第二章1

文字数 8,245文字

第二章 イシュタルク洞夢(どうむ)の水魔

     一

 かつてこの世界には神族がいた。

 神話は、このようにして始まる。
 世界とは辺境地帯の内側を指す。陸の民は険しい辺境の山を越えることができず、水の民もそのようなところへ出ていこうとはしないので、誰もその先を知らない。従って、人々がいうモルダも辺境地帯の内側だけを指している。
 遥かな昔、神族は、そうした世界の外からやって来た。不朽船による大船団を擁してモルダに姿を現わしたのである。そして、神族は、奇蹟を起こして水陸の民を従え、さまざまなものを教えて去っていったのだが、モルダの巫女だけが残された。
 モルダの巫女は奇蹟を起こす。
 神族は、去り際にそう告げたという。そして、世界は巫女のもとで栄えたと伝わっている。今の世界の姿からは想像すらできない、よき時代であったのだ。
 それからが歴史になる。
 モルダでは巫女をめぐって水の民が争うようになり、世界は衰退していった。争いはなかなかおさまらず、モルダの巫女は、水の民を見限り、陸の英雄であったジグラートを奉じた。すると、この時、大凶洪が起こった。
 大凶洪は、猛烈極まりない暴風雨である。しかも、この時のものは未曽有の強大さで、ジグラートに従えという巫女の託宣によって、水の民の全てが集まったところを直撃された。
 そのため、大凶洪がおさまった後には不朽船の残骸があちこちに漂い、数えきれないほどの死骸も浮いていたという。そして、ジグラートもモルダの巫女も消え、水の民そのものがモルダからいなくなってしまった。
 これが、七十年ほど前に起こった前回の大凶洪である。
 水の民がいなくなると、それまで続いていた南北の交易ができなくなった。船で物資を運ぶことができなったからだ。そこで陸の民の有志が立ち上がった。陸の民は船を持たず、船の造り方さえ知らなかったが、残骸をもとに造って、最初は貧弱な小船でモルダへ漕ぎ出した。そして、だんだんとましな船を造れるようになり、それが今の運搬船となっていく。
 ところが、水の民には難を逃れた者たちもいて、彼らが戻ってきて水賊となった。時に荒れるモルダへ命を落としかねない危険も顧みずに飛び出していた陸の民の船乗りたちは、水賊にも襲われるようになったのだ。それでも、船乗りたちは怯むことなく荷を運び続けている。ベルバルの岸に来ていた者たちだけではなく、モルダ全体で今も百隻を超える運搬船が行き来をしているのだ。
 そうした時に、モルダの巫女が現われたのである。
 鳳飛は、二人の巫女によって赤い太陽の旗がひるがえる中型船へ連れて行かれた。バンガロッド、祥訓、ジッタも同行して、船橋の指揮室へ案内され、さっきの人物と会った。
「幻瑛」
 と、鳳飛は、また呟き、
「生きていたのか」
 他の三人も驚いている。
 幻瑛は、鳳飛と同い年、同じ陸の民だが、出自がかなり違う。モルダへ出ていった陸の民の有志は、実際に船を見たことがある隊商の出身者が中心になり、それに平民が大勢参加したという。交易が途絶えても上の階級にいる者は、さして困らない。途絶えた分を下からむしり取っていくからである。それでどうしようもなくなった人々が立ち上がらざるを得なくなったのだ。
 鳳飛の父やバンガロッドは隊商の出身で、母や祥訓、ジッタなどはどうしようもなくなった階層の出身だと、鳳飛は聞いている。
 それに対し、幻瑛は、北の大国である大幻の皇子に生まれた。しかし、国内の紛争により流刑となった。戸板に縛り付けられ、川に浮かべられるという刑であった。そのまま流されて死んでしまえということなのだが、幻瑛はモルダまで流された。どういう水路をたどったのか、幻瑛自身も覚えていないそうだが、モルダを漂っていて、朝虹に助けられたのである。かなり弱っていたが、なんとか一命を取り留めた。
 三年前のことだ。
