第一章3
文字数 6,838文字
五
鳳飛は、フィドゥーラと一緒に壮麗船へ行くことになった。
向こうの疾走船が迎えてに来て、それに乗り込むことになったのだ。船長一人を行かせるわけにはということで、バンガロッド、ジッタ、祥訓が同行している。
甲板へ上がると、そこでは船員が整列していて、各人が思い思いの格好をしている朝虹や水賊とは違い、揃いの装束を着ていた。男は兜のような帽子をかぶり、腰に剣を差してズボンをはいていた。軍装のような感じである。これに対し、女は長いスカートで、侍女のように見える。そのような男女の全員が目から下に黒い布を垂らしていて、顔がよくわからない。ただ髪や目の色が茶、紫なので、色人系だとわかる。
端の方では、椅子に座って演奏している者たちがいた。同じ格好をしていて、太鼓や喇叭、笛の他、鳳飛たちが見たことのないものもあり、
「弦というものを弾いて音を出す楽器です」
と、フィドゥーラが教えてくれる。鳳飛に音楽の素養はないが、かなりの腕だということはわかる。
弩弓砲を間近で見ると、改めてその大きさに驚かされた。しかも、船縁には銛弾が並べられていて、
「アルペジオンで見たのと同じものです」
と、バンガロッドが囁いてくる。
三人の侍女が案内に立って、鳳飛たちは、楼閣のような中央船橋へ連れて行かれた。
「これが本当に船なのか」
と、ジッタが目を丸くして、
「まるで陸にいるみたいね」
と、祥訓も頷いている。
鳳飛も同じ思いであった。中型船の朝虹とは安定感がまるで違っているのだ。水面が穏やかなせいもあるのだろうが、船に乗っているという気がしない。
侍女は、鳳飛たちを船橋の最上層まで連れて行った。扉が叩かれて、
「巫女様、お連れしました」
侍女が声を掛けると、
「お入りいただきなさい」
女性の声が返ってきた。
扉が開けられると、そこは豪奢な調度が整えられた部屋であった。宮殿の一室といわれても通用しそうで、硝子窓から外の様子を見ることもできる。
そこにさっきの朱い巫女――マンダリーカが待っていたのである。
フィドゥーラより大人びて見えるが、同い年の十六だという。透き通るような白い肌はフィドゥーラと変わらないが、朱い髪は短く、切れ長の目から朱い瞳が鋭い眼差しを向けている。整いすぎるほどに整った美貌はフィドゥーラに優るとも劣らず、やはり別世界の人間のようだ。
そんなマンダリーカについて、
「結構きつそうだぞ」
と、ジッタが囁いてくる。
確かに表情もきりっと引き締まっていて、可憐ではかなげなフィドゥーラと違い、強さと厳しさを色濃く滲ませていた。
「フィドゥーラ。お前は支流の探索に行ったのであろう」
と、質す口調にも刺すような鋭さがある。
これに対し、フィドゥーラの声は消え入りそうであった。
「アルペジオンの流岐へ行ったの。それでどの流岐が正解かわかったと思い、そこへ進んでいったのだけど、すぐに間違いだと気付き――」
この時、フィドゥーラが乗っていたのは、運搬船と同じくらいの小型船であったらしい。一旦流れに乗って、進路を変えられるわけがなかった。
そこで船員たちはフィドゥーラに船から下りることを勧めたが、フィドゥーラは拒み、すると彼らに薬のようなのを嗅がされ、それから後は覚えていないという。彼女だけを脱出用の小舟に移し、銛弾で固定して、残りの者たちはそのまま流岐の向こう側へ消えていった。そう考えるしかない。
「私のせいで多くの人たちが――」
フィドゥーラは、涙こそ流さなかったが、つらそうに顔を伏せていた。
マンダリーカは、表情を変えず、
「そうか。モルダの巫女だけはなんとかして助けようとしたのだな。これぞ水の民の誇り」
と、当然のことのように言う。
「私たちは最後に残ったモルダの巫女。私たちの時に今の争いを終わらせ、世界をよくしようと誓い合ったではないか。彼らの死に報いるためにもその役目は果たさねばならない。そうだろう」
「ええ」
