第六章2

文字数 6,358文字

     二

 次に鳳飛たちは、イシュタルク洞夢へやって来た。
 洞夢も初めて見る魏出温と陸憲が仰天したのは当然である。この頃になると、陸憲も船に慣れ、余り酔わなくなっていた。
 真ん中に岩壁が立ちはだかっているところまで来ると、先に西都の方へ向かったが、船の姿を一隻も見なかった。ここには壮麗船や守護船、補修船、工房船などが停泊していた筈なのだが、
「全部どこかへ行っちまったみたいだな」
 と、ジッタが言う。
「大幻の帝都にも大凶洪のことが知らされたのですから、ここへも連絡が来たのではないですか」
「やっぱり生き残った船がいて、それが知らせたんじゃない?」
 バンガロッドと祥訓の疑問に、たぶんそうなのだろうと、鳳飛も思う。
 鳳飛たちは、船がいないことを確かめると、今度は東都へ向かった。やはり船の姿はなく、岸壁に着くと、ここでは全員が船から降り、観奇楼がある塀の中へやって来た。奇蹟が起こったことを確かめに来た時、砂地にはまたたくさんの足跡が付けられたのだが、あの後、それもきれいに均されていて、砂地には何の乱れもない。死体も片付けられている。
「ここに水魔が現われたわけか。なるほど、うまいこと考えたのう」
 魏出温が、そびえ立つ十五層の楼閣を見上げて、しきりと頷いていたが、
「こいつ、ほんとにわかってんのかよお」
 ジッタが疑惑の目を向けると、魏出温は、頭から湯気を噴き出させた。
「こいつこいつ言うな! ちゃんとわかっておるわい。嘘だと思うのならあの建物の中を確かめるがいい」
 魏出温が指差したのは、左右の塀際に建っている神殿か宮殿に見える五層の建物だ。だから中に入って五層目に上がると、
「あれ、なんか見覚えがあるような――」
 ジッタが、戸惑うような部屋があった。
「これって船の指揮室じゃないの? だってあそこに舵が――」
 ヒリルが指差す先には、確かに舵があった。
「――ということはこれも船なの? でもこの建物からすると物凄くおっきいんじゃない。大型船どころではなさそう」
 祥訓は、目を見張っている。
「たぶん神船だと思う」
 と、鳳飛は言った。
「そのようじゃのう。つまり神船も実在したということじゃ」
 と、魏出温が頷く。
「神船は五、六千人が乗れるくらいだといわれています。そして、この塀の中は中央の低地が二万人近くは入れるくらいの広さを持っている」
 そうジッタが読んでいた。
「神船三隻分に当たるのではないでしょうか。そして、低地を囲む部分はその三分の一強といったところですから神船一隻分になるでしょう。つまりこの塀の中は低地の部分が正面から見て縦に並んだ三隻の神船でできていて、低地を囲んでいるのは正面と奥側がそれぞれ横向きになった神船一隻、左右はそれぞれ縦になった神船一隻でできているんです。それで神船のこの長さからして、正面と奥で横に並んだ船は塀の外へもはみ出している」
「塀の外までだって!」
 と、ギルガランが目を剥いていたが、
「それしきのことで驚いてどうする。船はその先もずっと並んでおる。この東都というヤツはのう、おそらく全部船でできておる筈じゃ。つまりここは船上の都よ」
 魏出温が、そう平然と返した。
「船上の都!」
 ギルガランだけでなく、驚きの声があちこちから上がる。
「考えてみてくれ」
 と、鳳飛は続ける。
「神族は数百隻もの神船を持っていたといわれている。しかし、西都に住んでいたのは四十万だったらしい。神船にすればおよそ七、八十隻。神族は他では住んでいなかったそうだから、とてものこと数百隻には達しない。神話だから話が大袈裟になっているということもあり得るだろうし、一隻にきっちり五、六千人も乗る必要はないから、もっと少ない人数で乗っていたのかもしれない。でも神族は水の民に与えた千隻以上もの大型・中型船も引き連れていたから、これを仮に千五百隻として平均百人で乗っていれば、これだけで十五万人。残り二十五万をこれも仮に神船が二百隻だったとして分けると、一隻当たり千二百五十人。定員の半分以下だ」
