間経ったのだ。ちょっとしたトラブルで帰れないというような期間ではない。イブキの言う通り、シオンはしっかりした少女だ。こんなに長い間家に連絡の一本も入れないなんてことは考えられない。それとも、連絡のできない状況にいるのか。

街の地図を見ながら、僕たちはああでもないこうでもないと話し続けた。イブキが捜索のアイディアを書き留めたノートには色々な案が載ったが、画期的なものはなかった。それでも、僕たちは話すのをやめなかったし、解散しようともしなかった。不安だったのだろう。何も出来ないことを突き付けられてすごすごと家に帰るのが嫌で、日が暮れてからも教会から立ち去れなかった。教会を預かる牧師はそんな僕らを同情するような目で見て、鍵は閉めておいてくださいね、とだけ言って帰って行った。

日も落ち、礼拝堂の中は暗くなった。ミサが無言で席を立ち、どこからか火のついた蝋燭を数本調達して戻ってきた。皆、疲れてもう言葉を発することはなくなっていたが、やはり帰る気にはなれなかった。

イブキがいきなり言った。
「ユタカ、トイレ行きたいんじゃないか?」
「え?僕は別に……」
僕は怪訝な顔でイブキを見つめ、そして噴き出した。
「お前、1人で行くの怖いのか」
イブキは躍起になって否定したが、たぶん図星なのだろう。確かに、荘厳な作りの古い教会は、ロウソクの光に照らされるとどことなく恐ろしげだった。僕はミサが持ってきた蝋燭を一本借りて、含み笑いをしながらイブキについてトイレに向かった。気位の高いイブキは意地になって教会の電気を付けずに進み、それが面白かった僕も、蝋燭の明かりだけで足元を照らしてついていった。

仏頂面のイブキと並んで用を足し、帰ってくる途中で、僕は「それ」に気がついた。
「おい、イブキ。牧師室から明かりが漏れてる」
「何だ?電気の光じゃないな……」
扉の隙間から差してくるのは、ゆっくりと瞬く青白い光だった。言うなれば、星のような…神々しい光だ。僕は、我知らずイブキの腕を抑えた。イブキは低い声で礼拝堂に呼びかけ、ミサとスミレを呼んだ。やってきた二人とイブキに表情で促されて、僕はそっと牧師室の扉を開けた。
「…!」
そこには、牧師が礼拝で使うための、縁が金色に塗られた大きな聖書があった。光は、その本の中から漏れ出ていた。それを見たスミレが、ごくりと息を飲んだ音が聞こえる。僕は、ゆっくりと足を踏み出し、聖書に手を伸ばした。イブキが制止しようと声をあげかけて、また黙ったのが目の端に見えた。聖書に指が触れた途端、瞬いていた光が強くなった。聖書を四角く縁取って青白い光が走り、部屋と僕たちの視界を稲妻が落ちたようにカッと白く染め上げた。全てが光に呑まれ、僕は目を覆った。

閃光が収まったとき、そこはもはや牧師室ではなかった。教会でもなかった。そこは、静かな夜の森だった。目の前には聖書が仄かな光に照らされて浮かんでいた。そして、その後ろに、白い衣の人が同じように燐光を放ちながら浮かんでいた……。その人は僕たちに微笑み、こう言った。

「おめでとう、主を見出した方。あなたを聖なる物語に歓迎します!」
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