「それにしても、お前が中型船に乗っているとわかった時は驚いた。しかし、近くにいてよかった。アルペジオンとは知らなかったが、そちらの方面へ行くと言っていたから、迎えに出てきたのだ。私も河神の島へ行ってきたところだ」
鳳飛は、今の言葉に少し違和感を覚えた。
「もしかしてここに着く前からフィドゥーラが僕たちの船に乗っているとわかっていたのか」
「その通りです」
マンダリーカは、これも当然というように答える。
「鳳飛殿の船は凸の形に動かれましたね。その形は巫女の居場所を知らせるものです。凹の形はただ知らせるだけですが、凸の形は緊急を告げるもの。それで急ぎ駆け付けました」
「それってもしかして、水流で凸の形だとわかったってこと?」
ジッタが、まさかという顔をすると、これに対してはくだらぬことを聞くなという顔になった。
「当たり前であろう。真っ直ぐ進む時、斜めに進む時、三角や四角、あるいは丸い形に動く時、そこから生じる水流の変化が同じだと思うか」
ジッタはへこまされていたが、鳳飛には、
「しかし、巫女でも支流に船がいるかどうかまでは読めません。私では間に合わなかった。ですからフィドゥーラを助けていただいたこと、心よりお礼申し上げます」
と、頭を下げてくる。そればかりか、
「鳳飛殿も水賊から守ることができてよかった。鳳飛殿にもしものことがあれば、あの方にお詫びのしようがありませんでした」
彼女まで鳳飛のことを気遣い、
「だからどうして僕のことを――」
と言いかけたが、扉がまた叩かれ、
「なんだ」
マンダリーカの声に、
「ガシュレの頭目が巫女様にお会いしたいと申し入れております」
と、侍女の返事があった。
「そうか」
この時、薄っすらと笑みを浮かべたマンダリーカの目が光ったように、鳳飛には見えたのである。
六
翌日――。
鳳飛は、疾走船に乗って、小型船しか通れない狭い水路を進んでいた。
切り立った崖が左右に続き、水路は、めまぐるしく曲がりくねっている。水路が分かれるところもしばしば出てきて、通った水路は一度で覚えるのがいい船乗りの条件であるのに、鳳飛は、ここを戻っていくことができるかどうか自信がもてなかった。
このような場所であるため、晴天だというのに日射しが余り差し込まず、速度を出すこともできないので、疾走船は帆をたたんで帆柱も外し、手漕ぎだけで進んでいる。
迷宮島 といわれる場所であった。
壮麗船と出会った場所から上流側へ船で半日ほど遡ったところにある。そそり立った崖の間を通っている島の中の水路が迷路のように入り組み、迷い込むと抜け出せないといわれていることから、このような名で呼ばれているという。
鳳飛も、初めて来る場所だ。
そもそも露座の隊商と会ったベルバルの岸自体が辺境地帯であり、そこから上流側は険峻な山々に阻まれ、陸から行くことができない。よって荷の受け渡しができるわけもなく、鳳飛たちがそちらへ行くことなどないのだ。
そうした場所へなぜやって来たのか。
昨日、ガシュレの水賊の頭目グアゴが、壮麗船にやって来た。しまりなく肥え太った男で、モルダの巫女を舌なめずりせんばかりに見ていた。
フィドゥーラは、怖がっているようであったが、マンダリーカは、妖艶な笑みを浮かべ、機嫌をとるかのようにこんなことを言った。
「よくお越しになられた。今モルダは乱れに乱れています。こうして巫女が現われたからには、それを正すのがつとめ。そこでモルダの河神に託宣を請うたところ、グアゴ殿、あなたを連れて来るべしとの神託を得ました。そのあなたとここで会うことができたのも河神のお導きでしょう。よって、これよりあなたを河神の島へ案内します。そこでグアゴ殿をモルダの支配者にすべしという神託が下るものと思われます」
グアゴが即座に承知したことはいうまでもない。
鳳飛は、これに同行することを求められたのである。
