源義経黄金伝説第65話

文字数 880文字

源義経黄金伝説■第65回1199年(正治2年) 鎌倉 大江広元の屋敷に磯禅師が訪れていた。磯禅師は京都の総意をつげる。

源義経黄金伝説■第65回

 1199年(正治2年) 鎌倉



「大江広元様、この鎌倉の政権をひぎたくはございませぬか」

磯禅師が告げた。

鎌倉広元の屋敷である。



鎌倉幕府成立後七年がすぎている、

あの静の舞からも十三年がすぎている。



大江広元が京都から鎌倉に来てすでに十六年が過ぎ去っていた。



「何を言うか。この鎌倉には、頼朝様が、征夷大将軍に任じられてとしてお

られる」

「大江広元様、この鎌倉幕府の仕組みを考えられたのは、他ならぬ眼の前にお

られる広元様ではございませぬか」



 大江広元は世の仕組みを作る、言わば社会構造を考案し実行していた。

また法律という国の根本を考えだし、関東の武士たちに一定の秩序を与えたのは、

頼朝でははなくすべてこの広元の「さいづち頭」から出ていた。



つまり、広元が鎌倉幕府の全機構を考え出していたのである。





「さようでございましょう。王朝が変われば国の統一のために手助けした者、

武将、ことごとく新しい王のために葬り去られましょう」

「が、禅師、俺は武将ではないぞ」



「それゆえ、策略を巡りやすいとの考えもありましょうぞ。中国が三国時代のおり、諸葛孔明の例もございましょう」



大江広元は、考える。いかに禅師といえど、この考えは



「禅師、その考え、まさか、後白河法皇様の…」

「いえ、滅相もございませぬ。これは京の公家の方々の総意とお考えください

ませ。よろしゅうございますか、大江広元様。源頼朝様の動きを逐一お教えくだされませ。そして、もし機会があれば…」

「お主たち京の公家の方々が、大殿様を殺すという訳か」



「さようでございます。さすれば大江広元様、鎌倉幕府にてもっと大きな位置を占められましょう」

「それが私広元にとって、よいかどうか」



「何を気弱な。よろしゅうございますか。頼朝様亡くなれば幕府は、烏合の衆。大江広元様が操ることもたやすうございましょう」

「所詮、北条政子殿も、親父、北条時政殿も伊豆の田舎者という訳か」

磯禅師は、にんまりとうなずいた。

(続く)
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