「せっかく超巨大船を動かしているのに効率が悪いな」
 と、ギルガラン。
「つまりもし本当に数百隻の神船で来たのなら、目的は別にあったということだ」
「その神船をここに使ったというのですね」
 これは陸憲だ。
「そうです。イシュタルクの東都は二十万人が住める規模だというのですから、ここには三、四十隻の神船が使われているのでしょう。今いる建物は神殿か宮殿のように見えますが、これが船橋に当たるわけです。僕もあなたたちも船上御殿といっていい船を見ています」
「壮麗船ですね。確かにあの船の建物は御殿のようだった。その御殿をもっと立派にしたものが、ここでは船の上に建てられ、塀も造ったということですか。だから木畳に当たる部分は甲板」
 鳳飛たちは、観奇楼のある低地に下りた。ここでも砂地を掘ってもらうと、河神の島と同じように下から板が出てきた。ここでは、これが甲板ということだ。
「甲板の上に土を盛る。僕たちはそうした船も見ている」
「作物船ね」
 と、祥訓。
「木畳だけのところも土こそ盛っていないが、甲板の上に船楼や船橋がない平たい船なんだ」
 備蓄船や補修船といったものも、この洞夢で見ているのである。
「観奇楼はほとんどが砂地になっているこの低地の真ん中にぽつんと建っている。つまりここに並んでいる三隻の神船の真ん中の船ということで、他の二隻は平たい船だが、真ん中の一隻は観奇楼が十五層の塔のようなものだから塔船といっていいだろう」
「これが塔船なのか」
 ジッタが、唖然とした顔で観奇楼を見上げていた。
「西都は普通の地面の上に造られている都だった。しかし、ここには地面などなかった。それで神族はここに神船を並べ、船上の都を造った。僕はバンガロッドさん、祥訓姉、ジッタと壮麗船に乗ったことがある。あの時、壮麗船もかなりの大きさだったから船に安定感があり、まるで陸にいるみたいだと思った。神船はそんな壮麗船より何倍も大きい。船の安定感はさらに増し、しかも、ここは洞夢の中だ。天井に開いている穴と、ここへの出入り口になっているトンネルを除けば、まわりがふさがっていて風が吹き込まない。だから外がたとえ嵐でも東都の近くの水面が波立つことはない」
「それで俺たちはここが船の上だとは気付かなかったんだな」
 ギルガランは悔しがっている。洞夢であることが大きな意味を持っていたのである。
 神船は不朽炉で動くから、河神の島のように櫂を動かす隙間を作る必要はなかった。だからここでは船の舷側はぴたりとくっ付けている筈だ。ただ神船は長い航行をしてモルダへ現われているから船首は尖っていると思われる。従って、その部分は他の船とくっ付けることができず、甲板の板をはみ出させているに違いない。こうして砂地に隙間を作らないようにしているのだ。
「ただ余り長くいると、僕たちが船だと気付くかもしれない。それに神殿や宮殿のような建物の中へ僕たちを入れたら舵がある部屋が見つかってしまう。建物の下へも下りられるようになっている筈だが、そこに入れば船室だとわかるだろうし、機関室も見つかるだろう。だから僕たちをここに長くいさせないようにした。一方、観奇楼にいる傲悦たちに酒食を振る舞ったのは、グアゴの時と同じで彼らを酔わせ、船だと気付かせないようにしたんだ」
「船の都だというのはわかるとしても、この低地は他と高さが違います。これはどういうわけですか」
 と、陸憲が聞いてきた。
 これについては、
「喫水線というヤツじゃな」
 と、魏出温が答える。
