3章 進化心理学
文字数 10,477文字
2章も短いとは言いがたい長さになってしまいました。なお悪いことに、3章もタイトルからしてまだマッチングアプリの話に移行しているようなふしが見られない。
いったい著者はどういうつもりなのか? 本当にマッチングアプリの修羅場エピソードやエグイ逸話を披露する気があるのだろうか? もちろんあります! あるんですけど、それらをただ開陳するだけでは芸がないでしょう。そういうのを見たいならYOUTUBEなりブログなりを参照すればよいわけですから。
本論はあくまで科学的にあれらを分析するという趣旨ですので、そのあたりのご理解をいただければ幸甚でございます。では早速いきましょう。この章は1~2章に我慢してお付き合いいただいた読者であれば、けっこう楽しめるはずです。保証の限りではないけれども……。
1 男性の傾向、女性の傾向
前章でご説明した通り、精子は単価が安い。したがって一撃必殺の狙撃ライフルよりマシンガンのような運用方法にならざるをえない。この事実から導き出される男性の心理的傾向はずばり、
浮気性で、多くの女性にちょっかいを出したがる
となります。俗に〈ばらまく性〉とも呼ばれる進化論的な裏付けですね。この傾向に拍車をかけているのが、
現代は男女平等思想が膾炙した感がありまして、「女は家でガキを育ててろ」などとほざけば十字砲火を受け、この世にちり芥の一片も残らないという結果になるでしょう。
しかし生物学的にはどうしてもそうなってしまうのは避けられない。だって女性の子宮で胎児は育つんですから。倫理的によい悪いではなくて、事実がそうなっているのです(念のため申し添えておくけれども、生物学的な事実だからといってただちに女性の役割が子育てだと演繹するのは誤りです。科学的事実を文化・社会習慣へ敷衍させなければならない特別の理由は見当たりません)。
9か月も他人をお腹に入れ続けるというのは途方もない負担でしょうし、生まれてからも授乳や夜泣きの管理など、養育コストは(事実上なんにもやらなくてよい男性と比べて)天文学的な値に達します。
負担割合をざっくり示せば10:0といっても過言ではありません。男性の体内に胎児が宿るわけではないし、胎児が生まれたからといって乳が張ってきて、ミルクが出るわけでもない。することがないというより、寄与できないといったほうが正しいかもしれません(蛇足だけれども男性が出産するSF小説がありまして、グレッグ・イーガンの「キューティ」というやつ。参考文献にでもあげておきます)。
対照的に女性は上述の通り、卵子産生コスト、養育コストともに高負担側ですから、出血大サービスの大安売りはご法度であります。質の低い遺伝子――チビ、デブ、ハゲ、短小、包茎、早漏、バカ、ブサメン、その他いろいろのマイナス要素――はごめんこうむりたいところ。男性は(あくまで理論上は)女性の数だけ子孫を残せるけれども、女性が生涯に産める子どもの数はどうがんばっても10人そこそこでしょうから、子孫の質にこだわりたいのは人情でしょう。
この議論から導き出される女性の心理的傾向は、
じっくり腰を据えて相手を選び、ベストに近い遺伝子を得る
となりますね。これらの結論を見る限り、わたしにはもはや、なぜ一夫一妻制の夫婦というシステムが成り立っているのか疑問なのであります。まあおそらく成り立っていないのでしょう。隠れて浮気をするメリットは男女双方にありますから。
男性はひとりの妻で満足できないので、当然ほかの女に粉をかけたくなるはずです。この点は議論の余地なしでしょう。生来的に男は浮気をする。揺るぎようのない事実です。
一見女性には浮気をするメリットがないように思えますが、さにあらず。これについては「結婚は妥協だ」という格言がすべてを物語っています。
妥協した結婚であれば当然、旦那は高身長、高収入、高学歴の3高ではないでしょう(3高という言葉、若い読者はご存じなんでしょうか……)。チビでデブでハゲていて、おまけに早漏かもしれない。こんなやつの遺伝子より、よそにいるイケメンの遺伝子のほうがよいに決まっています。もはや旦那の子を産むこと自体が、まともな遺伝子資源を与えてやれなかったという意味での虐待にすら思えてくる。
よりよい資源をよそから調達したところで、正直にいっておめでたい旦那は気づきやしません。このことは男性はよくよく肝に銘じておかねばなりませんよ。英語の格言にこんなのがあるでしょう、「ママのBaby、パパのMay be」。父性はつねに不確実なのですね。
補論 浮気は利得になるうるか?