しかし、鳳飛には荷を届ける役目がある。すると、マンダリーカは、朝虹の積み荷を守護船の一隻に移して、運搬船と一緒に目的地へ行くことを提案したため、鳳飛も承諾したのだ。
グアゴにそのような神託が下るのか、モルダを行き来している鳳飛には捨て置くわけにいかないことであり、神託がどのように下るのか、見てみたいという思いもあった。
荷物を積み替え、一隻の守護船と運搬船が去っていった。そして、もう一隻の守護船もどこかへ行ってしまい、目的地まで半日だと今から出発しても夜になるので、自分たちは、その場所で一晩停泊し、翌朝になってから船を進めた。
壮麗船と残り一隻の守護船に、朝虹も付いていった。フィドゥーラは、壮麗船に戻り、ガシュレの水賊からもグアゴの乗る船だけが同行した。そして、迷宮島に着くと、壮麗船からは三艘の、朝虹とグアゴの船からは一艘ずつの疾走船を出し、迷宮のような水路の中へ入っていったのである。
マンダリーカとフィドゥーラの乗る船が先導し、迷宮を案内していた。朝虹の疾走船には、鳳飛、バンガロッド、ジッタ、祥訓の他、総員十名が乗っている。
やがて、水路が開けて湖に出た。
その真ん中辺りに小島がある。島の中の島であった。
「あれが河神の島だ」
と、マンダリーカが指差した。
そこに着くと、五艘の疾走船から人々が降りてきて、島の中へ入った。人の背丈の倍はある石段を上がると木々の繁る森があり、それを抜けた先には草地が広がっていた。草地の向こうには社 のようなものが見え、その奥はまた森になっている。
草地に入って十数歩歩いたところには門のようなものがぽつんと建っていて、マンダリーカは、その手前で一同を止めさせると、
「あれが河神廟 だ」
社を指差した。
「昔、神族 が不朽木によって造ったといわれている。よって、ここから先は聖域。聖域に入れるのは巫女と神託を受ける者だけだ。他の者はここで待て。聖域には誰も入れぬよう」
「はっ!」
マンダリーカの言葉に、壮麗船の船員が、それも屈強そうな者たちが、鳳飛たちとグアゴの手下の前に立ちはだかった。
「鳳飛殿もここでお待ち下さい。そして何が起こるかをとくとご覧になるよう」
「わしがモルダの支配者になるところをよく見ておくだな、若造。そうなれば、お前たちを真っ先に成敗してやる。がはははは!」
グアゴは、上機嫌であった。その赤い顔と覚束ない足取り、明らかに酔っていることがわかる。そして、マンダリーカと二人で門を潜り、聖域の中へ入っていった。
フィドゥーラは残っていた。グアゴのことを聞くと、グアゴは朝になってマンダリーカから呼び出され、神託が下る祝いだとして、ここへ着くまで酒食が振る舞われていたという。フィドゥーラはその場におらず、マンダリーカだけで相手をしていたそうだ。
「モルダが乱れているのは水賊のせいだというのに、その水賊の頭 にモルダを支配させるとはどういうことでしょう」
バンガロッドは、納得がいかないようだ。
それは、鳳飛も同じである。
「君は巫女なのに行かないのか」
フィドゥーラは、
「はい」
としか答えなかった。
「神託とはどういうふうに下るんだ」
これにも、
「わかりません」
と、首を振るだけ。
「同じ巫女なのに知らないのか」
ジッタが不審の目を向け、フィドゥーラは、顔を伏せていた。
「ここは朱い巫女の領域ですので――」
「なんかややこしそうね」
祥訓は、ため息をついている。
マンダリーカとグアゴは、河神廟の前に着いていた。門のところから五、六十歩の距離。島の左右の幅は百歩前後であろうか。
河神廟は、その左右の幅のちょうど真ん中に位置している。廟自体は小さい。三、四人しか入れないような大きさで、屋根は人の頭よりやや高いところにあり、廟の左右には水魔の像が建っていた。これも不朽木で造られているらしい。
水魔は、細長い水蛇 の身体に獣の顔がついていて、河神の使い魔だとされている。口から霧状のものを吐き出し、それを浴びると眠ってしまうという。それが魔導液と呼ばれるものである。但し、あくまでも伝説だ。
