第三章3

文字数 8,373文字

    五

 船を見てから、およそ半月後――。
 陸憲は、魏出温と共に潜帝宮へ来ていた。
 モルダの朱い巫女マンダリーカと会った陸憲は、魏出温と部下を引き連れて、一旦、帝都へ戻り、皇帝幻燵に復命した。マンダリーカは潜帝宮へ移動し、そこで幻燵と会うことを希望した。これを幻燵が承知したため、陸憲は、再び旭甫へ行き、マンダリーカを潜帝宮へ案内したのである。
 水の民は馬を持っていないということなので、幻燵が自分用の馬車を一台提供し、それにマンダリーカと族長、従者が乗り込んでいた。
 しかも、巫女には五百名に及ぶ兵が付き従い、五十名の侍女も同行して、食糧などを積む荷車を引き、船から外してきた弩弓砲も六門、運んでいた。他にもやはりバネ仕掛けで発射させるという銛弾を用意していて、たとえ乱賊が現われても自分たちで撃退しそうである。
 潜帝宮は、帝都から八日、旭甫からは三日かかる。中原のほぼ中央に位置し、神話の時代、この辺りはどの国にも属さず、一種の緩衝地帯になっていたという。神族が現われた時、彼らはこの地帯をひと通り調べ、ここがよいといって宮殿を建てたそうだ。そして、そのまわりに七国も自分たちの宮殿を建て、全体が潜帝宮と呼ばれているのである。奇蹟が起こって以来、聖域とされているため、皇帝といえどもここへ来ることはなかった。
 勿論、陸憲も初めてである。
「あとで呼びに来ますから、勝手に出てはいけませんよ」
 陸憲は、巫女の一行に紛れている魏出温の馬車へ声を掛け、マンダリーカの馬車を正門の前まで案内した。
 広大な潜帝宮の敷地は、煉瓦塀で囲まれている。しかし、潜帝宮は、長い歳月の経過で廃墟と化し、塀も大半が崩れていた。正門も立派な楼門だったといわれているが、自然木で造られていたため、やはりほとんどが朽ちてしまっている。
 その門の向こうから、皇帝幻燵が三人の寵臣を引き連れ、こちらへやって来た。荒々しい足取りで、陸憲を険しい表情で睨み付け、
「やはりここは草も木も茫々の荒れ放題で、切り取るのが追っつかんぞ。こんな有様をモルダの巫女に見せては皇帝である俺の威厳が台無しではないか。だから煬暗の献策通り、しばらく帝都にいてもらえと言ったのに融通の効かんヤツだ」
 と、難詰してくる。
 すると、そこへ、
「それでもかまいませんと言ったのは私です」
 凛とした少女の声が掛かった。
 マンダリーカが、族長と従者を伴い、馬車から降りてきていたのである。
「初めまして皇帝陛下」
 そう言って、マンダリーカは名乗った。
 幻燵は、側まで来て、しげしげと見入り、
「これは美しい。報告以上ではないか」
 と、喜悦の表情を浮かべ、
「しかも、なんという悩ましい姿だ」
 今にも飛び掛かりそうになっている。
 外見だけでいえば威風堂々たる皇帝で、背も頭一つ抜きん出ていて、そこから傲然と覗き込んでいるのだが、マンダリーカは、動じることなく妖艶な笑みを浮かべ、
「陛下にお会いできて光栄です」
 と、手を差し出してきた。
 幻燵は、その手を撫でさすらんばかりに握り締め、
「私はかまいませんので、どうぞ中へ案内して下さい」
 と言われて、そのまま門の中へ導いた。
 潜帝宮は、外宮(がいきゅう)内宮(ないきゅう)に分かれていた。中心に位置する内宮を外宮が取り囲み、外宮には七国の宮殿が建っていた。しかし、自然木で造られていたため、これも廃墟と化している。
 幻燵は、それを忌々しげに見て、
「本当にこんなところでよいのか。やはり一旦帝都へ来てもらえば我が皇宮で歓待し、その間にここへも立派な宮殿を建てさせるのだが――」
 と、未練を覗かせたが、マンダリーカは、毅然と断わった。
「そのようなことで民を煩わすことはありませんし、ここは聖域として神族から立ち入りを禁じられ、荒れるに任せるしかなかったのでしょう?」
「まあ、そうだが――」
