22

文字数 2,133文字

移動した先の、小さなステージは満員だった。モッドには詳しくないが、政治演説という堅めのイベントとしては、かなり盛況といえるだろう。
ステージの上にはレオードが、ゆったりしたシルエットの黒いセットアップを着て、物憂げに、美しく佇んでいる。
レオードがゆっくりと会場を見回す。
今、ぼくたちがレオードを見ているだけではなく、向こうからもぼくたちを見ているのだと思うと、改めて不思議な感じがする。テレビを見るのとは違うのだ。
ふと、レオードの視線がアンディの上で止まったような気がした。気のせいだろうか。
ロニーの声で思考が途切れる。
「チャロがいる」
「チャロって?」
「あんたが見たっていう、犬のアバターだよ。新聞記者の。ほら」
長い指で、画面の端にいるピンと耳を立てた小さな犬の後ろ姿を指し示す。
「ほんとだ。チャロっていうのか、あのかわいい子犬」
「中身はかわいくないけどな」
ロニーがぼくに自分のスマホを渡す。
「またこれで撮影を頼む。ステージも録画禁止なんだ」
「了解」
『集まってくれてありがとう。ここにいるあなたは、私の大切な仲間だ』
レオードが話しはじめる。
心に訴えかけるように響くゆたかな声だ。外見と同じく中性的で、女性のようにも青年のようにも聞こえる。
壇上のレオードは、いつにもまして魅力的だった。
『レオード、かっこいい!』
『がんばって!』
会場には早くも一体感が生まれている。
語りかけるような口調が、彼は自分に向かって話しているのだという錯覚を引き起こすのだ。
いつのまにかミーらしき白猫の後ろ姿が聴衆に加わっているのが見える。呼び込みを切り上げて来たのだろう。
『愛するこの国を、横暴な政府と連合から取り戻したい。彼らは自分たちが甘い蜜を吸うために、国を利用し、弱い人たちを弾圧しているのだ。これ以上そんなことを許していていいのだろうか』
レオードの話し方は巧みだった。抑揚のつけ方が絶妙で、音楽のように心地よいリズムの波に聴衆を引き込んでいく。
『昔、オズワル・オーベルという経済学者がいた。彼はこの国を正しく理解し、連合に加盟することに最後まで反対していたが、時流をくつがえすことができず、人々に誤解されて不遇な人生を送った』
悲壮感あふれる声で語ると、表情は動いていないのに、悲しげに見えた。
『私たちは間違った道を選び、その結果、国内の産業は衰退してしまった。さらに、優秀な人材が国外へ流れ、労働環境は悪化するばかりだ』
離脱論者ではないぼくにも、彼の話にはたしかに一理あると思えた。彼に従えば、より良い未来があるのだと、思ってしまいそうになる。
『リーギスは特別な、他に類を見ない国だ。ここに住む私たちだけが、真にこの国を理解できる。今こそ主権を私たちの手に取り戻すんだ。あなたの力が必要だ。共に祖国を守ろう』
会場が拍手に包まれ、彼を讃えるメッセージが次々に表示される。
徐々にステージが暗転していき、画面が切り替わって会場の外に移動していた。時刻はもうすぐ9時半。観客たちはすぐに雑踏にまぎれ、散り散りになった。ミーとチャロの姿もすでに見当たらない。
ぼくは録画を停止して、スマホをロニーに渡しながら言った。
「見事な演説だったな。それに印象的な声をしていた。気が付いたら真剣に聞いてしまっていたよ」
「声は機械で変えているという可能性もあるが、聴衆の心をつかむのはたしかに上手いな。そこらの政治家よりずっといい」
「そうだな。学もあるようだし、見た目もいいし、ファンがつくのも分かる気がしたよ」
ロニーがパソコンを落とすと、モッドから部屋に戻ってきたという気がした。体が触れそうなほど近くに彼がいることを、あらためて意識してしまう。
何か話さなくてはと思い、焦って口を開いた。
「そういえば、昨日マキアの知り合いに会ってきたんだ」
知り合いというよそよそしい言葉に、この間は感じなかった罪悪感を覚えた。デイルがぼくのことをなつかしく思ってくれていたことがわかったからだ。
「そうか。何て言ってた?」
「残念ながらほぼ予想通りだ。マキアにできることはないってさ。でも社内で話し合ってみると言ってくれたし、話してくれてよかったとも言っていたよ」
「その知り合いって、どういう人なんだ?」
彼はぼくから目をそらして、低い声で言った。
「どういうって?」
ドキリとしながら聞き返す。
「あんたはその人のことを話すとき、いつもと少し違っているから、過去に何かあったのかと思って」
「ぼくがいつもと違ってる? そうかな?」
「ああ。遠くを見るような目をして、右手でうなじを触っている」
本当だ! うなじを触っている。
ぼくはその手をあわてて離し、彼の観察眼の鋭さに舌をまいた。あまり話したいことではないが、何か隠しているという印象を持たれるよりは、正直に言ってしまった方がいいと思い、なるべく軽い調子で話した。
「さすがに探偵は鋭いな。大昔、ほんの一時期付き合ってた人だよ。ずっと会ってなかったけどね」
「また会う約束をしたのか?」
「もう会わないよ。とっくに終わってることだ」
「そうか……。立ち入ったことを聞いて悪かった」
ロニーは大きく息をついて、パソコンを片付けはじめた。
彼が今の話をどう思ったのか気になったが、確かめる勇気はなかった。

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