水魔の像は、とぐろを巻いた身体から鎌首をもたげた形になっていた。頭の位置は廟の屋根と同じ高さにある。
マンダリーカは、廟の前に立つと、両手を広げた。その動きに合わせ、朱いマントが水蝶の翼のように広がり、
「河神よ、グアゴ殿を連れて来ました。この者にいかなる神託を下すか、お教え下さい」
と祈る。
そして、そのまましばしの時が経ち、
すると――。
突然――。
地面が裂けた。河神廟の前からこちらへ向かって、草地が真ん中から二つに裂けたのである。
「地揺れだ!」
と、ジッタが叫ぶ。
それでマンダリーカとグアゴの間に裂け目が入り、マンダリーカは、パッと飛び退いたが、グアゴは裂け目に落ち、それでも草を摑んで必死にしがみ付いている。マンダリーカが飛び退く瞬間に、グアゴを裂け目の方へ引っ張ったようにも見えた。
「た、助けろ。助けてくれえ!」
グアゴは、悲壮な声を上げていた。
しかし、マンダリーカは、裂け目に近付くと、そんなグアゴを上から見下ろし、冷徹に言い放つ。
「お前がモルダの支配者になれるわけがなかろう。その神託はお前ごときと比べることすらおこがましい立派なお方へすでに下っている。お前には水賊としての所業、許すべからずとの神託があり、私が奇蹟でもって罰を下した」
「な、なんだと――」
グアゴは、藁にでもすがるつもりか、それとも道連れにするつもりだったのか、手を伸ばしてマンダリーカの脚を摑もうとしたが、これも飛び退いて、あっさりかわした。
そして、グアゴは、
「わああああ!」
と、悲鳴を残して落ちていく。
すると、地面が元へ戻っていくではないか。裂けた時に裂け目の草や土もいくらか落ちているので、完全に元通りとはいかず、亀裂の痕があちこちに残っている。それが今の出来事を夢ではないと知らしめた。
裂け目は、門のようなものの手前で止まっていた。鳳飛たちには何の被害もなく、揺れも感じなかったのだが、それだけに驚きは大きかった。まるでグアゴを地の底へ落とすためだけに起こったようであったからだ。
鳳飛は、声を発することもできなかった。他の者たちも同じだ。
信じ難い出来事であった。しかし、はっきりと見た。実際に起こった。そのことは認めなければならない。
これが奇蹟!
「地面が裂けて、人を落としやがった!」
「奇蹟って本当にあったの!」
ジッタと祥訓が呻いている。
驚愕と恐怖の視線が向けられる中を、マンダリーカが、悠然とした足取りでこちらへ戻ってきた。しかも、その朱い瞳が朱く光っているではないか。
単なる形容詞ではない。ここは湖となって開けた場所なので、まわりに崖がそびえ立っているとはいえ、迷宮の水路よりは日射しが入ってきている。それでも明らかに光っていることがわかる。壮麗船で見たのは、錯覚ではなかったのだ。
マンダリーカは、その目で睨み付け、
「見たか、グアゴの手下ども。こうしてモルダの巫女が、朱い巫女が戻ってきたからには奇蹟を起こす。このこと、モルダ中の水賊に伝えよ。そして、モルダの新しい支配者が誰かをこれから教えてやろう」
そう言われた手下たちは震え上がっていた。
しかし、鳳飛には、目の光を消し、
「鳳飛殿もお越し下さい」
と、恭謙な態度を崩さない。
五艘の疾走船は、河神の島を離れて迷路のような水路を戻り、迷宮島の外へ出てきた。すると、停泊していた鳳飛たちの船の後方に新たな船団が現われていた。
先頭にいるのは、二隻の塔船である。ガシュレの水賊のものより遥かに大きくて高い。
一、二、三、四と数えていたジッタが、
「十三もあるじゃねえか」
と、目を剥いている。
十三層の塔が大型船の船体に載っていたのである。そして、塔船の後ろには、三、四十隻――いや、もっと多いかもしれないと思わせる多数の船が集まっていた。大型船も中型船もいて、全て帆のない不朽船である。昨夜どこかへ行った守護船もいる。
