第4話:医者としての修行と開業へ

文字数 1,672文字

 ちなみに、当直とは、通常の勤務が18時に終了するとして、その後、救急患者を診察するために、当直室で休んでいる。そして、救急患者の治療要請を受けて皮膚関連の軽傷の火傷、切り傷の場合、救急車で運ばれた患者さんを深夜でも治療する仕事。まれに、救急患者が多くて、あまり眠れない当直の日もある。

 しかし、翌日も通常の医者としての勤務が続く。そのため体力のある若手の方が有利であり、当直手当も給料とは別に支給される。そんな、ある日、京浜工業地帯の工場で、大きなガス爆発事故が起き、多数の熱傷患者が出て、いくつもの病院で救急患者を診る事になり、この市立病院にも比較的症状の軽い、熱傷患者が5人、運ばれてきた。

 そこで、皮膚科医3人で消毒しエキザルベ軟膏をガーゼに塗布して熱傷患部に当てる処置を1時間以上かけて行い念のため完全に回復するまで入院してもらう事になった。その病院で、研修して患者さんに対する接し方や話を聞き出す方法を学ぶ訳である。しかし、話の仕方には、自信があって上手に診察できるねと上司の先生からも誉められた。

 そこで、早く金を貯めて一刻も早く開業して稼いだ方が良いかも知れないねと冗談めかしに上司の先生に言われるようになった。そして、摂津先生に診てもらいたいと言う患者が増えてきて調子にのっていた。そんな時、外来をしている時に患者さんに冬の老人性掻痒症の患者さんに、痒い時は、ステロイドでも塗っとけと軽く言った。

 それを隣で聞いていた、安田慶子、皮膚科部長が、午前中の診察を終えて昼食の後、摂津先生は、部長室に来なさいと言われた。また誉められるのかと浮ついた気分で部長室に入ると安田部長が診療の時に、かゆみはステロイドでも塗っておけば治ると、軽く言いましたが、あれは、医者の言動としては失格ですと大目玉を食った。

 ちゃんと症状とステロイド成分が炎症を抑えて、かゆみを鎮めてくれますからとか理路整然と説明すべきですと、いつになく怖い顔で怒った。そして、安田部長が、若い時に失敗した話をした。やはり、老人の患者で、かゆみを訴えたので、よく調べずにステロイト軟膏を処方したが、そのかゆみが真菌で痒いことがわかりステロイドで症状がひどくなった。

 その日の晩に、それを知った患者さんが、病院に怒鳴り込んできた。その時、皮膚科部長が、平謝りしてくれ、直ぐに抗生物質軟膏を出して治療してくれ直った。それから決して医者として不注意な言動はしてはいけないと心に誓ったと話してくれた。それを聞いて摂津は、すみません、確かに、謙虚さ、慎重さ、医者としての説明が、できてませんでしたと深々と誤った。

 これから、開業したら、誰も叱って、くれませんよ。今後注意してねと、肩をたたいてくれ、その優しさに、おもわず涙を流してしまった。そして1978年、大学の皮膚科教室の出身の高齢の福島先生が高齢を理由に開業医をやめたいと言っていると重森太郎、皮膚科教授から情報をもらった。そこで、福島皮膚科医院で研修を始めた。

 その後、福島院長から皮膚科医院を継いで欲しいと言われた。そして君の名前を使っても、かまわないと言われた。この診察室や看護婦さんも雇って欲しいと言われて了解した。ただ、経理をしていた福島先生の奥さんも高齢であり新しい人を捜さないといけないと言った。ここで以前から摂津と母が以前から親しくしていた3歳年下の斉藤民子が経理していたのを知っいた。

 そこで、彼女を受付に雇った。その他、看護婦さん達は、以前の福島皮膚科の時のスタッフにお願いした。この地区は、老人が多く、老人性の乾皮症、掻痒症を多く診療した。その他、近隣の新興住宅街では、子供さんが多く小児のアトピー性皮膚炎を診療した。

 少しずつ患者さんも増えてきた。その後、福島皮膚科から摂津皮膚科と医院名を変えた。そのため、夏場、患者さんが増えて大学から若手皮膚科Drの応援をお願いする様になり、清水郁夫先生を月曜日、土曜日、伊東繁子先生を水曜、金曜日、依頼した。そして患者さんが増えて、なかなか往診できなくなった。
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