 以来、幻瑛は朝虹の仲間となり、父から言われて、鳳飛が船やモルダのことを教えた。バンガロッドや祥訓からは剣や弓矢を教えられ、幻瑛には出自を誇るところが全くなく、教えられたことをどんどん覚えていった。
 しかし、嵐になるからという鳳飛の制止を振り切って、仲間の運搬船を何隻も沈めた水賊に疾走船で挑み、荒れるモルダで行方不明になった。
 半年ほど前のことである。
「僕はよほど悪運が強いようだ。その時も板に掴まり漂っていたところを壮麗船に助けられた」
 それで彼女たちは、鳳飛の名を知っていたのだ。
「同じ疾走船に乗っていた他の仲間は行方不明になったままなんだろうね」
「そうね」
 と、祥訓が応じる。
「なのに君の制止を聞かなかった僕だけが助かり、そんな僕に付いてきてくれた仲間を失ってしまった。すまない」
 幻瑛は、頭を下げた。
「君だけでも生きていてくれてよかった」
 鳳飛は、正直な気持ちを口にする。
「――てことは、あの船、今までにもモルダへ出ていたのか」
 というジッタの疑念には、マンダリーカが答えた。
「私とフィドゥーラの母も含め、先代の巫女は全て亡くなっているが、私たちは幼い頃からその巫女たちと一緒にモルダへ出て、モルダのことを教えられた。空の動き、風の吹き具合、そして、水の流れ方」
「でも、あんなでっかくて派手な船を見たっていう話、一度も聞かないぜ」
「巫女が他の船の接近を見抜くこと、忘れたか」
「それなら悠々と避けられるわね」
 祥訓は、納得という顔をしている。
「鳳飛」
 と、幻瑛が呼び掛けてきた。
「やはり君が船長になっていたんだね。そうなるだろうと思っていたよ。今のまま物を運んでいるだけでは世界は変わらない。それを君は変えようとしている。そして、どうすれば変えられるかという考えも持っている。だからアルペジオンへもまた行っていたんだろう」
「でも大陸が結構やばいことになってきているのよ。余り時間がないかもしれない」
 祥訓の危惧に、
「だからこうして出てきたのですよ」
 と、幻瑛も頷いた。
「朝虹や運搬船の人たちが自分たちの力で船を動かし、懸命に荷を運んでいる姿に勇気付けられ、僕は生きていこうという気持ちになれた。大幻とは随分と違いましたから――。しかし、今のままでは時間が掛かり、水賊の襲撃でどれだけの犠牲が出るかわからないし、次の大凶洪がいつ起きてもおかしくない。急がなければならないと思った」
「幻瑛に神託が下ったとはどういうことだ」
 と、鳳飛は、聞かずにいられなかった。
 幻瑛は、貴族のような立派な衣装を着ていた。もともと大国の皇子らしい端整で気品のある容姿をしているため、それがよく似合っている。
「そうだよなあ、陸の民でもジグラートが巫女に奉じられた例があるけど、あいつは大陸で英雄と呼ばれるほどの存在だった。だけど、幻瑛は自分の国をおっぽり出された、まあ、ただの死に損ないみたいなもんだから――」
 そうジッタが続けたが、マンダリーカは、切れ長の目をさらに鋭くして睨み付けてきた。
「幻瑛様に対し、なんという言い方、ただではおかんぞ!」
「ひええ、おっかねえ!」
 しかし、幻瑛は、穏やかに笑っていた。
「マンダリーカ。彼らは僕の大切な仲間だ。それを忘れず、きちんと鳳飛の問いに答えてやってくれ」
「はっ、申し訳ありません。私は奇蹟を起こすことができます。しかし、どう使えばいいかがわからなかった。それを幻瑛様が教えて下さった。道を示して下さったのです」
 今、幻瑛の船団と壮麗船、守護船を動かしているのは、水の民ゼルマであるという。前の大凶洪が起こった時も、モルダの巫女はゼルマの民に奉じられていた。この時、ゼルマは三百隻に及ぶ船団を擁していたのだが、未曽有の大凶洪によって船の大半を失ってしまった。それでも、壮麗船と数十隻の船がからくも生き残り、彼らは世界の外へ、辺境地帯の向こう側へ逃れていったそうである。
 以来、そうした人物の出現を待っていたらしい。