その中から一隻の中型船が進み出てきた。
中央船橋の上では、赤く輝く太陽を描いた旗がひるがえっている。
「モルダの新しい支配者はあそこにおられる」
マンダリーカが、それを誇らしげに指差す。
すると、船橋甲板に人が現われ、鳳飛は、その人物を見て、
「幻瑛 !」
と、声を上げていたのである。
鳳飛は、フィドゥーラと一緒に壮麗船へ行くことになった。
向こうの疾走船が迎えてに来て、それに乗り込むことになったのだ。船長一人を行かせるわけにはということで、バンガロッド、ジッタ、祥訓が同行している。
甲板へ上がると、そこでは船員が整列していて、各人が思い思いの格好をしている朝虹や水賊とは違い、揃いの装束を着ていた。男は兜のような帽子をかぶり、腰に剣を差してズボンをはいていた。軍装のような感じである。これに対し、女は長いスカートで、侍女のように見える。そのような男女の全員が目から下に黒い布を垂らしていて、顔がよくわからない。ただ髪や目の色が茶、紫なので、色人系だとわかる。
端の方では、椅子に座って演奏している者たちがいた。同じ格好をしていて、太鼓や喇叭、笛の他、鳳飛たちが見たことのないものもあり、
「弦というものを弾いて音を出す楽器です」
と、フィドゥーラが教えてくれる。鳳飛に音楽の素養はないが、かなりの腕だということはわかる。
弩弓砲を間近で見ると、改めてその大きさに驚かされた。しかも、船縁には銛弾が並べられていて、
「アルペジオンで見たのと同じものです」
と、バンガロッドが囁いてくる。
三人の侍女が案内に立って、鳳飛たちは、楼閣のような中央船橋へ連れて行かれた。
「これが本当に船なのか」
と、ジッタが目を丸くして、
「まるで陸にいるみたいね」
と、祥訓も頷いている。
鳳飛も同じ思いであった。中型船の朝虹とは安定感がまるで違っているのだ。水面が穏やかなせいもあるのだろうが、船に乗っているという気がしない。
侍女は、鳳飛たちを船橋の最上層まで連れて行った。扉が叩かれて、
「巫女様、お連れしました」
侍女が声を掛けると、
「お入りいただきなさい」
女性の声が返ってきた。
扉が開けられると、そこは豪奢な調度が整えられた部屋であった。宮殿の一室といわれても通用しそうで、硝子窓から外の様子を見ることもできる。
そこにさっきの朱い巫女――マンダリーカが待っていたのである。
フィドゥーラより大人びて見えるが、同い年の十六だという。透き通るような白い肌はフィドゥーラと変わらないが、朱い髪は短く、切れ長の目から朱い瞳が鋭い眼差しを向けている。整いすぎるほどに整った美貌はフィドゥーラに優るとも劣らず、やはり別世界の人間のようだ。
そんなマンダリーカについて、
「結構きつそうだぞ」
と、ジッタが囁いてくる。
確かに表情もきりっと引き締まっていて、可憐ではかなげなフィドゥーラと違い、強さと厳しさを色濃く滲ませていた。
「フィドゥーラ。お前は支流の探索に行ったのであろう」
と、質す口調にも刺すような鋭さがある。
これに対し、フィドゥーラの声は消え入りそうであった。
「アルペジオンの流岐へ行ったの。それでどの流岐が正解かわかったと思い、そこへ進んでいったのだけど、すぐに間違いだと気付き――」
この時、フィドゥーラが乗っていたのは、運搬船と同じくらいの小型船であったらしい。一旦流れに乗って、進路を変えられるわけがなかった。
そこで船員たちはフィドゥーラに船から下りることを勧めたが、フィドゥーラは拒み、すると彼らに薬のようなのを嗅がされ、それから後は覚えていないという。彼女だけを脱出用の小舟に移し、銛弾で固定して、残りの者たちはそのまま流岐の向こう側へ消えていった。そう考えるしかない。
「私のせいで多くの人たちが――」
フィドゥーラは、涙こそ流さなかったが、つらそうに顔を伏せていた。
マンダリーカは、表情を変えず、
「そうか。モルダの巫女だけはなんとかして助けようとしたのだな。これぞ水の民の誇り」
