【1ヶ月目】凧長老の教え

文字数 1,599文字

4月。世間はいわゆる〈始まりの季節〉。なんとも希望に満ちた輝かしい響きだ。
しかしすでに退職済みの私の場合、その言葉の前に(転職活動の)という但し書きが付く。あまり希望に満ちていない輝かしくない響きだ。

早く働かねばと焦っても決まらない時は決まらない――。
貯金が尽きるといよいよ追い詰められてしまうのであまり贅沢は出来ない。
かといって有り余る時間をアパートから出ずに過ごすのも気が滅入ってくる。

晴れの日はよく気晴らしに公園へ行った。
3年ほど住んでいる中野区のアパート付近にある、大きな芝生広場を持つ公園。
趣味で始めた凧揚げをしに行ったり、同居していた友人とフリスビーをしに行ったり、とても好きな場所だ。やはり広く開けた空間は心地よい。

私は颯爽と凧揚げに取り掛かる。が、下手なので思うように飛ばない……。
使っている凧はタコの形(写真参照)をしているので、上手く飛ぶと子ども連れの家族が喜び、少し善人になった錯覚に浸れるのだが……。
これまでもタコが地を這い骨折して帰宅という切ないパターンも珍しくなかった。
思えば骨があったり空を飛んだり……実際のタコとはほど遠い。

なんてことを考えながらどうしようかと空を見据えていると遥か彼方に黒い点が見えた。
私はすぐに悟った――。その黒点の正体は凧だ、と――。
今までも初老の男性達が公園の空を支配しているシーンを何度か見ていたから。

凧揚げが出来るスポットにはどこにもだいたい凧揚げ名人がおり、名人を中心とした4、5名の玄人集団が存在する。平均年齢はたぶん70超え。
仮に〈凧長老〉と呼ばせてもらおう。
凧長老達はとても上手い。糸を150メートルくらい伸ばす猛者もいる。

見慣れぬ人は遠くに何か浮かんでいると驚き、しばし辺り一面を見回し、公園の隅に座っている凧長老が放った凧ということに気付く。
嘘だろ!? と羨望の眼差しが向けられ凧長老が小粋に笑う。という定番の流れがある。

初心者の私が彼らの邪魔をしない様ひっそり試行錯誤をしていると、4人の凧長老御一行様が大移動を始め話しかけてきた。
私の下手さがもどかしかったようだ。

長老A「貸してみぃ」
長老B「あ~これ重心おかしいわ」
長老C「今日は風厳しいしな」
長老D「ここにな、紐つけてみろ、これやるから」

凧長老達の話し合いを経て、タコは見事に空を泳いだ。さすがだ。

私「ありがとうございます」
長老A「ところで兄ちゃん平日からたまに見るけど学生かぁ?」
私「……」

呑気に空を泳ぐタコの下、痛い所を突かれてしまった。

私「……失業中なんです」
余談だが「無職」より「失業中」の方が、「失業中」より「求職中」の方がなんとなく響きが明るい気がする。なんとなく。

長老A「あ~今厳しいからなぁ、どれくらい働いてないんだぁ?」
私「……半月くらいです」

実はすでに1ヶ月近くが経とうとしていたが謎な見栄を張ってしまった。

長老A「半月かぁ。まだ大丈夫だぁ。人間な、3ヶ月超えたらもう働けないなぁ(笑)」
私「…………」

不採用続きの現状からすれば3ヶ月くらいすぐに超えてしまいそうだ。

長老A「凧揚げ好きなのかぁ?」
私「好きですよ、気晴らしも兼ねて……」
長老A「いいんだぁいいんだぁ。凧揚げしてればいいんだぁ(笑)」
私「……」
長老A「だってなぁ、凧揚げって上しか見ないからなぁ、上だけ見てればいいんだぁ」

目から鱗が……落ちなかったが、なんとなく爽やかな心境になったのを覚えている。
他の長老B~Dも笑いながら「そうだそうだ! 上手いねぇ!」と頷いていた。
ありがとうございます凧長老御一行様。私はあなた達の優しさを忘れません。

――ちなみに長老Aは「3ヶ月超えたらもう働けない」と言っていたが、その後4ヶ月経っても5ヶ月経っても採用は決まらず、凧長老達を見掛ける度に話しかけられたくなくて避けるように行動してしまった……。
本当にすみません。 〆
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