「幻瑛様は世界をよくして下さるお方です。モルダの巫女は神族が去っていく時、そういう方に仕えるように言われていました。しかし、世界を支配したいという我欲だけで巫女をめぐり争った水の民にそうした者はおらず、誰が勝っても巫女は仕えようとしなかった。ジグラートは見込みがあると思われたようだが、私は大いに疑問を持っている。しかし、幻瑛様は違う。だから私とフィドゥーラは誠心誠意お仕えしている」
 マンダリーカは、眩しげに幻瑛を見ていた。
「つまり神託っていうのはあの子の好みか」
 と、ジッタがまた耳元で呟く。
「僕は二度も助けられたことで、奇蹟というのはあるものだと実感した」
 と、幻瑛は言う。
「神族は奇蹟を起こして水陸の民を従えた。奇蹟の力は偉大だ。マンダリーカは、それと同じ奇蹟を起こすことができる。それで水陸の民を従えれば、今よりも安心してたくさんの荷を運べるようになる。鳳飛、君の両親が夢見た虹の橋をモルダにかけることができる」
 朝虹という船の名は、鳳飛の父が付けたものだ。船がたくさんの荷を運んで水上の橋の役目を果たす。それをモルダに時折かかる虹と重ね合わせたのである。モルダの虹は、夜明けのものが特に美しい。
「だから僕も、この船を瑞光(ずいこう)と名付けた。この世界によい光をもたらすという意味をこめたんだ」
「でも神託を受けた人が大型船じゃなく中型船に乗っているのね」
 と、祥訓。
「こっちの方が乗り慣れていますから、安心できるんですよ。朝虹に乗っている気分になれる。鳳飛、朝虹で君とこの世界をどうすればいいか話し合ったこと、僕は忘れていない」
 幻瑛は、首からさげているものを取り出して見せた。
「あっ」
 と、鳳飛は声を上げる。
 それは、翼を広げた水蝶の形に見えた。
 モルダの水底には、これまでの戦いや嵐でたくさんの不朽船が沈んでいる。そこから時々木片が浮き上がってきたり、釣り針に引っ掛かったりするのだ。朽ちない不朽木だからどれだけ水底に沈んでいても腐らないのである。そして、そういう木片の中で珍しい形のものがあると、幸運の印として大切にする風習が船乗りにあるのだ。
 幻瑛が回復したばかりで、まだふさぎ込むことの多かった頃、鳳飛は、釣り針に引っ掛かっていた木片が幸運の使いといわれる水蝶の形に見えることから、いいことがあるようにと、(やすり)で削ってきれいに仕上げ、幻瑛に渡したのである。
「これもなくさないでよかった。だから鳳飛、僕がマンダリーカの奇蹟で水陸の民を従えてみせるから、君は南北の交易を進めてほしい。交易が盛んになれば世界はよくなる。君はそう言っていただろう。僕の国にもそう主張する人がいた。やってみてくれ。それで君には今この船団が停泊地にしている場所も知っておいてほしいんだ。君も絶対に見たいと思うところだ。我々は洞夢に停泊している」
「洞夢! あれもただの神話じゃなかったのか。本当にあるのか」
 鳳飛は驚き、
「ある」
 と、幻瑛は力強く頷いていた。

     二

 鳳飛は瑞光に残り、バンガロッドだけが朝虹に戻って指揮をとってもらうことにした。
 出航を前に二人の巫女が船橋甲板に出て、空を見ていた。風も感じているようだ。
 それに、
「どっちへ向かうの?」
 と、祥訓が聞いている。
「下流方向の南の大陸側だ。ここから三日はかかる」
 そうマンダリーカが答えた。
「西の空が曇ってきたわね。ここは日が暮れてから雨になる。この雲の動きだと私たちの船も途中で追いつかれて雨夜の航行になるわ」
 祥訓も、空を見て言った。
 空は西から東に動き、天候も西から変わっていくのである。
「よくわかったな」
「なめないでくれるかなあ。こっちもガキの頃から船に乗ってるんだ。空の動きぐらいは読める」
 噛み付くように言ったのは、ジッタだ。
「私たちはせいぜい半日先までしかわからないけど、鳳飛なら一日先までわかるわよ。ねえ鳳飛、明日はどうなる」
「雨は昼には上がる。それで日暮れまでは大丈夫」
 と、鳳飛は答えたが、マンダリーカが平然と言い添えた。