と、当然のことのように言う。
「私たちは最後に残ったモルダの巫女。私たちの時に今の争いを終わらせ、世界をよくしようと誓い合ったではないか。彼らの死に報いるためにもその役目は果たさねばならない。そうだろう」
「ええ」
「それにしても、お前が中型船に乗っているとわかった時は驚いた。しかし、近くにいてよかった。アルペジオンとは知らなかったが、そちらの方面へ行くと言っていたから、迎えに出てきたのだ。私も河神の島へ行ってきたところだ」
鳳飛は、今の言葉に少し違和感を覚えた。
「もしかしてここに着く前からフィドゥーラが僕たちの船に乗っているとわかっていたのか」
「その通りです」
マンダリーカは、これも当然というように答える。
「鳳飛殿の船は凸の形に動かれましたね。その形は巫女の居場所を知らせるものです。凹の形はただ知らせるだけですが、凸の形は緊急を告げるもの。それで急ぎ駆け付けました」
「それってもしかして、水流で凸の形だとわかったってこと?」
ジッタが、まさかという顔をすると、これに対してはくだらぬことを聞くなという顔になった。
「当たり前であろう。真っ直ぐ進む時、斜めに進む時、三角や四角、あるいは丸い形に動く時、そこから生じる水流の変化が同じだと思うか」
ジッタはへこまされていたが、鳳飛には、
「しかし、巫女でも支流に船がいるかどうかまでは読めません。私では間に合わなかった。ですからフィドゥーラを助けていただいたこと、心よりお礼申し上げます」
と、頭を下げてくる。そればかりか、
「鳳飛殿も水賊から守ることができてよかった。鳳飛殿にもしものことがあれば、あの方にお詫びのしようがありませんでした」
彼女まで鳳飛のことを気遣い、
「だからどうして僕のことを――」
と言いかけたが、扉がまた叩かれ、
「なんだ」
マンダリーカの声に、
「ガシュレの頭目が巫女様にお会いしたいと申し入れております」
と、侍女の返事があった。
「そうか」
この時、薄っすらと笑みを浮かべたマンダリーカの目が光ったように、鳳飛には見えたのである。
六
翌日――。
鳳飛は、疾走船に乗って、小型船しか通れない狭い水路を進んでいた。
切り立った崖が左右に続き、水路は、めまぐるしく曲がりくねっている。水路が分かれるところもしばしば出てきて、通った水路は一度で覚えるのがいい船乗りの条件であるのに、鳳飛は、ここを戻っていくことができるかどうか自信がもてなかった。
このような場所であるため、晴天だというのに日射しが余り差し込まず、速度を出すこともできないので、疾走船は帆をたたんで帆柱も外し、手漕ぎだけで進んでいる。
壮麗船と出会った場所から上流側へ船で半日ほど遡ったところにある。そそり立った崖の間を通っている島の中の水路が迷路のように入り組み、迷い込むと抜け出せないといわれていることから、このような名で呼ばれているという。
鳳飛も、初めて来る場所だ。
そもそも露座の隊商と会ったベルバルの岸自体が辺境地帯であり、そこから上流側は険峻な山々に阻まれ、陸から行くことができない。よって荷の受け渡しができるわけもなく、鳳飛たちがそちらへ行くことなどないのだ。
そうした場所へなぜやって来たのか。
昨日、ガシュレの水賊の頭目グアゴが、壮麗船にやって来た。しまりなく肥え太った男で、モルダの巫女を舌なめずりせんばかりに見ていた。
フィドゥーラは、怖がっているようであったが、マンダリーカは、妖艶な笑みを浮かべ、機嫌をとるかのようにこんなことを言った。
「よくお越しになられた。今モルダは乱れに乱れています。こうして巫女が現われたからには、それを正すのがつとめ。そこでモルダの河神に託宣を請うたところ、グアゴ殿、あなたを連れて来るべしとの神託を得ました。そのあなたとここで会うことができたのも河神のお導きでしょう。よって、これよりあなたを河神の島へ案内します。そこでグアゴ殿をモルダの支配者にすべしという神託が下るものと思われます」
