4. サイン会
文字数 1,558文字
死ぬ前に藍ちゃんに会いたいと思った。サイン会に行くべきだろうか。どうせ死ぬのだから最後に直接会って云ってやりたい。「藍ちゃん変わっちゃったね…」って云ってやっても良くないだろうか。
夏の昼間、わたしは列に並んでいた。文房具とか化粧品とかタロットカードが置いてあるいっとういい鉛筆が見つかりそうなでっかい本屋さんの地下にサイン会の列があった。列の先には安っぽいパーテイションに囲まれた化粧っけのまるでない真白い箱があって、とてもこの中に藍ちゃんがいるとは思えなかった。列はどんどん箱に吸い込まれた。前へ前へと進んで行った。並んでる、わたしは、前へ前へ。しばらくすると目の前に後頭部がない。列の先頭はわたしだった。とびらが大きく開く。箱が中には藍ちゃんが座っていた。
「ひ、久しぶり!元気?」
「えっ……」
「ほ、ほら、プール、プールで、一緒に、きょ、きょうそうしたとき、ね、わたし息してなかったんだよ!」
「……プール?」
「プール!片道が100メートルの、潜って、深くて、息ができなくて、泳ぐしかないから、必死でバタバタして、でも、隣に藍ちゃんいてくれたから、いつまでも泳いでいけるって思ったんだよ。藍ちゃんすごい泳ぐの早いから、わたしが泳ぎ終わるまでずっと待っててくるたんでしょ?藍ちゃんの顔今でも覚えてるよ、わたしをずっと待っててくれたんでしょ!知ってるよ!」
藍ちゃんは目を右斜め下から左斜め下に行ったり来たりさせて必死に思い出そうとする素振りをしたので、片手に持っていた藍ちゃんの新刊を机に叩きつけた。
「ねえ、なんで知らんふりするの!なんでしたばっか見てるの!わたしは云いにきたんだよ、死ぬ前に云いにきたんだよ、藍ちゃん!藍ちゃんは変わったよ!自分のために文章を書かなくなった。頭の中を見せなくなった。わたしはね、藍ちゃんが何云っているのか今でも全然わからないよ、でも、わたしは藍ちゃんがする藍ちゃんの話を聞くのが好きだったの!なのに!何!?なんかの賞をとるための本を書いて、恋愛小説とか書いて、ヴィトゲンシュタインがどうとか、頭いいふりして、藍ちゃん本当はアホなことわたし知ってるよ!ねえ!戻ろうよ!わたしと一緒に泳いだあのプールにもどろう?もう一回わたしと友達になってよ!」
わたしは藍ちゃんの周りにいる人たちに両脇を掴まれて、ずるずると箱の外へ出されそうになった。
「はなして!関係ないんだよ!書店とか出版社とか知らんけど、本売りたい奴らに藍ちゃんの何がわかるんだよ!!わたしは藍ちゃんと友達に戻りたいだけなんだよ!!はなしてよ!!」
そのとき藍ちゃんは立ち上がった。
「なあ、うるさい。うるさいねん、おまえほんまええ加減にせえよ。調子のんな。おまえの自分勝手な行動のせいでどんだけの人が迷惑してると思ってんの?みんな家族とかおんねん、夫婦で来てくれてる人もおんねん、守るものがたくさんあんねん。忙しいねん。おまえみたいにな、自分のことだけ考えてわたしわたしわたし云ってる暇な人間ばっかりちゃうねん!忙しいねん!迷惑かけんな!帰れ!出ていけ!!はやく、ここから!あと藍ちゃんって何やねん!ツレか!プールって何やねん!あたし泳げんわ!そもそも!」
ビルの外に放り出され、植え込みの影によれた。夏の暑さのせいか、もっと別のなにかのせいか、頭を持ち上げる気力がない。玄関にはわたしが騒いで他の客に迷惑をかけないかどうか、黒スーツの女性が二人こちらをにらんでいる。わたしが見えなくなるまで、どこかに立ち去るまで、そこを離れないだろう。これ以上ここにいたら藍ちゃんに迷惑がかかると思って、力を振り絞って立ち上がり、ふらふらと街に人に溶けていった。
