5章 愚痴&愚痴 その弐

文字数 6,316文字

3 真剣なお付き合いとやら
 非常によく見かけるのがこのフレーズ。真剣なお付き合いできるかたを希望するというやつ。これとセットになっているのが「次付き合う人とは結婚を考えている」というの。
 みなさんこのような主張についてどう思われますか。わたしはね、これらの文言を見ているとふつふつと煮えたぎる怒りが湧いてくるのですよ!
 まず聞きますが、真剣なお付き合い

男女交際というものがあるのでしょうか。陽キャとかパリピと呼ばれる人種の得意とするところのようですが、こういう文句を乗せている時点で、いままでそうした交際を経験したと勘繰らざるをえない。こんな文言を乗せなければならないこと自体が、若年層の倫理観が著しく欠如していることの証左となりましょう。人対人の付き合いである以上、そんなもん真剣以外にありえないでしょうが!
 わたしはつくづく疑問なのですが、「遊びで付き合う」という概念、いったいこれはどういう倫理で運営されているのでしょうか。人と人との関係に遊びなどという浮ついた言葉が入り込む余地はないと思うのですが、いかがでしょうか。それともわたしの観念は時代遅れなのでしょうか?
 そう思うかたはこう考えてみてください。同性の友人関係を「遊びで」構築するというのは自然でしょうか? 読者はかけがえのない親友との関係が醸成されていく過程で、こいつとは遊びだから適当に斬り捨ててもいいか、などと考えたことが一度でもありますか?
 結果的に短命に終わった友人関係というのはあるでしょう。時間が合わなくなったり、価値観が合わなかったり、遠くへ引っ越してしまったり、その理由は千差万別でしょうよ。でも始めから遊びのつもりで友だちを作りますか? 今後長い付き合いになるかどうなるかはわからないけれども、少なくともそうなるようにお互い気を遣いませんか?
 もし友人関係の議論に首肯していただけるのなら、それはそのまま男女交際にも当てはまるのではないですか? なぜ男女交際だけが倫理観の欠如したやりかたが許されているのですか? 断言しますが、許されてなどいないのですよ。勝手に若者たちがSNSの感覚をリアルの付き合いへ敷衍させているだけで、そんなのはまったく容認しがたいのであります!
 あまりじじむさいことを言いたくはありませんが、さすがにこうした流れを「時代は変わったんだから」などと傍観していてよいものなのか、強く疑問に思うものであります。男女関係であれ友人関係であれ、人対人の付き合いというものは原則、真剣に取り組むものです。ですから「真剣なお付き合いを希望する」などという文句をわざわざつける必要はない!

 もうひとつ、「次付き合う人とは結婚を考えている」という主張。これについてどう思われますか。わたしは即座にこう問いたい。いままでのお付き合いはなんだったんですか、と。
 まるで一定の年齢に達するまでの付き合いはすべて遊びであるかのようなフレーズですよね。しかり、実際のところそうらしい。25~30歳くらいのプロフィールにうんざりするほどよく書かれております。「年齢も年齢なのでそろそろ結婚したいと思い、はじめました」。はあー? なに言ってんだこいつら。いやマジに!
 もし25~30歳くらいで結婚したいと思うのなら、それ以前に付き合う必要があるのでしょうか。堅物と思われるのを覚悟で書くけれども、そうでなければ男女交際なんてする意味がないではないですか。それこそ全部遊びと言われたって弁明できないはずですよ。
 

という概念。いままでのは全部遊びで、適当な時期がきたから遊びはやめて、真剣にお付き合いできる人を探す。言葉から受ける印象とは裏腹に、これほど不誠実な人間はそうはいまいと思います。
 わたしは付き合うなら結婚前提とまで言うつもりはありません。けれども自然とそのように想定するものではないですか? 少なくともそうなるよう双方が努力するものではないですか? 男女交際とは結婚の前段階なのではないのですか? もちろん信念として結婚しないという人もいるでしょう。古臭い民法なんか守ってられるか! というようなね。だからといって相手を雑に扱ってよいことにはならない。
 ここで世の中に対する風潮にガツンと一発くれてやりますが、結婚前の交際は乱れていてもよく、結婚後はちゃんとせなあかんという論調、これは信じられないほど幼稚な誤りです。完全にダブルスタンダードの一種ですよね。正しい態度は「結婚前だろうがあとだろうが、真剣に相手と向き合う」。ちがいますか? そうでなければ結婚した夫婦がバカみたいじゃないですか。もし「ああそうだよ、あいつらはバカなんだよ」ということなら、結婚なんていうシステムはなくしたほうがましでしょう。
 法的な制約が結婚後は厳しいという事実には、それ以上の意味はぜんぜんありません。これを勝手に反転させて、結婚前は適当にやってよいなどと解釈するのはあまりにも短絡的すぎる。そういう神経がわたしにはわからない。同じ人間ですよ。あなたと同様血の通った人間ですよ。いろんなことで思い悩み、笑い、悲しみ、楽しむれっきとした人間ですよ。なぜそうした人々をないがしろにできるのか、まこと理解に苦しむ。
 お試しでとかとりあえずとかで付き合うから、何度も相手をとっかえひっかえしなければならなくなる。結婚を意識しだしたら突然吟味し始め、それ以前はちゃらんぽらんに遊びまくる。そんな女性が結婚相手として望ましいとは、わたしはぜんぜん思いません。そんなやりかたは尋常な人間関係構築から著しく逸脱している。