「三日後の日暮れ近くまで大丈夫です。しかし、その後はまた雨になります。しかも、かなり強い雨風になり、モルダは荒れて、それが二日続きます」
「げっ、そこまで!」
 ジッタと祥訓が目を剥き、幻瑛が穏やかに笑った。
「姉さんもジッタもかなわないよ。モルダの巫女には神族や歴代の巫女が得た膨大な知識が伝えられている。二人は七日先まで空を読むことができる」
「そ、そんな先まで!」
「但しモルダの巫女にも読めるかどうかわからないものがある。それが大凶洪だ」
 大凶洪は、猛烈な暴風雨でありながら、全く予測ができない。いつ発生するかも年に二、三度のこともあれば、数年、数十年、あるいは数百年も間隔があくことさえあるという。
 大凶洪は、モルダのどこかで突然発生し、辺りを荒らしまわって、突然消える。沿岸部も被害を受けるが、大陸の中まで行くことはない。わかっているのはそれだけである。
「だから前回も予測することができず、船の大半を失うことになった。モルダの巫女も多くがいなくなり、今ではこの二人だけだ」
 そんな幻瑛に、
「しかし、私たちには前回の大凶洪を経験した巫女の知識が伝えられています。前回は未曾有の強さであっただけにこれはというものを摑んだようなのです。ですから私は大凶洪も予測し、必ず幻瑛様をお守りいたします」
 マンダリーカが強い意志のこもった目を向けてくる。そして、その目をフィドゥーラにも向け、
「でも大凶洪の予測は初めてになるので、私にも自信の持てないところがあると思う。だから二人の力で守ろう」
「ええ」
 と、フィドゥーラも頷いていた。
 船団は南東に進路をとって出航し、二人の巫女も壮麗船には戻らず、瑞光にとどまった。十三層の塔船が先頭に立ち、哨戒に当たっているが、瑞光でも、二人の巫女が指揮室の窓から水面に目を凝らしている。
 幻瑛の船団は五十四隻いて、これに壮麗船と二隻の守護船も加わっている。都合五十七隻。よく見ると、瑞光を含め、全ての船に水魔の船首像が付いていた。これはゼルマの民が取り付けたもので、ゼルマの船の証であるらしい。つまり朝虹もゼルマの船だったということになるのである。
 朝虹は、そのような船団の真ん中辺りに位置していた。それだけの船が立てる波紋は凄まじく、船団の周囲の水流は乱れに乱れているといっていいほどである。
「これでも水流が読めるの?」
 祥訓が、いくらなんでも無理よねという感じで言ったが、
「こちらの船の数、大きさがわかっているのだから、それによって起こる水流の乱れもわかる。それ以外の変化を探せばいいのだ」
 前、右、左と目を動かしながら、マンダリーカは、なんでもないことのように返す。
 幻瑛の船団は普段より速度を落としているそうだが、それでも朝虹は必死に付いてきていた。不朽炉の使い方が、やはり水の民には及ばないのである。
 鳳飛は、減速を頼み、幻瑛の指示を受けて、船員が手旗信号で他の船にも伝えていた。瑞光の船員も壮麗船の者たちと同じ格好をしていて、どの船もそうだという。
 夜になると、船内には夜光苔(やこうごけ)の明かりが灯され、信号の伝達も夜光苔を使った発光信号でするようになった。
 夜光苔は暗い場所で繁殖し、そこで光を発する苔だ。明かりといえば蠟燭や魚油、植物油を用いるのが一般的だが、燃えることが弱点の不朽船では夜光苔を用いる。これは水賊の中にいたラモン爺さんから教えられ、朝虹でも使っていた。夜光苔は探すのがたいへんなので、採取した後は船内の真っ暗な部屋で繁殖させているのである。
 幻瑛の船団では、船体にも夜光苔の明かりが灯され、互いの船がどこにいるかわかるようにしていた。これは、朝虹でやっていないことであった。船体に明かりを灯すと水賊からも見えてしまうからだ。発光信号も使ったことはない。運搬船と夜を航行するのは月が出る時にするのが普通で、この時のような月明かりのない曇り空の夜に航行することはほとんどないといっていい。
「これじゃあ、さすがにもう読めないだろう」