 そう、船には喫水線がある。船が重ければ喫水線は上がり、水面から出ている船体部分は低くなる。反対に船が軽ければ喫水線は下がって水面上の船体が高くなるのだ。だから備蓄船の喫水線は上がっていた。ここはその違いによって高低を出しているのである。
 東都の岸壁は、西都と同じく大型船の甲板の高さになっていた。大型船の甲板下は五層である。神船の甲板下はそれ以上あっただろう。何層かはわからないが、それが五層になるよう喫水線を調整していたのだ。そして、低地の部分は、まわりから建物二階分ほど低くなっているので、さらに三層になるよう喫水線を調整している。重しになるものをそれだけたくさん積んでいるに違いない。
 ただ甲板の上に土を盛るという点は、河神の島と同じであったが、ここの砂地には人一人が通れる幅の木の道が格子状に付けられている。砂地を掘っていくと、これがどういう役目をしているかがわかった。全てを掘るのは手間なのでそこまではできないが、どうやらこの格子状の道の多くが船の周縁に沿っているようであった。
 つまりそれは甲板より高い舷側の壁であったのだ。船首で甲板がはみ出している部分は、そこに壁を設けている。それは盛った土を落とさない防壁にもなっていて、ここではその上部を露出させ、それが木の道に見えたのだが、舷側のところにだけそれがあると、その形から船だと気付かれるかもしれない。それで格子状にして、形をごまかしていたのである。
 一方、木畳が敷かれている船は、そこが甲板に当たるので、それよりも高い舷側の壁は作られていなかった。それで船だとわからないようにしていたのだ。
「木の道を最初から見せていたのは、その上にまで土をかぶせ、それがこぼれ落ちて、後から道が現われたりしたら、ここが動いたのではないかと思われるかもしれない。それを防ぐためだった」
「――てことは、ここでも船を動かしたのか」
 ジッタの問いに、
「そうだ」
 と、鳳飛は頷いた。
「でも空に浮かんだ水魔って、まさか本物のわけはないよな」
 それは見つかれば話が早いのだが、と思っていると、
「ありました」
 バンガロッドが、こちらへやって来た。
 バンガロッドには船員を同行させて、神殿や宮殿に見える建物の中を調べてもらっていたのである。彼らはそこから見つけてきた大きな物を低地に運んできた。それを見て、
「げっ、これが水魔!」
 と、ジッタがのけ反っている。
 他の者たちも同じような反応だ。
 確かに水魔であった。但し、人間を載せるほどの大きな頭部は木でできていて、そこから鱗のような模様を描いた胴体が布で造られている。造り物ではあるが、彩色が丁寧にほどこされた顔は薄暗い洞夢の中で見ると、かなりの迫力で、口がパカパカと動いた。そして、胴体の布を広げていくと、物凄く長い。低地の端から端まであるのだ。
 それを見て、
「わしらがここへ来た時に見せてもらった歓迎の踊りのものに似ておらんか」
 と、ラモン爺さんが指摘する。
 鳳飛も、そうだと思う。
 あの時、ゼルマの民が水鳥の被り物をしていた。その水鳥を水魔にして、物凄く大きくしたようなものだといっていい。
「これが傲悦たちの見た水魔だったとして、どうやって空に浮かべたんだ?」
 と、ギルガランが聞き、
「観奇楼が塔船のようだというのなら、その塔船を使ったに決まっておるじゃろう」
 と、魏出温が言う。
「そうです。マンダリーカや傲悦を残し、僕たちが西都へ引き上げた後、ゼルマの者たちはここへ戻ってきた。そして、神船に乗り込んだ」
 さっき五、六千人が乗れるという神船に実際は千数百人しか乗っていなかったのではという机上の計算をしたが、それでも神船を動かすのに千人もの人間が必要なわけではない。フィドゥーラに魏出温、陸憲が加わって乗員が百三十六人になった朝虹でも、ラモン爺さん率いる機関室に関わっているのは数人。あとは舵を握る者と進路を見る者がいればいい。最低限これだけの人員がいれば船は動くのである。だから神船の場合もやはり舵と進路役がいて、不朽炉も十数人でいけるのではないか。大人数は必要ないのだ。