 いったい家庭は、学校は子どもたちになにを教えているのでしょうか。リバタリアンとしてしつこく何度でも提言します。自由とは責任をともなった表裏一体の概念です。ですから遊びで付き合おうが、結婚年齢まで遊びまくろうが、それは個人の勝手にはちがいありません。
 しかしそうした倫理に悖るまねをやってきたのですから、一人前の幸せを掴み取ろうなどと思うのは虫がよすぎるのではないですか。さんざん人を傷つけておいて、お咎めなしですか。幸いなことにお咎めはちゃんとあります。それは生物学が下すのです。そう、人の気持ちを斟酌できないヤリマン――あえてこの下品な言葉を使いましょう――は、結婚に適した誠実な男性には見向きもされない、という罰が下ることで!
 以上を踏まえて、わたしはあえて反感を買うような主張をここでしますよ。経験豊富で遊び倒してきた女性たちがのたまう「非処女を差別するな!」などというたわけた詭弁には、ぜんぜん正当性がないのだと。全部自業自得であるのだと。それが自由を行使することの責任であります。
 学校では権利と義務を憲法の視点から教えているでしょう。生活保護を受ける権利、納税の義務というように。権利は法的に保障された状態を指します。生活保護は受給資格さえ満たしていれば誰でも受けられる。法が保障しているというのはつまり、国が保障しているということです。
 くどくなって申しわけないけれども、自由はちがいます。何度も書いてきた通り、それは責任と表裏一体の概念であります。いまの若年世代がめちゃくちゃな人間関係を是としているのは、このへんに原因があるのではないでしょうか。すなわち

です。
 万民に保障された権利なんてほんの少ししかありません。よく引き合いに出される言論ですら〈自由〉なのですよ。これは好き勝手に相手を誹謗中傷する自由はあるけれども、その結果名誉棄損などで訴えられる覚悟はしろということです。決して言いっぱなしが許されているわけではありません。
 ネットでは匿名なのをよいことにむちゃくちゃ書くやつがいるけれども、こいつらは権利と自由を誤解しているのですね。正しい態度は「匿名だろうが実名だろうが、自分の発言には責任を持つ」です。そうでなければ水掛け論の罵詈雑言になってしまうでしょう(そして実際、動画サイトのコメント欄はそうなっている。実に幼稚で低レベルなやり取りです)。
 教育に抜け落ちているのはまさにこれ、

を教えることです。それは学校の責任だけではありません。当然両親だって有罪でしょう。そもそも親は学校に依存しすぎているきらいがある。自分の子どもですよ。自分の子どもにものを教えるのをうっちゃっておいて、学力が下がれば教師に難くせをつける。なんという無責任な態度でしょうか。
 日常生活においてもっとも行使する可能性が高いのが自由ですから、この概念を正しく理解している人間がほんのごく少数にとどまっているのはたいへん危険な状態といえるでしょう。その弊害が自分の権利ばかり声高に叫ぶ遊び好きな女性というかたちで結実している。わたしにはそう思われる!
 いまからでも遅くはありません。ぜひとも自由と責任を誤解のなきよう学びなおし、本当の意味での真剣なお付き合いを考えていただければ幸甚です。

4 数々の矛盾した記述
 女性の男性に対する要望はとどまるところを知りません。ときには希望を盛り込みすぎて互いに矛盾する項目が出てきてしまっている。そして本人はそれに気づいてすらいない。いくつか気になったものをピックアップしてみましょう。

①アルコール耐性とまじめさ
 お酒好きな女性はこうおっしゃる。「一緒にお酒を飲めればいいな♡」。よろしい。それは個人の自由ですからどんどん飲んでくださってけっこう。しかし返す刀でこうくる。「誠実な人、まじめな人希望!」。うーん……。これには首をかしげざるをえない。
 しかり、本例は互いに二律背反なのですよ。だってお酒に明るい男性にまじめさを求めてるんですもん。一事が万事ではないですが、基本的にアルコールに強い酒豪というのはろくでなしであることが多い。酒豪は酒豪を誇らざるをえないからです。
 男性にとってほかの男より勝っている点があれば、それをアピールしないわけにはいきません。少しでも秀でているところを女性に見せつけ、選ばれる確率を上げるためです。本当は酒を飲めることなんか少しも偉くないんですけど、なんとなく個体の強さに結びついている気がするのでしょう。
 ですから飲める男でアルコールを控えている人間はごく少数です。飲み会にでもなれば阿呆みたいに何杯も飲み散らかす。常識的に考えて、そんなのが誠実だったりまじめだったりすると思いますか? 飲めば飲むほど(わたしが蛇蝎のように嫌っている)