「それに私たちは野営の天幕を用意してきました。神族もそうしていたと、巫女には伝わっています。陛下もこのところ他国へ勇ましく出兵し、輝かしい戦果を挙げておられるそうではありませんか。出兵の際は野営しておられるのでしょう?」
 幻燵は、ますます渋い表情になる。
「こう申し上げるのも、私たちに長居をするつもりなどないからです。今、北の大陸はとても安寧とはいえません」
「その通りだ。それもこれも辺境の小国どもが俺に従わぬからだ」
「さればこれを早急に正さねばなりません。陛下、辺境の国々へ至急使者を送り、ここへ集まるように伝えて下さい」
 この言葉に、幻燵が、
「それはつまり――」
 と、期待した時、
「何者だ!」
「そのようなところで何をしている!」
 そう咎める声がして、大幻の兵が外宮の宮殿の一つに走っていった。そこに不審な男がいたからだ。虫眼鏡を廃墟へ向けているではないか。
 それを見て、陸憲は、
(あれほど言ったのに――)
 と、天を仰いだ。

         六

 潜帝宮の外宮には大きな池があり、かつてはそのほとりに立派な御殿が建っていたという。しかし、それも朽ちてしまい、御殿の周囲も花々が咲き乱れる庭園になっていたそうだが、やはり見る影もない。
 マンダリーカは、そんな池のほとりに上部を覆うだけの簡易な天幕を張らせ、その下にテーブルと椅子も置かせた。
 陸憲は、魏出温と共に、その椅子に座っていた。他に幻燵と三人の寵臣がいて、マンダリーカの背後には族長と従者が立っている。
 見つかった魏出温は、不審者として引き立てられ、煬暗が顔を知っているので、
「これは師匠殿。お久しゆうございます」
 素姓があっさりとばれた。
「船が現われたと知れば引っ込んでおられるわけはないと思っていました」
 陸憲が連れて来ることも見透かされていたようである。
「ふん」
 魏出温は、そっぽを向いていたが、いつ戻っていたのだと、幻燵に詰め寄られ、旭甫へ行く直前で、船と巫女のことを自分より知っているため同行してもらったと、陸憲は弁明したものの、信用してもらえない。
 それをとりなしてくれたのが、マンダリーカであった。マンダリーカは、陸憲と魏出温を同席させ、全員に神族伝来の神茶(しんちゃ)を侍女から振る舞まわせた。そして、池の方へ近付き、
「この池は雨が降らなくとも枯れることなく、いつも満々と水がたたえられているのをご存知ですか」
 と聞いてくる。
「そうなのか、凄いではないか」
 幻燵が目を剥いていた。
「それも奇蹟というヤツだな」
 しかし、マンダリーカは、
「いいえ、違います」
 きっぱりと否定した。
「これはあなた方にもやろうと思えばできることです。では、どうしてこのようなことができるかわかりますか」
 皇帝も響成も雷嚇も知恵者である煬暗を見ていたが、煬暗は首を振っていた。
 すると、
「この近くに川が流れておるのう」
 そう魏出温が言った。
 胡彩河(こさいが)である。潜帝宮に最も近いので、神族が現われた最有力地とされているのだが、河幅は最も狭い。
「胡彩河の上流は雨の多いところで水量が落ちん。じゃからその川から水を引いているのであろう。地上からではわからぬということは地中に通してある筈じゃ」
「その通りです。川からここまで神族が地下に水路を造りました。水はその中を通って池まで流れ、池の水位がある高さを超えると、別の地下水路で川まで戻っていくようになっているのです。これも不朽木で造っていますから、今でも朽ちることなく活用されています。それを見抜かれるとは、さすが大幻一と名高い先生でいらっしゃる」
「別に誉められるようなことではないわい。南の大陸に砂漠というのがあって、そこでも神族が地下水路を造り、それをもとに現地の民もたくさん造って水を確保していると、モルダへ交易に行っておる隊商から聞いたことがあるだけじゃ」
 魏出温の機嫌はよくない。皇帝や煬暗たちと一緒にいることが気にいらないのだ。
 マンダリーカは、気にすることなく続けた。