「藍ちゃん泳げなかったんだ」
プールのなかにいるように、周りの音がぼやけて聞こえた。
夏の昼間、わたしは列に並んでいた。文房具とか化粧品とかタロットカードが置いてあるいっとういい鉛筆が見つかりそうなでっかい本屋さんの地下にサイン会の列があった。列の先には安っぽいパーテイションに囲まれた化粧っけのまるでない真白い箱があって、とてもこの中に藍ちゃんがいるとは思えなかった。列はどんどん箱に吸い込まれた。前へ前へと進んで行った。並んでる、わたしは、前へ前へ。しばらくすると目の前に後頭部がない。列の先頭はわたしだった。とびらが大きく開く。箱が中には藍ちゃんが座っていた。
「ひ、久しぶり!元気?」
「えっ……」
「ほ、ほら、プール、プールで、一緒に、きょ、きょうそうしたとき、ね、わたし息してなかったんだよ!」
「……プール?」
「プール!片道が100メートルの、潜って、深くて、息ができなくて、泳ぐしかないから、必死でバタバタして、でも、隣に藍ちゃんいてくれたから、いつまでも泳いでいけるって思ったんだよ。藍ちゃんすごい泳ぐの早いから、わたしが泳ぎ終わるまでずっと待っててくるたんでしょ?藍ちゃんの顔今でも覚えてるよ、わたしをずっと待っててくれたんでしょ!知ってるよ!」
藍ちゃんは目を右斜め下から左斜め下に行ったり来たりさせて必死に思い出そうとする素振りをしたので、片手に持っていた藍ちゃんの新刊を机に叩きつけた。
「ねえ、なんで知らんふりするの!なんでしたばっか見てるの!わたしは云いにきたんだよ、死ぬ前に云いにきたんだよ、藍ちゃん!藍ちゃんは変わったよ!自分のために文章を書かなくなった。頭の中を見せなくなった。わたしはね、藍ちゃんが何云っているのか今でも全然わからないよ、でも、わたしは藍ちゃんがする藍ちゃんの話を聞くのが好きだったの!なのに!何!?なんかの賞をとるための本を書いて、恋愛小説とか書いて、ヴィトゲンシュタインがどうとか、頭いいふりして、藍ちゃん本当はアホなことわたし知ってるよ!ねえ!戻ろうよ!わたしと一緒に泳いだあのプールにもどろう?もう一回わたしと友達になってよ!」
わたしは藍ちゃんの周りにいる人たちに両脇を掴まれて、ずるずると箱の外へ出されそうになった。
「はなして!関係ないんだよ!書店とか出版社とか知らんけど、本売りたい奴らに藍ちゃんの何がわかるんだよ!!わたしは藍ちゃんと友達に戻りたいだけなんだよ!!はなしてよ!!」
そのとき藍ちゃんは立ち上がった。
「なあ、うるさい。うるさいねん、おまえほんまええ加減にせえよ。調子のんな。おまえの自分勝手な行動のせいでどんだけの人が迷惑してると思ってんの?みんな家族とかおんねん、夫婦で来てくれてる人もおんねん、守るものがたくさんあんねん。忙しいねん。おまえみたいにな、自分のことだけ考えてわたしわたしわたし云ってる暇な人間ばっかりちゃうねん!忙しいねん!迷惑かけんな!帰れ!出ていけ!!はやく、ここから!あと藍ちゃんって何やねん!ツレか!プールって何やねん!あたし泳げんわ!そもそも!」
ビルの外に放り出され、植え込みの影によれた。夏の暑さのせいか、もっと別のなにかのせいか、頭を持ち上げる気力がない。玄関にはわたしが騒いで他の客に迷惑をかけないかどうか、黒スーツの女性が二人こちらをにらんでいる。わたしが見えなくなるまで、どこかに立ち去るまで、そこを離れないだろう。これ以上ここにいたら藍ちゃんに迷惑がかかると思って、力を振り絞って立ち上がり、ふらふらと街に人に溶けていった。
「藍ちゃん泳げなかったんだ」
プールのなかにいるように、周りの音がぼやけて聞こえた。