「それに東都を造っている三、四十隻の神船全てを動かす必要などなかった」
 と、鳳飛は続ける。
「どうしても動かさなくてはいけないのは岸壁から低地がある塀までの船と、塀の中は岸壁に通じる方と水魔が現われた方だけ。だから低地の三隻も水魔が現われた方の一隻だけでよかった筈だ。建物がある船は、そこから船内へ入っていくことができるが、建物のない木畳だけのところやこの砂地のような平たい船の場合は水中に潜って、そこから船内へ入ったに違いない。隣船との隙間がある船首に扉を作ってある筈だ。彼らは潜水も得意だった」
 カルナドキアへ行く途中で停泊していた時、ゼルマの民が水に潜っている様子を、鳳飛たちは見ているのである。
「だから傲悦たちに酒食を振る舞ったのは、自分たちのいる場所が船の上だとわからせないようにするためと、まわりで船が動いている気配にも気付かせない意味があったのだと思う。そして、船が動き岸壁から観奇楼の側まであきができると、そこへゼルマの塔船が二隻入ってきた。その塔船は片方が水魔の首に当たる部分の布を最上層にかぶせ、そこから胴体が伸びて尾の先端に当たる部分の布が、もう一隻の塔船の最上層にかぶせられていた」
 首の部分をかぶせた塔船は、最上層の前方に水魔の頭が出ている形になる。
「そして、頭の方の塔船が観奇楼の横に付く。この時、塔船の最上層は観奇楼の最上層のすぐ下の高さになっていた。そうしておいて塔船の中から出てきたゼルマの者が観奇楼の屋根に乗り移って最上層の窓の閂を外から外し、塔船へ戻った」
 塔船は、その高さを利用した哨戒用の船だから、最上層には窓がある。そこから出入りをしていたのだ。
「それでその時の塔船には楽人が乗っていて、獣の咆哮を思わせる音を出し、それを合図にマンダリーカが窓を開けた。開けた後は窓の外に出て屋根を伝い、その向こうにあった水魔の頭に載って、それから水魔の頭が上がってきた。塔船に取り付けた重しを水の中へ落としたんだろう。それで船体が軽くなり、喫水線が下がって、水魔の頭が傲悦たちの目の前に現われた」
 観奇楼は三層の高さまで沈んだ神船の上に十五層の楼閣が建っていた。つまり計十八層の高さになる。一方、ゼルマの塔船は、五層の船体の上に十三層の塔が建っていて、やはり計十八層。しかし、これを調整して、最初は一層低くしていた。そこから重しを落として一層分軽くすれば観奇楼と並ぶのである。
「一方、尾に当たる塔船は胴体の布を目一杯伸ばし、頭の部分の塔船の背後――神殿や宮殿に見える建物があった場所をも通り抜けて塀の外に位置していただろう。こっちの塔船も最初は一層分低くなっていて、頭の方の塔船と一緒に重しを落とし、上に上がってきた。そうやって水魔が空に浮かんでいるように見えたんだ。窓から外を見ることができたなら、東都の一部がなくなっていること、塔船が現われていることに気付いただろう。しかし、傲悦も手下たちもすっかり驚き脅えて、そんな余裕はなかった」
「――――」
「そして、マンダリーカが傲悦を呼び寄せ、その時、塔船の中にいたゼルマの者が赤い舌に見立てた物を飛ばし、傲悦をからめ取って観奇楼の下に落とした。その後、さらに塔船の中から眠り薬を浴びせて手下どもを眠らせ、窓を閉め、閂を掛けたというわけだ」
 あとは東都を元へ戻し、マンダリーカだけが残ればよかった。傲悦を落とした方法は、長い釣り糸を飛ばして水魚を引っ掛け、把手をまわして糸を巻き取っていた方法を応用したのである。
 この後、鳳飛たちは東都の隅々まで調べてみた。やはり全てが船でできていた。

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