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文字数 2,511文字

一瞬ドキリとしながら答える。
「え? ああ、悪いな」
「いいよ。帰るついでだ」
施錠して階段を下り、夜風に身震いしながら裏通りへ向かう。
「あの車だ」
ロニーは路肩の黒いセダンを顎で示すと、ぼくが助手席側にまわるのを待って運転席に乗り込んだ。ぼくも助手席のシートに身を沈める。
「ケネジー街の、どの辺り?」
エンジンキーを回してロニーが尋ねる。
「交差点を左折して、少し行ったところだ」
「了解」
窓の外を街灯の光が通りすぎてゆく。
画面をのぞき込んでいる間はそれほど意識しなくてすむのだが、こんな狭い空間に二人きりだと思うと、また緊張してきた。
沈黙を破ってロニーが口を開く。
「あのミーがミリアだとして、彼女が思い詰めていることっていうのは、ニウェ・ドリヒトの活動に関することである可能性が高いな」
「ぼくもそう思う。レオードというやつを崇拝しているようだった」
「彼女がどんな活動をしていようが、周りが口を出すべきことじゃないが、少し思い込みの激しそうな連中だったのが気になるな」
「ああ。なんとなく嫌な感じだった」
特にあのニヒトという真っ黒なアバター。何を考えているかわかったものじゃない。
「とりあえず様子を見るしかないな」
「そうだな。……あれがぼくのアパートだ」
前方に見える建物を指差す。車が速度を落とし、低いレンガ塀の前でとまった。
「送ってくれてありがとう。またな」
「ああ。おやすみ」
ロニーは目を細めてぼくを見て言った。
ぼくは後ろ髪を引かれる思いで車を降り、小さくなっていく車を見送った。

「お疲れ様です。どうでした? この間のデート?」
次の日の昼すぎ、ハルは店に来るなり興味津々という感じで質問してきた。お客さんがいるっていうのに、聞かれたらどうするんだ。
あわててハルを引き寄せて、小声で応じる。
「だからデートじゃないって。店でモネといっしょになって、三人で飲んだよ」
「なんだ。せっかく二人きりにしてあげたのに」
「おまえ、やっぱり確信犯だったな!」
「ひどいな。ぼくはただ、二人が早く仲良くなればいいなと思って。だってノア、あの人を見る目がハートになってたから」
「なってるわけないだろ! まったく、大人をからかうのもいいかげんにしろ」
「すみません。でもデートの約束があったのは本当ですよ?」
ヘラヘラ笑って、全然反省の色がない。
「ところで、この前買い取りしてきた本はどうなりました?」
「値段つけるとこまでは終わってるから、入力を頼むよ」
「了解です。じゃあ、早速やっちゃいますね」
ハルはあいかわらず顔に笑いを浮かべたまま、事務室へ入っていった。
閉店間際になり、しばらく棚を見てまわっていたグレーヘアの男性が帰ってしまうと、店内にはぼく一人となった。たぶんあの人が本日最後のお客さんだろう。
ハルの様子を見に事務室へ向かう。
「おつかれ。どんな感じ?」
彼は本の山の中でパソコンをにらんでいたが、ぼくの声に顔をこちらへ向けた。
「あと半分くらいですね。こっちの山は終わってるんで、棚に並べちゃって下さい」
「さすが、早いな」
「それほどでも。ところでノア、この本は?」
彼は机の上の一冊を手にとって尋ねた。
すっかり忘れていたが、値段を付けられずに後で調べるつもりで置いておいた本だ。そして同時に、その本の著者の名前が、昨日ニウェ・ドリヒトの会合に出てきた『オズワル・オーベル』だったことも思い出し、思わず叫んでしまった。
「あっ! そうだよ、この本だ」
「え? 何がです?」
「いや、最近偶然、この著者の名前を他のところでも耳にしたんで、ちょっと驚いてさ」
守秘義務というやつがあるから、ハルに詳しい話をするわけにはいかず、あいまいに言葉を濁した。
「へえ、そうなんですか。これ値段が付いてませんけど、どうします?」
「それが迷ってるんだ。どのくらいの価値があるのか分からなくて」
「この本、おれの……先生も持ってますよ」
「そうなんだ。経済学の先生?」
「はい。経済政策の先生です」
「君の専門は経営じゃなかったっけ?」
「そうですけど、その授業も取ってるんです。今度聞いてみましょうか?」
この本はミリアの調査と何か関わりがありそうだ。ぼくは少し考えてから言った。
「ありがとう。でもこれ、売らずにぼくが読んでみることにするよ」
「どうしたんですか、急に?」
「なんとなく、どんな事が書いてあるのか知りたくなってきちゃったんだよ」
「三十年くらい前、ユール連合に加盟するしないで議論があった時の、加盟反対論の本ですよ」
ハルがすらすらと説明するので、感心して言った。
「そうなんだ。君が生まれるより前のことなのに、よく知ってるな」
「その授業で習ったんです。でも結局、リーギスは連合に加盟することになった。ちなみに著者のオズワル・オーベルは、オルセン大学で教えてたんですよ」
「君の大学で? その人はどうなったんだ?」
「その前に、ドリヒトって結社の存在は知ってますか?」
「ドリヒト?……いや、知らないな」
ドリヒトは知らないが、ニウェ・ドリヒトと何らかの関係があることは間違いない。でもその名前を出すと、モネからの依頼内容に触れることになってしまうので言えなかった。
「オーベルが教えてた学生が作った組織なんですが、彼はその相談役のような存在だったらしいです。世論が段々と加盟賛成に傾いていくにつれて、ドリヒトのメンバーは減っていったんですけど、残ったメンバーの行動は過激化していきました。そしてついに、議事堂に爆発物を持ち込んで、重傷者を出してしまったんです。実行犯が逮捕されてドリヒトは解散し、オーベルもテロへの関与を疑われて、大学を辞めさせられました。彼はそのあと、失意のうちに病死したそうです」
「そんなことがあったんだ。悲劇的だな」
「気の毒ですよ。立派な学者だったのに」
「本当のところ、彼はテロに関与していたんだろうか?」
「していなかったっていう話ですよ。もちろん真実は分かりませんけど、ぼくはそう信じてます」
彼はきっぱりとそう答えた。
昨日の会合で、レオードが『オズワル・オーベルの遺志を実現させよう』と言っていたが、ハルの説明でその意味が分かった。レオードは、オーベルに心酔しているのだろうか。

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