グアゴが即座に承知したことはいうまでもない。
鳳飛は、これに同行することを求められたのである。
しかし、鳳飛には荷を届ける役目がある。すると、マンダリーカは、朝虹の積み荷を守護船の一隻に移して、運搬船と一緒に目的地へ行くことを提案したため、鳳飛も承諾したのだ。
グアゴにそのような神託が下るのか、モルダを行き来している鳳飛には捨て置くわけにいかないことであり、神託がどのように下るのか、見てみたいという思いもあった。
荷物を積み替え、一隻の守護船と運搬船が去っていった。そして、もう一隻の守護船もどこかへ行ってしまい、目的地まで半日だと今から出発しても夜になるので、自分たちは、その場所で一晩停泊し、翌朝になってから船を進めた。
壮麗船と残り一隻の守護船に、朝虹も付いていった。フィドゥーラは、壮麗船に戻り、ガシュレの水賊からもグアゴの乗る船だけが同行した。そして、迷宮島に着くと、壮麗船からは三艘の、朝虹とグアゴの船からは一艘ずつの疾走船を出し、迷宮のような水路の中へ入っていったのである。
マンダリーカとフィドゥーラの乗る船が先導し、迷宮を案内していた。朝虹の疾走船には、鳳飛、バンガロッド、ジッタ、祥訓の他、総員十名が乗っている。
やがて、水路が開けて湖に出た。
その真ん中辺りに小島がある。島の中の島であった。
「あれが河神の島だ」
と、マンダリーカが指差した。
そこに着くと、五艘の疾走船から人々が降りてきて、島の中へ入った。人の背丈の倍はある石段を上がると木々の繁る森があり、それを抜けた先には草地が広がっていた。草地の向こうには
草地に入って十数歩歩いたところには門のようなものがぽつんと建っていて、マンダリーカは、その手前で一同を止めさせると、
「あれが
社を指差した。
「昔、
「はっ!」
マンダリーカの言葉に、壮麗船の船員が、それも屈強そうな者たちが、鳳飛たちとグアゴの手下の前に立ちはだかった。
「鳳飛殿もここでお待ち下さい。そして何が起こるかをとくとご覧になるよう」
「わしがモルダの支配者になるところをよく見ておくだな、若造。そうなれば、お前たちを真っ先に成敗してやる。がはははは!」
グアゴは、上機嫌であった。その赤い顔と覚束ない足取り、明らかに酔っていることがわかる。そして、マンダリーカと二人で門を潜り、聖域の中へ入っていった。
フィドゥーラは残っていた。グアゴのことを聞くと、グアゴは朝になってマンダリーカから呼び出され、神託が下る祝いだとして、ここへ着くまで酒食が振る舞われていたという。フィドゥーラはその場におらず、マンダリーカだけで相手をしていたそうだ。
「モルダが乱れているのは水賊のせいだというのに、その水賊の
バンガロッドは、納得がいかないようだ。
それは、鳳飛も同じである。
「君は巫女なのに行かないのか」
フィドゥーラは、
「はい」
としか答えなかった。
「神託とはどういうふうに下るんだ」
これにも、
「わかりません」
と、首を振るだけ。
「同じ巫女なのに知らないのか」
ジッタが不審の目を向け、フィドゥーラは、顔を伏せていた。
「ここは朱い巫女の領域ですので――」
「なんかややこしそうね」
祥訓は、ため息をついている。
マンダリーカとグアゴは、河神廟の前に着いていた。門のところから五、六十歩の距離。島の左右の幅は百歩前後であろうか。
河神廟は、その左右の幅のちょうど真ん中に位置している。廟自体は小さい。三、四人しか入れないような大きさで、屋根は人の頭よりやや高いところにあり、廟の左右には水魔の像が建っていた。これも不朽木で造られているらしい。
水魔は、細長い
水魔の像は、とぐろを巻いた身体から鎌首をもたげた形になっていた。頭の位置は廟の屋根と同じ高さにある。
マンダリーカは、廟の前に立つと、両手を広げた。その動きに合わせ、朱いマントが水蝶の翼のように広がり、
