第4話
文字数 1,625文字
駅前の葬儀会館は家族葬専用の小さな葬儀会館で、私はそこを利用した事があった。
もちろん私が死んだのではない。姉が死んだのである。
血栓症による突然死だった。両親のきょうだい、おじやおばを呼び小さな葬儀をした。葬儀が済んだ後、実家に戻りたいと私はいい、両親は黙って頷いた。
「そうそう、こないだの日曜にさ」
と、ママは缶ビールを飲む。「葬儀会館の横にさ、空き地あるやん。そこにスキーのストック両手に持ったお年寄りがいっぱいおってん。『ゴール』って書いた横断幕広げてさ」
ノルディックウォーキングのサークルらしい。横断幕が葬儀会館の横を『ゴール』にしたように見えて、そこに高齢者がたくさん集まっていたから笑いそうになった、と、ママはいった。
「その話かよちゃんとすみちゃんにも聞かせたらな、『ウチらもそのうちゴールにたどりつくんかな』『老後やしな』ってゆーて笑ってたわ」
ふふふふふ、と、ママは缶ビールを飲む。
冗談にも聞こえるけれど、ママが仲良しのかよちゃんとすみちゃんを愚痴っぽくいうのは珍しい事ではなかった。
私は食器を洗った。
カラオケパーティの後のママは顔つきが少しこわばっていて、口もキツい。
「その通りや」
と、ママはいう。「老後ってそういう事やわ。老いた後って、なんかの後みたいな、ぼかしたいい方になってるだけで、後はみんな決まってるもんな」
その後には死、と、私も思ったけれど、なんだか憚られて口にしなかった。姉を亡くしたせいか、と、咄嗟に自分で自分を点検してみたけれど、姉の死は私に言葉を制限するほどの重みがない。
私は実家に戻る前、校正やリライトの仕事をした。会社を辞めた私が意地ではじめたフリーランスで、いつも収入が不安定だった。
S町なら大阪市内に出るには不便なく、実家にいながら仕事もできるのにわざわざ市内に部屋を借りたのは、フリーランスなら独立しなければ、という意固地もあったけれど、実家にいた姉と顔を合わせたくなかったからである。
生前の姉は働かず一日中家でテレビを見るひきこもりだった。
そんな姉を私は家の中の汚点か恥部のように思った。心の底から軽蔑し、無視を決め込んだのである。
死んでもなお、姉に対する嫌悪感が変わらず続いている事には自分でも驚いた。
死んだ人を悪く思う事に罪悪感もない。私にとって姉は、死んでも恥部か汚点で、私はやっぱり姉を無視した。
そんな私には『ふじかわ』の常連客の「老後」のほうがよほど生々しい。
介護から卒業したかよちゃんとすみちゃんは今後は誰かに介護される側になり、やがてはその人を介護から卒業させるのだろう。
カラオケパーティのメンバーもやがては一人一人鬼籍に入るに違いない。私が彼らと顔を合わせる事はないけれど、カラオケパーティの後の『ふじかわ』には加齢臭が充満して、ついさっきまでここに「老後」があったとわかるには充分だった。
私はいった。
「老後って、確かに変な言葉ですね」
「せやろ。老後って、ぶっちゃけいうたら死ぬ前やろ」
「あ、はい」
と、私は薄く笑った。
「ふふふふ」
と、ママは意地悪そうに笑う。「まあそういうたらみんな一緒やけどな」
「え?」
「みんな死ぬ前や。生きてたら、みんな死ぬ前やで」
ママは細く煙を吐いた。
私はおでんがぐつぐつ煮立ったのを確認して鍋の火を止めた。
「せやけど駅近の葬儀会館って、よう考えたもんやで」と、ママがいう。「改札からシュッと行けるもんな。初めて来た人も迷わず行けるしな。ちょっとくらいの雨やったら傘いらんしな。あの葬儀会館繁盛してるんやわ。あ、ほんで従業員増やしたんや、せやからウチの駐車場借りたんや」
賃料上げたったらよかった、と、ママは頬杖をついて口をとがらせた。
「ずいぶん前から家族葬ニーズ見とったんや。先読んどってんわ、そら前金も払うわ。賢いわー。せやせやせや、田所さんのところの会社も家族葬増えてるってゆーとったわ」