以上の議論はゲーム理論でも説明できそうです。有名な囚人のジレンマを使って分析してみましょう。紙幅の都合で当該ゲームについての解説は割愛するので、以下はわかる人だけ読んでください。たったいま思いついた自己満足的な内容なので、2節まで読み飛ばしても支障ありません。
ゲーム内容 男女間の恋愛ゲーム
プレイヤー 2人(男性、女性)
選択肢 誠実(浮気をしない)、不誠実(浮気をする)
男性 誠実 不誠実
女性 誠実 3,3 10,-10
不誠実 -10,10 -5,-5
男女ともに操を立てれば円満な家庭が築けるので、双方ともに3点の利得を得る。片方が浮気をすればやったほうは莫大な利益を得るいっぽう(10点)、されたほうは壊滅的な被害を受ける(-10点)。双方ともに浮気をすれば家庭の秩序は失われ、平等に-5点の罰則を受ける。
お互いが合理的プレイヤーと仮定すると、どうしたって裏切るしか選択肢がないのですね。アホ面さらして操を立てていても、相手に裏切られれば損失は-10点、とうてい容認できません。この時点で誠実という選択肢は除外されます。
では-10点を食らわないためにはどうすればよいか。当然不誠実にふるまうよりしかたありません。-5点は決してよいスコアではないけれども、-10点よりはましです。このように男女間のゲームでは、好き勝手によそにパートナーをこしらえるのがナッシュ均衡となりました。
けれどもこれはあくまで1回限定ゲームを想定しております。1年を1ゲームとしてカウントするとして、結婚期間を40年としましょう。すると
双方不誠実 -5*40=-200点
双方誠実 3*40=120点
となり、莫大な差が開くのですね。ラブラブ夫婦の勝利のように見えますが、複数回の囚人のジレンマは最後のゲームがいつ終わるかがわかっていると、結局1回ゲームと同じになるという特性があります。喜ぶのはまだ早いですよ。
40年で結婚が終わるとすれば、最終ゲームでは裏切ったほうが得になります。3点と10点なら10点を選ぶはずですから。そうなると相手も同じ選択をするでしょう。最終ゲームは互いに裏切り合って-5点になってしまうのですね。
これにて40年めは裏切りが確定しました。すると39年めが最終ゲームとなります。最終ゲームはルールの特性上、裏切りが定石なのでした。こうしてどんどん繰り上がっていって、最終的に1回めで裏切るのが最良の手、ということになってしまうわけです。
ですから結婚は期間を定めず、〈死がふたりをわかつまで〉とするのがもっとも安定するでしょう。いつ終わるかわからないゲームなら誠実を選択せざるをえない、という要旨です。
結婚率を上げるためにハードルを下げようという意図のもと、結婚の期間を自由に選択できる柔軟なシステムの導入を叫んでいる識者がいるようですが、彼らは例外なく家庭解体論者といってよいでしょう。
国家と個人のあいだに存在するあらゆる組織――企業、地域社会、家庭など――を解体し、最終的に国家-個人間のみを目指す。まぎれもない共産主義思想であります。
2 ディナーは男性はおごるべきか
この問題はまさに永遠の課題、多数の論者がかまびすしい議論を戦わせ、いまだ決着がついていない。しかし進化心理学的にはとうのむかしに決着がついているのですよ。
動物の世界でも、オスはメスを引き寄せるために涙ぐましい努力をしています。鳥の一種では(メスを迎えるための)みすぼらしいボロ小屋みたいなのを作るだけでは飽き足らず、広場にオスが申し合わせたように並び、妙な踊りを披露するそうです。
その踊りのうまいオスがメスを総ざらいし、例のボロ小屋が愛の巣――というか乱交パーティ会場――になるという寸法です。カラスなどの鳥類がたまに光ものを盗んでいくでしょう、あれらはおおむねこのボロ小屋の原料になっている由。
このように鳥ですらメスの気を引くために贈りものをしているわけです。妙な踊りのほうはおそらく性淘汰による選択があったのでしょう。はた迷惑な話です。
これを人類へ敷衍すれば、解答はたちまち導き出される。
バブル期なんかはそれはもうひどかった。みんな小金持ちになってるもんだから、女性もアッシー君、メッシー君などという侍従をこしらえる始末。本命になれない男は使いパシリやらディナーをおごるだけの役割しか与えられなかったのですね。スラムダンクのエンディングテーマ「あなただけ見つめてる」なんかも歌詞の冒頭、アッシー君メッシー君を切ったというようなことを(それがあたかも誠意を示すバロメータであるかのように)歌ってますね。当時の時代背景がよくわかろうというものです。「あなただけ見つめてる」が聞いて呆れらあ!
でも最近は女性側、というか若年層全体に「女性がおごってもらうのは当たり前」という風潮が薄れてきたように思えます。財布を出すそぶりも見せない女性、それどころか財布をそもそも携帯していない女性なんてのはごく少数で、きっちり割り勘を主張する人も多いのだとか。
だからといって男性はもう金輪際、おごらなくてよいなどと考えるのは早計でしょう。依然としておごっておくのが正解なのであって、そうしないのはバスケの試合において、相手のファウルでフリースローの資格を得たにもかかわらずそれを行使しないに等しい。
しかしよくよく考えるとなぜ、おごるのが正しいのでしょうか。鳥が珍妙なダンスとボロ小屋を作っているからといって、ただちに人類が似たようなまねをする必要が果たしてあるのか?
以下に見ていきましょう。
3 年収問題 逃れられない運命
ディナー問題はこれ、男性読者の頭を悩ませる年収問題へと収斂いたします。なぜかというと、次の公式が成り立つからですね。
ディナーをふたり分負担することができる≒収入が多い
なぜ等号ではなくニアリーイコールなのかといえば、お財布事情に余裕がないにもかかわらず、見栄を張って払いたがるご仁がいるからです。わたしの友人もそんなひとりでした(ちなみにもう友人ではありません。合計26万円の負債を1円たりとも返済することなく、どこぞへ出奔したからです)。
田中くん(仮称)は典型的なDQNタイプの人間でして、収入はタバコ、酒、後輩へのおごりで消えていき、貯金という概念なんか生まれてこのかた聞いたこともない。そんな彼は女性にお金を出させることに抵抗――を超え、一種の恐怖心すら抱いているようでした。
ですから女性読者はよくよくこのタイプに気をつけないといけませんよ。なかには借金までして女性の負担をなくそうとする輩もいるそうですからね。見分けかたは簡単です。「亭主関白か否か」。こんだけ。亭主関白な男は女性への暴力を是とし、恐怖支配を所与のものとする傾向がありますが、その代わり経済的には守ってやるという思想なのですな。
皮肉なのはたいてい彼らの収入が、女性を守ってやれるほど多くはないという点でありましょう。左記のような数世紀も遅れた思想を持つ人間が、高収入の職業に就いている可能性はまずありえません。
少し話がそれたけれども(この論稿はいつも話がそれてますね)、とにかくディナーをおごれるのであれば、基本的にはそれ相応の収入があると判断できるでしょう。
ほかの条件がまったく同一であるならば、ほぼ100%収入の多い男性が選ばれます。この点についてみなさん深く考えたことがおありでしょうか。この選択は絶対にぶれない公理のようなもののような気がします。しかしここではあえて「なぜ?」と問うでみようではありませんか!
