脱出

文字数 1,160文字

 タケルの膀胱が限界に達しようとしていたその時、コンクリート壁の向こうから男の声が聞こえてきた。

「おーい。そこに誰かいるのかー? いたら返事をしろー! ……おかしいな。確かに魔法力を感じたのだが」

 タケルはその声に聞き覚えがあった。だが、それが誰の声なのか思い出せない。

「ここに二人いまーす!」

 タケルは大声で叫んだが、向こうから反応は無かった。気づかず遠くへ行ってしまったのだろうか。だが、希望は見えた。外に人がいたということは、この近くにケルベロスがいないということになる。脅威は去ったと考えて良いだろう。脱出するなら今しかない。

 タケルと雪見は力を合わせ、ロッカーを元の場所へ動かし始めた。無理な体勢をとれば漏らす危険も増すが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

「外に出たら真っ先にトイレ行く? 小須藤くんがトイレから出てくるまで、見張りをしててあげるよ」

「気持ちは有難いけど、まずは校舎まで全力で走ろう。裸足だと危ないから、僕の靴を貸すよ」

「私は裸足で大丈夫。それより、校舎まで本当に我慢できる?」

「我慢できるかどうかは分からない。けど、今はやらなきゃいけないんだ。たぶん、走り方がおかしくなるかもだけど、そこは目を瞑ってほしい」

 タケルは自分のことよりも、雪見の安全を第一に考えていた。

「さっきここを通って行った人、大丈夫かな。ケルベロスのことを伝えた方がいいよね」

「その必要はないよ。自衛団なら対ケルベロス用の対策はできてるはずさ。でなきゃ見回りには来ないよ」

「そうだね。分かった。私、小須藤くんの言う通りにする」

 二人はバリケードを全て片し、ドアを開けて外に飛び出した。

「急ごう!」

「うん!」

 階段を駆け上り、プール横の小道を通って、さらにテニスコートの見える道を突っ切る。残すは校舎までの一直線となった。

 タケルは股間を押さえ、内股気味に走る。それはまるで軽快なクイックダンス。一方、裸足で走っている雪見は、小石が足裏に刺さる度、ピョンピョンと小刻みに跳ねていた。不定調和な二人のステップ。何も知らない者から見れば、さぞかし楽しげな光景に映るだろう。

 二人はトイレへ直行後、ケルベロスに襲われた経緯を報告するため、生徒会室へ向かった。ケルベロスを信じていない教師たちよりも、生徒会の方が確実に話を聞いてくれると思ったのだ。

 報告を聞いた生徒会は、剛田と共に念入りな見回りをした。だが、プールサイドで雪見の靴を回収しただけで、ケルベロスの発見には至らなかった。

 後日、雪見にプール掃除をさせていたのが水泳部の顧問だと判明すると、生徒会はさっそく抗議に出た。だが、大人たちにケルベロスの存在を証明させてみないことには、これも空振りに終わるだろう。今はまだ、自衛団の見回りを強化する以外に道は無いのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み