とやらが出来するのですから、ほとんど犯罪者予備軍のようなものでしょう。
 したがって酒好きに誠実だのなんだのを求めるのは、泥棒にものを盗まないよう懇願するのにも等しい。どだい無理な話なのです。ミスマッチもいいところでしょうよ。

②優しさとおもしろさ
 こんなのもある。「落ち着いている人、優しい人希望」。それはそうでしょう。浮ついた怒りっぽい男性を望む女性はいまい。そこまではよい。けれども返す刀でこうくる。「話はテンポよく、おもしろい人がいいな♡」。……なんかおかしくないですか?
 まず言っておきます。「優しい」という要素は漏れなく、モテない男の優柔不断な態度であるという厳然たる事実を認識してください。
 肝心なところで言うべきことを言えなかったり、権威に屈して長いものに巻かれる事なかれ主義は、おそらく女性の想定している優しさとは異なるのでしょう。優しさとはちょっとした配慮、気づかいの謂いであり、相手の同意がなければなんにもできない判断力の欠如とは一線を画する。そもそも怒らない、相手の言い分に目くじら立てて反抗しないという意味での優しさなんか、備えていて当たり前の資質でしょう。
 ですから根本から女性の求めているものはレベルが高すぎる。男は優しさを求められれば、怒らなければよいのだなと単純に解釈しますよ。優しさという言葉はあまりにも抽象的すぎるきらいがある。まずはそこから正していかなければならないのでは?
 ただでさえ優しさがあいまいなところへ、今度はおもしろい人、話が弾む人ときた! これらの要素もまったく真逆の二律背反であります。おもしろい人、話が弾む人というのはわたしが思うに、陽キャやパリピのたぐいでは? しかしほぼどの女性のプロフィールにも「パリピはお断り」の文言がうたってある。いったいどういうことなのでしょうか。なにやら頭が痛くなってきました……。

 これらを総合すると、理想の男性像とは①お酒に滅法強く、②それでいてまじめさを兼ね備え、③落ち着きや優しさを常備しつつ、④つるべ落としのように話題を提供できる、となります。
 断言します。こんな男はまずいません。少なくともマッチングアプリのようなごみ溜めには絶対にいない。これは女性自身、自分の胸に手を当てて考えてみれば一目瞭然ではないですか。お酒好きな女性は自分がちゃらんぽらんでないと断言できますか(わたしの乏しい経験上、アルコールに強い女性は例外なく性に奔放な人ばかりでした)。落ち着いている女性はつるべ落としのように話題を提供できますか。つまりそういうことです。これらは二律背反なのであります。
 まあ二律背反ほど極端ではないにせよ、少なくともこれらはトレードオフの関係にあることだけは確かです。酒に強ければ強いほどまじめではなく、優しければ優しいほどウィットには富んでいない。
 個々人には用途自由の精神的(メンタル)リソースがあって、そこからみずからの特性へ投資していると考えられます。リソースは有限なので各投資は互いに資源を奪い合うゼロサムゲームとなるでしょう。
 ですからすべてを兼ね備えている男性はどこかにはいるでしょうけど、それは精神的リソースの総量が無尽蔵に近い超人という結論になる。そしてそのような超人は(仮にいたとしても)青田刈りされているので、マッチングアプリごときにはそもそも供給されない。したがって上記4項目を満たす男性は存在せず、女性の要求は過大である。以上、照明終わり(Q. E. D)

5 ぜひとも削除していただきたい一文
 以下のお願いはわたしの愚痴というよりも、女性会員の利益のために提言いたします。「彼氏とお別れしたので、アプリ始めました!」。
 いったいこの文言はなにを企図して掲載されているのでしょうか。おそらく女性としては、「一度でもちゃんと男に見初められたことがあるステキなわたし」を演出し、モテてるんだぞというシグナルを発しているのでしょう。
 ところが実態はまったく逆効果であります。全男性処女崇拝理論が示す通り、このような情報公開は単にみずからの価値を下げているだけなのですね。現にわたしはこの記述が目に入った瞬間、当該会員の閲覧をやめています。
 処女厨の蔑称をたまわる前に断っておくけれども、わたしだって20代後半の女性がすべからく処女であるなどという幻想を抱いているわけではありませんよ。そうではなくて、そこはぼかしてくれよと言いたいのであります。
 彼氏とお別れしたと明言してあれば、ほぼ100%処女ではないはずです。この一文さえなければわれわれ男性は「もしかしたら……?」という幻想を抱ける。まあそんなもん相手の言動でおおむね予想はつくけれども、明確に否定されない限りは一縷の望みにすがっていられる。
 女性会員に告ぐ! いらんことは書くな! もし女性読者で上記のようなニュアンスの情報開示をしているのであれば、即刻削除してください。それだけでいいね! が増える可能性さえありますよ。
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