「ですから、これは奇蹟ではなく技術なのです。南の人たちは自分たちでも造っていますが、北では乾燥地帯があるのに、この技術は使われることなく途絶えてしまったのですね。地下水路で水を通せば乾燥地帯でも作物が獲れるようになり、人々が助かります」
 しかし、幻燵は、奇蹟ではなかったと言われて興味を失ったようだ。
「乾燥地帯があるのは旧六国の一つだ。そんなところの連中をどうして助けてやる必要があるのだ。それよりも巫女よ。さっき辺境の者どもをここへ集めろと言ったが、それは今回も奇蹟を起こしてくれるということなのであろうな」
 と、そっちが気になるらしい。
「勿論ですとも――」
 マンダリーカは、決然と言った。
「私はすでに二度の奇蹟を起こし、水賊の跋扈に悩むモルダを正しました」
 マンダリーカは、その奇蹟がどのようなものかを話し、
「それは凄い」
 幻燵が、また目を剥いていた。
「ですからここで三度目の奇蹟を起こし、神族が誰に北の大陸の安寧を委ねたのか。そのことをいま一度明らかにします」
 これを聞いて、
「そうだ、そうでなくてはならん。我らはやはり神族に認められた正義の国。俺はその皇帝。この大陸は全部俺のものなのだ!」
 幻燵は、喜びを爆発させていたのだが、
「違うぞ!」
 と、魏出温が遮った。
 魏出温は、皇帝が相手でも遠慮しない。陸憲が隣で袖を引っ張っても、ぴしゃりとはたかれ、何の歯止めにもならなかった。
「幻が正義の国などとは真っ赤な嘘じゃ。中原の七国はな、みな自分が中原を支配しようと争っていた。幻の民も相次ぐ(いくさ)に苦しめられていたのじゃ。そして、幻が一番弱かった。それで滅ぼされそうになっていたところへ神族がやって来たのじゃ。神族が幻を助けたのは一番弱いところだったから助けられたありがたみが身に沁みて、自分たちの言うことをよく聞くであろうと思われたようじゃ。それで北の大陸の安寧を委ねた。その安寧というのも大幻が支配するのではなく、辺境の国々と共存して、戦いのない世を続けることじゃ」
「――――」
「しかし、大幻は神話の書を編纂するに当たり、自分たちが正しかったように書き換えさせた。それは歴史の書も同じじゃ。中原を通る辺境の国々は自ら進んで交易品の一部を納めていたというが、実際は大幻の方から結構な割合を納めるように強要して通行を許していたのじゃ。なにしろ小国は生きていくために頑張って交易品を造っておったが、大幻はそんなことをしていなかったから交易ができなかった。しかも、お前の父親の代になると、陸の民の有志が運搬船で細々と交易を続けている有様となったにも拘らず、奢侈に耽ってほとんどを取り上げるようになり、お前もそれを改めようとせず、中原を通る国が一つもないということになってしもうた」
「――――」
「正義の国どころか、大幻は大国であることに驕り、自分たちでは何もせず他からむしり取ってのうのうと生きてきたくだらん国なのじゃ。軍が弱いのもそのせい。そんな国の皇帝が大陸を支配するとは笑わせるではないか」
「貴様。下民の分際でなんたる物言いか!」
 幻燵の顔が真っ赤になっていた。
 しかし、魏出温に動じる様子などない。
「皇帝だからと威張っていれば誰もが敬ってくれると思っているなら大間違いじゃぞ。敬ってほしくばそれに相応しいことをやってみろ。大幻も物を造って交易し、皇帝は贅沢をやめて税をほどほどにする。されば国は栄え、みなはお前を敬う」
「どうして俺が我慢をせねばならんのだ。交易がもうかるなら、それも全部俺のものだ!」
「だからお前は馬鹿なんじゃ!」
(ああ、言ってしまった)
 陸憲は、また天を仰ぐ。
 幻燵は怒り狂った。
「許さん。こいつを八つ裂きにしてしまえ!」
 それを受けて、雷嚇と響成が身構え、掛かってくればやるしかないと、陸憲は覚悟を決めて、そっと剣に手をやった。
 すると、双方の間にマンダリーカが入ってきた。
「陛下、そう慌てることはありません」
 少女が最も落ち着いている。
「変わり者ではあっても魏出温先生が大幻一の学者であることに間違いありません。さきほども地下水路をすぐさま見破られました。しかも、先生は密室の大家と呼ばれているそうではありませんか」
