第5話

文字数 2,746文字

 常連客の田所さんは、住宅メーカーの総務部にいて、社員の身内に不幸があると、その葬儀に参列するという。
 あの田所さんが喪服を着て、神妙な顔つきで弔問する様子を想像したら、私はちょっと笑いそうになった。狸に似たおじさんはどうも葬式が似合わない。
「前任者と比べて葬式行く回数目に見えて減ってるらしいわ」
 と、ママがいった。身内に不幸があっても家族葬にするケースが増えて、その場合ほとんどは会社からの弔問、香典や供花、弔電を辞退するという。
「会社の経費は浮きますね」
 と、私。「コスト削減になってるんじゃないですか」
「そうそう、手間もお金もかからんようになってきてんね、時代やね、って、ウチもゆーたんよ。そしたら田所さん、会社が弱くなるってゆーて、ムツカシイ顔しとったわ。身内が亡くなっても会社休まへん社員さんも珍しくないねんて」
 ある年のはじめに会社である社員に年始の挨拶をしたら、「喪中でして」と返された。田所さんは首をかしげた。その社員の忌引きの届けを受理した覚えがなかったのだ。
 トントン、とママは灰皿に煙草の灰を落とした。
「田所さんおかしいと思って本人に聞いてんて。それで前の年の秋頃におじいさんやったかおばあさんやったかが亡くなった事がわかってんけどさ、田所さんが休まんで大丈夫やったん? 忌引きの有給取れたのにというたら、その社員さんね、ちょうど土日やったから会社休まなくて済んだ、急な事やったし、仕事も立て込んでたからみんなに迷惑かけたくなかったというたらしいわ」
「仕事熱心な社員さんですね」
 と、私はお皿を拭いた。
「せやな。そうともいえるな。身内が死んでも仕事休まへんほうが会社員として優秀やと思ってるんかな。せやかて役者や芸人じゃあるまいしな。死んだ人使ってええカッコせんでもええのに」
 と、ママは灰皿で煙草をもみ消した。
「まあ最近は葬式も手間がかからんように、葬儀屋さんが段取り良くちゃっちゃとするんやろ。パッケージになったサービスとかあって」
「便利だと、お客さんに使ってもらえますからね」
「せやな。カスタマーサービスやな。おじいさんの時便利やったから、おばあさんもあそこでやろうって思うもんな。手際よく、要領よくしたらなるべく他人を巻き込まへんで済むしな。人と関わらへんようにしたら無駄はなくなる。孤立したら誰にも迷惑かからへん」
 私は拭いた皿を棚に収めた。みんなに迷惑をかけたくない、といわれたら、気を使ったというより会社が避けられたみたいに感じて、田所さんは傷ついたのかもしれない。
 一方では私生活と仕事を分けた考え方があって、それが実現できる便利なサービスもあるのだ。私がそういう意味の事をいうと、せやろうな、とママもいった。
「社員さんも悪気はなかったやろうし、良かれ、と思って、仕事に差し障らんように考えてやった事やろうけどな」
「はい」
「身内の不幸があって気ぃ張ってて、日常狂わんように、早く元の生活に戻ろうとしたのかもしれへんし」
 元に戻る事はあらへんのに、と、ママは缶ビールをクイッと飲んだ。
 大阪市内に借りた部屋を引き払い、S町の実家に戻ったのは体を悪くしたからだと話して、私は姉を亡くした事をママには黙っていた。
 話したくなかったのでもなく、ママに迷惑かけないよう気を使ったわけでもない。姉は私の恥部だから、それを人目には晒さなかったのだ。
「だいたいさ、急な事やからっていうのもどうよ?」
 と、ママは新しいたばこに火を点ける。「そういうもんやろ? みんな急やん、みんな突然やで」
「突然の不幸といいますもんね」
 そういえば姉の葬儀の時、「突然の事で……」とは誰からもいわれなかった。記憶にないだけかもしれないけれど、ああいう決まり文句は親戚同士ではいわない約束でもあるのか。弔事の経験が乏しい私が知らないだけで、そもそも社交辞令的な文言で実際に使うのは野暮なのか。ひょっとすると故人が突然死だと言葉が直接過ぎていえなかったのかもしれない。ほとんどは私を見るとひどく悲しそうな顔をして無言で頭を下げるか、かける言葉がないと絞り出すようにいう。
そして奇妙な事に私も姉の死を悲しんだのであった。葬儀の雰囲気に煽られたか、あれほど嫌った姉の死を悲しむ自分に自分でも裏切られた感じで、実は本心では姉を慕っていたのかと錯覚しそうになったけれど、時間が経てばすっかり私は悲しくなくなっていた。
 あれは人の死に出会った時に見られる条件反射のような、ヒトの本能みたいな事だったと思う。
 死んだ途端に姉に対する思いが変わる事などあり得なくて、死が劇的に何かを変えたりはしない。姉と私の関係は変わらず、私は今でも姉が嫌いなのである。
「救われるよ。大丈夫、救われるよ」
 葬儀の時、親戚の中で唯一気丈に振る舞っていたのがクリスチャンの伯母だった。
「助かるわ。しーちゃん、助かるわー」
 ママはしみじみいって、缶ビールをグビグビと飲み干した。
「あー、毎月の事やけどさ、カラオケパーティの後で急に一人になると、どっと疲れるねん。大量の洗いもんもえらいけど、さっきまで店におったお年寄りがサーッといなくなった感じがしんどいねん」
 しーちゃん、ここにあるお菓子、好きなだけ食べてええからね、と、ママはニコッと笑い、もう一本ちょうだい、と、カウンターの中にいる私に缶ビールをねだった。
 カラオケパーティのお客さんは持ち込んだ食べ物を必ず余らせた。そのうちいなり寿司やのり巻、おはぎやフルーツなどは保存容器に入れるか、ラップに包むかして持ち帰り、スナック菓子の類は店に置いて帰るらしい。コアラのマーチ、ばかうけ、キャラメルコーン、パイの実、カントリーマーム、ルマンド……。大皿にまとめられたお菓子はどれも柔らかくて歯と歯茎にやさしそうだった。
「洗いもん終わったらなんか歌って。ロックでもポップでもラップでもいい。演歌と歌謡曲以外やったらなんでもいい」
 私がカウンターの中でカラオケを歌いはじめると、ママはステージで缶ビール片手に踊った。
 白いニットのワンピースを着たママが丸っこい体をくねらせ、わたあめみたいな頭をブンブン振る。踊るママが、イベント会場で子どもを喜ばせる“ゆるキャラ”みたいに可愛らしかった。
「あれ、今日木曜ちゃうやろ」
 ドアから八木さんが顔を出した。「静御前おるやん」
 メーさんいらっしゃ~い、と、ママがニコニコして迎えた。
 はい、お土産、と八木さんはすぐきをくれた。
「さっき駅前で田所さんと()うてん。黒いネクタイしめとってな、会社の人の身内のお通夜で今から京都やて」
 へえ、良かったやん、と、ママがいい、えぇ! と、八木さんが顔をしかめる。
 アハハハハ、と、私は笑った。

(了)
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