「河神よ、グアゴ殿を連れて来ました。この者にいかなる神託を下すか、お教え下さい」
と祈る。
そして、そのまましばしの時が経ち、
すると――。
突然――。
地面が裂けた。河神廟の前からこちらへ向かって、草地が真ん中から二つに裂けたのである。
「地揺れだ!」
と、ジッタが叫ぶ。
それでマンダリーカとグアゴの間に裂け目が入り、マンダリーカは、パッと飛び退いたが、グアゴは裂け目に落ち、それでも草を摑んで必死にしがみ付いている。マンダリーカが飛び退く瞬間に、グアゴを裂け目の方へ引っ張ったようにも見えた。
「た、助けろ。助けてくれえ!」
グアゴは、悲壮な声を上げていた。
しかし、マンダリーカは、裂け目に近付くと、そんなグアゴを上から見下ろし、冷徹に言い放つ。
「お前がモルダの支配者になれるわけがなかろう。その神託はお前ごときと比べることすらおこがましい立派なお方へすでに下っている。お前には水賊としての所業、許すべからずとの神託があり、私が奇蹟でもって罰を下した」
「な、なんだと――」
グアゴは、藁にでもすがるつもりか、それとも道連れにするつもりだったのか、手を伸ばしてマンダリーカの脚を摑もうとしたが、これも飛び退いて、あっさりかわした。
そして、グアゴは、
「わああああ!」
と、悲鳴を残して落ちていく。
すると、地面が元へ戻っていくではないか。裂けた時に裂け目の草や土もいくらか落ちているので、完全に元通りとはいかず、亀裂の痕があちこちに残っている。それが今の出来事を夢ではないと知らしめた。
裂け目は、門のようなものの手前で止まっていた。鳳飛たちには何の被害もなく、揺れも感じなかったのだが、それだけに驚きは大きかった。まるでグアゴを地の底へ落とすためだけに起こったようであったからだ。
鳳飛は、声を発することもできなかった。他の者たちも同じだ。
信じ難い出来事であった。しかし、はっきりと見た。実際に起こった。そのことは認めなければならない。
これが奇蹟!
「地面が裂けて、人を落としやがった!」
「奇蹟って本当にあったの!」
ジッタと祥訓が呻いている。
驚愕と恐怖の視線が向けられる中を、マンダリーカが、悠然とした足取りでこちらへ戻ってきた。しかも、その朱い瞳が朱く光っているではないか。
単なる形容詞ではない。ここは湖となって開けた場所なので、まわりに崖がそびえ立っているとはいえ、迷宮の水路よりは日射しが入ってきている。それでも明らかに光っていることがわかる。壮麗船で見たのは、錯覚ではなかったのだ。
マンダリーカは、その目で睨み付け、
「見たか、グアゴの手下ども。こうしてモルダの巫女が、朱い巫女が戻ってきたからには奇蹟を起こす。このこと、モルダ中の水賊に伝えよ。そして、モルダの新しい支配者が誰かをこれから教えてやろう」
そう言われた手下たちは震え上がっていた。
しかし、鳳飛には、目の光を消し、
「鳳飛殿もお越し下さい」
と、恭謙な態度を崩さない。
五艘の疾走船は、河神の島を離れて迷路のような水路を戻り、迷宮島の外へ出てきた。すると、停泊していた鳳飛たちの船の後方に新たな船団が現われていた。
先頭にいるのは、二隻の塔船である。ガシュレの水賊のものより遥かに大きくて高い。
一、二、三、四と数えていたジッタが、
「十三もあるじゃねえか」
と、目を剥いている。
十三層の塔が大型船の船体に載っていたのである。そして、塔船の後ろには、三、四十隻――いや、もっと多いかもしれないと思わせる多数の船が集まっていた。大型船も中型船もいて、全て帆のない不朽船である。昨夜どこかへ行った守護船もいる。
その中から一隻の中型船が進み出てきた。
中央船橋の上では、赤く輝く太陽を描いた旗がひるがえっている。
「モルダの新しい支配者はあそこにおられる」
マンダリーカが、それを誇らしげに指差す。
すると、船橋甲板に人が現われ、鳳飛は、その人物を見て、
「
と、声を上げていたのである。