 ジッタが、懲りずにからんでいたが、マンダリーカは、平然として、
「幼い頃から夜目も鍛えているし、夜光苔の明かりもあるからわかる」
 と答え、それが嘘ではない証拠に、
「右舷九儀の方向、百十七水里の地点に南東方向へ進む水鯨五頭の群れあり。このままでは本船団と接触する可能性があります」
 マンダリーカが言った。
「そうか。減速十、面舵三十。全船に水鯨回避の発光信号。朝虹には横に付いている中型船から呼び掛けさせてくれ」
 と、幻瑛が指示し、しばらくすると前方の塔船から発光信号が放たれた。
「塔船も水鯨を見つけたようだ」
 百十七水里は船で二十五カイロ(二十五分)ほどかかる距離だが、実際、それだけ進むと、水面に何かの影が浮かび上がった。水鯨だと教えられていたから、そうなのだろうと思うが、双眼鏡で見ても何かがいるとしかわからない。
「この暗さの中であれが立てる水流の乱れを見つけたのか。それも船内にいたまま方位と距離を細かく出すなんて――」
 ジッタが口をあんぐりさせ、マンダリーカが冷ややかに見つめてくる。
「お前は夜目を鍛えていないのか」
「俺だって鍛えてるけど、そこまでわかるわけが――」
 と言った時、
「もうやめときな。かなわないよ」
 祥訓に肩を掴まれていた。
 それからもマンダリーカは、八百五十三水里先に水賊の中型船四隻が存在することを告げ、こちらから離れていく方へ進んでいるので心配はないと言ったり、進行方向が予定よりおよそ二儀左に寄り過ぎていることも指摘して修正を指示したりしていた。
 川は上流から下流へ水が流れていくので、その流れとの差異で船の進行方向がわかる。夜は流れが見え難くなるので、月と星の位置で方向を推し測る。しかし、この夜のような曇り空では月も星も見えない。 それなのにマンダリーカは、水流を読んで方向を判断していたのである。しかも、彼女は、隣にいるフィドゥーラに、さっきの水流はこうだからわかった、今の水流はこう読むのだなどと教えているではないか。
 やがて、予想通りに雨が降ってきた。しっかりとした降りで、その飛沫が窓硝子に当たり、水面の様子がますます見え難くなる。
 それを見て、幻瑛も、
「今夜はこれくらいにして、あとは塔船に任せるといい。僕たちも休む」
 と、二人の巫女に言った。
「そうだよな、こんな雨で水流が読めるわけはないよな」
 ジッタがやれやれという感じになっていたが、マンダリーカは、それをキッとひと睨みしてから、
「まだ読める」
 と、目を窓に移した。
 その窓に映る目を見て、鳳飛たちは驚きの声を上げる。
 マンダリーカの朱い瞳が、また朱く光っていたのである。夜光苔にも負けない強さで光り、夜に見ると妖しさと神秘さがひときわ増して、奇蹟を起こす特別な巫女という感じが伝わってくる。戦慄を覚えるほどであった。
 しかし、
「やめておきなさい。この雨でこれだけの船団を襲ってくる水賊がいるわけはない」
 幻瑛に言われると、花がしおれていくように光も消えていく。
 それでもマンダリーカは、幻瑛にすがるような目を向け、必死に訴えていた。
「ここには一名、気に入らぬ者がいますが、今夜は幻瑛様の大切なご友人が乗っておられます。ですから、せめてみな様がお休みになる頃までここで見張らせて下さい」
 そこまで言われて、幻瑛も折れた。
「君もきちんと休むんだよ」
 それだけは釘を刺し、肩を叩くと、マンダリーカの目が泳いで、身体が硬直している。だが、すぐに鋭さを取り戻し、
「お気遣い、ありがとうございます。無理はしませんので、あとは私にお任せ下さい。当直の者は各自持ち場につき、僚船に夜間配置へ移るよう発光信号で伝達。フィドゥーラは先に休んでいて――。誰かフィドゥーラを寝所へ!」
 次々と指示していたものだ。
 フィドゥーラは、侍女に連れられて行った。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み