①収入の進化論的な利点
収入の多寡を進化論で説明しようとすると、ぶち当たるのが「アフリカのサバンナ時代に貨幣なんかなかったはずだ」という主張でしょう。ウルトラ・ダーウィニストのわたしもさすがに10万年前の草原で、人類が獲物を売り買いしていたとは強弁しません。
貨幣は商取引に革命を起こしたとは思いますが、なにもそれがすべてではありません。お金がなければいっさいの取引ができないなんてことはない。物々交換があるではないですか!
初期人類は共産主義者ではなかったはずなので、狩猟の獲物や採集で得られた果実などを交換していたと思われます。そうなるとどうしても特定の個人に資産が集中するという事態もあったでしょう。ここでいう資産とは動物の肉や輝くばかりのマンゴーのことであります。わらしべ長者よろしく、うまいこと交換だけでひと財産築いたご仁がいたはずです。
食料をたくさん持っているとなぜモテるのか? それはずばり
極端な話、原始資本家の男性が養育に参加しなくたってよいのです。ただ女性がおんぶ紐に新生児をくくりつけた状態で採集をしなくてもよいよう、育児環境だけ整えてくれればよい。
女性は男性と異なり、子どもを育てるインセンティヴがより高いはずです。母性は父性よりも絶対確実なので(だって自分のお腹から生まれてるんですから)、子どもに投資しようとする誘因がある。子どもの養育に有利な環境を提供できる男性がモテるのもむべなるかな。
母性の確実性を考慮すると、子どもを産むと女性が〈恋人〉から〈母親〉になるという俗説にも一理ありそうです。旦那はいってみれば遺伝率的にほとんど無関係の相手です。そりゃもちろん同じ日本人ですし、人類はアフリカ単一起源ですので遺伝子の相似はあるでしょう。
けれども自分の子どもは50%の遺伝率が保証されているわけですから、旦那なんかよりガキを優先するのは必然的な流れとすらいえる。いつまでも仲睦まじい夫婦を維持するのは並大抵の愛情だけでは難しいでしょう。だからといってガキをこさえないとなると、夫婦の絆を当人同士だけで維持しなければならなくなる。一概にどちらがよいとはいえないようです。
ひるがえって現代、市場経済は複雑化し、富のかたちも食料から貨幣へと変遷しました。しかし本質はなにも変わっていません。富は依然として男性のステータスとして君臨し続けているのであります。
この点から女性の一般的な好みが類推できそうです。すなわち、
女性は自分よりも年上の男性を好む
がそれです。年功序列がまだ現役の日本に限らず、若者よりもおじさんのほうがお金持ちである可能性は高い。よほど幸運や才能に恵まれていない限り、若くして富を築いている男性はまれな存在です。事業を起こして一旗あげるにしても、相応の経験や人脈が必要ですし、それらを形成するにはどうしたって時間がかかる。
それにある程度年齢を重ねていれば、なにかしら肩書きが付与されているものです。チーフとか課長とかね。彼らが平社員よりお金持ちなのはまちがいない。原始時代でも
富を持つ者≒地位の高い者
であったはずです。プレ・マサイ族の酋長が20歳そこそこの、羊水まみれのガキんちょというケースはまずありえない。それは年長者のほうが飢餓の対策や危険な動植物の知識が豊富で、人びとの役に立つからです。伊達に長生きしていないということでしょう。
こうした事情があったためか、老人は敬えという格言が生まれたものと推測できます。ただわたしはこれだけは言っておきたい。いまや全世界的なネットワーク構築環境となり、通り一遍の知識は検索ひとつで享受できてしまう時代であります。
老人たちが敬われたいのなら、それ相応の能力を示さねばならないのでは? むかしはこうだった、俺の言う通りにやればまちがない! ただの頑固者を尊敬しろというのは手前味噌に聞こえます。彼らには(われわれ現役世代の犠牲の上に成り立った)あり余る余暇があるんでしょ、それを水戸黄門だの遠山の金さんだのに振り向けているだけでは尊敬は勝ち取れないと思うのですが、いかがでしょうか。
まあとにかく、
いまだに女性の地位が著しく低い中東では、年長者が女性を寡占的に所有する唾棄すべき風習がまかり通っています(イスラム教は一夫多妻制)。ポイントは
世界の事例なんか出さなくたって、年長者が若い娘とひっつくケースは枚挙にいとまがありません。援助交際(いまはパパ活というそうですが)、玉の輿、女性に見られる普遍的な年下男性への不寛容(年下
4 恋愛の経験値について
もういい加減本章も長くなりすぎているけれども、最後にこれだけは論じておきたい。ずばり童貞・処女論争ですね。
まずはほとんど議論の余地のないほうからいきましょう。女性の処女性についてです。この書き出しだけで早くも頭に血を昇らせている読者諸兄姉のいることが容易に想像できる。本節では感情論はいっさい排除し、あくまで生物学的な視点から議論する予定ですので、あしからずご了承ください。
ネット界隈では処女厨なる蔑称がはびこっており、もはや女性に処女性――ないしはそれに近い貞淑なふるまい――を求めること自体がご法度になった感すらあります。実際のところどうなのでしょうか。処女厨は気色悪い童貞の妄想なのか?