「――――」
「それならば私が起こす奇蹟を先生に調べていただき、何の仕掛けもないとわかれば大幻一の学者が認めた真の奇蹟だということになって、陛下の権威が上がるのではありませんか。お怒りになるのはそれからでもよろしいと思いますが――」
「巫女の言う通りです」
 と、煬暗も賛同した。
「先生、私と一緒に奇蹟が本当にあるのか調べようではありませんか。そうすればあのこともわかると思いますよ。神話の時代にどうやって世界が栄えたのか」
 辺境の国々が交易のために中原を通るようになったのは歴史の時代になってからであった。それ以前の神話の時代は、どう調べてもそうした形跡を見つけることができなかった。だから世界が栄えた理由もわかっていないのである。
「なんじゃと――」
 魏出温は、訝しげに目を細めていた。

     七

 まだ大幻に滅ぼされていなかった辺境諸国の王が潜帝宮に集まるまで、一ヵ月余りがかかった。
 その間、陸憲たちは潜帝宮に滞在し続けていた。皇帝幻燵は、周囲をすっぽりと覆う野営用の天幕を外宮に用意させ、陸憲と魏出温もその一つに入っていたのである。
 魏出温は、そこへも書物と帳面を持ち込み、虫眼鏡と筆の持ち替え作業に余念がない。そんなある時、いつもの作業をしながら、こんなことを言ってきた。
「陸憲よ、おぬしはまだ若い。今度あの馬鹿皇帝が怒り出したら、おぬしは何もするな」
「えっ」
 と、陸憲は目を見張った。
 この変人学者が他人のことを気遣うとは思いもしていなかったのだ。しかし、それが却って覚悟を強固なものにした。
「水臭いですよ、先生。私は先生の方が皇帝陛下よりこの世界に必要な人だと思っています。だからいざという時はたとえ万を超える軍が相手でも血路を開いてみせましょう」
 陸憲は、剣を叩いてみせた。
 弱い軍とはいえそんなことができると信じていなかったが、他の選択肢は頭になかった。
「おぬしも変わり者じゃ」
 魏出温は、作業の手を止め、ニヤリと笑っていたのである。
 一方、巫女の一行は内宮に滞在していた。
 外宮から内宮へ行くには、鬱蒼と茂る森を抜けていかなければならない。すると、そこでは荒廃した外宮と異なり、四、五階分の高さがある堅牢な塀に囲まれて、華麗な楼門が建っていた。不朽木で造られているため朽ちることなく、神話の時代の姿をとどめているのである。
 大幻の者たちは内宮へ入ることを許されなかったのだが、皇帝と陸憲たちは巫女に案内されて一度だけ入れてもらった。
 門の中の広大な敷地にも朽ちることのない木畳が一面に敷かれていた。だから雑草などに埋もれることもなかったらしい。その木畳の上にゼルマの者たちが野営用の天幕を張っていて、天幕に囲まれた内宮の中心が、やはり不朽木の楼門を備えた不朽木の塀に囲まれていた。こちらの塀の高さは三階分ほど。楼門を潜ると、その先にすぐ建物があった。
 これが不朽殿(ふきゅうでん)と呼ばれ、密室の奇蹟が起こった現場とされているのである。
 二階分ほどの高さを持つ長方形をした不朽木の基壇があり、長辺側が門を向いていて、楼門の真下から基壇へ上がる階段が始まっている。基壇は腰ぐらいの高さの柵に囲まれ、基壇の広さは五、六百人が上がれるくらい。その中心に不朽殿は建っていて、やはり長方形をした平屋の建物で、百人ほどが入ると一杯になる広さだという。
 そこで人が死んだとされているせいか、不気味な言い伝えが存在していた。不朽殿に入った者は異変をきたすというのだ。奇蹟が起こった時、中へ入って様子を確かめた七国の者たちが全員おかしくなったらしい。
 潜帝宮は聖域として封印されてきたが、かなり前の皇帝が一度だけ不朽殿に入ったという記録が残されていた。興味を抑えられなかったようだ。家臣と共に入ったのだが、その後、皇帝も家臣もわけのわからない不安に駆られ、悪夢にうなされる者も出て、皇帝はしばらく床に臥したという。それで言い伝えが真実とわかり、以後、禁を侵す者がいなくなったのである。