(つづく。次回、最終話)
もちろん私が死んだのではない。姉が死んだのである。
血栓症による突然死だった。両親のきょうだい、おじやおばを呼び小さな葬儀をした。葬儀が済んだ後、実家に戻りたいと私はいい、両親は黙って頷いた。
「そうそう、こないだの日曜にさ」
と、ママは缶ビールを飲む。「葬儀会館の横にさ、空き地あるやん。そこにスキーのストック両手に持ったお年寄りがいっぱいおってん。『ゴール』って書いた横断幕広げてさ」
ノルディックウォーキングのサークルらしい。横断幕が葬儀会館の横を『ゴール』にしたように見えて、そこに高齢者がたくさん集まっていたから笑いそうになった、と、ママはいった。
「その話かよちゃんとすみちゃんにも聞かせたらな、『ウチらもそのうちゴールにたどりつくんかな』『老後やしな』ってゆーて笑ってたわ」
ふふふふふ、と、ママは缶ビールを飲む。
冗談にも聞こえるけれど、ママが仲良しのかよちゃんとすみちゃんを愚痴っぽくいうのは珍しい事ではなかった。
私は食器を洗った。
カラオケパーティの後のママは顔つきが少しこわばっていて、口もキツい。
「その通りや」
と、ママはいう。「老後ってそういう事やわ。老いた後って、なんかの後みたいな、ぼかしたいい方になってるだけで、後はみんな決まってるもんな」
その後には死、と、私も思ったけれど、なんだか憚られて口にしなかった。姉を亡くしたせいか、と、咄嗟に自分で自分を点検してみたけれど、姉の死は私に言葉を制限するほどの重みがない。
私は実家に戻る前、校正やリライトの仕事をした。会社を辞めた私が意地ではじめたフリーランスで、いつも収入が不安定だった。
S町なら大阪市内に出るには不便なく、実家にいながら仕事もできるのにわざわざ市内に部屋を借りたのは、フリーランスなら独立しなければ、という意固地もあったけれど、実家にいた姉と顔を合わせたくなかったからである。
生前の姉は働かず一日中家でテレビを見るひきこもりだった。
そんな姉を私は家の中の汚点か恥部のように思った。心の底から軽蔑し、無視を決め込んだのである。
死んでもなお、姉に対する嫌悪感が変わらず続いている事には自分でも驚いた。
死んだ人を悪く思う事に罪悪感もない。私にとって姉は、死んでも恥部か汚点で、私はやっぱり姉を無視した。
そんな私には『ふじかわ』の常連客の「老後」のほうがよほど生々しい。
介護から卒業したかよちゃんとすみちゃんは今後は誰かに介護される側になり、やがてはその人を介護から卒業させるのだろう。
カラオケパーティのメンバーもやがては一人一人鬼籍に入るに違いない。私が彼らと顔を合わせる事はないけれど、カラオケパーティの後の『ふじかわ』には加齢臭が充満して、ついさっきまでここに「老後」があったとわかるには充分だった。
私はいった。
「老後って、確かに変な言葉ですね」
「せやろ。老後って、ぶっちゃけいうたら死ぬ前やろ」
「あ、はい」
と、私は薄く笑った。
「ふふふふ」
と、ママは意地悪そうに笑う。「まあそういうたらみんな一緒やけどな」
「え?」
「みんな死ぬ前や。生きてたら、みんな死ぬ前やで」
ママは細く煙を吐いた。
私はおでんがぐつぐつ煮立ったのを確認して鍋の火を止めた。
「せやけど駅近の葬儀会館って、よう考えたもんやで」と、ママがいう。「改札からシュッと行けるもんな。初めて来た人も迷わず行けるしな。ちょっとくらいの雨やったら傘いらんしな。あの葬儀会館繁盛してるんやわ。あ、ほんで従業員増やしたんや、せやからウチの駐車場借りたんや」
賃料上げたったらよかった、と、ママは頬杖をついて口をとがらせた。
「ずいぶん前から家族葬ニーズ見とったんや。先読んどってんわ、そら前金も払うわ。賢いわー。せやせやせや、田所さんのところの会社も家族葬増えてるってゆーとったわ」
(つづく。次回、最終話)