進化心理学的には、否、まったく正当である! のですよ。なぜ男性は処女をありがたがるのか。簡単です。浮気の議論でも少し触れましたが、男性にとって父性はつねに不確実、ママのBaby、パパのMay beなのでした。
旦那にとってもっとも避けるべき事態は
生殖の目的は自分の遺伝子を次世代へ受け継がせることですから、托卵をされると男性は自身の遺伝子を伝えられないだけでなく、貴重な資産を他人の遺伝子のために浪費させられるのですね。これは考えられる限り最悪の悪夢以外のなにものでもありません。
実子と継子の虐待率を比べてみますと、継子は実子に比べて40倍も虐待される可能性があるというデータがあります。なぜかといえば、むろん継子にはいっさい自分の遺伝子が受け継がれていないから。完全に赤の他人なわけです。
おそらくこのへんにシングルマザー(およびファザー)が差別される要因があるのでは? 相手からすると、自分の遺伝子が入っていない子どもを引き受けるメリットがありませんからね。ライオンもメスの群れを乗っ取ったあと、真っ先にやるのが失脚したオスの子殺しであります。
他人の子どもはよだれまみれで不細工だけれども、自分の子どもは天使みたいにかわいい。甥や姪っこは自分の子どもほどではないにせよ、友だちの子どもよりははるかにかわいく見える。こうした現象も遺伝率で説明できるでしょう。2章で論じた包括適応度ですね。
以上のことから、男性はなるべく父性を確実にしたがるはずです。男がやたらと嫉妬深かったり束縛を厳しくするのはそのためですね。托卵作戦への涙ぐましい対策といえるでしょう。家から一歩も出さなかったり、飲み会へいかせなかったりすればほかの男に出会うこともないでしょうから。
さてもっとも父性を確実にできる女性がどんなだか想像できますか。フリーの女性? 惜しい。でも最近別れた元カレの子種が宿っているかもしれませんよ。妊娠初期は当の女性自身ですらなかなか気づきませんからね。鈍くさい男が気づけるはずがない。
もうおわかりでしょう。誰の子種も仕込まれていない女性、すなわち処女を相手に生殖を行えば、父性は100%保証されるのですね。
女性読者のなかでこの主張をうさんくさいと思うのなら、男友だちにでも聞いてごらんなさい。ただし「結婚するなら」という条件をつけるのを忘れずにね。ほぼ確実に処女のほうが好ましいという回答が返ってくるはずです。それくらい托卵への恐怖――すなわち父性の不確実性は男性の遺伝子へ強烈に刷り込まれているのでしょう。処女にさして価値を見出さなかった男たちの遺伝子はほかでもない托卵により、次世代へ受け継がれなかったともいえますが。
念のため申し添えておきますが、著者には女性たちに厳格な性生活を強制しようとか、処女でない女性は価値がないとかいう意図はまったくございません。そうではなくて、なぜ男がそうやたらと経験の少ない無垢な女の子に引き寄せられるのかという疑問を生物学的に解説しただけにすぎない。ですから住所特定ののち、暗殺者を差し向けるようなまねは厳に慎んでいただきたいものです……。
僭越ながら一言アドバイスするなら、女性は狙っている男性の前ではあたかも処女であるかのようにふるまうのが有効でしょう。14歳くらいの時分に先輩とことをすませてしまっていたとしても、要はそれらしく見えればよいのです。これはてきめんに効きますよ。一度お試しあれ。
次に童貞のほうも考えておきましょう。女性と異なり男性の性経験の有無は、正直に申しましてどっちでもよいはずです。男性が子どもを産むわけではないし、童貞だからといって女性がメリットを感じる要素はない。
進化心理学的にいって、男性の貞操は無差別である、というのが結論になるでしょう。経験豊富でも素人童貞でも真性童貞でもみんな同列――のはずなのですが、どうも現実の観測結果とは一致しないようですね。
女性読者は胸に手を当てて考えてみてください。童貞の男と聞いて、好ましいですか、そうでないですか? おそらく嫌悪感を催したのでは? そうです、どうやら童貞に市民権はないようなのですね。これはなぜなのでしょうか。私見ですが、文化が複雑になったからだと思われます。
原始時代の人類は生きるのに精いっぱいで、まだるっこしい恋愛の機微なやり取りはほとんどなかった。オスが盛ってメスに頼み込み、やらしてもらって子どもができる。こんだけ。実に刹那的ですなあ。
ところが文化が発展して、どんどん女性側からの要望が強くなってくると、男性もそれに合わせて洗練していかざるをえない。中世ヨーロッパで騎士と貴婦人の宮廷恋愛なんかが取りざたされたという文献も残っているそうですし、恋愛という概念が登場したのは割合最近だと考えられます。
この過程にはほぼまちがいなく性淘汰が関与していると思われます。スマートでない男性はやらしてもらえず、女性に対する配慮のできる男はやらしてもらえた。この流れが人口に膾炙すれば、男性が女性をエスコートするのは必然的な義務となる。そして現代、まさしくそうなってしまったのです!
童貞のイメージが悪いのは性経験がないことではなく、
結論を述べましょう。純粋に進化論的見地から見れば、童貞の価値は中立的であるといえる。ただし性淘汰を考慮した進化心理学的見地からはどうしてもマイナスになる。厳密には女性にそつのないデートを提供できないのがマイナスだということですが。まあこれはほとんど童貞の要件に合致するので、ニアリーイコールと考えて差し支えないでしょう。
結婚するまでは貞操を維持するという稀有な思想を持つイケメン童貞の名誉のために、童貞一般が必ずしも不満足なデートしか実現できないわけではないことを証明しておきましょう。
命題 童貞は女性が満足するデートを提供できない
命題に対する対偶 非童貞は女性が満足するデートを提供できる
対偶が必ずしも成り立たないことからも(素人童貞やヤリモクのDQNみたいなのが細かい気配りができるとは思えないので)、童貞の名誉はきわどいところで守られたのでした。
これにてようやくマッチングアプリを科学的に解剖する準備が整いました。ここまで倦まずたゆまずお付き合いしてくださった読者はもはや、いっぱしの進化論者に成長しているはずです。
では次章をお楽しみに!
