第19話:摂津利和にが膵臓癌が見つかる

文字数 1,602文字

 そして、その晩は、暖房を効かせて、タワーマンションで過ごした。翌日、土曜日、列車が動き出して、摂津利和や家族達は、全員、小机の3軒の家に集合して、風呂に入って、食事をして、全員の無事を確認した。それを見て奥さんの民子さんが、全員無事で、本当に良かったと言うと、女性達も涙ぐんで、被害なしが何よりと言い、食事をとり始めた。

 その晩は、小机の家に摂津の一族全員が集合して泊まった。電話で橫浜の摂津皮膚科、新横浜の摂津皮膚科に電話したが不在だった。その後、日曜日に、伊東院長と金本院長から電話が入り、月曜日からの診療開始で行こうと指示し、日曜は休診として良いと伝えた。月曜日、朝9時半に新横浜摂津皮膚科に言って診療所での被害状況を聞いた。

 すると、診察室にあった硝子瓶が数本割れた位で、他に被害はなかった。その後、橫浜摂津皮膚科へ行くと、同じ様に被害は少なく安心した。倉庫の方を摂津の息子達が点検したが、特に被害はなかったと報告が入った。そして通常通りの営業を始めたが、その後、計画停電が実施され、新横浜と橫浜摂津皮膚科でも、指示通りに計画停電の時には、休診した。

 従業員の中にも大きな被害を受けた人はおらず手を切ったり転んで膝をすりむいたくらいなもので、最小限の被害で済んだ。そのうちに東北大震災の募金活動が開始された。そこで、医療法人摂津会として摂津皮膚科従業員全員で摂津利和の1億円を筆頭に合計1億600万円を集めて、大手、ネット通信会社を通じて、東北大震災、孤児、遺児募金に全額寄付した。

 そして、新横浜摂津皮膚科、橫浜摂津皮膚科の受付に2つの募金箱を置いて集まった募金をこまめに大手、ネット通信会社を通じて東北大震災、孤児、遺児募金に送り続けた。やがて、5月の連休が終わり、忙しくなり、夏場に突入して、夜19時過ぎまでの診療が続いた。その後も患者さんの数は、順調だった。やがて、秋、冬へ季節は巡り、今年は、大変な年になった。

 やがて2012年となった。医者の不養生知言うが、摂津利和も、忙しさに、かまけて、最近は、全く健康診断をしていなかったので、10年ぶりに、タワーマンション近くのけいゆう病院で2012年3月29日、1泊2日の成人病検診を受けた。その後、4月5日、病院から電話で、内科を受診して下さいと言われた。

 4月6日内科外来を受診すると、胸やけ、げっぷ、胃の痛み、下痢の症状はないですかと聞かれた。最近はないが、昨年の9月から10月にかけて2週間下痢が続いたと言うと、やはりと先生が言った。気になるので、検診でなにか、わかったのですかと聞くと、膵臓に腫瘍のようなものがあると言われ、また1泊2日入院して検査したいと言われた。

 けいゆう病院の内科外来で、画像を見せて内科医が、ここの陰が気になると言った。この腫瘍が良性か悪性かを陽電子放出断層撮影法「PET]で検査したいが、ここではできないので、近くの「みなと赤十字病院」でPET「陽電子放出断層撮影」を行って下さいと言われた、先生が電話で予約を取り、4月11日、朝9時に、みなと赤十字病院行くよう言われた。

 検査5時間以上前から絶食、水だけはOKと言われた。4月11日、摂津利和は、奥さんの民子さんと一緒に、タクシーに乗って10分で、みなと赤十字病院に到着した。内科外来に行き、検査の手順を聞いて、摂津利和は、X線検査室に向かった。点滴の要領で、静脈にFDG「ブドウ糖に似た薬剤」を注射された。

 注入されたFTGが全身にいきわたるまで、横になって静かにすごす。約30分から1時間、検査機械の台の上にあおむけになった。そのまま台ごとドーナツ状のPETスキャナーの中を通過しながら全身の断面を30分程かけて撮影した。検査後、検査のために注入したFDG「PET検査薬」が、体外に排出されるまで、まる1日かかりますと言われた。そして自宅に帰った。
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