 この時の陸憲たちは、門の外側から基壇を見上げただけであった。マンダリーカに会ったのもその時だけで、内宮の門は巫女の兵がしっかりと警固していた。それで辺境の王が集まると、警固の兵にその旨が伝えられ、翌日、陸憲たちはまた内宮へ招じ入れられた。
 陸憲と魏出温の他、幻燵と三人の寵臣、それに辺境の王が招かれたのである。王は全部で十一人いた。それ以外では護衛として大幻が五十人、他国は十人の同行が許された。
 陸憲たちは、ひときわ華麗な天幕へ案内され、そこでマンダリーカが待っていた。マンダリーカの背後に、族長と従者が立っている。
「ようこそまいられた」
 マンダリーカが、妖しい朱い目で王たちを見渡した。
「全員が揃われたからにはいよいよ奇蹟でもって神託のありかを明らかにしなければならない。あの不朽殿で奇蹟がどのように起こったか。魏出温先生ならおわかりになっているのではありませんか」
 妖しい目が、今度は魏出温に向けられる。
「はっきりと記した史料は残されておらなかったが、おおよその状況は摑めておる」
 憮然とした顔をしているが、魏出温は答えた。
「まずモルダの巫女と幻の王が、あの不朽殿に入り一夜を過ごしたのじゃ。二人は何事もなく出てきた。それで次に他の六国の王が六人の巫女と共に不朽殿へ入り、一夜を過ごした。しかし、翌朝、外に出ていたのは巫女だけじゃった。しかも、不朽殿には中から鍵が掛かっていて、それを打ち破って入ると、六国の王は全員殺されていた」
「さすがは先生。その通りです」
「ふん」
 誉められてもおもしろくないわいというように、魏出温は、ますますしかめっ面になっている。
 マンダリーカは、かまうことなく、
「だから今回もこのようにします。最初は陛下から――」
 と言った。
 それを聞いて幻燵は、
「おおっ!」
 と、獣のような雄叫びを上げ、
「俺が巫女と一夜を過ごすのか」
 椅子を蹴倒して立ち上がり、あさましい笑みで顔を醜く歪ませている。
 そこへ雷嚇が、
「でも陛下、あそこへ入るとおかしくなるんでしょう」
 と、腕自慢に似合わぬ不安な表情を見せた。
「そうだったな」
 幻燵も、精悍な外見に似合わぬ脅えを覗かせたが、
「私と一緒にいるのがお嫌なのですか」
 隣にいるマンダリーカが手を伸ばしてきて、幻燵は笑み崩れた。
「嫌なわけがあるまい」
 マンダリーカの手を握り、撫でまわしている。
 これに饗成が、
「うらやましいなあ。俺も一緒じゃダメなの」
 と、ニヤけた顔を向けたが、
「ダメだ!」
 マンダリーカにぴしりと断わられた。
「そして、朱い巫女もかつては大勢いたのだが、今は私一人。さればここにいる王たちも不朽殿へ入ってもらうのは一人だけとなる」
 王たちには動揺が走っていた。
「どうしてこんなことになるのだ。悪いのは大幻ではないか」
 と、喚く王がいれば、
「わしの国は降参し、大幻に差し出します。これで勘弁して下され」
 と、跪く王もいた。
 しかし、マンダリーカは、
「ならん!」
 と、また厳しい声を放つ。
「モルダの巫女は奇蹟を起こす。それを見せねば神託の正しさがわかるまい」
 すると、別の王が、
「わしは帰る。みなの者、ここへ来てわしを守れ!」
 外にいる家臣に向かって叫び、立ち上がって出ていこうとした。
 これに対し、マンダリーカは、
「この者を取り押さえよ。不朽殿にはこやつを連れて行く」
 と、兵に命じ、王は取り押さえられた。
 他の王たちは脅えて腰を浮かしかけたが、煬暗が余裕の顔で、
「この者に入ってもらえば他の方々は助かるのですよ。ここはおとなしくなさっておかれるのが賢いやり方と思いますが――」
 と諭し、座り直している。
「さあ、陛下。今夜は私と楽しく過ごしましょう」
 マンダリーカは、媚ともとれる表情で幻燵にしなだれ掛かり、幻燵は蕩けそうになっていた。
 陸憲は、それを苦々しく見ていたのである。

 
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