いったい著者はどういうつもりなのか? 本当にマッチングアプリの修羅場エピソードやエグイ逸話を披露する気があるのだろうか? もちろんあります! あるんですけど、それらをただ開陳するだけでは芸がないでしょう。そういうのを見たいならYOUTUBEなりブログなりを参照すればよいわけですから。
本論はあくまで科学的にあれらを分析するという趣旨ですので、そのあたりのご理解をいただければ幸甚でございます。では早速いきましょう。この章は1~2章に我慢してお付き合いいただいた読者であれば、けっこう楽しめるはずです。保証の限りではないけれども……。
1 男性の傾向、女性の傾向
前章でご説明した通り、精子は単価が安い。したがって一撃必殺の狙撃ライフルよりマシンガンのような運用方法にならざるをえない。この事実から導き出される男性の心理的傾向はずばり、
浮気性で、多くの女性にちょっかいを出したがる
となります。俗に〈ばらまく性〉とも呼ばれる進化論的な裏付けですね。この傾向に拍車をかけているのが、
養育コストの負担割合
であります。現代は男女平等思想が膾炙した感がありまして、「女は家でガキを育ててろ」などとほざけば十字砲火を受け、この世にちり芥の一片も残らないという結果になるでしょう。
しかし生物学的にはどうしてもそうなってしまうのは避けられない。だって女性の子宮で胎児は育つんですから。倫理的によい悪いではなくて、事実がそうなっているのです(念のため申し添えておくけれども、生物学的な事実だからといってただちに女性の役割が子育てだと演繹するのは誤りです。科学的事実を文化・社会習慣へ敷衍させなければならない特別の理由は見当たりません)。
9か月も他人をお腹に入れ続けるというのは途方もない負担でしょうし、生まれてからも授乳や夜泣きの管理など、養育コストは(事実上なんにもやらなくてよい男性と比べて)天文学的な値に達します。
負担割合をざっくり示せば10:0といっても過言ではありません。男性の体内に胎児が宿るわけではないし、胎児が生まれたからといって乳が張ってきて、ミルクが出るわけでもない。することがないというより、寄与できないといったほうが正しいかもしれません(蛇足だけれども男性が出産するSF小説がありまして、グレッグ・イーガンの「キューティ」というやつ。参考文献にでもあげておきます)。
対照的に女性は上述の通り、卵子産生コスト、養育コストともに高負担側ですから、出血大サービスの大安売りはご法度であります。質の低い遺伝子――チビ、デブ、ハゲ、短小、包茎、早漏、バカ、ブサメン、その他いろいろのマイナス要素――はごめんこうむりたいところ。男性は(あくまで理論上は)女性の数だけ子孫を残せるけれども、女性が生涯に産める子どもの数はどうがんばっても10人そこそこでしょうから、子孫の質にこだわりたいのは人情でしょう。
この議論から導き出される女性の心理的傾向は、
じっくり腰を据えて相手を選び、ベストに近い遺伝子を得る
となりますね。これらの結論を見る限り、わたしにはもはや、なぜ一夫一妻制の夫婦というシステムが成り立っているのか疑問なのであります。まあおそらく成り立っていないのでしょう。隠れて浮気をするメリットは男女双方にありますから。
男性はひとりの妻で満足できないので、当然ほかの女に粉をかけたくなるはずです。この点は議論の余地なしでしょう。生来的に男は浮気をする。揺るぎようのない事実です。
一見女性には浮気をするメリットがないように思えますが、さにあらず。これについては「結婚は妥協だ」という格言がすべてを物語っています。
妥協した結婚であれば当然、旦那は高身長、高収入、高学歴の3高ではないでしょう(3高という言葉、若い読者はご存じなんでしょうか……)。チビでデブでハゲていて、おまけに早漏かもしれない。こんなやつの遺伝子より、よそにいるイケメンの遺伝子のほうがよいに決まっています。もはや旦那の子を産むこと自体が、まともな遺伝子資源を与えてやれなかったという意味での虐待にすら思えてくる。
よりよい資源をよそから調達したところで、正直にいっておめでたい旦那は気づきやしません。このことは男性はよくよく肝に銘じておかねばなりませんよ。英語の格言にこんなのがあるでしょう、「ママのBaby、パパのMay be」。父性はつねに不確実なのですね。
補論 浮気は利得になるうるか?
以上の議論はゲーム理論でも説明できそうです。有名な囚人のジレンマを使って分析してみましょう。紙幅の都合で当該ゲームについての解説は割愛するので、以下はわかる人だけ読んでください。たったいま思いついた自己満足的な内容なので、2節まで読み飛ばしても支障ありません。
ゲーム内容 男女間の恋愛ゲーム
プレイヤー 2人(男性、女性)
選択肢 誠実(浮気をしない)、不誠実(浮気をする)
男性 誠実 不誠実
女性 誠実 3,3 10,-10
不誠実 -10,10 -5,-5
男女ともに操を立てれば円満な家庭が築けるので、双方ともに3点の利得を得る。片方が浮気をすればやったほうは莫大な利益を得るいっぽう(10点)、されたほうは壊滅的な被害を受ける(-10点)。双方ともに浮気をすれば家庭の秩序は失われ、平等に-5点の罰則を受ける。
お互いが合理的プレイヤーと仮定すると、どうしたって裏切るしか選択肢がないのですね。アホ面さらして操を立てていても、相手に裏切られれば損失は-10点、とうてい容認できません。この時点で誠実という選択肢は除外されます。
では-10点を食らわないためにはどうすればよいか。当然不誠実にふるまうよりしかたありません。-5点は決してよいスコアではないけれども、-10点よりはましです。このように男女間のゲームでは、好き勝手によそにパートナーをこしらえるのがナッシュ均衡となりました。
けれどもこれはあくまで1回限定ゲームを想定しております。1年を1ゲームとしてカウントするとして、結婚期間を40年としましょう。すると
双方不誠実 -5*40=-200点
双方誠実 3*40=120点
となり、莫大な差が開くのですね。ラブラブ夫婦の勝利のように見えますが、複数回の囚人のジレンマは最後のゲームがいつ終わるかがわかっていると、結局1回ゲームと同じになるという特性があります。喜ぶのはまだ早いですよ。
40年で結婚が終わるとすれば、最終ゲームでは裏切ったほうが得になります。3点と10点なら10点を選ぶはずですから。そうなると相手も同じ選択をするでしょう。最終ゲームは互いに裏切り合って-5点になってしまうのですね。
これにて40年めは裏切りが確定しました。すると39年めが最終ゲームとなります。最終ゲームはルールの特性上、裏切りが定石なのでした。こうしてどんどん繰り上がっていって、最終的に1回めで裏切るのが最良の手、ということになってしまうわけです。
ですから結婚は期間を定めず、〈死がふたりをわかつまで〉とするのがもっとも安定するでしょう。いつ終わるかわからないゲームなら誠実を選択せざるをえない、という要旨です。
結婚率を上げるためにハードルを下げようという意図のもと、結婚の期間を自由に選択できる柔軟なシステムの導入を叫んでいる識者がいるようですが、彼らは例外なく家庭解体論者といってよいでしょう。
国家と個人のあいだに存在するあらゆる組織――企業、地域社会、家庭など――を解体し、最終的に国家-個人間のみを目指す。まぎれもない共産主義思想であります。
2 ディナーは男性はおごるべきか
この問題はまさに永遠の課題、多数の論者がかまびすしい議論を戦わせ、いまだ決着がついていない。しかし進化心理学的にはとうのむかしに決着がついているのですよ。
動物の世界でも、オスはメスを引き寄せるために涙ぐましい努力をしています。鳥の一種では(メスを迎えるための)みすぼらしいボロ小屋みたいなのを作るだけでは飽き足らず、広場にオスが申し合わせたように並び、妙な踊りを披露するそうです。
その踊りのうまいオスがメスを総ざらいし、例のボロ小屋が愛の巣――というか乱交パーティ会場――になるという寸法です。カラスなどの鳥類がたまに光ものを盗んでいくでしょう、あれらはおおむねこのボロ小屋の原料になっている由。
このように鳥ですらメスの気を引くために贈りものをしているわけです。妙な踊りのほうはおそらく性淘汰による選択があったのでしょう。はた迷惑な話です。
踊りのうまいオスってステキ
! なわけあるかい!これを人類へ敷衍すれば、解答はたちまち導き出される。
ディナーは可能な限り
、おごっとけ
! であります。バブル期なんかはそれはもうひどかった。みんな小金持ちになってるもんだから、女性もアッシー君、メッシー君などという侍従をこしらえる始末。本命になれない男は使いパシリやらディナーをおごるだけの役割しか与えられなかったのですね。スラムダンクのエンディングテーマ「あなただけ見つめてる」なんかも歌詞の冒頭、アッシー君メッシー君を切ったというようなことを(それがあたかも誠意を示すバロメータであるかのように)歌ってますね。当時の時代背景がよくわかろうというものです。「あなただけ見つめてる」が聞いて呆れらあ!
でも最近は女性側、というか若年層全体に「女性がおごってもらうのは当たり前」という風潮が薄れてきたように思えます。財布を出すそぶりも見せない女性、それどころか財布をそもそも携帯していない女性なんてのはごく少数で、きっちり割り勘を主張する人も多いのだとか。
だからといって男性はもう金輪際、おごらなくてよいなどと考えるのは早計でしょう。依然としておごっておくのが正解なのであって、そうしないのはバスケの試合において、相手のファウルでフリースローの資格を得たにもかかわらずそれを行使しないに等しい。
しかしよくよく考えるとなぜ、おごるのが正しいのでしょうか。鳥が珍妙なダンスとボロ小屋を作っているからといって、ただちに人類が似たようなまねをする必要が果たしてあるのか?
以下に見ていきましょう。
3 年収問題 逃れられない運命
ディナー問題はこれ、男性読者の頭を悩ませる年収問題へと収斂いたします。なぜかというと、次の公式が成り立つからですね。
ディナーをふたり分負担することができる≒収入が多い
なぜ等号ではなくニアリーイコールなのかといえば、お財布事情に余裕がないにもかかわらず、見栄を張って払いたがるご仁がいるからです。わたしの友人もそんなひとりでした(ちなみにもう友人ではありません。合計26万円の負債を1円たりとも返済することなく、どこぞへ出奔したからです)。
田中くん(仮称)は典型的なDQNタイプの人間でして、収入はタバコ、酒、後輩へのおごりで消えていき、貯金という概念なんか生まれてこのかた聞いたこともない。そんな彼は女性にお金を出させることに抵抗――を超え、一種の恐怖心すら抱いているようでした。
ですから女性読者はよくよくこのタイプに気をつけないといけませんよ。なかには借金までして女性の負担をなくそうとする輩もいるそうですからね。見分けかたは簡単です。「亭主関白か否か」。こんだけ。亭主関白な男は女性への暴力を是とし、恐怖支配を所与のものとする傾向がありますが、その代わり経済的には守ってやるという思想なのですな。
皮肉なのはたいてい彼らの収入が、女性を守ってやれるほど多くはないという点でありましょう。左記のような数世紀も遅れた思想を持つ人間が、高収入の職業に就いている可能性はまずありえません。
少し話がそれたけれども(この論稿はいつも話がそれてますね)、とにかくディナーをおごれるのであれば、基本的にはそれ相応の収入があると判断できるでしょう。
ほかの条件がまったく同一であるならば、ほぼ100%収入の多い男性が選ばれます。この点についてみなさん深く考えたことがおありでしょうか。この選択は絶対にぶれない公理のようなもののような気がします。しかしここではあえて「なぜ?」と問うでみようではありませんか!
①収入の進化論的な利点
収入の多寡を進化論で説明しようとすると、ぶち当たるのが「アフリカのサバンナ時代に貨幣なんかなかったはずだ」という主張でしょう。ウルトラ・ダーウィニストのわたしもさすがに10万年前の草原で、人類が獲物を売り買いしていたとは強弁しません。
貨幣は商取引に革命を起こしたとは思いますが、なにもそれがすべてではありません。お金がなければいっさいの取引ができないなんてことはない。物々交換があるではないですか!
初期人類は共産主義者ではなかったはずなので、狩猟の獲物や採集で得られた果実などを交換していたと思われます。そうなるとどうしても特定の個人に資産が集中するという事態もあったでしょう。ここでいう資産とは動物の肉や輝くばかりのマンゴーのことであります。わらしべ長者よろしく、うまいこと交換だけでひと財産築いたご仁がいたはずです。
食料をたくさん持っているとなぜモテるのか? それはずばり
子どもの養育に有利だから
です。さんざん述べてきた通り、女性は多大なる養育コストを背負わされているので、少しでもそれを軽くしたい。そこで豊富な食料を持つ男性がやり玉にあがります。極端な話、原始資本家の男性が養育に参加しなくたってよいのです。ただ女性がおんぶ紐に新生児をくくりつけた状態で採集をしなくてもよいよう、育児環境だけ整えてくれればよい。
女性は男性と異なり、子どもを育てるインセンティヴがより高いはずです。母性は父性よりも絶対確実なので(だって自分のお腹から生まれてるんですから)、子どもに投資しようとする誘因がある。子どもの養育に有利な環境を提供できる男性がモテるのもむべなるかな。
母性の確実性を考慮すると、子どもを産むと女性が〈恋人〉から〈母親〉になるという俗説にも一理ありそうです。旦那はいってみれば遺伝率的にほとんど無関係の相手です。そりゃもちろん同じ日本人ですし、人類はアフリカ単一起源ですので遺伝子の相似はあるでしょう。
けれども自分の子どもは50%の遺伝率が保証されているわけですから、旦那なんかよりガキを優先するのは必然的な流れとすらいえる。いつまでも仲睦まじい夫婦を維持するのは並大抵の愛情だけでは難しいでしょう。だからといってガキをこさえないとなると、夫婦の絆を当人同士だけで維持しなければならなくなる。一概にどちらがよいとはいえないようです。
ひるがえって現代、市場経済は複雑化し、富のかたちも食料から貨幣へと変遷しました。しかし本質はなにも変わっていません。富は依然として男性のステータスとして君臨し続けているのであります。
この点から女性の一般的な好みが類推できそうです。すなわち、
女性は自分よりも年上の男性を好む
がそれです。年功序列がまだ現役の日本に限らず、若者よりもおじさんのほうがお金持ちである可能性は高い。よほど幸運や才能に恵まれていない限り、若くして富を築いている男性はまれな存在です。事業を起こして一旗あげるにしても、相応の経験や人脈が必要ですし、それらを形成するにはどうしたって時間がかかる。
それにある程度年齢を重ねていれば、なにかしら肩書きが付与されているものです。チーフとか課長とかね。彼らが平社員よりお金持ちなのはまちがいない。原始時代でも
富を持つ者≒地位の高い者
であったはずです。プレ・マサイ族の酋長が20歳そこそこの、羊水まみれのガキんちょというケースはまずありえない。それは年長者のほうが飢餓の対策や危険な動植物の知識が豊富で、人びとの役に立つからです。伊達に長生きしていないということでしょう。
こうした事情があったためか、老人は敬えという格言が生まれたものと推測できます。ただわたしはこれだけは言っておきたい。いまや全世界的なネットワーク構築環境となり、通り一遍の知識は検索ひとつで享受できてしまう時代であります。
老人たちが敬われたいのなら、それ相応の能力を示さねばならないのでは? むかしはこうだった、俺の言う通りにやればまちがない! ただの頑固者を尊敬しろというのは手前味噌に聞こえます。彼らには(われわれ現役世代の犠牲の上に成り立った)あり余る余暇があるんでしょ、それを水戸黄門だの遠山の金さんだのに振り向けているだけでは尊敬は勝ち取れないと思うのですが、いかがでしょうか。
まあとにかく、
年長者は富を蓄えている可能性が高い
。この点が重要です。そんな単純な話かよとお思いでしょう。そんな単純な事例がけっこうあるようですね。いまだに女性の地位が著しく低い中東では、年長者が女性を寡占的に所有する唾棄すべき風習がまかり通っています(イスラム教は一夫多妻制)。ポイントは
年長者が
という点です。若者はもはやシステム的に生殖から除外されているという驚くべき社会制度なのです。自由恋愛の権利が剥奪されているどころの話ではありません。女性は男性と対等ですらなく、明確に二級市民扱い。わたしが宗教を蛇蝎のごとく嫌う理由のひとつであります。世界の事例なんか出さなくたって、年長者が若い娘とひっつくケースは枚挙にいとまがありません。援助交際(いまはパパ活というそうですが)、玉の輿、女性に見られる普遍的な年下男性への不寛容(年下
が
いい! という意見は少数派。ショタコンは架空の存在とみてよいでしょう)などなど、おおむね生物学的な考察と一致するとみてまちがいなさそうです。4 恋愛の経験値について
もういい加減本章も長くなりすぎているけれども、最後にこれだけは論じておきたい。ずばり童貞・処女論争ですね。
まずはほとんど議論の余地のないほうからいきましょう。女性の処女性についてです。この書き出しだけで早くも頭に血を昇らせている読者諸兄姉のいることが容易に想像できる。本節では感情論はいっさい排除し、あくまで生物学的な視点から議論する予定ですので、あしからずご了承ください。
ネット界隈では処女厨なる蔑称がはびこっており、もはや女性に処女性――ないしはそれに近い貞淑なふるまい――を求めること自体がご法度になった感すらあります。実際のところどうなのでしょうか。処女厨は気色悪い童貞の妄想なのか?
進化心理学的には、否、まったく正当である! のですよ。なぜ男性は処女をありがたがるのか。簡単です。浮気の議論でも少し触れましたが、男性にとって父性はつねに不確実、ママのBaby、パパのMay beなのでした。
旦那にとってもっとも避けるべき事態は
他人のガキを育てさせられること
です。いわゆる托卵
ですね。妻がよそで浮気してこしらえてきた子どもを、そうとは知らずにわが子だと誤解したまま養育する。これのなにが怖いのかというと、旦那の遺伝子がびた一文受け継がれていない点であります。生殖の目的は自分の遺伝子を次世代へ受け継がせることですから、托卵をされると男性は自身の遺伝子を伝えられないだけでなく、貴重な資産を他人の遺伝子のために浪費させられるのですね。これは考えられる限り最悪の悪夢以外のなにものでもありません。
実子と継子の虐待率を比べてみますと、継子は実子に比べて40倍も虐待される可能性があるというデータがあります。なぜかといえば、むろん継子にはいっさい自分の遺伝子が受け継がれていないから。完全に赤の他人なわけです。
おそらくこのへんにシングルマザー(およびファザー)が差別される要因があるのでは? 相手からすると、自分の遺伝子が入っていない子どもを引き受けるメリットがありませんからね。ライオンもメスの群れを乗っ取ったあと、真っ先にやるのが失脚したオスの子殺しであります。
他人の子どもはよだれまみれで不細工だけれども、自分の子どもは天使みたいにかわいい。甥や姪っこは自分の子どもほどではないにせよ、友だちの子どもよりははるかにかわいく見える。こうした現象も遺伝率で説明できるでしょう。2章で論じた包括適応度ですね。
以上のことから、男性はなるべく父性を確実にしたがるはずです。男がやたらと嫉妬深かったり束縛を厳しくするのはそのためですね。托卵作戦への涙ぐましい対策といえるでしょう。家から一歩も出さなかったり、飲み会へいかせなかったりすればほかの男に出会うこともないでしょうから。
さてもっとも父性を確実にできる女性がどんなだか想像できますか。フリーの女性? 惜しい。でも最近別れた元カレの子種が宿っているかもしれませんよ。妊娠初期は当の女性自身ですらなかなか気づきませんからね。鈍くさい男が気づけるはずがない。
もうおわかりでしょう。誰の子種も仕込まれていない女性、すなわち処女を相手に生殖を行えば、父性は100%保証されるのですね。
処女
。なんという神秘的で安らぎを感じる言葉であることか!女性読者のなかでこの主張をうさんくさいと思うのなら、男友だちにでも聞いてごらんなさい。ただし「結婚するなら」という条件をつけるのを忘れずにね。ほぼ確実に処女のほうが好ましいという回答が返ってくるはずです。それくらい托卵への恐怖――すなわち父性の不確実性は男性の遺伝子へ強烈に刷り込まれているのでしょう。処女にさして価値を見出さなかった男たちの遺伝子はほかでもない托卵により、次世代へ受け継がれなかったともいえますが。
念のため申し添えておきますが、著者には女性たちに厳格な性生活を強制しようとか、処女でない女性は価値がないとかいう意図はまったくございません。そうではなくて、なぜ男がそうやたらと経験の少ない無垢な女の子に引き寄せられるのかという疑問を生物学的に解説しただけにすぎない。ですから住所特定ののち、暗殺者を差し向けるようなまねは厳に慎んでいただきたいものです……。
僭越ながら一言アドバイスするなら、女性は狙っている男性の前ではあたかも処女であるかのようにふるまうのが有効でしょう。14歳くらいの時分に先輩とことをすませてしまっていたとしても、要はそれらしく見えればよいのです。これはてきめんに効きますよ。一度お試しあれ。
次に童貞のほうも考えておきましょう。女性と異なり男性の性経験の有無は、正直に申しましてどっちでもよいはずです。男性が子どもを産むわけではないし、童貞だからといって女性がメリットを感じる要素はない。
進化心理学的にいって、男性の貞操は無差別である、というのが結論になるでしょう。経験豊富でも素人童貞でも真性童貞でもみんな同列――のはずなのですが、どうも現実の観測結果とは一致しないようですね。
女性読者は胸に手を当てて考えてみてください。童貞の男と聞いて、好ましいですか、そうでないですか? おそらく嫌悪感を催したのでは? そうです、どうやら童貞に市民権はないようなのですね。これはなぜなのでしょうか。私見ですが、文化が複雑になったからだと思われます。
原始時代の人類は生きるのに精いっぱいで、まだるっこしい恋愛の機微なやり取りはほとんどなかった。オスが盛ってメスに頼み込み、やらしてもらって子どもができる。こんだけ。実に刹那的ですなあ。
ところが文化が発展して、どんどん女性側からの要望が強くなってくると、男性もそれに合わせて洗練していかざるをえない。中世ヨーロッパで騎士と貴婦人の宮廷恋愛なんかが取りざたされたという文献も残っているそうですし、恋愛という概念が登場したのは割合最近だと考えられます。
この過程にはほぼまちがいなく性淘汰が関与していると思われます。スマートでない男性はやらしてもらえず、女性に対する配慮のできる男はやらしてもらえた。この流れが人口に膾炙すれば、男性が女性をエスコートするのは必然的な義務となる。そして現代、まさしくそうなってしまったのです!
童貞のイメージが悪いのは性経験がないことではなく、
女性をうまいこと扱えない可能性が非常に高い
。これに尽きるのでは? 実際のところイケメンで話術が優れていれば、よほどのことがない限り機会には恵まれるでしょうから、非童貞≒女性を満足させられるという図式が成り立つはずです。結論を述べましょう。純粋に進化論的見地から見れば、童貞の価値は中立的であるといえる。ただし性淘汰を考慮した進化心理学的見地からはどうしてもマイナスになる。厳密には女性にそつのないデートを提供できないのがマイナスだということですが。まあこれはほとんど童貞の要件に合致するので、ニアリーイコールと考えて差し支えないでしょう。
結婚するまでは貞操を維持するという稀有な思想を持つイケメン童貞の名誉のために、童貞一般が必ずしも不満足なデートしか実現できないわけではないことを証明しておきましょう。
命題 童貞は女性が満足するデートを提供できない
命題に対する対偶 非童貞は女性が満足するデートを提供できる
対偶が必ずしも成り立たないことからも(素人童貞やヤリモクのDQNみたいなのが細かい気配りができるとは思えないので)、童貞の名誉はきわどいところで守られたのでした。
これにてようやくマッチングアプリを科学的に解剖する準備が整いました。ここまで倦まずたゆまずお付き合いしてくださった読者はもはや、いっぱしの進化論者に成長しているはずです。
では次章をお楽しみに!